「~になります」の使い方にムカッとしない方法 | ぷぷぷ日記

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更新は思いついたとき。

このごろ、日本語の乱れに違和感ありありです。

人の言葉遣いを聞いて、「その使い方、間違ってる!」と思うことはないですか?
明らかに間違った言い回しでバカ丁寧に言われると、ムカッとしてしまうことも。
間違った丁寧語・敬語を使うくらいなら、シンプルに話すほうが良いと思うんです。
 
しかし近頃は、念を入れて丁寧な言い方をしないと失礼になると不安な人が多いようです。
世間がそういう常識になってしまったのなら、仕方ないですかね。
 
自分も「誤用」と知りつつ、つられて使っちゃう表現もあります。
誤用も世間の大多数が使うようになると、誤用という扱いではなくなる。
日本語の乱れが……とうるさく言うのは大体年寄りということになります。
 

たとえば、「~になります」という表現。

「なります」はもともと、「成る」の丁寧表現ですね。
「成る」は何かが変化した結果どうなるか、というときなどに使います。
例1:
1.○ この子は来月、3歳になります。
2.○ まる祖父は今年で90になります。
3.? 私は27歳になります。
 
子供やお年寄りに対してよくあることですが、
年齢はいくつになったんだろう? という関心のもとに「なります」を使うのは妥当です。
変化を示す表現ですからね。
 
3.の例は、場合によっては好ましくないですね。
「あなた、まだ就職しないの? いくつ?」
「やっと結婚するんだね。君、何歳だっけ?」
とまあ、特別加齢による変化に関心を持たれて答える場合は「~になります」と言ってもいいです。
 
しかし、事務的に何歳か尋ねられたら「27歳です」と言えばいいんじゃないでしょうか。
 
例2:
1.○ 合計は税を入れて1,520円になります。
2.○ 10個入は500円、20個入は900円になります。
3.? 千円になります。 
 
1.は計算の結果を伝える
2.は値段設定の結果こうなるんだよーと説明するため「~になります」を使っています。
 
3.はどうでしょうか?
「これ、いくら?」と単純に聞かれた場合であれば、「千円です」と答えれば十分でしょう。
特に説明を要することでもないのに、いちいち「~になります」を使う必要はありません。
 

なぜ、「~になります」と言ってしまうのか

シンプルに「~です」と言えばいいところ、「~になります」と言ってしまうのはなぜか考えてみました。
ロケ中のアナウンサーでさえ、「こちらです」と言えばいいところ「こちらになります」などとやっている。
 
この言い方、まだ就職面接などでは注意したほうがいいですが、市民権はすでに得ているようです。
 
思うに、「~です」という言い方は短くて大変歯切れが良い。
言い換えるとぶっきらぼうで丁寧さが足りないと感じる人が多数いるのでしょう。
 
「ある程度冗長な言い回しのほうが敬語っぽい」
というのがこの時代のトレンドなんだと思います。
 
嫌だなと思いつつ、近頃は私もいらないときに使ってしまうことがあります。
使い始めると口が癖になっちゃうんですよね……。
 
「です」を丁寧に言うには「ございます」を使うのが、おおむね正しい。
 
ですが、ちょっと大げさな(時代がかった?)感じがするので使いづらい。
というのも、「なります」を使う理由としてあるでしょう。
 
例3:
○ 27歳でございます
○ 千円でございます
 
自分で「~なります」を乱用するのはやめたいところですが、この程度の誤用にいちいち目鯨を立てていたら、長い人生、生きていけません。なんとか「~なります」と聞いてムカッとしないようにしたいものです。
 

「~になります」を聞いてナットクするには?

「なります」に語感が似た言い回しに「あります」というのがありますね。
幕末に長州弁の下級武士や農民から出た奇兵隊員が「~であります」を使い始めたと言われています。
そのまま明治の陸軍や警察において標準の話し方になったと。
 
語尾に「~であります」をつければ、いろいろな方言を使う兵隊たちも、全員がデキル子っぽくキビキビ話せるようになる。
 
便利ですね。
 
私見では「~になります」はこれと同じだと思うことにしました。
敬語をうまく使えなくても「~になります」をつければ、なんとなく様になる。
 
要は、違和感のある言い回しも「時代の流れ」と「使われる理由」にナットクできれば、
耳にしたとき無駄にムカッとすることもなくなるんじゃないかな? と思うわけです。
 
日本語の多様な言い回しが廃れてしまうのは悲しい気もしますが、日本語がより学習しやすく整理されていくほうが、実は日本語の未来にとっては良いのかもしれません。