サムライカアサン 5巻/板羽皆 | 読んだり観たり聴いたりしたもの

サムライカアサン 5巻/板羽皆

いよいよたけしは高校を卒業し、夢の実現に向けて巣立っていった。
部屋を借りて一人暮らしを始め、たけしは今まで当たり前と感じていた、自分を包んでいた鬱陶しいほどの愛情を、しずかに噛みしめる。

新しい生活。相方のかんたろうとのギクシャク。上手くいかない事もあるが、自分を見ていてくれる人がいる。その確かな感触は力を与えてくれる。悩む事は若さの特権だ。悩みもがく中で人は成長する。答えを求め辺りを見回すと、はるかに高みがそびえる。離れて振り返って、はじめて親を一人の人間として評価できる。母よい子のしてきた事を、自分もできるのか。

あいかわらずよい子はテンション高い。一人暮らしにも構わずプッシュ攻撃。まあ、そうしないとマンガが描けないからね。

今巻では、たけしの、わりと芯のあるところが意外で好印象だった。

一緒に芸能専門学校に進学した相方のかんたろうと、微妙にずれていく考え方。夢、努力。まじめでひたむきなたけしは、割と享楽的なかんたんろうの振る舞いが歯がゆくて苛立つ。かんたろうも、そんなたけしの過干渉を疎ましく思う。
人が変わってゆく事の残酷な痛みを上手く描いていると思う。
かんたろうがヤクザの女に手を出してボコボコにされた事件をきっかけに、コンビは解散する。
しかし、それは前向きな解散だった。
人には変わってゆく部分も、変わらない部分もある。他人に対して、すべて変わらないように願っても、それは叶わない願いだ。不変の幻想に、いつまでも神経症のようにしがみつけば、苦しい生き方が待っている。
ひとは変化を受け入れ、自分の中でその事に折り合いを付ける必要がある。それは、肯定的な再評価であったり、ある意味見限る、という事であったりする。いずれも、評価する自分自身の座標軸がぶれていては覚束ない。
たけしは、かんたろうと親友でいるために、コンビを解散した。
それは自分自身のためでもあった。芸人としてのかんたろうを見限ったという事でもあるからだ。友として、好きだからしゃーない、というたけしの言葉にかんたろうは感極まるが、その言葉は、裏のない冷徹な打算でもある。
たっぷりと愛情を注がれて育てられ、自分の立ち位置に絶対の揺らぎのない者のもつ、おっとりとした不遜とも言える自負がそこにはある。優しさとはある意味不遜でしかあり得ない、という真理を非常に上手く表現しており感嘆した。
表面的には単なるほのぼの話かも知れないが、その実、あのよい子が育てた息子、という存在感がきちんとある。キャラについて妄想とも言えるほど考え抜いた賜物であるだろう。

次巻も楽しみである。


板羽皆
サムライカアサン 5巻