今日、低層団地の点在する緑の丘を歩いて帰ってきた。
職場から家まで30分、初めて歩く道だった。
グーグルマップを見ながら近道をする。
団地の区画内へ入り込み、建物の脇の小道へ……
えっ、ここ道なの? という感じのけもの道。
なだらかな傾斜のある緑をふみつつ団地の裏側へ出た。一階のベランダのすぐ横を通る。
子供のころの感覚を思い出した。一階の住人がベランダにいたら、ごく近くを通るのである。いなくても住んでいる気配がひんぴんと伝わってくる。それは古い街の路地に住人が植木鉢をごちゃごちゃと置いていたり、物干しが垣間見えたりする感じと似ている。
何もない竹藪だったところを切り拓いたわが町は、歴史のないニュータウンである。それでも土地の記憶はある。このけもの道の感じや、山をそのまま残したような傾斜にうねるような公園、50年以上前に作られた大きな滑り台などに。素敵な枝ぶりの良い姿になった木々はこの街にも続く営みがあると思わせてくれる。
不覚にもじんと来て目が潤んだ。正確にはこの区画は私にとって隣町である。わが町は一歩早く住宅の建て替えが進んで、プレハブ住宅群の面影を失っている。低層団地はすでに取り壊され、マンションに変わった。
うちの近くへ帰ってくると、2階建て住宅がゆるやかな坂道に沿って並ぶ屋根の向こうにマンションが見える。
14階建てのマンションは近くを通る人に配慮して、ボリュームが控えめに見える外観になっている。しかし、というかだから余計に、遠くから見ると驚いてしまう。大きな壁が街を囲んでいるかのように見えて、進撃の巨人かよと思うのだ。
昔を思わせるあらゆるものがなくなったら……
百坪の敷地に建つ小さなプレハブ住宅たち
空地空間がものすごく大きくて緑の多い低層団地
開発前の池や竹藪や小山を残した自然の公園
わたしがここに住む理由はなくなるのではないだろうか。
土地の記憶はなくなってしまうのだろうか。