読んだり観たり聴いたりしたもの -99ページ目

ごくせん 11巻/森本梢子

作者は一体どうしてしまったのか、と思わずにはいられない。
めちゃめちゃである。

慎は巻き込まない、と決めていたはずではなかったか。それなのに、いざ青玉との対決となれば、良い事思いついたとばかりに、あっさりと無理矢理巻き込んだ上に、その結果慎が罠に嵌められて拉致られてしまうと、私の責任だとヤンクミはうろたえる。
いやいや、十二分に予測できた事である。まずその自身の短絡思考からどうにかしろ、と読者は突っ込みたくなるだろう。
そこがギャグなんですよー、という声もあるだろうが、ネタが描けて話が進めばそれで良い、というものではない。
結局、解決のために、おじいさんの親分に泣きつく、という展開もあり得ない。
また、慎には首を突っ込むな、とか言うくせに、さらに今度は上杉と全国模試対決!などと勝手に決めてくる始末。
さらにアベツルテストでも酷い事をする。ただ興味があるから、という理由だけで、生徒に混じって集団就職試験に乗り込み、生徒を蹴落としてのハッスルぶり。

「ごくせん」としてのヤンクミが、そう言う事をするのが、おかしい、あり得ない、という事である。
筋を通す任侠精神の持ち主ではなかったのか?
今のヤンクミは、ただの甘やかされた暴力団の娘がワガママ放題しているようにしか見えない。
作品の方向性が全く迷走している。
何を描きたいのか、が伝わってこないのだ。


森本梢子
ごくせん 11巻

NHKスペシャル/ヒューマン なぜ人間になれたのか

全4回のシリーズ。録画しておいた物を最近続けて見た。第2回は録画ミスで逃した。

全体的に内容は割合良かったと思う。
ただ、若干イメージに寄りすぎの映像はやや違和感がある。俳優の藤原某が演じるイメージ映像より、資料をじっくり写して欲しい所。また、元ちとせの主題歌は、曲はいい曲かも知れないが、番組に比してはアクが強すぎて、これもどうかと思った。もっとトーンを落としたインスト曲の方が合うのでは。
まあ、どちらもどうでも良いと言えばどうでも良い点である。

番組内容は副題の通り。人類の辿ってきた道を考古学的資料や医学・人類学・認知科学・社会学的な見知から振り返り、その20万年の歩みの中で、選んだ道、選ばなかった道を考える。
ヒトという動物種のもつ特性の一つ一つが、今を生きる私たち人間の、そして人間社会の有り様を決定づけてきた、という事である。絶滅の危機を乗り越える過程でそぎ落とされ、発展の中で育まれてきた遺伝子と社会性。

ポイントを絞った、という事だろうが、取り上げているテーマが少ない感じ。
なぜ人間になれたのか、と問いながら、え、たったそれだけのポイントで達成ですか、と感じてしまわないか。
シリーズ4回と少ないので無理は言えないが、個人的には、人間を人間たらしめているのは数学的能力によるところ大だと思うので取り上げるべきだし、最終回には、やっぱり未来の展望を語るべきだろう。

なれたのか、という語尾には、少し尊大さが臭って違和感を感じる。あるべき姿へ向かった努力の成果、といったニュアンスも感じる。
人間とは、場当たり的に「なってしまった」ものに過ぎない。卑下する事はないが、美化してもいけない。
現在の人間は、医学的にも社会的にも工学的にも、ありとあらゆるどんな指標で見ても、完全にはほど遠い。
20万年の足取りを振り返ったのならば、今後する事は、次の20万年を思い描く事ではないか。
それこそが知的存在としての意味であり矜持であるはずだ。

サイボーイ/西形まい

格好いい男を目指す高校生が主人公のマンガである。ある意味、君に届けのパロディだ。

主人公九条清澄は、高校1年生。親友の真木と共に、入ったばかりの高校で女子の人気を二分する超イケメンだ。

しかし彼には誰も知らない過去があった。内向的で人と話すのが苦手、趣味は読書と勉強で、親の都合で国内外の転校を繰り返していた清澄は、クラスメートの誰からも相手にされない小中学生時代を送っていた。ある時弾みで、トラウマになるほどの手酷い失恋を経験した彼は、誰もが振り向くようなイイ男になる事を誓い、当時学年一カッコイイと評判だった鷺谷真木に恥を承知でイケメン指南を頼み込んだ。
生来の真面目な性格とねばり強さ、頭の良さを発揮し、最強の指導者を得、10ヶ月のきびしい特訓を経た彼は、見違えるように生まれ変わった。そう、最強の改造少年、サイボーイとして。
そして、満を持し、清澄は真木と二人で、他に知り合いの無いこの高校へ進学した。回り中からカッコイイと言われる日々に、その回数をノートにカウントしながら夢のような生活を送る清澄。
しかし、そんな清澄が高校で初めて惹かれた女の子、三木アランは、ホストであるダメ父親の影響から、イケメンに拒否反応を示す体質であり、友達になりたい清澄をはねつける。
自らの方向性を全否定され、しかも昔には戻れない清澄は、自分なりの本当のイイ男を目指していく…。というような話。

設定はややリアル路線からは外れ、基本コメディベース。特に、後半は彼ら二人の排斥を企む悪の学園組織、イケメン会の暗躍がはじまり、いよいよバトルによって成長するサイボーイ、というギャグ構造が浮上。外見は格好良いが中身が付いてゆかない清澄が空回りしかけるが、結局外見よりも中身で勝負してゆく、という展開は好印象。

その過去設定はもとより、さらさら黒髪、爽やかな名前、人気者でイケてる親友とその指南など、意識してかどうかは不明だが、爽子と被るポイントが多く、そして被らない部分を考えたりすると割合興味深い。

全2巻らしいので、機会があれば後半も読んでみたい。


西形まい
サイボーイ

デトロイト・メタル・シティ/若杉公徳

先日職場で途中までの半端セットを拾った。
スタッフが映画版を見てて、面白かったですよ、ということで妻が読み出したのでつられて読んでみた。
すると意外にも妻が大ハマリして驚いた。結局完結まで買い増して読了。

インディーズシーンを席巻するデスメタルバンド、デトロイト・メタル・シティ(DMC)。そのリーダーでボーカル・ギター担当の、クラウザー2世は周囲を圧する威容で、凶悪なパフォーマンスを誇る。しかし、素顔の彼は、ポップ嗜好の気弱な青年、根岸崇一だった。
オシャレに憧れメタルなど毛嫌いしている彼は、所属するデスレコードの女社長に脅されこづき回されて、いやいやステージに立つ。
しかし、一旦ステージに上がると、普段の内なる鬱屈を爆発させるようなパフォーマンスと驚異の音楽テクニックで、無理矢理書かされたはずの自作のメタル曲を観衆に叩き付けて圧倒し、火がつくような熱狂を勝ち得る。
ステージ上の彼は、まるで別人格である。普段の気弱で優しくオシャレを愛する青年は微塵もない。衝動的で破壊の限りを尽くす悪魔そのものなのだ。そして、この別人格は徐々に侵食してゆく。素顔では何も言えない根岸は、しばしばクラウザーの衣装と化粧を身に纏い、悪魔的な衝動に身を任せて鬱憤を晴らすようになる。そして、クラウザーでない時ですら、徐々にクラウザー的な思考や行動が現れるようになる。
根岸は無理矢理やらされた音楽で変わってしまったのだろうか?それとも、もともと彼の内部に眠る本性と才能が発露したのだろうか?誰も歯牙にもかけない外見と裏腹に、その奥底に眠るデスメタルモンスターとしての原石の輝きを見抜いて、女社長は彼をスカウトしたのだろう、と、読後はそう思わざるを得ない。

これは、そんな根岸の苦悩とギャップがもたらすドタバタを描いたギャグマンガである。
絵はそんなに上手くないし、なにより、全編、デスメタル的な猥雑さに溢れており、まあ、とても良家の子女にはお勧めできない部類のマンガである。そんな、ある意味自虐的なパロディとさえ言えるほどの下品さがこの作品のベースであり、そこで爆発的に放出されるクラウザーの破壊的行動やその結果の展開がある意味カタルシスをもたらす構造になっている。

しかし、マンガの構造自体は、少年漫画というよりむしろコロコロに連載されているような児童マンガに近い。幸運や偶然、そしてもちろん時には実力で、絶体絶命のピンチを無理矢理に切り抜けていくという、古典的な「何とかなってしまうギャグ」や、そうした空気を醸成する、広義の意味での観衆と、作品を一緒に見守る一体感が、この作品のキモだろう。そこにパロディとパワーとカタルシスを持ち込んで、成人向けの猥雑なテイストで塗り固めたものが本作ではないか。

テーマとして特に重要なのが信じる心の扱いである。DMC信者は、クラウザーに心酔し微塵も疑わず、本気で悪魔もしくは悪魔的な凶悪な人物と信じ切っている。もしくは、皆、そう信じ切っているという設定と雰囲気を過剰に尊重して、そうしたロールプレイを心底から演じている。芸能ファン心理としては良くあるものだし、政治や宗教における行動原理と同じだ。
もう一つは、根岸の大学の同級生で、密かに思いを寄せる相川が根岸によせる信頼感だ。
彼女は、ポップでオシャレな音楽を目指す根岸を心の底から応援し、ある意味常人には不可能な理解を示す。多分、根岸自身の音楽世界を理解できるのは世界中で彼女ぐらいのものだろう。クラウザーと化した根岸は、相川であろうと容赦なく、いやむしろ、相川だからこそ、彼女の嫌うデスメタル的な嫌がらせをしてしまう。ずっと一途な彼女の気持ちに気づかず、一人で空回りして、過剰に求めたり、身勝手に突き放したり、彼女の存在に甘えたそうした関与の仕方はまるで小学生の初恋である。

根岸にとって、デスメタルは、嫌悪すべき汚点であると同時に、自分自身の深い部分を表現し、自身に価値を見いだす事のできる、魂の一部である事に気づいてゆく。
他人との相互関係という分野において、デスメタルを通じた極めて特異な形状であるものの、根岸は多数のファンと強固な信頼関係を築き上げる事に成功した。
それならば、次は、相川はそんなクラウザーとしての自分を受け入れてくれるのか。この物語のエンドでは明らかにされる事はなかったが、彼女が根岸に寄せる信頼感の深さを思えば、その読後感は明るい印象に包まれていると言える。

バカ、としか評せない程の下品さがこの作品のキモであり、ドン引きギリギリ、時にはやや越えてしまうな悪趣味や、強引でどうしようもない展開から無理矢理納めてしまう破壊的なギャグと共に、心のフィルターを外して素直に楽しむ(凝り固まった価値観からそれができる人は意外と少ないだろう)のが、この作品とのつきあい方だろう。
頭が割れそうな爆音デスメタルだが、しばらく聞く内に、実は腹に響くような重低音の振動が心地よいマッサージ効果をもたらす、というようなものではないだろうか。

細かいところに、他のマンガ作品などのパロディネタも多く、いろいろ見つけると楽しい。
個人的には、和田君のどこまで行っても常識人の所が、かなりツボであった。

たとえ音楽関係でなくても、モノを造る表現者であれば、笑い飛ばす裏で、根岸の才能にチラとでも嫉妬を覚えない者は、きっといないだろう。音楽関係者にファンが多いと言われるのはそうした理由からかも知れない。


若杉公徳
デトロイト・メタル・シティ

090 えこといっしょ。/亜桜まる

職場で1,2巻を拾ったマンガ。
内容はまあまあ。

主人公の中学生、茶の水ヒロシは、携帯を持つかどうか悩んでいた。ある日、道ばたで拾った壊れた携帯に縁を感じ、携帯を持つ事を決意し、それを拾って修理に出す。しかし、戻ってきた大型段ボールに入っていたのは女の子だった。
一見女の子に見えるが、実は最新式の携帯電話なのである。普通の携帯が良かったと悔やみながらも、彼女の必死に携帯たらんと頑張る姿にほだされたヒロシは、彼女に「えこ」と名付け、奇想天外な携帯同居ライフが始まるのだった。
力士3人分もの重量がある最新携帯のえこは持ち歩く事も適わず、やむなく、一緒に登校し授業を受けるハメに。当然、携帯禁止の校則と、えこのどう見ても女の子の外見や、その実ロボットの特異性が、生徒会長川澄真琴はじめ友人知人を巻き込んで、ポップにはちゃめちゃに物語は展開してゆく。

女の子に見えるけど実は携帯とか、お堅い男装の生徒会長は実は極貧の女の子で主人公をずっと想っているとか、温泉に入ったら縮小して手のひらサイズになってしまったとか、えこを狙う天才少女エンジニアは資産家とか、どこかで見たような、いかにもありそうな設定が目白押しであるが、まとめ方と絵柄がうまく引き締めて作品としてのまとまりと存在感を出している。

しかし、ヒロインはえこのはずだが、ストーリー上は完全に川澄会長に食われてしまっているのでは。
会長の秘めた恋の行方だけは気になるので、機会があれば続きを読みたい。
あと、メール担当の忍びサトウくんのカウンターバランスを逸したシリアス展開にも期待か。まあ、全4巻なのでその辺は省略だろうな。

しかし、6年前の作品だけど、携帯みたいなガジェットの風化の速さを感じる。アンテナの話とか、水に弱くお風呂に入ったら壊れた話とか。


亜桜まる
090 えこといっしょ。

見学しよう工事現場1 タワー/溝渕利明

トンネルの本が大変良かったので、シリーズの他の本も読んでみた。
今回は建設の雄、タワーである。

内容は結構新しくタイムリーで、塔として東京スカイツリー、高層ビルとしてあべのハルカスを取り上げる。
ふんだんに盛られた写真と、易しく要を得た解説がとても素晴らしい。

東京スカイツリーを支える巨大な基礎の作り方や、繁華街の百貨店を営業しながら建て替える高層ビルならではの工夫など、一歩踏み込んだ、現実に即したテーマが大変興味深い。
こういうのが好きな子供は、天端、構真柱、逆打ち工法、山留めなど、専門用語を見ているだけでワクワクしてくるのでは。
現場で働く人々の自負に溢れた生の声を多数収録しており、児童への教育効果も高いだろう。
安全帯を2本装備しているなど、建設現場ではいかに安全に注意しているかという点も詳しく説明される。

雑学知識としては割と有名な、完成後のタワークレーンの降ろし方など、基本的なポイントもちゃんと押さえており、世界の高層建築の比較や、人類の歴史とタワーの読み物もある。
子供はもちろん、大人もじっくり満喫できる絵本である。


溝渕利明
見学しよう工事現場1 タワー

放射線医が語る被ばくと発がんの真実/中川恵一

ある意味、話題の人、話題の書である。書架で見かけてさっそく借りてきた。

読んでみたが、大変良書であると思う。
細かいところに多少おかしな点や、やや強引な説明、誤植や正しくない情報も、無い事はない。

しかし、見えない放射能に取り囲まれた原発列島の住民にとって、考え方の大筋を得るのに適した本だと思う。
平易な文章で読みやすく、構成も適切で、理解しやすい。

一言で言うと、放射線被曝を恐れすぎてはいけない、という事だ。
特に気を引いてナンボのマスメディアは露骨に恐怖を煽りすぎる。
物事は、概算でも良いので定量的に判断しなければならない。

本書の記載を簡略して抜き出すと、

・被爆による主な健康被害は発ガンである。
・生涯100ミリシーベルトの追加被爆で、ガン死亡率は0.5%、ガン発生リスクは1.08倍に増える。
・同じ放射線量でも受けた期間で効果が異なる。上記は短時間に放射線を受けた広島長崎の被爆者のデータなどに基づく。
・ちなみに、日本人のガン罹患率は50%。
・どんなに健康に気を付けて暮らしても、誰でも、ガンが発生する可能性が30%ほどある。
・ちなみに、喫煙によるガン発生リスクは1.6倍、運動不足は1.2倍、野菜不足は1.06倍である。
・そもそも自然放射線により、誰でも年間数ミリシーベルト、生涯数百ミリシーベルトの被爆をしている。
・医療機器による被爆は、CTで数ミリシーベルト、レントゲンはその1/10程度。
・放射性同位体は、そもそも自然に存在する。食事を通して数千ベクレル程度の放射線源が常に体内に存在する。
・とくに野菜に多く含まれるカリウム40の内部被爆は100年で20ミリシーベルト。
・JCO臨界事故での被爆量は18000~8000ミリシーベルト。

というような事が、順を追って説明される。

例えば、私は日本で最も自然放射線量の多い岐阜県でもさらに放射線量の特に多い東濃地方で生まれ育ったので、成人までに40ミリシーベルト程度を被爆しているハズである。花崗岩やラジウム鉱泉で有名な地である。その後の20年は関西在住なので、被爆量は約20ミリシーベルトだろう。
また、CTを何度も撮影する大きな手術を数回受けているので、医療放射線被爆量は数十ミリシーベルトに達するだろう。
つまりすでに100~150ミリシーベルト程度を私は被爆している。

88で他界した祖父は、ずっと岐阜に住んでいたので、生涯での自然放射線被曝は、百数十ミリシーベルト程度だったであろう。医療放射線被曝もあるはずだが詳細分からないので無視する。それでもこの数字は、日本で最も自然放射線量の少ない神奈川で同じ歳まで暮らした人に比べ、約100ミリシーベルト近く多い訳である。また、私の現在までの被爆量ですら、この神奈川老人をとっくに抜いている。
祖父の死因は確かに内臓のガンである。しかし、岐阜県のガン発生率や死亡率が、神奈川に比べて有意に高いというデータはない。それどころか岐阜はガン死亡率の低い県なのである。

メディアで喧伝される被爆基準は、これらのベースとは「別に」被爆する量を問題にしている訳だ。
だから、このような数字をつかんでおけば、大体、どのぐらいを目安にしたらよいか、各人判断ができるだろう。
私は東北産の食材は、別段気にせず購入している。
一時期特に安く出回っていたので重宝したが、最近はあまり見ないので残念だ。

確かに、被爆量が多くて良い事など一つもない。少なければそれに越した事はないだろう。
この本でも、ちょっと異常なほどのしつこさでその点が強調されている。
しかし、濡れないようにと神経質に傘をさしている人が、平気でじゃぶじゃぶ水たまりを歩いていたらどう思うだろうか?
東北産の食材を生涯にわたって神経質に排除し続けるより、岐阜県から神奈川に引っ越す方が、被爆量の低減には桁違いに効果があるだろう。しかし、そこまでして下げたところで、ガン発生率の抑制には、ほぼ無意味なのである。世界には、私の生地に比してもさらに何倍も自然放射線が多い地域に暮らす人々がいる。それでもガン発生率の増加は無いという事だ。
まして、飲酒・喫煙・肥満・運動不足とガンリスクの高い人が、ことさらに放射線被曝だけを気にかけるというのは、踊る何とやらである。

原発事故に起因する放射線被爆は気にしすぎても意味がない。
この本で紹介されるチェルノブイリリポートにあるように、被爆による被害より強制避難による生活環境の変化がもたらすストレスの方が、はるかに壊滅的な被害を人々に与えた、という事は、よく考えてみる必要があるだろう。

さらに、ガンについての知識も得られる。
本書によれば、

・ヒトの60兆の細胞のうち、毎日6000億個が新しく生まれ、そのうちの5000個はガン細胞である。
・しかし、免疫機構がそのほぼ全てを除去している。
・極まれに除去できなかったものが成長し、ガン組織となる。
・たった一つのガン細胞から1cmのガン組織に成長するまで、10~20年かかる。
・1cm未満のガン組織は検診で見つける事は困難。
・ガン組織が1cmから2cmまで成長するのには、わずか1年半しかかからない。
・2cm以下のガン組織は発見して手術で除去できる確率が高い。
・つまり、毎年検診を受ける事が重要。

という事である。

放射線被曝により細胞は傷つき、毎日発生するガン細胞の数が増える事は間違いないだろう。
しかし、もともと毎日五千のガン細胞が生まれており、日本人の半分はガンに罹患するのだ。

五千が五千百になるかどうかの些細な点に日々心を砕いて、ひたすらガンにならない事を祈るより、50%の確率なら多分ガンになるだろうと考えて、きちんとガン検診で引っかける方が確実ではないだろうか。被爆はもとより、例えどんなに健康に気を配ったとしても、ガンになる人はなるのであるから。

中川恵一
放射線医が語る被ばくと発がんの真実

サムライカアサン 5巻/板羽皆

いよいよたけしは高校を卒業し、夢の実現に向けて巣立っていった。
部屋を借りて一人暮らしを始め、たけしは今まで当たり前と感じていた、自分を包んでいた鬱陶しいほどの愛情を、しずかに噛みしめる。

新しい生活。相方のかんたろうとのギクシャク。上手くいかない事もあるが、自分を見ていてくれる人がいる。その確かな感触は力を与えてくれる。悩む事は若さの特権だ。悩みもがく中で人は成長する。答えを求め辺りを見回すと、はるかに高みがそびえる。離れて振り返って、はじめて親を一人の人間として評価できる。母よい子のしてきた事を、自分もできるのか。

あいかわらずよい子はテンション高い。一人暮らしにも構わずプッシュ攻撃。まあ、そうしないとマンガが描けないからね。

今巻では、たけしの、わりと芯のあるところが意外で好印象だった。

一緒に芸能専門学校に進学した相方のかんたろうと、微妙にずれていく考え方。夢、努力。まじめでひたむきなたけしは、割と享楽的なかんたんろうの振る舞いが歯がゆくて苛立つ。かんたろうも、そんなたけしの過干渉を疎ましく思う。
人が変わってゆく事の残酷な痛みを上手く描いていると思う。
かんたろうがヤクザの女に手を出してボコボコにされた事件をきっかけに、コンビは解散する。
しかし、それは前向きな解散だった。
人には変わってゆく部分も、変わらない部分もある。他人に対して、すべて変わらないように願っても、それは叶わない願いだ。不変の幻想に、いつまでも神経症のようにしがみつけば、苦しい生き方が待っている。
ひとは変化を受け入れ、自分の中でその事に折り合いを付ける必要がある。それは、肯定的な再評価であったり、ある意味見限る、という事であったりする。いずれも、評価する自分自身の座標軸がぶれていては覚束ない。
たけしは、かんたろうと親友でいるために、コンビを解散した。
それは自分自身のためでもあった。芸人としてのかんたろうを見限ったという事でもあるからだ。友として、好きだからしゃーない、というたけしの言葉にかんたろうは感極まるが、その言葉は、裏のない冷徹な打算でもある。
たっぷりと愛情を注がれて育てられ、自分の立ち位置に絶対の揺らぎのない者のもつ、おっとりとした不遜とも言える自負がそこにはある。優しさとはある意味不遜でしかあり得ない、という真理を非常に上手く表現しており感嘆した。
表面的には単なるほのぼの話かも知れないが、その実、あのよい子が育てた息子、という存在感がきちんとある。キャラについて妄想とも言えるほど考え抜いた賜物であるだろう。

次巻も楽しみである。


板羽皆
サムライカアサン 5巻

XBox/クリムゾンスカイ High Road to Revenge/マイクロソフト

義弟のお薦めでプレイ。
昨日クリアした。取り敢えずシナリオをイージーで一周。1週間、15~20時間程度か。

とても面白いゲームだった。
舞台は、架空の世界である。1930年頃の北米大陸。大戦後の混乱で国家が地域に分断し、地上の交通網が破断したため、車ではなく、航空機が発展した世界。各地の都市国家を牛耳っていたのは空を支配するギャング達だった。
主人公ネイサン・ザッカリーも、宝探しや抗争に明け暮れる日々を送る、愛機で空を駆ける空賊のボスである。

このゲームは、フライトシミュレータではなく、フライトシューティング、さらに言うならアクションシューティングだろう。
細かい事は考えず、簡単操作で、快適に飛び、撃ち、爽快なフライトアクションが楽しめる。
搭乗するのはレシプロばっかり。皆主武器は機銃。弱い誘導のついたサブウエポンを除けば、敵機の飛行進路を読んでの照準あわせが基本である。
画面は背後やや上からの三人称視点+丸レーダー+体力表示。
スロットルを廃し、加速・減速ボタンによるプラマイのみ。特に減速ボタン(ちゃんとフラップが開く)での、急制動が強いので、非常に操縦が楽である。Rで主射、Lでサブウエポン、あとは基本操縦桿だけでOKとシンプルだ。
特徴的なのは、Rスティックを組合せて、R押し込み→RLスティックを倒す、という簡単操作で様々なマヌーバを繰り出せる事。R押込→L下R下でインメルマルターン、L上R上でスプリットS、L右R右でスナップロール右、といった感じ。加速やマヌーバは、時間でたまる技術ゲージを消費するのでゲージが切れたら連続使用はできない。
なお、Rスティック単体はエルロンとなりロールコントロールができるので、マヌーバコマンドに頼らず、自力でインメルマルすることも可能。
十字キーは視点切り替えで、押している間そちらを見る。そして黒ボタンが便利な敵機ボタン。自機をセンターに捉えたまま、至近の敵機を捉えたビューを押してる間だけ瞬時に切り替わってくれる。
これが操縦の全てである。

ダメージは体力ゲージ制で、地面や壁に数回激突したぐらいでは死なない。また、フィールド上には「修理工場」が存在し(無いマップやミッションもある)、そのアイコンに近づいてXボタンを押せば、修理工場に急着陸し、ものの2,3秒で全回復してくれる。その代わりお金を取られる訳だ。
また、滑走路に駐機している飛行機を見つけたら、近づいてXボタンで乗り換える事もできる。こうして機体を集めてゆくのだ。

航空機の他にも、対空機銃の操作も可能で、これが割と重要だ。各地の機銃や、ネイサンの旗艦である飛行船パンドラに着艦し、銃座で一暴れしてまた飛行機で飛び出す、という展開はとても楽しい。

このゲームの良かった点は、航空機の浮遊感が素晴らしく表現されている点だ。
決して綿密なシミュレータではないが、気流を感じる挙動をすると思う。
浮いている感、飛んでいる感、こうした感覚の調整・表現が非常に上手いと思った。スカイクロラやエスコンシリーズとは段違いであると言える。
自機が飛んでる感じがするのはもちろん、敵航空機や敵の飛行船が「空間を飛行して相対的に移動している」感じがすごく良いのだ。
しかも、簡単操作。ドッグファイトは本当に面白い。
撃墜し爆散した敵機からは、必ずパイロットがパラシュートで脱出するのも素晴らしい演出だ。そして時折、パイロットと一緒に、体力回復アイテムとサブウエポン回復アイテムも放出される。これらをマメに取れば、修理工場へ戻る必要はない。取ろうと焦って墜落したり返って敵に攻撃されたりして、ゲームとしてよいアクセントだと思う。

一方で、洞窟の隘路を飛ばすようなミッションはかなり辛い。所々でリスタートポイントを記録してくれるのだが、体力ほぼゼロで記録されてしまった時の絶望感は格別だ。

シナリオはちょっとボリュームが少ないと思うが、多分、当時流行ったネット対戦をメインに遊んでくれ、という事なのだろう。

驚いたのが、画面の美しさ。ポリゴン数がFF13と2桁違いそうなムービーは、まあ、置いておいて、飛行風景は本当に素晴らしい。XBoxでここまで頑張るかと思った。
水平線や背景の処理がとても綺麗だ。エンジン廃熱で揺らめく機影や水面の表現もリアリティが高い。岩などのテクスチャは寄ってしまうと粗いが、十分なレベル。何より、遠方オブジェクトの処理が抜群に上手いと思った。どんなに遠くても、航空機は肉眼で見える通りに表示する。青い空にうっすら浮かび上がってくる黒い機影は感動ものだ。地上オブジェクトの処理も遠くまで手を抜かずに表示しているので、本当に、遠くまで空間を感じるのだ。
その分、fpsは低くて、多分30、時折もう少し低下するような印象もあった。

このゲームは、Xbox360に対応しているので、そちらでプレイした。
ただし、難点もある。まず、オーディオクリップの再生が一部変だ。とくにミッション開始前に異音が入る。
また、画面、特に上端に、細かいノイズが発生する。
この二点だけ気にならなければ、問題なく遊べるだろう。黒ボタンはRBにマップされている。
なお、エミュレートの問題かそれとも元々かは不明だが、フリーズと進行不能バグが1回ずつ発生した。

飛行機好き、特にレシプロ好きはプレイして損はない、ゲームとして面白いゲームである。

マイクロソフト
クリムゾンスカイ High Road to Revenge

PS3/ファイナルファンタジーXIII/スクウェア・エニックス

先日クリアしたので書いておく。
総プレイ時間は、およそ1ヶ月にわたって、計66時間と、流しプレイ程度である。

超ブランドシリーズの最新作という宿命から、その評価は賛否両論喧々囂々なのを野次馬として見ていたため、いろんな意味でプレイには期待していたが、その印象はというと、予想通り大変面白いゲームだった。

FF13というゲームは、RPGというゲームジャンルにおいて中核をなしてきたバトルについて、バトルプロセスの爽快感と成長強化の歓びを極めてダイレクトに追求し、かつ可能な限り煩わしい操作を廃して誰にでも楽しめるようにというポリシーで製作されたゲームだと思った。

ATBとしてFFが切り開いてきた、実時間内での戦略決定というスピード感とアクション演出。それと真っ向反するRPG特有の戦術性や詳細なバトル指示をどう落とし込むか。
FF13では、オプティマというロール管理システムとAIパーティによって、これを実現した。
アタッカー、ブラスター、エンハンサー、ジャマー、ヒーラー、ディフェンダーという各ロール毎にアビリティが割り当てられ、プレイヤーは、パーティメンバーのロールの組合せによって戦術を設計し、予めオプティマとして複数登録しておく。バトル中は、局面に応じてオプティマを切り替えるだけで、バトルの進行に応じた複雑な戦術を、ワンボタンで極めてスピーディに実現できる。

コマンド指示も多段設計とし、パーティメンバーのAIはもとより、プレイヤーが操作するキャラであっても、ワンボタンで最適なアビリティを選択し使用してくれる。
これにより、ポンポンと、適度にボタンを押しているだけで、幅広い戦術と、多彩なアビリティを、美麗なグラフィックスで、スピーディに高レスポンスで楽しむ事ができる。

操作が簡単だからといって、バトルも簡単過ぎるという事はない。レベルデザインとしては、敵がやや強めに作ってあるので、ごり押しでは通じない事も多い。特にオプティマの切替は、瞬間の判断が求められ、ワンタイミングのズレが致命的ミスに繋がる事もあり、緊張感を維持させる。

短時間に継続して一定の攻撃を加え続ける事(チェイン)で、攻撃力にボーナスが付き敵が弱体化するブレイクというシステムがあることで、どの敵から狙うか決定し、そしてブレイクターゲットへのチェインを切らさぬようにオプティマを適切に選択する、場面に応じたダイナミックな戦術性が、このゲームのバトルの華である。
そして、そうしたアクティブな戦術を実現するために、パーティメンバーを選択し、各人のロールでの持ちアビリティを睨んでオプティマを編成し、サポート装備を最適化し、オプティマ選択時のタイムロスやミスを減らすために、オプティマリストの並べ替えまで行う、というスタティックな戦略性も、バトルの面白さに深みを与えている。

各人の成長やアビリティの習得は、クリスタリウム(Xで言うところのスフィア盤)の上に予め明示してある。思い描く戦術の実現のために、どのロールを優先的に成長させるかという計画と、手に入れたアビリティによる強化、というスパイラルが、バトルのプレイモチベーションを引き上げる。

多忙な現代人は、ゲームに十分な時間を割けない。
よって、RPGのバトルの、そのうまみだけを簡単手軽にすくい取って供するシステムは評価できる。もちろんやろうと思えば、細かな指示を出したり戦術を工夫したりして、より効率的に戦う事ができるので、じっくり遊びたいプレイヤーにも応えられるだろう。

広大なワールドマップや複雑でマルチなシナリオはRPGの醍醐味の一つであるが、短時間プレイヤーは現在進行形のイベント情報や煩雑な設定を憶えきれないし、自由度の高さはシナリオやテーマの焦点をぼかしてしまう。
そこで、FF13ではほぼ一本道のマップとリニアなシナリオで、プレイヤーの迷子を阻止し、短時間ゲーマーをゲーム世界に戻りやすくしている。そして、こうした構造の不自然さを隠蔽するため、ストーリーを逃亡劇とする事で尻を叩かれるように進む物語の違和感を廃しており、プレイヤーはバトルと物語に集中する事ができる。
逃亡と反撃という単純なシナリオであるので、プレイヤーのボリューム不足感を解消するために、世界設定に対する作り込みを執拗に行っている。グラフィカルなデザインを始め、衒学的な固有名詞や専門用語をちりばめた詳細で膨大な裏設定や、テーマを明示する章構成と段階を踏んで幾重にも展開する伏線など、細部にこだわる事で、プレイヤーに負担のないシナリオの底上げを構築し満足感を与えている。

こうした短時間プレイヤーへのゲームへの敷居を下げるという配慮は一貫性があり、すぐにタイトル表示されるオープニングや、初期ロード時のあらすじ機能、ほぼロードレスで開始・復帰するバトル、ムービースキップ機能、ゲームオーバー時のリスタート、こまめに配置されたセーブポイントなど、プレイアビリティの充実に配慮は怠りない。

一方で、広い世界での探索もRPGの醍醐味であるので、終盤、大平原を用意し、やり込みプレイヤー用に供しているのもぬかりない。また、冥碑クエストや、武器の強化、そして強大な敵の配置なども、やり込みとしてかなりボリュームがあるだろう。

近年のFFといえばムービーであるが、このFF13も膨大なムービーが収録され、ユーザーの要求に十分応えているだろう。特に時々重要シーンで展開されるプリレンダムービーの質には、驚愕の一言だ。製作コストなど考えるだに恐ろしい。
ただ、一方で、それと比してしまう事で、通常ムービーの粗さが不必要に目立ってしまう、という難点があった。
超微細なプリレンダ→通常ムービーのフェイスなどの微細部→通常ムービーの指先などの粗部分、という順に目を走らせると、どうしても若干違和感を感じる。
もちろん、フィールド風景の作り込みも凄い。移動範囲を限定して作業量を限定したからこそ作り得た風景なのだろう。

ストーリーや世界設定は、こういうもんだ、と思うしかないだろう。細部を除けば特に破綻しているという事もないし、あとは好き好きだろう。個人的には、前半のホープはしつこくて好きになれなかったし、奇跡の連呼は食傷気味ではあった。思い詰めたパーティの行動指針もいまいち消化不良の面もある。しかし、演出でそこそこ上手くカバーしていると思うし、ラスト寸前など、割合ぐっと来るシーンもあった。
納得できないのは、エンディングであって、13-2を視野に入れての事かも知れないが、あっさりしすぎだろう。

好きなキャラは、ヴァニラとサッズか。サッズは、おっさんおっさん呼ばれているけど、どうせ自分より年下なんだろうと鼻白んでいたら、じつは40歳と本当におっさん年齢だったので好感度UP。JRPGは主人公が十代とか若すぎるので、30そこそこでもおっさん扱いされる事が多く、歯噛みする事もしばしばなのである。絶叫アホンダラ最高。

音楽も割と良かったと思う。シアトリズムの体験版のせいか、やはりサンレス水郷が印象深い。あの明るいビジュアルのせいでもあるだろう。

難点もない訳ではない。
まず、AIがやっぱりアホでイラつくことがしばしば。なぜエンハンサーは真っ先にヘイストをかけないのか。なぜチェインが切れそうなターゲットやあと一撃ターゲットを優先的に攻撃してくれないのか。
プレイヤーのターゲットフォーカスが、勝手に変更されてしまうのも困った。アタッカー→ディフェンダー→アタッカーなどと変更すると、多分、ディフェンダー時に、最も強いターゲットに切り替わるためだろう。
オプティマ編成がこのゲームのキモであるので、その編成内容・リスト順は保存して欲しかったところ。20通りのパーティの組合せ毎に6項目リストを保存するだけである。パーティ編成を行うたびにオプティマを一から作るのでは面倒至極で、編成が億劫になる。

振り返って、メーカーの屋台骨を背負う大作シリーズを、これだけ大胆な設計で製作できる、という事に驚愕した。
安全に、過去作を踏襲した二番煎じを出していれば、大ヒットは無いかも知れないが、そこそこ売れるだろうし、旧来のファンの覚えもめでたいだろう。そうしてゆっくり死んでいくという策も選択肢としてはあるだろう。
なのに、総スカンを食らう覚悟で大胆な設計をし、誰にも理解されない事を覚悟で極めて独創的な世界観を取り入れた。かといってユーザビリティは忘れず充実させる。これは凄い事だと思う。

安くなった頃にXIII-2も手に入れてプレイしよう。


スクウェア・エニックス
ファイナルファンタジーXIII