中公文庫 1984。
原題『海の壁--三陸沿岸大津波』中央公論社 1970。
この本を読んでいたころ「復興予算が関係のないところに使われている」というニュースをきいた。読み終わるころ「震災から一年8カ月」となった。
本書は明治29年、昭和8年、昭和35年の三陸沿岸の津波について記録したものだ。
資料や聞き取り調査から被災前後の海の様子、避難状況、救援活動、被害の統計などについて克明に記している。被災した人の体験談や子供たちの作文も収録されている。
読むうちに奇妙な気分になってきた。釜石、田老などおととしから何度も報道であがっている地名が出てくる。津波から逃れるときの体験談が、さきの津波の報道とだぶってしまう。子どもの作文など去年書いたものかと思われるほど同じだ。人は時とともにおそろしさを忘れれるというのは本当なんだな・・・と驚いた。明治29年の記録も絵図などで多数残っているし、昭和35年といえばまだ遠い昔ではない。この本も何度も再版されているのだが、十分な警鐘とはなっていなかった。3.11後に読む人が増えたそうだ。
著者は本書執筆時点で、三つの津波の死者数と被害世帯数が減少傾向にあることについて、高地への住居移転、避難訓練の実施、防潮堤設置などが津波被害の防止に効果があったとしている。顕著な例として、田老についてふれている。類をみない大防潮堤と整備された避難道路がある、と。
(引用)---しかし、自然は、人間の想像をはるかに越えた姿をみせる。
防潮堤を例にあげれば、田老町の壮大な防潮堤は、高さが海面より10.65メートルある。が、明治二十九年、昭和八年の大津波は、10メートル以上の波高を記録した場所が多い。(中略)私は、田野畑村羅賀の高所に建つ中村丹蔵しの家の庭先に立った折のことを忘れられない。海面は、はるか下方にあった。その家が明治二十九年の大津波の折に被害を受けたことを考えると、海水が50メートル近くも這い登ってきたことになる。
そのような大津波が押し寄せれば、海水は高さ10メートルほどの防潮堤を越すことはまちがいない。---(引用終り)
はたして、昭和35年のチリ地震津波では功を奏した防潮堤も、2011年の3.11では倒壊し、多数の犠牲者を出した。津波の高さは防潮堤の2倍もあったという目撃証言があるともきく。また、防潮堤があるという安心感が被害を大きくしたとも。(全体の死者数は明治29年に迫る。)
ここで考えてみた。では、25メートルの堅固な防潮堤を作り直せば安全なのか? コストからいってありえないだろう。防潮堤をが必要な海岸線は日本にいったい何キロあるのか。しかし、土地利用や仕事の効率からみて、海岸近くに絶対に住まないという選択もないだろう。山間部でも山津波というものがある。結局は、「リスクがどれくらいあるか」「リスクをどれくらいとるか」を認識して生きていくしかない。絶対に安全ということはないのだから・・・。
ある人が言っていた。「『安心安全』という言葉はバカげている」。安全というのは科学的な尺度で検証してOKということであって、安心というのは気持ちの問題だ。それを一緒に言うのはおかしい、という意味だ。なるほどと思う。津波に限ったことではない。安全の基準を知って、どれほど安心していいか意識しなくてはならない。
個人もリスクを自覚すべきだし、政府も「絶対安心安全」を旗印にしては復興計画が決まるわけもない。「どのくらいのリスクを負うか、いざというときどう回避できるか」と考えねばならない。
今後、温暖化によって気象による災害はもっと増えていくだろう。NYに洪水を起こし証券取引停止の事態となった原因はハリケーンではなくて「大型嵐」で、地球の気候変動により今後も直撃が予想されるそうだ。日本の台風も今年は進路が東より直に北上というおかしな進路だったが事情は同じだ。伊勢湾台風並みの東京直撃があるかも。
政府は東海・南海の地震についてもまじめに考えているのかな? 3.11以降、東京人が帰宅難民になった日は何度もあったと思う。(関東の人って辛抱強いね。大阪なら暴動が起こるぞ。) その後「いざというときの避難場所の整備」 「歩いて帰宅する訓練」 だの 「高層ビルからの避難訓練。階段が混雑して30分かかりました」などと報道でやっている。 努力はわかるが、大災害直撃時に有効とは思えないんですケド・・・首都機能分散の話はどうなったんでしょうねぇ。東京直撃は想定外のままですか? 「想定外」は「対処できないことには目をつぶる」の言い訳ではないのかな。
個人的にはあまり安全度には固執しないほうですが、身の回りのリスクを点検して、「どのくらいなら備えられるか」 「どのくらい以上の災難ならあきらめられるか」を覚悟しておきたいと思います。
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