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ぷぷぷ日記

映画・マンガ・アニメ・小説・歴史・日々の雑記帳。

更新は思いついたとき。

講談社文庫 1998 土屋京子 訳
祖母・母・著者の三代の女性の体験を綴ったノンフィクション。国家と社会の動きに翻弄される家族の歴史から、「中国で生きる」現実が生々しく描かれ、圧倒される。共産党幹部だった母の述懐が核となっており、一般中国人には知り得ない貴重な真実が織り込まれている。

1924年、祖母は15歳で軍閥将軍の妾になった。日本占領下の満州で育った母は、共産党に参加。戦後、夫と一緒に共産党幹部に昇進した。中華人民共和国成立後、1952年に産まれた著者は、両親が嫉まれて失脚したため、迫害の中で思春期を迎える。過去を疑われて逮捕された父は精神異常をきたし、母は自らも嫌疑をかけられながら奔走し、父を救おうとする。文化大革命では両親は労働キャンプへ送られ、著者は紅衛兵になったのち農村へ下放される。その後、無免許医や電気工をしながら文革の残虐さと理不尽をみつめ、耐えながら大人になる。ようやく毛沢東が死んで鄧小平が復権、1978年、なんとかロンドン留学の権利を勝ち取って国外脱出を果たすことができた。

簡単に読めるので上・中・下巻といっきに読んで、おなかいっぱい胸いっぱいになってしまった。すさまじい。おそろしい。やることが劇的で、激情にあふれる中国の人々。全編を通じて、メンツとタテマエと理不尽が幅をきかせ、その下には常にねたみそねみと悪意があり、怒涛のような権力欲と不正が活動し、難を避けるためにはいつも本音を隠して演技をしていなければならない・・・。

中国では、多少とも恵まれた立場に居て目立つ者は、いつ追い落としに遭うか用心しなければならないようだ。また、誰と、どの派と与していれば吉か凶かわからない。賛美された者がある日批判され、批判されていたものがまた再評価され持ち上げられる。軍閥割拠の時代から現在まで、状況は変わらない。軍閥のあとは、日本に支配された。反日勢力として国民党が来て、それから共産党がやってきた。誰もが時代の流れのなかで、どれかにいくらかは関わっていたに違いない。それを何十年もたって弾劾するなど言いがかりとしか思えないが、そんな時代がまたやってこないとはいえないのではないだろうか。

次期総書記・習近平も父が党内の権力抗争に敗れ、投獄された。そのせいか、文革のときはわずか15歳で農村に下放されたという。「共産党のおそろしさを知る男」というわけだ。名誉回復で文革時の汚名を返上し、既得権益を握る人たちが多数いる。しかし、人民は文革でさほど被害を受けなかったためか、ひどい飢饉が毛沢東のせいだった(本書によれば)など情報がないためか、今も反日デモに毛沢東像をかかげ、「あのころは平等でよかった」と叫んでいる。共産党と人民の隔たりは大きい。今後、人民をどう幸福にするのか? カリスマにも「反日」にも頼らずがんばっていただきたい・・・と切に願う。
¥860
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光人社NF(ノンフィクション)文庫 2000年
中島飛行機って知ってましたか? 私が初めて見たのは、吉村 昭の『零式戦闘機』でした。三菱と中島が新型戦闘機(零戦)の受注で競り合った結果、機体設計が採用されたのが三菱、エンジンは中島のほうが優れていて採用となったと。本書によると、量産機ランキング1位は三菱の「零戦」で10450機。以下2位「隼」、3位九七式、4位「疾風」までは、機体・エンジンともに中島の設計です。エンジン製造はもとより、零戦の機体も3分の2は中島で製造されました。戦時下の航空機設計・製造について中島飛行機が第一の主要メーカーだったのです。中島抜きには三菱も零戦を造れなかったということですね。

手元の文庫本の帯には「エンジニアの戦い」「戦時増産下の航空機メーカーを描く!」の文字が躍っています。しかし、この著者は大変な秀才であったらしく、製作現場にはりつく技師ではない。管理部門に昇って工場内外へ監査・技術指導や交渉のため出入りし、より大きな視点から製造業界内外の事情とダイナミズムを散見できる立場にあった。日本の製造技術が戦争特需によってどのように勃興していったかということも目撃しているのだ。


たとえば招集中は、二等砲兵から試験を受けて抜群の成績で技術将校となり、光機工場や電機工場の管理についた。そのおり、潜水艦が技術交流でドイツから持ち帰ったライカ・カメラを日本でも製造することになった。たまたま著者が知っていた「精機工学」という会社を推した。このことが、今日の世界のキャノンを育てることになるとはまったく気付かなかった。・・・と述べている。キャノン、当時の「精機工学」はパッとしない会社だったらしい。なんだか日経新聞のコラムに出てきそうなこのテの話もごろごろと入っていて目が覚めるようです。

中島飛行機の創業者・中島知久平の物語も驚異的なものがあります。知久平は、第一次大戦では海軍大尉として工場長に昇進し、ファルマン機を製作していた。技術将校として将来を約束されていたが、大正6年、33歳で退役して「中島飛行機研究所」を発足。「飛行機の研究製作は民間でなければ思うようにできない」と考えたからだ。金属製飛行機をいちはやく作り、大正13年には発動機の製造にも着手した。(この前年、三菱が発動機国産化に成功していた。)フランスの飛行機会社、発動機会社と契約、外国人技師も多数招いて生産技術の向上につとめた。昭和6年、満州事変勃発から航空機の需要が増し、会社は大きくなった。昭和9年、中島は米ダグラス社から輸送機の購入、カーチスライト社からは発動機の製造権、ノウハウも学んだ。米国にはコーネル卒の駐在員を置き、社員を実習のため渡米させた。このころ日本への技術移転は問題視されていなかったようだ。昭和13年、軍用の発動機工場・武蔵野製作所が完成した。ダグラス社の社長も米大使館武官も年に1,2回は見学に来た。(これがのちの大爆撃につながるのだが。)日本の技術は米・仏など連合国側から開戦直前まで学んでいたものだったのだ。

知久平はこのときすでに、終戦後の将来を予見している。「中島飛行機は、戦争に勝っても、負けても、いずれはつぶれる。勝てば飛行機はこんなにいらない。そうなったら、低馬力の自動車工場にするより仕方がないだろう。もしそうであっても、アメリカのフォードがダンピングしたらかなわない」。こんなセリフが昭和12年に発されていたとは、企業人の判断力おそるべし。 ちなみに中島は終戦後、富士自動車→プリンス→日産となってよみがえる。このときアメリカ航空業界視察などから学び、戦時下では生かし切れなかったことが貯えとして使えたのではないだろうか。

本書の最後の章は発動機工場・武蔵野製作所の大爆撃、壊滅。工場そのものの疎開を経て、終戦となる。昭和19年11月、初めて本土爆撃したB29は中島のエンジン「誉」とほぼ同馬力であったが、いわばターボつきで一万メートルの高度でも息切れしなかった。一方、中島のエンジンはターボまで手が回らず、高高度では馬力が半減してしまう。実は、中島でも昭和12年ごろからB29のようなターボつきのエンジン設計を開始していたが、完成が遅く、一部使用されたのみで真価を発揮しないまま終戦を迎えてしまった。これはアメリカと日本の厳然とした国力の差である、と著者は嘆く。また、航空機の数が少なすぎた。巨艦大和や武蔵を造らず、その分戦闘機をつくっておれば・・・とも述べている。実際、軍部は武蔵に続く3号・4号艦を空母として航空機時代に対応しようとしたのだが、それでも肝心の艦載機が足りなかった。

著者が中島に入社したのは日中戦争勃発の昭和12年。応召が昭和13年、召集解除となって中島復帰が昭和17年。夢中で航空発動機を造ってきて、昭和20年の終戦時には虚脱感で出社しなくなり、自然退職となったという。計算してみると22歳くらいから30歳くらいまで、20代のもっとも元気な時代を過ごしたことになる。技術者らしく、あまり感傷的にならない文章を組み立てて書かれているが、さすがに心中察してあまりある・・・という切ない部分もある。
ともあれ、貴重な体験がひとつの時代として語られ、当時のことを正しく認識するために、とても勉強になった。なにより、おもしろかった。またこんな本に出会えたらいいなと、思う。
中島飛行機物語―ある航空技師の記録 (光人社NF文庫)/光人社
¥580
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『三陸海岸大津波』吉村 昭/著、 文春文庫 2004(再文庫化)。
中公文庫 1984。
原題『海の壁--三陸沿岸大津波』中央公論社 1970。

この本を読んでいたころ「復興予算が関係のないところに使われている」というニュースをきいた。読み終わるころ「震災から一年8カ月」となった。

本書は明治29年、昭和8年、昭和35年の三陸沿岸の津波について記録したものだ。
資料や聞き取り調査から被災前後の海の様子、避難状況、救援活動、被害の統計などについて克明に記している。被災した人の体験談や子供たちの作文も収録されている。

読むうちに奇妙な気分になってきた。釜石、田老などおととしから何度も報道であがっている地名が出てくる。津波から逃れるときの体験談が、さきの津波の報道とだぶってしまう。子どもの作文など去年書いたものかと思われるほど同じだ。人は時とともにおそろしさを忘れれるというのは本当なんだな・・・と驚いた。明治29年の記録も絵図などで多数残っているし、昭和35年といえばまだ遠い昔ではない。この本も何度も再版されているのだが、十分な警鐘とはなっていなかった。3.11後に読む人が増えたそうだ。

著者は本書執筆時点で、三つの津波の死者数と被害世帯数が減少傾向にあることについて、高地への住居移転、避難訓練の実施、防潮堤設置などが津波被害の防止に効果があったとしている。顕著な例として、田老についてふれている。類をみない大防潮堤と整備された避難道路がある、と。

(引用)---しかし、自然は、人間の想像をはるかに越えた姿をみせる。
 防潮堤を例にあげれば、田老町の壮大な防潮堤は、高さが海面より10.65メートルある。が、明治二十九年、昭和八年の大津波は、10メートル以上の波高を記録した場所が多い。(中略)私は、田野畑村羅賀の高所に建つ中村丹蔵しの家の庭先に立った折のことを忘れられない。海面は、はるか下方にあった。その家が明治二十九年の大津波の折に被害を受けたことを考えると、海水が50メートル近くも這い登ってきたことになる。
 そのような大津波が押し寄せれば、海水は高さ10メートルほどの防潮堤を越すことはまちがいない。---(引用終り)

はたして、昭和35年のチリ地震津波では功を奏した防潮堤も、2011年の3.11では倒壊し、多数の犠牲者を出した。津波の高さは防潮堤の2倍もあったという目撃証言があるともきく。また、防潮堤があるという安心感が被害を大きくしたとも。(全体の死者数は明治29年に迫る。)

ここで考えてみた。では、25メートルの堅固な防潮堤を作り直せば安全なのか? コストからいってありえないだろう。防潮堤をが必要な海岸線は日本にいったい何キロあるのか。しかし、土地利用や仕事の効率からみて、海岸近くに絶対に住まないという選択もないだろう。山間部でも山津波というものがある。結局は、「リスクがどれくらいあるか」「リスクをどれくらいとるか」を認識して生きていくしかない。絶対に安全ということはないのだから・・・。

ある人が言っていた。「『安心安全』という言葉はバカげている」。安全というのは科学的な尺度で検証してOKということであって、安心というのは気持ちの問題だ。それを一緒に言うのはおかしい、という意味だ。なるほどと思う。津波に限ったことではない。安全の基準を知って、どれほど安心していいか意識しなくてはならない。

個人もリスクを自覚すべきだし、政府も「絶対安心安全」を旗印にしては復興計画が決まるわけもない。「どのくらいのリスクを負うか、いざというときどう回避できるか」と考えねばならない。
今後、温暖化によって気象による災害はもっと増えていくだろう。NYに洪水を起こし証券取引停止の事態となった原因はハリケーンではなくて「大型嵐」で、地球の気候変動により今後も直撃が予想されるそうだ。日本の台風も今年は進路が東より直に北上というおかしな進路だったが事情は同じだ。伊勢湾台風並みの東京直撃があるかも。

政府は東海・南海の地震についてもまじめに考えているのかな? 3.11以降、東京人が帰宅難民になった日は何度もあったと思う。(関東の人って辛抱強いね。大阪なら暴動が起こるぞ。) その後「いざというときの避難場所の整備」 「歩いて帰宅する訓練」 だの 「高層ビルからの避難訓練。階段が混雑して30分かかりました」などと報道でやっている。 努力はわかるが、大災害直撃時に有効とは思えないんですケド・・・首都機能分散の話はどうなったんでしょうねぇ。東京直撃は想定外のままですか? 「想定外」「対処できないことには目をつぶる」の言い訳ではないのかな。

個人的にはあまり安全度には固執しないほうですが、身の回りのリスクを点検して、「どのくらいなら備えられるか」  「どのくらい以上の災難ならあきらめられるか」を覚悟しておきたいと思います。

三陸海岸大津波 (文春文庫)/文藝春秋
¥460
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新潮文庫 ローマ人の物語3・4・5 (単行本では ローマ人の物語 第2弾)

ハンニバルは、フェニキア人の大国、カルタゴの武将だ。「ローマ人の物語」なのに、なぜ表題が敵国の武将、ハンニバルなのか? 一世紀以上にわたるポエニ戦役で、ローマという国は大きく変容した。その核心に、この武将ハンニバルの29歳から終生にわたる戦いがあるからだ。

ローマは王政から共和制になり、ようやく同盟諸国をまとめイタリア半島を統一した。紀元前3世紀後半、救援を求められ、初めて海を渡ってシチリアへ兵を出したところから本書は始まる。船を持たなかったローマがモノマネで戦艦を急造し、ブサイクな操船でカルタゴの失笑をかう・・・そんなローマがカルタゴと渡り合い、地中海の覇権を奪い、戦いはやがてギリシャ・マケドニア・シリアもからむものへと広がってしまう。ローマは最後には大国カルタゴを滅亡へ追い込み、文句ない強国となる。もともとローマに大きな野望があったわけではないのだが、ハンニバル相手に翻弄されるうち成長してしまった・・・という歴史のダイナミズムを堪能させてくれる歴史物語です。

この物語の第一等の華がハンニバル・バルカ。 とにかくカッコいいんです! 正直、ホレた。何がカッコイイって、あまり私的な記録が残っていないから、素顔はわからない。演説や逸話がわずかに示されるだけで、そこに想像をかきたてられる。象をつれてのアルプス越えをはじめ、意表を突く戦いっぷり。兵士と共に粗末な食事と露営もいとわず、何十年も故国を離れて転戦したストイックさ。本国からろくに支援も受けられずとも戦い続け、ついに敗けて最後はシリアへ亡命し自殺するという不遇な最期。硬派で、兵たちには人気のある武将を思い描けば、これはもう最大級にカッコイイ人物としか思えないではありませんか。

対するローマの英雄はスキピオが登場する。こちらは、華々しい逸話満載です。明るさと才気にあふれた彼は、民衆からの絶大な人気を背景にわずか25歳で司令官の大役に任命されます。ローマとしては年齢規定を破る法外な賭けだ。しかしスキピオはハンニバルに習ったかと思われるような見事な策略と戦術により、勝ちをあげていく。彼こそハンニバル侵略下で育った新しい世代の人材だったのです。

陰と陽、という性格のハンニバルとスキピオだが、カルタゴとローマの対比もおもしろい。カルタゴの兵は北アフリカのヌミディア騎兵、ガリアの歩兵など、ほとんどが傭兵でカルタゴ市民は闘わない。一方、ローマは同盟諸国の兵とともに軍団を構成するが、中心となるのはローマ市民兵だ。同盟諸国に寛容で戦いに臨んではローマが重責を負うということらしい。また、カルタゴの敗将は厳罰に処せられるが、ローマの敗将は「経験をつんだ」ということで罰せられず次回も出馬できる。配下とした属国との税などの取り決めにしろ、ローマの牧歌的というか寛容な性格の政治の体制がよくわかる。

しかし、この長い戦いの間にローマの政治体制そのものが変化した。これまでは一年交代で二人の執政官(最高官職)を選んでいたが、戦時体制ではそうもいかない。連続で官職にとどまることを可とする仕組みにしたり、スキピオのように年齢制限破りを認めたり、また諸国との関係も考え直さずにはいられなくなり、牧歌的とはいかなくなったようだ。ここまででローマ人の物語「第二弾」はひと区切りとなる。

本書のおもしろさは、ダイナミックな歴史的事件を具体的に裏付ける細かな記述に支えられている。調べうるかぎりの史料を調べあげ、物語に現実味を与える仕事はお見事というほかない。たとえば、はじめてローマが作った船の断面図。重要な会戦の布陣の図。ローマの軍団構成のやり方とその員数内訳。ローマの行軍と野営のお作法。彼らが一日に食べていた糧食の内容。

著者は歴史を立体的把握にもっていくには、「同時代かそれに近い時代を読むしかない。そして、それらを読み始めるや、歴史が立体的になるだけでなく、色彩をともない大気まで感じられる」と述べている。結果、味気ない歴史本でなく、わくわく感いっぱいの「戦記」というにふさわしい物語を紡ぎだしてくれたことは、読者としてとてもうれしい。翻訳調のかわいた文章にこれほど胸が躍ることは、そうないことだと妙に感心する。お試しあれ。

ローマ人の物語 (2) ハンニバル戦記/新潮社
¥2,940
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ローマ人の物語 (3) ― ハンニバル戦記(上) (新潮文庫)/新潮社
¥420
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社会人になるまで、私の時代は昭和だった。
昭和な人間にとって、テレビや自販機はうまく動かない場合はたたいてみるのが常識。古くなったカセットデッキなんかは、ボタンを押すときの力の入れ具合にコツがいる。エアポンプ式のポットもしかり。ほら、おばあちゃんちの電気ポットを見ると、よくボタンの部分のビニールカバーが破れてるでしょ。あれは「ボタンは強く押すもの」と思っているからああなるのですよ。

デジタル家電となると壊れても叩くわけにはいかない。しかし、IHヒーターのパネルボタンが反応しないときは指をしめらせるとか、やっぱりコツはあるみたいだ。

今日、こわれていた電子辞書が復活した。モノは2004年に購入したSONYのe-Book Reader EBR-S1MSと銘打った、広辞苑と漢字辞典を内蔵したもの。これにメモリスティックの英語辞書コンテンツを追加した。リーダーズ、オックスフォード英英、カタカナ発音英単語検索もできるスグレモノで、とても活躍してくれた。

ところが今年になってメモリスティックのコンテンツが使えなくなってしまった。本体内蔵辞書は使えるが、メモリスティックは何度差しなおしても認識されない。差すと本体のほうもエラーを起こし、リセットしないといけない状態に・・・。

しかし何か月もたった今日、フト思いついてPCにメモリスティックを差してみた。このPCでメモリスティックが使えるなんて忘れてたよ。見ると、予想に反してスティックは壊れてなかった。ファイルがあることを確認できた。そこでダメモトで電子辞書にスティックを差してみる。”このメモリスティックは使えません”と表示された。やっぱりだめか・・・と思いつつ、悪あがきでもう一度エイヤと差しなおしてみた。  ・・・すると、なんということでしょう! 追加コンテンツ復活。電子辞書は完全に元のように使えるようになったのです。

PCでスティックを開いたことによって、電気的なショックで接触がよくなったんだろうか? いまどき、こんなことは常識なんだろうか? いろいろやってみるものですねぇ。この電子辞書、新しいのを購入した今となっては主力には復帰しないけど、やっぱり大事にしたい。

この古い辞書の良さは、まず、開いた瞬間すでに起動していること。主な操作はフルキーボードとメニューのボタンでできること。軽いタッチでボタンはポチポチと押せる。スクロールは手元のジョグダイヤルでゴロゴロゴロ。このギミックな感じが安心確実でいいんだな~。

パネルをタップとかフリップとかスワイプとかって、なかなか慣れそうにない。新しい電子辞書もなるべくボタン操作でできるのを選んだが、やっぱりパネル操作が必要な場面は免れない。でも、やっぱり物理ボタンのほうが操作性は優れてると思うぞ。
・・・・パネルでブラインドタッチができるヤツがいたら認めてやる。
配偶者控除廃止の見送りのニュースがあった。なんでやねん。
一体改革のキモともいえると思うのだが・・・年少扶養控除を廃止しておきながら配偶者控除廃止が断行できなかったのは情けない。そもそもサラリーマンの主婦であれば健康保険も年金も払わなくていいというのはおかしいぢゃありませんか。その分は他の人が負担しているのですよ。すべての男性はもとより共働きの主婦、自営業の主婦、独身女子、母子家庭の母・・・。

主婦も大人なんだから各自、年金と保険を払うようにすれば、健康保険組合も年金基金もずいぶん潤うはずです。配偶者扶養の特典を失わないために年末に「働きどめ」をするパート主婦がたくさんいる。これ以上働くと扶養からはずれちゃうから休みます、なんつって。雇う側も社会保険に入れないほうがお得だからここは休んでもヨシとする。こんな社会システムは不健全だと思う。

家事・育児・介護をすべて主婦に期待する考え方を捨てられない限り、このシステムは変えられない。しかし、育児も介護もなく遊んでいる専業主婦はたくさんいるし、フルで働きながらそれをこなしている主婦もずいぶん増え続けているってのが最近の傾向でしょう。また「遊んでいる」と言われながら、家にこもって「自由がない」とストレスを溜めている専業主婦が多いのもまた事実です。

なんで家から出られないのか? イザというときダンナが忙しくて家のことに協力してくれないから。保育所がいっぱいだから。ひとりで置いとけない老人がいるから。学校や銀行や役所など平日の雑用は働いているとやりにくいから・・・などなど。わかります。わかるけど、やっぱりそのためだけに「専業主婦」をみんなで養っていくのは無理というものです。

労働人口を増やし、社会に活力を与えるためには女性の力の活用が不可欠なんですよね。男性も長時間労働縛りはやめて家のこともちゃんとやるようにすれば、うつ病人口も減るのではないかな。保育所も老人介護も社会で見ていく一体改革をやってほしいと、真剣に思う。

先日、映画版 『陰陽師』 のテレビ放映がありましたね。何度もやるということは、けっこう人気があるのでしょうか。私も野村萬斎は好きですが、もっと好きなのはマンガの『陰陽師』。岡野玲子が描いています。
岡野玲子というのは相撲の漫画を描いたり、本木雅弘主演の映画『ファンシイダンス』の原作者でお坊さんの生活を取材したりと、とっても変わった漫画家です。あまり知ってる人はいないのかも・・・。ですが、とても残念です! 

『陰陽師』がもし実写でなくアニメだったらまちがいなく”岡野玲子の『陰陽師』” の映画化と言われ、この人が陰陽師ブームの立役者と言われていたのでは? と思います。だって映画のキャラ設定やシーンのはしばしを見るに、絶対にこれは岡野作品の影響下にある・・・・としか考えられない。しかし、実際は原作は夢枕獏の小説ということだから、岡野サンの名前はどこにもなく、マンガも話題にならなかった。なんだか理不尽な気がします。私の評価では、小説は正直、上品さと奥行きに欠けるように感じ、漫画のほうが上です。

ちょっと地味好みの漫画ですが、野村晴明と博雅コンビがおもしろかった人、妖しい陰陽師の世界が楽しかった人にはぜひ読んでもらいたい。女性の透明感など実写では及ばない美しさもあります。全11巻ですが、最初のほうだけ(映画になった部分)読んでもOKです。おすすめ。

陰陽師 (1) (Jets comics)/白泉社
¥810
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水谷豊成宮寛貴が新コンビとなった『相棒 season11』。成宮にくらべて水谷さんが老けて見えるのでは? と心配でしたが、成宮も多少オヤジくさくなり、水谷さんも若々しくがんばっているので、思ったより違和感ないですね。

あまりこの手のドラマは見ないのですが、『相棒』だけはミッチー時代から見てます。このシリーズの特徴はあまりアクションがないこと、オタクなうんちくが多いこと、そして社会問題にさりげなくツッコミを入れたストーリー・・・でしょうか。社会問題を安直にネタにとるとお手軽ドラマになってしまいがちですが、ひとひねりして更にどのくらいツッコミを入れられるか、ここが脚本のがんばりどころです。今後も期待。

実は私的には、ツボは裏の相棒である水谷豊&六角精児(鑑識・米沢守)のオタクコンビ。このレアなおもしろさ、維持していただきたいと思います。

公式サイトはこちら。
http://www.tv-asahi.co.jp/aibou/story/

第二次大戦中の日本で、もっとも華やかなスターといえば「ゼロ戦」ではないでしょうか。
この本はその設計・誕生の過程から、末路までを描いています。特徴的なのは主に、設計・開発から製造の様子を誕生時から敗戦にいたるまでを追っていることです。

冒頭から驚くべき事実が描かれます。零戦は、提灯に先導された牛車に乗せられ、ひと晩かけてしずしずと、民家の軒に触れんばかりの狭い街路を一機ずつ輸送されていた・・・海辺の名古屋工場で製造され、飛行場は岐阜の各務原だったからだ。

最新鋭の戦闘機が、なぜ牛車に? シュールな光景ではありませんか。未舗装の道路では揺れが大きすぎる、列車では機の幅から通行が不可能などの事情からだそうです。先進の工業技術を駆使しながら、その手法も環境も後進国のそれであったという日本のアンバランスな事情が象徴的にあらわれている。今の北朝鮮ってこんな感じなのかしらん? とまで考えてしまう。

重慶爆撃の護衛としてデビューし、改良を重ねて華々しい活躍をした零銭は米機に「逃げるしかない」と言わせるほどの最強の戦闘機となっていった。しかし戦争後半になると軽快さを優先したため防御力がまったく弱いことなどが露呈し、一方では格段にパワーアップしたアメリカの新型機に対抗できなくなってくる。三菱設計部では新型機の設計に割く余力はなく、また軍も明確に次世代機の開発を指示してこなかった。

終盤では零銭は、米機におもしろいように撃ち落される旧型機となった。そして特攻に使われるようになっていく。製造の資材は不足し工場は空襲に悩まされるという状況になっても、零戦は敗戦まで細々と造りつづけられた。女子挺身隊、学徒動員たちがその仕事を担った。一機ずつ、手作りのように製造された。著者がこの本を書こうとした動機は、これら民間の人々が零銭の製造にかかわり、また軍需工場への空襲で被害にあったという事実からだという。

この分野では、吉村 昭は徹底した取材で事実を確認して書くことを旨としています。冷徹なまでに数字などを示して具体的に描き、余計な論評などが挟まないことが、かえって読む人間の胸にせまってくるのです。かっこいい戦闘機の一生、戦略・戦術の展開、苦しい日本の状況・・・すべてが同時に読めてしまうというような、めずらしい、すばらしい作品です。

零式戦闘機 (新潮文庫)/吉村 昭
¥580
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ミャンマー政府の許可を得て、第二次大戦当時に埋められた英軍機スピットファイアが発掘されるそうだ。場所はミッチナ。印中ルートの要衝です。埋めるっていったいどんな穴を掘ったんでしょう? 撤退前によくそんな時間がありましたね? 
土に触れていれば当然、錆びサビですよね。はやく出てきた姿を見たいものです。