ぷぷぷ日記 -3ページ目

ぷぷぷ日記

映画・マンガ・アニメ・小説・歴史・日々の雑記帳。

更新は思いついたとき。

アニメ vs 実写、どっちが上か?

配信で実写を見た後、アニメを映画館で鑑賞した。

結論から言うと、個人的には実写の映画が好みでした。

大人向きの映画です。

 

しかし、今、制作するなら実写版の表現と物語は

いろいろ問題があり

若い人にすすめるならアニメのほうかなあ。

アニメもなかなか良かったです。

実写版の良いところ アレなところ

主人公のジョゼは脚の悪い
二十代前半の女の子。池脇千鶴。
相手役は妻夫木聡で大学生。
女関係の多いチャラ男である。
 
時代は制作年2003年より昔の設定なのでしょう。
バブルっぽいです。
 
ジョゼは祖母と貧しい二人暮らし。
祖母は身障者のジョゼを「こわれもの」と言い、
人目に触れてはいけないと言って、外へ出さない。
 
身障者は家に閉じこもってるのが普通。
働くとか、性的なことに興味を持つとかあり得ない。
そのような常識がまだあって、
普通の生活を否定されていた時代です。
 
そういう背景を踏まえて
ジョゼの青春をきちんと描いたのが実写版。
いろんなことを諦めなくてはいけない厳しい現実、
それに対するジョゼの生きる態度
といったものが描かれていました。
鑑賞後は、ほろ苦いものが残ります。
 
思えば、障害者のノーマライゼーションが
叫ばれ始めた頃なんですよね。
ジョゼはその最先端をいってたのかもしれない。
 
しかし、これを今の時代に
同じものを作ったら絶対に叩かれますね。
 
「こわれもの」って……あんまりじゃないですか。
身障者って外に出たらいけないの?
学校にも行けない、絶対 働けるわけがない
 ってどういうこと?
異性に興味を持つのも
ぜんぶ無理なの?
 
という感じで、
現代の繊細な若い人は
ドン引きするんじゃないでしょうか。
当事者が見たら傷つくし、
そうでない人にも偏見を植え付けかねない
そんな批判が出るような気がします。
 
今はかなり制度が改善されてます。
それでも現実は厳しいので、
実写で描かれている酷さを、
あっけらかんと「昔話」として
見ることは難しいかと思います。
 

アニメ版は人を励ます物語

アニメ版は全然異なる物語になってます。
ジョゼも、彼も辛い目に合い、
挫折しそうになるけれど
がんばって前向きになるお話。
一緒に見に行った人は
きれい事すぎる/うまく行き過ぎ/
性的要素も抜け落ちてる
という評でした。
たしかに、そうかも……。
 
でも、今の状況なら可能な範囲だったので、
(ネタバレは控えますが)
絵空事ではないと思えます。
 
今はつらいことが多い時代なので、
人ががんばる姿にみんなが励まされる、
そんな映画の需要に応えるものになってます。
 
私も、うまくいきすぎかなー と思いつつ、
作中に出てくる絵本がとても素敵で
ウルウルと不覚にも感動してしまったので、
良いお話であったと思います。
 

暗い時代には明るい映画

今の時代、
本当に若い人がしんどそう と思います。
酷い扱いに耐性のある昭和人間に比べると、
みんな繊細なので、
余計しんどいだろうという気がします。
 
実生活がしんどいとき、
みんなが見たいのは明るい映画。
 
私はハードボイルドが好きなので、
明るい映画ばかりだと
つまんないんですけどね。
 
明るい時代になってほしい。
 
 

久々の大ヒット! (個人的に。世間でも大ヒット中)

「モノを増やさないため、漫画は電子で買うこと」

という買物ルールを破り、既刊23冊を紙でセット買いしてしまった!

 

電子書籍は場所をとらなくていいんだけど以下のような不満がある。

・気軽にペラペラできない

・読み返すのにダウンロードのひと手間がいる

・購入サイトが一生読める状態を保証してくれるわけではない

 

ゴールデンカムイは時々読み返したい、また長く大事にしたいほど

デレデレに惚れたので、この始末となりました。

セットは中古で買いましたが、続刊は紙版を予約しています。

 

予約しているのは24巻だけど、杉元の表紙をリンクに採用↓

 

 

 

なんでこんなにツボにはまったのか考えてみた。

  • 日露戦争が好き。日露ものは希少。明治の軍服かわいい。
  • 馬や武器、産業革命途上な感じの道具立てが萌える。
  • 歴史・文化・民俗・動植物などをしっかり調べて描いているのが素晴らしい
  • 鹿児島から北海道、満州、オホーツク、ロシアまで広範に物語が展開
  • 基本、キャラがかわいい。その他の変態たちも魅力的。
  • シリアスなメインストーリーとてんこ盛りのギャグでお腹いっぱい

キャラが概して礼儀正しく優しく、全員屈折しているけど作者の表現のおかげか

読んでいて嫌な気持ちになることはありません。(私の場合は、ですけども)

 

今後の展開は

脇キャラの過去が明かされるエピソードが度々挿入されて

「回数を稼ぐ目的の挿入話かな」と思ったら、これが今後の展開に生かされてくるらしい。

話の構成がうまい! と思って今後に期待が高まりました。

 

しかし、23巻終了時点で、アシリパが自分に託された使命を自覚してしまった。

これにより、狩猟にしか興味のなかったアシリパの行動がシリアスなものになっていくでしょう。

 

今後は、今までと違った読み心地になりそう。

アシリパがアイヌと他の北方少数民族を幸せにする というのはパラレルワールドな歴史ものに

シフトしない限り無理なわけで、うーん、どうなるんでしょう。

期待半分、怖さ半分といったところです。

 

アイヌ民族について、うしろめたく思うこと

少数民族、民俗学、文化人類学といったあたりは

大学時代の専門分野の範疇でもあり、私には馴染みがあります。

 

しかし、北海道に何度か旅したあげく札幌に4年ばかり住んでいたのに

アイヌに特別な興味を払うことはありませんでした。

 

というか、あまり見たくなかった。

 

20年以上前のことですが、

「アイヌ文化に触れる」とは、一般には観光用のコタンで見世物としての踊りを見たり、

土産店でムックリや木彫り像を買うといったものでした。

 

最後のアイヌ語話者の音声テープがあるということも聞き、

アイヌ文化は実際の生活には存在しないのだと思いました。

「見世物」だけなら、見ても仕方がないな、わびしくて見たくないな と思ったのでした。

 

明治から昭和にかけて、日本は単一民族で少数民族は存在しないという見解を

政府が推進していたためでしょう。当時は一般に「アイヌは絶滅した民族」という

ことになっていました。

 

時代とともに世界的に少数民族の権利を認める流れとなり、

現在は立派なアイヌ文化の博物館・資料館が新設され、研究・保存も盛んになっているようです。

アイヌ民族の団体もあり、標本になっていたアイヌの人骨が返還されたなどのニュースもありましたね。

 

文化というのは、それに寄り添って生きる人がいれば続いていくものだと思います。

形を変え、昔とは違った流儀になったとしても、独特の考え方・感じ方が生きていれば

「存続している」と言えるのではないでしょうか。

 

「アイヌ文化はなくなった」と断じてしまった過去を反省しつつ、

そのうちアイヌ文化を真面目に訪ねてみたいと思います。

 

 

 

 

 

 

Tehran からBaku へ 2020年1月 

夜、テヘランバザール近くのアパートからイマムホメイニ空港へ向かう。地下鉄で南下し、shahedで下車。

タクシーにつかまり、遅い時間なのでミニバスはないと言われる。18トマンという。サラームターミナルと聞いてひるんだドライバーだがOKした。

降りる際18でなく、80だったと判明。高いとごねたが結局払う。

あとでマスウドにそんなもんだと言われた。じゃタクシー乗ってる間に言ってほしかったわ。18ってメッセージで言ったのに。。。


バクーでイランの学生ビザを取る。

50euro 両替
レート1.8manatで 90マナトになる。
1マナト65円くらい

イラン領事館は調べたのと別の場所だった。運よくバスに乗れた。

ビザ代53euro。手持ちがないので50euroと4ドル払う。マナトかと思ったら、、、高いな。
しかし1ドル紙幣を持ってきて良かった。
でないと高額なお釣りを貰えないところだった。


高いけど、これは即日交付の特急料金なのだ。
写真もいらんかったし、ありがたい。



Baku ホテル

予約したつもりが1か月先の日付にしてた。どこまで間抜けなんだろう自分。予約は22マナトの部屋。15ドルくらいだった。

今日 空いてる部屋は35マナトだと。
見せてもらって泊まることにした。
昨夜ほとんど寝てなくて、新しいブーツが痛いという状況で他を当たる気はしない。

部屋はこじんまりして良い感じだった。古い建物だが水回りは改装してるらしく、窓のスクリーンがかっこいい。


シャーの城

外人料金15マナト。地味である。石造りの感じは中世ヨーロッパ的、中の展示はイランと一緒のような。当たり前か。

オスマンやロシアと関係したり敵対したり?頑張ったが結局サザビー朝にやられて終わった城でした。


昼食は バーラウンジ 食事もという店。
観光中心地なのでボッタクリかもとビビったが、地元らしきオジサンが出てきたので入ってみた。

遅めの時間でシーシャをやりに来た客が多かったみたい。奥の部屋に子連れもいた。手前はシーシャの女性、女性二人組、男性二人組。

私のテーブルは柱脇の狭い席。もちょっといい席にしてくれと言いたいとこだが、私って見た目貧乏臭いのかもと遠慮した。
勘定は15マナト。14.7で20出したら、おつりは当然のように5だけだった。

ドルマ一皿、前菜にいろいろ細かく切って和えてケーキのような円柱型のサラダ。飲み物はなし。パンも注文。

おすすめで自信ありな感じだったけど普通以上ではないな。

ドルマは食べ切れなかった。二人でほかの料理も合わせるとかだったらいいかも。しかしまた食べたいとはさほどおもわない。

パンが温められてたらよかったかも。パンが美味しくないのはがっかり。

1/29  2日め。イランへ発つ

ホテルの朝食を持ってきてくれるのをパティオで待ってたが、中に食べるところがあり、食べたいと言わないといけなかったのだった。
これで15分くらい無駄にした。

地下鉄でバスターミナルへ行き、11:30のアスタラ行きを買う。ほんの少し早く出れば10:30発に乗れたかも。

今日国境を越えられるか、アルダビールへ行けるか? このバスは国内線なのでアスタラでの移動も必要。

しかし、バス狭い。日本のバスより狭いぞ。ドイツ規格のイランの広々バスに比べると自分スペースが半分くらいしかない。

バクー アスタラ7.6マナト。小銭を使いきったがトイレで30ゲピク払ってまた小銭がでた。

バス隣になった若いヒジャブ女子、ジャンパーのせにキラキラのVLの文字、裏にピンクのファー、手首にカムリンという謎のカタカナ入れ墨。餅のように大きく柔らかそうな胸、お尻。こっちのひとは確かに隠す服を着てくれてないと眼のやり場に困るほど。。あるいはチラ見えするからギョッとするのか。

Astaraバスの運転手に3マナト請求され
ボーダーまで乗せてもらえた。

中国人の新型肺炎警戒の中、入国不可かと心配になった。若い係官に上の人のところへ連れて行かれ、長くテヘランにいる学生だと主張。書き込みいっぱいの教科書を見せアピールした。
OKもらってなんとか入国。

アルダビールまでタクシー160t。シェアタクシーで安くあげたかったが、人が群がりすぎて確認できず。しまった。

通訳を買って出た学生という男に気を許しマナト両替でだまされた。80tになるはずが8tしかもらえなかった。
逆にボッタクリを警戒したタクシーは良い人で、アルダビールのホテルを紹介してくれた。

痛恨である。

『風の谷のナウシカ』 絶対に映画館で見るべき映画。

このことをビリビリと感じながら鑑賞し、その素晴らしさを語りたくて語りたくてたまらないので、ここに書く。

残念ながら語りポイントがマニアック過ぎて聞いてくれる人が周りにいないのだ……。

以下、一般向きの感想ではないことをお断りしておく。

 

 

初公開のとき感じたことはすっかり忘れていて、驚くくらいの感動だった。

DVDも持っているのだが、見心地は全然違う。映画館ではあらゆるシーンに圧倒される。

 

まず、冒頭部分。空から見下ろし、雲の切れ目からのぞく緑の下界の透明感。

そこを飛ぶナウシカのメーヴェがかすかに見えて、始まりのワクワク感を誘ってくれる。

 

 

砂漠へ降り立つメーヴェ。降下、旋回、着地のフワリ感、風の圧や流れが感触としてわかる。

サクッとした砂に降りたメーヴェの頭が接地の加減でちょっと持ち上がるところとか、

メーヴェの軽さがリアルに表現されています。

 

風に乗るタイプの飛行は宮崎さんの得意中の得意なんだけど、

こんなふうに緩急つけてのびやかさまで描ける人たちが今、どのくらいいるだろう?


断崖絶壁から飛び出して行くメーヴェの飛行シーン、クラっと来ましたねー。


あっ 崖から落ちる!というヒヤッと感、すぐに谷の風に乗り、運ばれていく爽快感は映画館ならでは。

 

この映画、とにかく芸の細かいところが満載です。

飛行シーンについてさらに書くと、

図体の大きなコルベットでさえ、退屈なシーンがない。

(コルベットは機体自体もセルでなく紙に水彩で質感を出す凝りよう。)

 

 

「ただ飛んでいるだけ」の静止画を多用する手抜きというか芸のないアニメも多いけど、

この映画の飛行機は飛びながらわずかに横滑りしたり、何からしら必然性のある動きをしているのです。

いや実際は必要なくても、魅力的な見せ方として必要。


例えば

ナウシカが後ろから銃撃されたときの小刻みな回避運動、これはゼロ戦とかがやる動きですねー。  

 

メーヴェの着陸のときも、スケボーを止めるときのように進行方向からくるりと横向きになって、空気を押して着地する。


ガンシップとバージが湖に降りるとき、先に着水したガンシップが大きく弧を描き、

静かに湖上を旋回してスーッとバージに出会うところで推進力を丁度消化する。お見事です。


こういう部分の面白さ、分かる人はニヤニヤしちゃいますよね!!!

 

 

宮崎作品は、いずれも元祖ミリオタたるテイストが何かしら盛られていますが、ナウシカは最もその要素が濃いです。

 

「発射用意。・・・・テーッ!」

なんてセリフで胸を熱くなる。「発射用意」と「撃て」の間がほんと絶妙で……。



この調子ではまとまらないので

感想を終わります

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このごろ、日本語の乱れに違和感ありありです。

人の言葉遣いを聞いて、「その使い方、間違ってる!」と思うことはないですか?
明らかに間違った言い回しでバカ丁寧に言われると、ムカッとしてしまうことも。
間違った丁寧語・敬語を使うくらいなら、シンプルに話すほうが良いと思うんです。
 
しかし近頃は、念を入れて丁寧な言い方をしないと失礼になると不安な人が多いようです。
世間がそういう常識になってしまったのなら、仕方ないですかね。
 
自分も「誤用」と知りつつ、つられて使っちゃう表現もあります。
誤用も世間の大多数が使うようになると、誤用という扱いではなくなる。
日本語の乱れが……とうるさく言うのは大体年寄りということになります。
 

たとえば、「~になります」という表現。

「なります」はもともと、「成る」の丁寧表現ですね。
「成る」は何かが変化した結果どうなるか、というときなどに使います。
例1:
1.○ この子は来月、3歳になります。
2.○ まる祖父は今年で90になります。
3.? 私は27歳になります。
 
子供やお年寄りに対してよくあることですが、
年齢はいくつになったんだろう? という関心のもとに「なります」を使うのは妥当です。
変化を示す表現ですからね。
 
3.の例は、場合によっては好ましくないですね。
「あなた、まだ就職しないの? いくつ?」
「やっと結婚するんだね。君、何歳だっけ?」
とまあ、特別加齢による変化に関心を持たれて答える場合は「~になります」と言ってもいいです。
 
しかし、事務的に何歳か尋ねられたら「27歳です」と言えばいいんじゃないでしょうか。
 
例2:
1.○ 合計は税を入れて1,520円になります。
2.○ 10個入は500円、20個入は900円になります。
3.? 千円になります。 
 
1.は計算の結果を伝える
2.は値段設定の結果こうなるんだよーと説明するため「~になります」を使っています。
 
3.はどうでしょうか?
「これ、いくら?」と単純に聞かれた場合であれば、「千円です」と答えれば十分でしょう。
特に説明を要することでもないのに、いちいち「~になります」を使う必要はありません。
 

なぜ、「~になります」と言ってしまうのか

シンプルに「~です」と言えばいいところ、「~になります」と言ってしまうのはなぜか考えてみました。
ロケ中のアナウンサーでさえ、「こちらです」と言えばいいところ「こちらになります」などとやっている。
 
この言い方、まだ就職面接などでは注意したほうがいいですが、市民権はすでに得ているようです。
 
思うに、「~です」という言い方は短くて大変歯切れが良い。
言い換えるとぶっきらぼうで丁寧さが足りないと感じる人が多数いるのでしょう。
 
「ある程度冗長な言い回しのほうが敬語っぽい」
というのがこの時代のトレンドなんだと思います。
 
嫌だなと思いつつ、近頃は私もいらないときに使ってしまうことがあります。
使い始めると口が癖になっちゃうんですよね……。
 
「です」を丁寧に言うには「ございます」を使うのが、おおむね正しい。
 
ですが、ちょっと大げさな(時代がかった?)感じがするので使いづらい。
というのも、「なります」を使う理由としてあるでしょう。
 
例3:
○ 27歳でございます
○ 千円でございます
 
自分で「~なります」を乱用するのはやめたいところですが、この程度の誤用にいちいち目鯨を立てていたら、長い人生、生きていけません。なんとか「~なります」と聞いてムカッとしないようにしたいものです。
 

「~になります」を聞いてナットクするには?

「なります」に語感が似た言い回しに「あります」というのがありますね。
幕末に長州弁の下級武士や農民から出た奇兵隊員が「~であります」を使い始めたと言われています。
そのまま明治の陸軍や警察において標準の話し方になったと。
 
語尾に「~であります」をつければ、いろいろな方言を使う兵隊たちも、全員がデキル子っぽくキビキビ話せるようになる。
 
便利ですね。
 
私見では「~になります」はこれと同じだと思うことにしました。
敬語をうまく使えなくても「~になります」をつければ、なんとなく様になる。
 
要は、違和感のある言い回しも「時代の流れ」と「使われる理由」にナットクできれば、
耳にしたとき無駄にムカッとすることもなくなるんじゃないかな? と思うわけです。
 
日本語の多様な言い回しが廃れてしまうのは悲しい気もしますが、日本語がより学習しやすく整理されていくほうが、実は日本語の未来にとっては良いのかもしれません。
 

旅先、イランにて。
ウクライナから来たカップルと、たまたま2,3日同行することになった。


若い二人は小ぎれいで、いかにも『できる』ニオイを発している。それぞれフリーランスで食べているというんで、そうなんだろう。
 
先日、観光に行った湖がゴミだらけだったので、二人でたくさん拾って片付けてきたという。意識高い系の人たちなのだった。

朝食の席から自国を憂い、意識高い話題を振ってくる、、、
「ウクライナは中国に大事なインフラを買われているのに、国民に危機感がなさすぎ。日本人はちゃんと対抗してるよね」
 
「日本はフクシマのとき、ちゃんと対処したよね。ウクライナはチェルノブイリのとき、全然だめだった」
 
などなど。イヤ、日本もちゃんとはしてないかも。
ていうか、30年以上前のチェルノブイリのことをあなたが反省するんか? 
そもそもそれは、ソ連時代だろう?
 
いろいろツッコミどころがあったんだけど、自信満々で語っているのでそっとしておく。
 
そして旅先のイランがいかに遅れているかということも熱心に論じている。
なんか上から目線だなあ。
 
ちょっと意地悪して質問してみる。
「なんで、あなたたちはベジタリアンなの? 宗教的な理由もなくベジタリアンやってるのって、わからないなあ」
 
地球温暖化を防ぐため、とかいう答えを予想したが、違った。
 
これ見て!! と イランのノマドの村で子羊を抱っこしてる自分のインスタを見せてきた。
「かわいいでしょ! こんなにかわいい動物を食べるなんて、耐えられない!」
 
それが第一の理由。
そのあとに理屈がきた。食べない理由を科学的根拠でもって説明してくれる。
 
・人間は肉食の必要はない
・乳製品などは人体に有害である
・それはWHO報告で証明されている!
 
といったことを流暢な英語でペラペラと話すのだった。
 
でもねえ 日本人は肉食しなかった時代は栄養不足で体格が悪かったんだよね
代替の食品を十分にとれる人はいいけど、やっぱし肉食が必要な人は世界にたくさんいるんじゃないの? 
 
日本では狩りガールってのが流行っててね
それは命に向き合う体験なんだよね
狩猟はスポーツじゃなくて、忍耐のいる仕事だし
 
しかし、そういう話はスルーされた。
「ベジタリアンであるかどうかは、選択肢の問題だと思う。ぼくは怒りっぽいからアンガーマネジメントとしてジムで汗を流す。ベジタリアンも感情を収める手段なんだ」
 
あれ? 個人的な感情の話? 今、命をいただくことと人間の有り様について話してるんですけど?
 
話が終わって、あとでずいぶんモヤモヤした。
 
ひとつには、狩りを人間の娯楽であり、不必要と考えていること。
日本は狩りで野生動物の数のバランスを取らないと、人が被害を受けて暮らせなくなったり、山が全滅したりする。
そして、狩った動物は食べないと捨てることになる。(今、日本では無駄にせずジビエを流通させようという取り組みが起きている)
 
もうひとつは、彼らの態度の矛盾。
かわいい子羊を殺したくないっていうけど、ノマドは動物園をやってるわけじゃないし、生活のため殺す必要があるときもあるだろう。乳の利用はもちろん毎日のことだし。それに反対しつつ、観光で見に行くってどうなの?
 
彼らの主張には納得がいかない。
しかし、この人たちの主張が「感情を基礎に置いているもの」であるととすると説明がつく。
 
・かわいい動物を殺したくない
 
WHOの報告を科学的根拠として振りかざしているけど、こんなに主観的な判断はないですね。
 
・かわいくない動物は殺しても気にならない
・人の生活や食習慣より自分の気持ちが大事
 
ってことでしょう。食習慣てのは大事な文化なんだよ。
そういうことを考えずに「食べる必要がない」と上から目線で言ってくるのって、どうよ? ここに西欧左翼の傲慢を見る。
こういう人たちは日本のクジラ船の武力攻撃を支持したりするんだろうな。
 
ウクライナの若者たちはロシアから距離を取ろうと必死である。それで、全身で西欧に近づこうとしている。
旅先では英語が完璧にでき、白人の彼らは西欧人と同じに見られ、扱われる。それがとっても嬉しいらしい。
 
でも、圏外の日本から見ると、西欧至上主義みたいな考え方をしているのがとても残念だ。
 
西欧人の感情が「モラルの基準」みたいな勘違いが通用する時代は終わったと思う。
EUに入れてもらって他の国を「遅れてる」とかいうのはやめてほしい。
国連機関の見解を盲信するのも宗教みたいなものだ。
 
いまも紛争地帯では毎日人が死んでいるというウクライナ。
ロシアとヨーロッパの間でキツイのはわかるけど、ウクライナ独自の道はないのか?
 
そんなことを長々考えさせる出会いだった。
 
 
ビ二本ーービニール袋に入っていて見たい欲望を高めるエロ本。ビ二本を売りまくって帝王と言われた村西とおる。摘発され刑期を務めたのち、今度はポルノビデオ監督として業界を席巻する。

実話に基づいているが、はちゃめちゃですね!
面白くって一気見しました。
あり得ないってエピソード満載ですが、この映画の当時の記憶をたどると、

これ話題になってたっけ、、、、、? ということも多々ありましたが

そうだったのか! この人が始めたのか!!
という全国的な流行・社会現象が、本当に強烈にありました。

「はめ撮りだの顔面発射だのあれやこれや青年の性教育にはよろしくなかった。これで女のコが喜ぶと勘違いした男子が続出、オトコ本位なセックスが蔓延したのではなかったか」

「黒木さんの当時の主張はよく覚えてないが、女の欲望をモロに出したのは画期的だったけど、そこは理解されなかったんだなあ」。。。

などと認識を新たにすることが色々あって、ある意味、偉人伝をみたときのような感慨があった。

脇毛が売りのポルノ女優・黒木香との邂逅も見応えのあるドラマですね。

Netflixオリジナルドラマ。1話ごとにお金がかかってて、自由に作れる利点が効いてる。

xxxxxx
黒木香のことが気になったので、追記。
黒木は後に自殺未遂をおこし、本人は思い出されたくないのだ という記事をあちこちで見た。

エンタメ作品を作る上で、事実を歪めてイイ話にしてしまったのか、本人が考えを変えたのか、そのあたりはわからない。

しかし本人が忘れられたいと思っているのに、これがきっかけでまた強烈に思い出され、若い人にも知られるのは苦痛でしょうね。

作品を楽しんで、イイ話にまとめたのを考えなしに真に受けた自分がかなり恥ずかしい。このあたり、
もっと真面目に考えたほうがいいですね。
ーーー忘れられる権利。

――事実には直面せねばならん。民主主義は過ぎ去った時代のものだ。普通選挙にいつまでもこだわっていられるほど、いまの世界は単純なも場所ではない。烏合の衆が話し合って何になる。数年前までならそれもよかったろう。だが、今日の世界で……? とんでもない話だ」

 

戦前のお屋敷での日々を回顧する執事。ファシズムやボルシェビキとせめぎ合うイギリス紳士たちは、この旦那様のようなことを言っていたようです。

 

最近の世界では、独裁制の国が力を増しているように感じるし、またポピュリズムに混迷する民主主義にはここまで落ちるかとがっかりしています。そこで、個人的には「民主主義って、どうよ?」と思ってしまっていて……。

そこで出会った冒頭のセリフに、ハッとしました。

私は民主主義が絶対大事だと思って生きてきたけど、そうは考えられていない時代ももちろんあったわけだ。と、改めて気づいたのです。

 

英国紳士たちは無知蒙昧な大衆は教養がなく、国の行方を考える能力がないと考えていたのですね。現在の日本の教育水準は当時の英国よりよほど高いでしょうし、世界の情報を得ることも簡単です。しかし、真実の情報をつかみ正しい判断ができるかといえばどうでしょう。

大差ないかもしれないですね。

 

本作は、古臭く頭の固い執事が自分の過去と現在をファンタサイズしながら生真面目に語る物語です。本人には思いもよらず、滑稽さがにじんでしまう悲しさおかしさに彩られています。

 

作者の意図がどのへんにあるのかはわかりませんが、「昔のことだから」というだけで片付けるにはもったいない。いろいろと示唆するところがあると思います。

 

まだ後半はこれからです。

 

 

 

ドキュメンタリー『パレスチナ・占領を生きる人々』

土井敏邦監督作品。

ブクログにタイトルがないため、ここに記録しておく。

vol.1『ガザ』オスロ合意後のガザ。自治政府への失望。

vol.2『侵食』イスラエル化するパレスチナ人

vol.3『2つの平和』パレスチナ人・イスラエル人双方の遺族たち

vol.4『沈黙を破る』兵役経験を語り出した若者たち

 

1993年以降、17年に渡って撮影した記録、とvol.4にある。vol.2はこれから探して視聴したい。

vol.4までで2008年頃までの内容になっている。画面に出る年代を見ながら、この頃自分は何をやっていたのか考えた。

私がイスラエルを訪れたのは1986年、第一次インティファーダの前年にあたる。ユダヤ人との出会いはあったがパレスチナ人の暮らしを間近に見ることはできなかった。

その後ずっと遠くにいてパレスチナのニュースを気にかけてはいたけれど、何が起こっているのか今ひとつ分からないでいた。こういうドキュメンタリーなどをもっと注意して見たほうが良さそうだ。少しでも分かっておきたい ただそれ以上でも以下でもないのだけれども。

 

ここんとこ、あほみたいにSHERLOCKにはまっている。

今夜はBSプレミアムの再放送第三シーズン最終話を見た。

めっちゃ、泣ける。

何度も何度も好きなだけ見るために、NETFLIXに加入してしまったほど。今は第一シーズンをループしている。運転中はスマホで音声のみ、家に帰ってタブレットで、空き時間はスクリプトを読み……。

実際、前回の再放送では、もう一度見る気がしなくてスキップしてたんだけどね。今回改めて見出すとドハマリしてしまった。

実は、初めて見たときはストーリーの謎解きだとかアクションに気を取られていて、第二シーズンは「ジョンをからかいすぎで悪趣味?」と思ったし、第三シーズンは「話が面白くない」という感想だった。

 

しかし、今回の再放送でなぜ面白くなったかというと、ジョンとシャーロックの人間性とその関係について深く細かく見てしまい、そこに魅力を感じたからなんです。

ストーリーがわかってるだけに、落ち着いて見ることができたんですね。

ゲイ疑惑は笑い飛ばすネタじゃなかった。ゲイかどうかはさておき、お互いが大切な二人のことを真面目に描いてる話なんだと認識しました。

 

ベネディクト・カンバーバッチとマーティン・フリーマンの演技、細かく繊細で感動するわ。ほんまに。

シャーロックの不器用な自己犠牲を伴うジョンへの愛情。感情はあるんだけど、その意味が自分ではわかってないというシャーロックを演じるカンバーバッチ、高貴さを発散してます。話数が進むごとにシャーロックが自分の感情を理解していき、立ち位置を決めていく様子がよくわかる。

第三シーズンは探偵ものではなくて、人間ドラマを見なくちゃいけなかったんですねぇ。ジョンが結婚して距離が遠くなるという悲劇に、シャーロックがどう対応するかがストーリーの中心なのでした。

第三シーズンの終わりはジョンのために人を殺して、彼の幸せのために身を引くシャーロック。

もう一度言うけど、泣けます。

 

 

ジョンのシャーロック愛はもちろん深いんだけど、何よりジョンの心の闇の深さに気づいて戦慄した。今さらながら、なんて迂闊な見方をしてたんだろうと思う。

第一シーズン第一話。ジョンはシャーロックのために人を殺します。そして生き生きとした生活を取り戻すのです。どういう精神状態なのかはマイクロフトが第一話できちんと説明していた。

You’re not haunted by the war, Doctor Watson ... you miss it.

とか言うてたと思います。これも改めて気づいた。

 

第三シーズン最終話、ジョンは新婚生活1ヶ月、平和すぎる生活に荒れ果てています。正義の顔してジャンキーを挑発、格闘技をかけて必要以上に傷めつける。なんて暴力的なんだ! どう見ても訓練してたね? おまけに不必要に銃を持ち歩き、どうかしてます。

 ーージョンが心の平衡を保ってイイ人でいられるのはシャーロックといるときだけなんですね。

ジョンはsoldier として自分を必要としてくれて、活躍の場を与えてくれるからシャーロックが好き。シャーロックがジョンを好きな理由は、ジョンがシャーロックをまんま好きだから????

 

ワタクシ、別にBL大好きというわけではありません。きらいでもないけど。

ただ、SHERLOCKは純粋に「好き」の理由が痛くひびくところが好き かな。

hi-functioning sociopath ってのも最高に感情移入しちゃいますね。せつないっす。

 

can't wait next season!