大阪ハムレット 2巻/森下裕美
という事で、早速2巻も読んだ。
この巻も、いろんな人間模様が描かれる。
読んでいて思ったのは、変わった人達が出てくる普通の話、ではなく、変わった人達が出てくる、変わった話、という印象だ。つまり、ストーリーがあって、キャラを創ったのではなく、キャラクターを創ったらいろいろ動いたので、その中でマンガになりそうな話を描いた、というような印象を受けるという事である。
綺麗に体裁良く、という事をせず、思うところをそのままストンと描いているのが実に好印象。
巻頭の話が良かった。中一の女の子の純情な心と、それ故に住まう闇を描いた話である。読書家で聡明、しかしそれゆえ心を開かず他人を遠ざけ、一人心のシェルターにこもる東直子。教師受けも悪い。だが、岩井先生から短歌・俳句を教えられ、こんな短い文章の中に、こんなに自分の心を表現する方法があるのかと目を開かれる。そして自分を見て、自分に期待してくれている岩井先生。しかし、岩井先生は姉が好きだったのだ。性格が反対で昔からそりの合わないその姉は、不倫で駆け落ちし、これから死ぬとメールしてきた。
直子は願う。「お姉ちゃん 死んで」「死んで最後に 尊敬させて」
ごちゃごちゃと不純で汚い世界からすっと伸びて咲く、美しい桔梗の花を見たい、そう願う少女特有の純な気持ちは本物である。そして家族として姉を想って泣く気持ちも本物だ。明けゆく空に向かって、帰ってこなかった姉に、祝杯を捧げる直子。にじむ涙。その微妙でマーブルな心のかたち。
しかし、何事もなかったかのように姉は帰ってきた。落胆と、安堵。世界は純じゃない。世界は汚い。でも、毎日生きて、毎日一歩もう一歩とそんな世界に分け入っていく自分。
少女ゆえの残酷さ、理想の冷徹さ、世界とのギャップが上手く描かれていると思う。
前後編で描かれるバレエの先生の話も良い。有名バレエ団を卒業し、実家にバレエ教室を開いたハナコ先生。バレエさえあれば何も要らない。ずっと踊っていたい。しかし、たった一人の母はそんな娘を認めずこき下ろす。カッとなったハナコは、母を花瓶で殴って殺そうとしてしまう。母に認められたいという思い。しかしそれは、バレエしかないと思いながら、バレエだけを思い切れないハナコの弱さだった。愛は逃げである。生徒に教えられまたバレエを取り戻すハナコの葛藤と覚悟を描いた話である。
その他、再婚しようとする母を上手く応援できない子供の話。変わらない淋しくない明日を求めながら堕ちてゆく女の話。どんなクズでもゴミでも修理できるリサイクルショップのおじいちゃんと、お母ちゃんに逃げられ、餃子屋も辞めた、クズといわれるお父ちゃんの間で、家族そろった平凡な幸せを求める女の子の話。
どの話もクセが強く、それゆえ素晴らしい味わいがある。各話のキャラがあちこちの話に再登場するのもおなじみだ。全巻からもチラホラ。
3巻にも期待。
大阪ハムレットの過去エントリ

森下裕美
大阪ハムレット 2巻
この巻も、いろんな人間模様が描かれる。
読んでいて思ったのは、変わった人達が出てくる普通の話、ではなく、変わった人達が出てくる、変わった話、という印象だ。つまり、ストーリーがあって、キャラを創ったのではなく、キャラクターを創ったらいろいろ動いたので、その中でマンガになりそうな話を描いた、というような印象を受けるという事である。
綺麗に体裁良く、という事をせず、思うところをそのままストンと描いているのが実に好印象。
巻頭の話が良かった。中一の女の子の純情な心と、それ故に住まう闇を描いた話である。読書家で聡明、しかしそれゆえ心を開かず他人を遠ざけ、一人心のシェルターにこもる東直子。教師受けも悪い。だが、岩井先生から短歌・俳句を教えられ、こんな短い文章の中に、こんなに自分の心を表現する方法があるのかと目を開かれる。そして自分を見て、自分に期待してくれている岩井先生。しかし、岩井先生は姉が好きだったのだ。性格が反対で昔からそりの合わないその姉は、不倫で駆け落ちし、これから死ぬとメールしてきた。
直子は願う。「お姉ちゃん 死んで」「死んで最後に 尊敬させて」
ごちゃごちゃと不純で汚い世界からすっと伸びて咲く、美しい桔梗の花を見たい、そう願う少女特有の純な気持ちは本物である。そして家族として姉を想って泣く気持ちも本物だ。明けゆく空に向かって、帰ってこなかった姉に、祝杯を捧げる直子。にじむ涙。その微妙でマーブルな心のかたち。
しかし、何事もなかったかのように姉は帰ってきた。落胆と、安堵。世界は純じゃない。世界は汚い。でも、毎日生きて、毎日一歩もう一歩とそんな世界に分け入っていく自分。
少女ゆえの残酷さ、理想の冷徹さ、世界とのギャップが上手く描かれていると思う。
前後編で描かれるバレエの先生の話も良い。有名バレエ団を卒業し、実家にバレエ教室を開いたハナコ先生。バレエさえあれば何も要らない。ずっと踊っていたい。しかし、たった一人の母はそんな娘を認めずこき下ろす。カッとなったハナコは、母を花瓶で殴って殺そうとしてしまう。母に認められたいという思い。しかしそれは、バレエしかないと思いながら、バレエだけを思い切れないハナコの弱さだった。愛は逃げである。生徒に教えられまたバレエを取り戻すハナコの葛藤と覚悟を描いた話である。
その他、再婚しようとする母を上手く応援できない子供の話。変わらない淋しくない明日を求めながら堕ちてゆく女の話。どんなクズでもゴミでも修理できるリサイクルショップのおじいちゃんと、お母ちゃんに逃げられ、餃子屋も辞めた、クズといわれるお父ちゃんの間で、家族そろった平凡な幸せを求める女の子の話。
どの話もクセが強く、それゆえ素晴らしい味わいがある。各話のキャラがあちこちの話に再登場するのもおなじみだ。全巻からもチラホラ。
3巻にも期待。
大阪ハムレットの過去エントリ
ちょっと Nintendo Direct ものすごく脳を鍛える5分間の鬼トレーニング
略称、ちょっとダイレクト、という事で、任天堂の岩田社長がネットを介して商品の魅力を直接ユーザーに語り込む大人気コンテンツ、「Nintendo Direct」 の単一タイトルの短時間版が始まった。
先日公開された、カルチョビットのダイレクトもややこれに近い位置付けかも知れない。
いちユーザー、そして、いち岩田ファンとしては、嬉しい限りである。
唯一の懸念は、こうしたジャパネットたかた化によって、本業の社長業がおろそかになったり、あるいは、社長業の手も抜かない事で、本人の健康維持に悪影響が及ぶ事である。
もちろん、3DSやWiiのユーザーであっても、岩田社長を知らない人は多数いるだろう。しかし、ネットのヘビーユーザーでかつゲームファンであれば、かなりの割合で、岩田社長の影響を受けているものと思われる。
あくまで印象だが、かなりの販促効果があるのではないだろうか。
とにかくその語り口のうまさ。インタビュアーとしての資質が素晴らしい。ストーリーの理解力、意図の把握力、テーマの抽出力。会話をリードし、本人が気づいていなかったり言葉に出来ない本質を、ズバリと突く。読者視点からインタビュー全体を俯瞰し、構成をまとめて、話の方向性を調整し、専門用語にはさらりと解説を付ける。
単なる話芸として、まず面白く感嘆する。
さらには、心はゲーマー、頭はゲームプログラマ、という、その経歴がもたらす、ゲームへの深い愛と理解。その眼差しから紡がれるインタビューは、ゲームファンの琴線に文字通りダイレクトに響くものである。銀行出身の経営者や百凡のゲームライターには逆立ちしても不可能だろう。
という事で、ダイレクトや社長が訊くを見てしまうと、いつもそのソフトや商品が欲しくなって困る。
もちろん、そこでの情報を100%信じている訳ではない。実際、岩っちはああ言っていたが、実際買ってみると思った程では無かったな、期待しすぎたな、という場合も時々ある。それでも完全に騙されたという事は無いし、そもそも岩田社長の視点は、感性による評価ではなく、理路整然とした理詰めのアピールが多いから、その方向性だけは確かに納得できるのだ。
今回の川島教授との対談も、非常に興味深いものだった。内容は公式 でチェックして欲しい。
それまで全くノーマークだった鬼トレだが、可能な限り入手の方向で検討する事にした。
もちろん、やっぱりワーキングメモリ鍛えておかなきゃでしょ、というミーハーな動機である。しかし、Fit系もそうだが、肉体改造というのは、RPGの経験値稼ぎにも通ずる、ゲーマー資質の発露としてはある意味一つの頂点であると思う。
実際的な下心としては、カルドセプトで、対戦相手の手札記憶の精度が上がると、かなり勝率に貢献するだろうという打算が半分ぐらいある。また、社長が訊くでは、クリエイティビリティーの向上が期待できるとの事だったので、このブログの文章などももっとスラスラと書けるようになると良いな、という期待もある。購入・実践したら、そうした効果についてはまた報告しよう。
そうこうしているうちに、3DSLLの社長が訊くも掲載されていた。
3DSLLは既に予約しているが、詳細仕様が分かったので、これは、という点をピックアップしておく。
・タッチペンは右横出し入れ方式へ
・液晶表面の反射率低減。3DS(12%)→3DSLL(3%)
・バッテリが中央配置になり、バランスが向上して持ちやすく
・LRボタンが操作しやすく
かなり期待できそうである。とくにタッチペンと反射率低下は非常に嬉しい。
先日公開された、カルチョビットのダイレクトもややこれに近い位置付けかも知れない。
いちユーザー、そして、いち岩田ファンとしては、嬉しい限りである。
唯一の懸念は、こうしたジャパネットたかた化によって、本業の社長業がおろそかになったり、あるいは、社長業の手も抜かない事で、本人の健康維持に悪影響が及ぶ事である。
もちろん、3DSやWiiのユーザーであっても、岩田社長を知らない人は多数いるだろう。しかし、ネットのヘビーユーザーでかつゲームファンであれば、かなりの割合で、岩田社長の影響を受けているものと思われる。
あくまで印象だが、かなりの販促効果があるのではないだろうか。
とにかくその語り口のうまさ。インタビュアーとしての資質が素晴らしい。ストーリーの理解力、意図の把握力、テーマの抽出力。会話をリードし、本人が気づいていなかったり言葉に出来ない本質を、ズバリと突く。読者視点からインタビュー全体を俯瞰し、構成をまとめて、話の方向性を調整し、専門用語にはさらりと解説を付ける。
単なる話芸として、まず面白く感嘆する。
さらには、心はゲーマー、頭はゲームプログラマ、という、その経歴がもたらす、ゲームへの深い愛と理解。その眼差しから紡がれるインタビューは、ゲームファンの琴線に文字通りダイレクトに響くものである。銀行出身の経営者や百凡のゲームライターには逆立ちしても不可能だろう。
という事で、ダイレクトや社長が訊くを見てしまうと、いつもそのソフトや商品が欲しくなって困る。
もちろん、そこでの情報を100%信じている訳ではない。実際、岩っちはああ言っていたが、実際買ってみると思った程では無かったな、期待しすぎたな、という場合も時々ある。それでも完全に騙されたという事は無いし、そもそも岩田社長の視点は、感性による評価ではなく、理路整然とした理詰めのアピールが多いから、その方向性だけは確かに納得できるのだ。
今回の川島教授との対談も、非常に興味深いものだった。内容は公式 でチェックして欲しい。
それまで全くノーマークだった鬼トレだが、可能な限り入手の方向で検討する事にした。
もちろん、やっぱりワーキングメモリ鍛えておかなきゃでしょ、というミーハーな動機である。しかし、Fit系もそうだが、肉体改造というのは、RPGの経験値稼ぎにも通ずる、ゲーマー資質の発露としてはある意味一つの頂点であると思う。
実際的な下心としては、カルドセプトで、対戦相手の手札記憶の精度が上がると、かなり勝率に貢献するだろうという打算が半分ぐらいある。また、社長が訊くでは、クリエイティビリティーの向上が期待できるとの事だったので、このブログの文章などももっとスラスラと書けるようになると良いな、という期待もある。購入・実践したら、そうした効果についてはまた報告しよう。
そうこうしているうちに、3DSLLの社長が訊くも掲載されていた。
3DSLLは既に予約しているが、詳細仕様が分かったので、これは、という点をピックアップしておく。
・タッチペンは右横出し入れ方式へ
・液晶表面の反射率低減。3DS(12%)→3DSLL(3%)
・バッテリが中央配置になり、バランスが向上して持ちやすく
・LRボタンが操作しやすく
かなり期待できそうである。とくにタッチペンと反射率低下は非常に嬉しい。
それでも地球は回ってる/秋里和国弐
これも妻が借りてきたのでご相伴。初めて読む作者である。
とても面白い。80年代テイストがいいね。
個性の強い描写とストーリー展開が、非常に楽しい印象。一癖も二癖もある謎が多いキャラ達がコロコロとじゃれ合い、丁々発止の渡り合い、C調ギャグコメディとしてスピーディに繰り広げられる。
少ないコマと描写、そして台詞で、シーンを描ききり、そして展開をドライブする、その技巧的な密度が素晴らしい。ただ密なだけでなく、瞬間の描写など、そのメリハリが上手いと思う。
そしてなんと言っても、主人公、英徳高校1年の鳥居さかみの個性。ちょっとずれていて、それでいて共感しやすいキャラとして、物語に一本筋を通す存在として魅力ある造形となっている。
さかみを中心に、謎の三人組転校生とのドタバタ学園物という感じか。
お話としても面白そうで、続きに期待。

秋里和国弐
それでも地球は回ってる
とても面白い。80年代テイストがいいね。
個性の強い描写とストーリー展開が、非常に楽しい印象。一癖も二癖もある謎が多いキャラ達がコロコロとじゃれ合い、丁々発止の渡り合い、C調ギャグコメディとしてスピーディに繰り広げられる。
少ないコマと描写、そして台詞で、シーンを描ききり、そして展開をドライブする、その技巧的な密度が素晴らしい。ただ密なだけでなく、瞬間の描写など、そのメリハリが上手いと思う。
そしてなんと言っても、主人公、英徳高校1年の鳥居さかみの個性。ちょっとずれていて、それでいて共感しやすいキャラとして、物語に一本筋を通す存在として魅力ある造形となっている。
さかみを中心に、謎の三人組転校生とのドタバタ学園物という感じか。
お話としても面白そうで、続きに期待。
知性の限界 不可測性・不確実性・不可知性/高橋昌一郎
以前、大変楽しく読んだ、「理性の限界
」の続編にあたる本。
前回のシンポジウムの直後、というシチュエーションで、前作同様、学者や社会人、大学生など、架空のデフォルメ登場人物達による対話形式で進む知的エンターテインメント。
アロウ・ハイゼンベルグ・ゲーデルを俎上にのせた前作に続き、今巻では、ヴィトゲンシュタイン・ポパー・ファイヤアーベント等を軸に、形而上学から宇宙論まで、百貨店的な幅広い品揃えで、読者を全く飽きさせない。
内容どうこうより、まず、なにより優れたエンターテインメントであると言える。本当に、読んでいて楽しい。そしてもちろん、内容も為になる。私のような半可通にはこうしたガイド的な書籍が最適だ。
決めぜりふのパターンである、「司会者: そのお話は、また別の機会にお願いします。」がじわじわ効いてくる。
前著への言及がチョコチョコ出てくるので、やはり順番に読んだ方が良いだろう。
またさらに続巻があるようなので、それも読みたい。非常に楽しみだ。

高橋昌一郎
知性の限界 不可測性・不確実性・不可知性
前回のシンポジウムの直後、というシチュエーションで、前作同様、学者や社会人、大学生など、架空のデフォルメ登場人物達による対話形式で進む知的エンターテインメント。
アロウ・ハイゼンベルグ・ゲーデルを俎上にのせた前作に続き、今巻では、ヴィトゲンシュタイン・ポパー・ファイヤアーベント等を軸に、形而上学から宇宙論まで、百貨店的な幅広い品揃えで、読者を全く飽きさせない。
内容どうこうより、まず、なにより優れたエンターテインメントであると言える。本当に、読んでいて楽しい。そしてもちろん、内容も為になる。私のような半可通にはこうしたガイド的な書籍が最適だ。
決めぜりふのパターンである、「司会者: そのお話は、また別の機会にお願いします。」がじわじわ効いてくる。
前著への言及がチョコチョコ出てくるので、やはり順番に読んだ方が良いだろう。
またさらに続巻があるようなので、それも読みたい。非常に楽しみだ。
花の美女姫/名香智子
ファンション・ファデ
が面白かったので妻が借りてきた。
最初はちょっと読みにくいな、と感じたが、やはりぐんぐんと引き込まれた。
何というのだろうか。設定も、展開も、描写も、弾けるように奔放で、こうした作品を描ききる事ができる才能と、それを掲載し出版する事ができる時代に、ただただ感嘆した。
表題は、主人公の華麗なる双子の青年の名から取られている。フランス人と日本人のクォーターで、金髪の長髪にクールな碧眼、長身で細腰で、文武に長け、強引な行動力を備え、人望の篤い生徒会長(と副会長)で、審美眼厳しく、それでいて女性にはほとんど興味を示さず、資産家で、名門共学校に通う、という双子なのである。どうだ参ったか、という他無い。そしてそんな凄いキャラを背負える名前は、長男が氏家 美女丸・尊猛流(ソンモール)・ド・ロシュフォール、次男は氏家 姫丸・華猛流(カーモール)・ド・ロシュフォール、二人合わせて美女姫である。よくまあこれしかないというような名前を思いついたな。
まさに「キャラクター」というべきこの双子を軸に、日本とフランスを股に掛けて、コメディありシリアスあり、もちろんラブコメありの絢爛豪華な物語が怒濤の如く展開される。
ストーリーの綾や展開の技巧で読ませるのではなく、もう本当に、美女丸はじめ個性派のキャラが、ガンガンにページを引っ張っていく。心地よい力業。大衆演劇のようにもミュージカルのようにも思える。ある種、少女漫画が昇華した究極の姿の一つではないか。
ファンション・ファデで登場した、アンリがこちらでも登場するのはファンには嬉しいところ。
74年と言うから30年以上前の作品である。というか、私とほぼ同い年だ。
それでも今なお読みたいと思わせる作品の力は凄い。

名香智子
花の美女姫/
最初はちょっと読みにくいな、と感じたが、やはりぐんぐんと引き込まれた。
何というのだろうか。設定も、展開も、描写も、弾けるように奔放で、こうした作品を描ききる事ができる才能と、それを掲載し出版する事ができる時代に、ただただ感嘆した。
表題は、主人公の華麗なる双子の青年の名から取られている。フランス人と日本人のクォーターで、金髪の長髪にクールな碧眼、長身で細腰で、文武に長け、強引な行動力を備え、人望の篤い生徒会長(と副会長)で、審美眼厳しく、それでいて女性にはほとんど興味を示さず、資産家で、名門共学校に通う、という双子なのである。どうだ参ったか、という他無い。そしてそんな凄いキャラを背負える名前は、長男が氏家 美女丸・尊猛流(ソンモール)・ド・ロシュフォール、次男は氏家 姫丸・華猛流(カーモール)・ド・ロシュフォール、二人合わせて美女姫である。よくまあこれしかないというような名前を思いついたな。
まさに「キャラクター」というべきこの双子を軸に、日本とフランスを股に掛けて、コメディありシリアスあり、もちろんラブコメありの絢爛豪華な物語が怒濤の如く展開される。
ストーリーの綾や展開の技巧で読ませるのではなく、もう本当に、美女丸はじめ個性派のキャラが、ガンガンにページを引っ張っていく。心地よい力業。大衆演劇のようにもミュージカルのようにも思える。ある種、少女漫画が昇華した究極の姿の一つではないか。
ファンション・ファデで登場した、アンリがこちらでも登場するのはファンには嬉しいところ。
74年と言うから30年以上前の作品である。というか、私とほぼ同い年だ。
それでも今なお読みたいと思わせる作品の力は凄い。
PCECR/イースI・II/日本ファルコム
PS3のフィットネスゲーム、フィット・イン・6では、運動している時、PS3に取り込んだ音楽をBGMに流す事ができる。
PS3には手持ちのゲームサントラを多数取り込んでいるので、そうした名曲を聴きながらだと、大変気分良く運動する事ができるのだ。
二十年以上前に購入したファルコムBOXなどのCDも当然入っているので、イースなど懐かしの古代サウンドもしょっちゅうかかる訳だが、そうこうしているうちに、妻がすっかりイースの曲のファンになってしまった。
結婚したあとにゲームをするようになった妻は、当然イースなんぞという骨董ゲームは未経験である。そこで、まあ、古いゲームだけど、試しにプレイしてみるか~?という流れとなったわけである。
ただし、いくらオリジナル版ソフトを持っているからといって、今さらプレイ用に9801や8801を用意する訳にはいかない。コンシューマ移植をプレイするのが妥当なところだろう。となれば、割合評価が高いとされるPCエンジン版を、WiiのVCでプレイするのが、至便且つ極上の選択かな、と判断した。
もちろん、コレクションからイースI・IIを引っ張り出してきて、PCエンジンROM2実機でプレイする手もある訳だが、PCエンジンは常設してないし、手間暇考えると、さくっと800WiiポイントでDLしてしまった。
都合17時間程、連休に集中プレイしてクリアした。なお、88と98、MSX2でプレイしているが、PCエンジン版は初である。
まず、オープニングだけで、震えた。凄すぎる。
CD音源の素晴らしいアレンジ曲に、渋いボイスナレーション。
今ですらこのインパクトなのに、当時、ROM^2で初めてこれを観たプレイヤーは、きっとひっくり返ったんじゃなかろうか。そして買って良かったと歓喜の涙を流したろう。
ただ、プレイを進めてゆくに連れ、若干、BGMのアレンジが気になってくる。メロディラインを抑えて、ギタープレイなどを効かせたアレンジが多く、一部でちょっと鼻につく。もっと原曲のメロディを活かした感じの方が良かったのではないか。もちろん、良いアレンジの曲も多数あったのだが。
グラフィクスやゲームシステムも、あまり古さも気にならず楽しめた。
ストーリー細部や謎解きは、すっかり忘れていて笑うほど。しかし、所々、ああ、そういえばこんな展開あったなあ、と思い出して懐かしかった。
スクリプトの質が素晴らしい。制限のあるなか短い文章に込めた表現の味わい。
声優によるボイスとカットインは、割と効果的だったと思う。ただ、BGMとのバランスで、若干聞き取りにくい所もあり、テキストも表示したらなお良かっただろう。
今回四半世紀ぶりにプレイし直して初めて意識したのだが、イース2は、イース1エンド直後のダイレクトな続編なので、1の未経験者がこれ単体だけで遊ぶと、さっぱり意味不明のストーリーとなるだろう。
その意味では、1,2をまとめて一体化したパッケージングは英断だと思う。1のエンドから直接2が始まるので、レベルによる難易度調整とか問題はあるだろうが、プレイ体験としては、この方がより上質なものが得られると思う。
ただ、イース1のエンディングがすっとんでいて、あれ、と思った。ダルク=ファクトを倒すと、いきなりイース2のオープニングが、インターミッション、という感じで始まってしまうのだ。まあ、無理もないか、と思っていたら、なんと、2のクリア後、2のエンディングが流れた後、PCE版のスタッフロールが始まり、1のエンディング曲が使用されていたのである。ちびキャラ寸劇もありとても素晴らしい。キースの着ぐるみとか凝ってるなあ、と驚いた。
その後、結局、コレクションを漁って、PCエンジンCD-ROM^2のソフトを引っ張り出してきた。CDの音楽トラック読めるかな~と期待しての事である。PCのドライブに入れてみるが認識無し。メガCDとかでもそうだけど、時々普通に読めるゲームもあるんだよね。
なんとか吸い出してサントラ作れないかちょっと調査してみようと思う。

日本ファルコム
イースI・II
PS3には手持ちのゲームサントラを多数取り込んでいるので、そうした名曲を聴きながらだと、大変気分良く運動する事ができるのだ。
二十年以上前に購入したファルコムBOXなどのCDも当然入っているので、イースなど懐かしの古代サウンドもしょっちゅうかかる訳だが、そうこうしているうちに、妻がすっかりイースの曲のファンになってしまった。
結婚したあとにゲームをするようになった妻は、当然イースなんぞという骨董ゲームは未経験である。そこで、まあ、古いゲームだけど、試しにプレイしてみるか~?という流れとなったわけである。
ただし、いくらオリジナル版ソフトを持っているからといって、今さらプレイ用に9801や8801を用意する訳にはいかない。コンシューマ移植をプレイするのが妥当なところだろう。となれば、割合評価が高いとされるPCエンジン版を、WiiのVCでプレイするのが、至便且つ極上の選択かな、と判断した。
もちろん、コレクションからイースI・IIを引っ張り出してきて、PCエンジンROM2実機でプレイする手もある訳だが、PCエンジンは常設してないし、手間暇考えると、さくっと800WiiポイントでDLしてしまった。
都合17時間程、連休に集中プレイしてクリアした。なお、88と98、MSX2でプレイしているが、PCエンジン版は初である。
まず、オープニングだけで、震えた。凄すぎる。
CD音源の素晴らしいアレンジ曲に、渋いボイスナレーション。
今ですらこのインパクトなのに、当時、ROM^2で初めてこれを観たプレイヤーは、きっとひっくり返ったんじゃなかろうか。そして買って良かったと歓喜の涙を流したろう。
ただ、プレイを進めてゆくに連れ、若干、BGMのアレンジが気になってくる。メロディラインを抑えて、ギタープレイなどを効かせたアレンジが多く、一部でちょっと鼻につく。もっと原曲のメロディを活かした感じの方が良かったのではないか。もちろん、良いアレンジの曲も多数あったのだが。
グラフィクスやゲームシステムも、あまり古さも気にならず楽しめた。
ストーリー細部や謎解きは、すっかり忘れていて笑うほど。しかし、所々、ああ、そういえばこんな展開あったなあ、と思い出して懐かしかった。
スクリプトの質が素晴らしい。制限のあるなか短い文章に込めた表現の味わい。
声優によるボイスとカットインは、割と効果的だったと思う。ただ、BGMとのバランスで、若干聞き取りにくい所もあり、テキストも表示したらなお良かっただろう。
今回四半世紀ぶりにプレイし直して初めて意識したのだが、イース2は、イース1エンド直後のダイレクトな続編なので、1の未経験者がこれ単体だけで遊ぶと、さっぱり意味不明のストーリーとなるだろう。
その意味では、1,2をまとめて一体化したパッケージングは英断だと思う。1のエンドから直接2が始まるので、レベルによる難易度調整とか問題はあるだろうが、プレイ体験としては、この方がより上質なものが得られると思う。
ただ、イース1のエンディングがすっとんでいて、あれ、と思った。ダルク=ファクトを倒すと、いきなりイース2のオープニングが、インターミッション、という感じで始まってしまうのだ。まあ、無理もないか、と思っていたら、なんと、2のクリア後、2のエンディングが流れた後、PCE版のスタッフロールが始まり、1のエンディング曲が使用されていたのである。ちびキャラ寸劇もありとても素晴らしい。キースの着ぐるみとか凝ってるなあ、と驚いた。
その後、結局、コレクションを漁って、PCエンジンCD-ROM^2のソフトを引っ張り出してきた。CDの音楽トラック読めるかな~と期待しての事である。PCのドライブに入れてみるが認識無し。メガCDとかでもそうだけど、時々普通に読めるゲームもあるんだよね。
なんとか吸い出してサントラ作れないかちょっと調査してみようと思う。
ちはやふる/末次由紀
さあさあ、積み本の中から、満を持しての真打ち登場。
世間での評判は当然知っている。マンガ大賞受賞。最新刊は毎回ランキングトップ。
先行した妻の評価もすこぶる良い。
これでもかっ、という程に期待を込めて読み始めた。
すごい面白い。
取り敢えず、職場でゲットした6巻は一瞬で読み切った。たった今、2周目を読み終わった所である。
読んでいて一番しみじみと伝わってくるのは、作者がどんだけマンガが好きなのか、という事なのである。情熱である。主人公よりも、どんなキャラよりも、作者のこの情熱が、実に気持ちよく届いて、それがこのマンガを読んだ時に感じる、どこか胸のすく感じ、無条件の安心感、何とも言えない暖かな空気、などに繋がっているのだと思う。そんな印象が第一に来る。
マイナーな、競技かるたを題材にした物語である。かるたに魅せられた少女が、少年が、かるたに青春の全てを懸ける、もう100%スポ根マンガで間違いない。
主人公の綾瀬千早は、小学校の同じクラスに転校してきた少年が気にかかっていた。福井なまりで周りから浮いたその少年、綿谷新(あらた)と関わるうち、かるた名人になるという新の夢を打ち明けられる。対戦した新は強かった。新の祖父はかるた永世名人。新も全国学年別の優勝者だったのだ。しかし、千早はそんな新に本気で向かって行き、しかも1枚を取る事ができた。かるたの面白さ、そして情熱もつ事、すなわち本当の意味での「夢」を教えられた千早だった。
千早は、新はかるたなら誰にも負けないといじめっ子連中に啖呵を切る。その言葉通り校内かるた大会で、新は圧倒的な力を見せつける。千早と仲がよいがいじめの中核だった真島太一は決勝で新とまみえる。医者一家に生まれ、敗北を許さない厳格な父母の元、絶対に負けられない太一は、新のメガネを隠してしまう。札が見えない新は暗記力を頼りに善戦するが、やはり後半だんだん苦しくなってくる。見かねた千早が新の代打に立ち、直感的に理解したかるたの戦い方を武器に、太一との激闘を制す。
すっかりかるたの魅力に取り憑かれた千早。千早に引っ張られ、新への牽制で、かるたに付き合う事となった太一。はじめは本気でなかった太一も、競技の中で力を出し、それを認められる事で、かるたの魅力を理解し、そして新への友情が芽生えていった。
しかし、小学6年生は別れの時でもある。太一は遠くの名門中学へ進学が決まり、祖父が倒れた新は福井に戻る事になった。三人チームで出場しようと約束し楽しみにしていた大会も、もう出ないと泣く千早。
かるはた楽しい。でも、仲間がいるから、楽しいのである。一人になるのなら、かるたなんて楽しくない。
新と太一にも事情はある。チームTシャツを造って届けてくれた、二人の気持ち。千早は、二人の後を追い大会に駆け込む。寂しいのは二人も同じなんだ。だから大会は初めてだけど、絶対に勝つ。良い線まで行ったものの、結果として負けてしまったけれど、友情をその場に刻む想いで、千早はかるたを取った。
卒業式の後、引越準備をしながら最後に千早とかるたを取る新。札を読む太一。「たぶん もう会えん…」と泣き崩れる新に、千早は決意を告げる。「あたしたちには かるたがあるから また 会えるんじゃ ないの?」
その3年後、都立瑞沢高校に入学した千早は、期待に胸を膨らませていた。中学では、仲間が見つからず、やむなく陸上部に入って、かるた100%に取り組む事はできなかった。でも、全校生徒1200人のここでなら、きっと仲間が見つかるに違いない。
相変わらず、単純直情、頭の中はかるた100%のかるたバカの千早は、現役女子高生モデルをしている姉同様に美しく成長したものの、口を開かず動かなければなあとガッカリされる「無駄美人」と異名を取っていた。
勧誘が徒労に終わる中、奇遇にも太一も同じ高校に進学していたことを発見する。歓喜して必死に太一をくどく千早だが、中学ではサッカーをメインにやっていた太一は、かるたはしょせん趣味とつれない。
次の大会で優勝してA級になったら一緒にかるた部を創ってと無理矢理約束させた千早。こっそり試合を覗きに来た太一は、千早を見守りながら、小学生の頃指導してくれていた原田先生に、ぽつぽつと語る。「おれ 中学でも かるた やってたんです」「でも わかって くるんスよ」「青春ぜんぶ懸けたって 新より 強くは なれない」
千早は太一の想像以上に強くなっていた。なにより、絶対に勝つ、という気迫。激闘する千早の情熱にあてられ、言葉を失う太一に先生が諭す。「”青春ぜんぶ 懸けたって 強くなれない”?」「懸けてから 言いなさい」
先生の言葉、そして千早の情熱に、目覚める思いの太一は、自分の情熱の持って行き場を知るのだった。
見事優勝してA級に昇進した千早は、長い事音信不通だった新に、その場で電話を掛ける。
しかし電話に出た、声の低くなった新は、よそよそしく電話を切ってしまう。「かるたとか もう やってないから」
ショックを受けた千早と太一は、新に会って真意を探るため福井へ向かうが…、というような出だし。
千早をはじめ、瑞沢高校かるた部のメンバーもライバル達も、どいつもこいつも、凄い負けず嫌いなのが素晴らしい。とことん勝ちにこだわり、全く手を抜かない、抜け目ない。スポ根マンガも色々あるだろうが、友情、努力、勝利、のどれに焦点が来ているのか、という事であれば、このマンガははっきり勝利である。勝利が全てを引っ張っている。すがすがしい程屈託のないその姿勢は、もちろん諸刃の剣であって、食傷して反発する読者や、人間味の薄さを感じる読者もいるだろう。しかし、私はそのハラを決めた作者の覚悟には喝采を送りたい。
キャラも安定して幅広く、丁寧に描かれている。特に、目の描き分けによる表情などが絶妙だ。
千早や太一、新など、主役級はもちろん素晴らしいが、個人的には、かるた部員の、机くんや、かなちゃんの活躍の方が、結構楽しかったりする。とくにC級昇進を懸けた決勝での戦いは、大変感銘を受けた。
また、物語を通しての千早のライバルになるだろう、現クイーンの若宮詩暢も素晴らしい造形だ。千早とは何か友達になりそうな雰囲気。
他の積み本をさっさと消化して、早急に7巻を入手したいと思う。

末次由紀
ちはやふる
世間での評判は当然知っている。マンガ大賞受賞。最新刊は毎回ランキングトップ。
先行した妻の評価もすこぶる良い。
これでもかっ、という程に期待を込めて読み始めた。
すごい面白い。
取り敢えず、職場でゲットした6巻は一瞬で読み切った。たった今、2周目を読み終わった所である。
読んでいて一番しみじみと伝わってくるのは、作者がどんだけマンガが好きなのか、という事なのである。情熱である。主人公よりも、どんなキャラよりも、作者のこの情熱が、実に気持ちよく届いて、それがこのマンガを読んだ時に感じる、どこか胸のすく感じ、無条件の安心感、何とも言えない暖かな空気、などに繋がっているのだと思う。そんな印象が第一に来る。
マイナーな、競技かるたを題材にした物語である。かるたに魅せられた少女が、少年が、かるたに青春の全てを懸ける、もう100%スポ根マンガで間違いない。
主人公の綾瀬千早は、小学校の同じクラスに転校してきた少年が気にかかっていた。福井なまりで周りから浮いたその少年、綿谷新(あらた)と関わるうち、かるた名人になるという新の夢を打ち明けられる。対戦した新は強かった。新の祖父はかるた永世名人。新も全国学年別の優勝者だったのだ。しかし、千早はそんな新に本気で向かって行き、しかも1枚を取る事ができた。かるたの面白さ、そして情熱もつ事、すなわち本当の意味での「夢」を教えられた千早だった。
千早は、新はかるたなら誰にも負けないといじめっ子連中に啖呵を切る。その言葉通り校内かるた大会で、新は圧倒的な力を見せつける。千早と仲がよいがいじめの中核だった真島太一は決勝で新とまみえる。医者一家に生まれ、敗北を許さない厳格な父母の元、絶対に負けられない太一は、新のメガネを隠してしまう。札が見えない新は暗記力を頼りに善戦するが、やはり後半だんだん苦しくなってくる。見かねた千早が新の代打に立ち、直感的に理解したかるたの戦い方を武器に、太一との激闘を制す。
すっかりかるたの魅力に取り憑かれた千早。千早に引っ張られ、新への牽制で、かるたに付き合う事となった太一。はじめは本気でなかった太一も、競技の中で力を出し、それを認められる事で、かるたの魅力を理解し、そして新への友情が芽生えていった。
しかし、小学6年生は別れの時でもある。太一は遠くの名門中学へ進学が決まり、祖父が倒れた新は福井に戻る事になった。三人チームで出場しようと約束し楽しみにしていた大会も、もう出ないと泣く千早。
かるはた楽しい。でも、仲間がいるから、楽しいのである。一人になるのなら、かるたなんて楽しくない。
新と太一にも事情はある。チームTシャツを造って届けてくれた、二人の気持ち。千早は、二人の後を追い大会に駆け込む。寂しいのは二人も同じなんだ。だから大会は初めてだけど、絶対に勝つ。良い線まで行ったものの、結果として負けてしまったけれど、友情をその場に刻む想いで、千早はかるたを取った。
卒業式の後、引越準備をしながら最後に千早とかるたを取る新。札を読む太一。「たぶん もう会えん…」と泣き崩れる新に、千早は決意を告げる。「あたしたちには かるたがあるから また 会えるんじゃ ないの?」
その3年後、都立瑞沢高校に入学した千早は、期待に胸を膨らませていた。中学では、仲間が見つからず、やむなく陸上部に入って、かるた100%に取り組む事はできなかった。でも、全校生徒1200人のここでなら、きっと仲間が見つかるに違いない。
相変わらず、単純直情、頭の中はかるた100%のかるたバカの千早は、現役女子高生モデルをしている姉同様に美しく成長したものの、口を開かず動かなければなあとガッカリされる「無駄美人」と異名を取っていた。
勧誘が徒労に終わる中、奇遇にも太一も同じ高校に進学していたことを発見する。歓喜して必死に太一をくどく千早だが、中学ではサッカーをメインにやっていた太一は、かるたはしょせん趣味とつれない。
次の大会で優勝してA級になったら一緒にかるた部を創ってと無理矢理約束させた千早。こっそり試合を覗きに来た太一は、千早を見守りながら、小学生の頃指導してくれていた原田先生に、ぽつぽつと語る。「おれ 中学でも かるた やってたんです」「でも わかって くるんスよ」「青春ぜんぶ懸けたって 新より 強くは なれない」
千早は太一の想像以上に強くなっていた。なにより、絶対に勝つ、という気迫。激闘する千早の情熱にあてられ、言葉を失う太一に先生が諭す。「”青春ぜんぶ 懸けたって 強くなれない”?」「懸けてから 言いなさい」
先生の言葉、そして千早の情熱に、目覚める思いの太一は、自分の情熱の持って行き場を知るのだった。
見事優勝してA級に昇進した千早は、長い事音信不通だった新に、その場で電話を掛ける。
しかし電話に出た、声の低くなった新は、よそよそしく電話を切ってしまう。「かるたとか もう やってないから」
ショックを受けた千早と太一は、新に会って真意を探るため福井へ向かうが…、というような出だし。
千早をはじめ、瑞沢高校かるた部のメンバーもライバル達も、どいつもこいつも、凄い負けず嫌いなのが素晴らしい。とことん勝ちにこだわり、全く手を抜かない、抜け目ない。スポ根マンガも色々あるだろうが、友情、努力、勝利、のどれに焦点が来ているのか、という事であれば、このマンガははっきり勝利である。勝利が全てを引っ張っている。すがすがしい程屈託のないその姿勢は、もちろん諸刃の剣であって、食傷して反発する読者や、人間味の薄さを感じる読者もいるだろう。しかし、私はそのハラを決めた作者の覚悟には喝采を送りたい。
キャラも安定して幅広く、丁寧に描かれている。特に、目の描き分けによる表情などが絶妙だ。
千早や太一、新など、主役級はもちろん素晴らしいが、個人的には、かるた部員の、机くんや、かなちゃんの活躍の方が、結構楽しかったりする。とくにC級昇進を懸けた決勝での戦いは、大変感銘を受けた。
また、物語を通しての千早のライバルになるだろう、現クイーンの若宮詩暢も素晴らしい造形だ。千早とは何か友達になりそうな雰囲気。
他の積み本をさっさと消化して、早急に7巻を入手したいと思う。
マドモワゼル バタフライ 2巻/小椋アカネ
2巻完結。1巻が好評で続きを描かせてもらえる事になったらしい。だから、うちにある1巻のタイトルには「1」が入っていない。
前巻で蝶々と千夏は一緒に暮らせるようになり、ほのぼのとした幸せな暮らしが始まる。
千夏は父と和解し、そして二人は結婚した。三年がたち、二人は待望の子供を授かる。しかし、二人寄り添い、我が子の健やかな誕生を願う、そんな幸せな日々が音を立てて崩れてゆく。戦争が拡大し、ついに千夏に赤紙が来たのだ。蝶々は異境の空の下の千夏を想いながら、千夏の実家に親身にされ、やがて双子を産む。
千夏は我が子をその手に抱く事もないまま、内地より届いた4歳になるわが子達の写真を手に、レイテ島のジャングルにいた。激化する戦局の中、二人で暮らした慎ましやかな暮らしが、夢の事だったかのように思えてしまう蝶々。幻の欠片をかき集めるような、そんな不安な折り、当局より一通の通知が届いて…。というような流れ。
雰囲気は最高。人物の佇まいとか、表情とか、好みに合うし、非常に美しい。
最後まで、ですます調をベースにした喋りもよい。この辺の雰囲気は絶対平和大作戦 も同様。
ストーリー的には、平凡だが、まあ普通の印象。そこを頑張ったと主張する作品でもないだろう。
トータルとしては、中の中、という所か。
この作者はいつもそうだが、柱の使い方がまずい。とくにネタバレは問題だろう。
マドモワゼル バタフライの過去エントリ

小椋アカネ
マドモワゼル バタフライ 2巻
前巻で蝶々と千夏は一緒に暮らせるようになり、ほのぼのとした幸せな暮らしが始まる。
千夏は父と和解し、そして二人は結婚した。三年がたち、二人は待望の子供を授かる。しかし、二人寄り添い、我が子の健やかな誕生を願う、そんな幸せな日々が音を立てて崩れてゆく。戦争が拡大し、ついに千夏に赤紙が来たのだ。蝶々は異境の空の下の千夏を想いながら、千夏の実家に親身にされ、やがて双子を産む。
千夏は我が子をその手に抱く事もないまま、内地より届いた4歳になるわが子達の写真を手に、レイテ島のジャングルにいた。激化する戦局の中、二人で暮らした慎ましやかな暮らしが、夢の事だったかのように思えてしまう蝶々。幻の欠片をかき集めるような、そんな不安な折り、当局より一通の通知が届いて…。というような流れ。
雰囲気は最高。人物の佇まいとか、表情とか、好みに合うし、非常に美しい。
最後まで、ですます調をベースにした喋りもよい。この辺の雰囲気は絶対平和大作戦 も同様。
ストーリー的には、平凡だが、まあ普通の印象。そこを頑張ったと主張する作品でもないだろう。
トータルとしては、中の中、という所か。
この作者はいつもそうだが、柱の使い方がまずい。とくにネタバレは問題だろう。
マドモワゼル バタフライの過去エントリ
PS2/ファイナルファンタジーXII/スクウェア・エニックス
前回、クリアしたというエントリの中で、モブハントを全てやったと書いたが、実はそうじゃなかった。
モブのリストに新規が出ないようになったので全てクリアかと思い込んでいたのだが、とてつもない敵が潜んでいた。あまりに最強、あまりに凶悪すぎるその存在は、十分に経験を積み、挑むに足ると認められた者にしか明かされない伝説であった。伝説の噂を耳にした私は、さらにイヴァリースを彷徨い、ようやく魔神竜を倒して、モンブランよりランクXであるヤズマットの討伐依頼を受けることに成功した。じつはこのクランの設立目的こそが、師匠を死に追いやった宿敵ヤズマットを倒す勇者を見いだす事なのであった。
という訳で、ヤズマット倒すまで、延々、FF12延長。結局合計50時間をあらたに費やした。
取り敢えずクリア後の70程度のレベルで気楽に挑んで見たが、かなりサクサクとやられた。
何より驚いたのは、ヤズマットのその驚異的な体力&防御力。
こちらがちまちま削るスピードから逆算して、討伐までには数十時間と見積もられる。しかも、FF12のボスではしばしばあるように、討伐間際の凶暴化や硬化は十分に予想されるところだ。
よって、現状での挑戦は無謀なので、強化が必要だ。その方法としては、1.最強装備を求める、2.取り敢えずレベルを上げる、の2つが考えられるが、面倒なので2をチョイス。
以後、レベル上げに特化した装備とガンビットを組み、稼ぎ場所で放置して経験値稼ぎをひたすらやった。
たまにハマってリーダーが死ぬと止まるので、本を読みながら、他のゲームをやりながら、食事をしながら、音を消したテレビ画面を時折見つつコツコツと鍛えたのである。
こうして、レギュラーがLv99に鍛え上がった所で再戦。念のためとして控えメンバーもほぼ90ぐらいまで鍛えておいた。
それでもヤズマットは固かった。
さすがにレベル99であるので、半分ぐらいまでは放置でサクサク削れるが、体力が減ってくると、やはり変化する。攻撃パターンが変わり、硬化し、凶暴化。
残り1割を切った辺りからが本当にきつかった。ヤズマットの特殊攻撃には、「必殺」があり、ほぼ当たる上に一撃死するので、連発されるとキツイ。アレイズの嵐で、MPがバンバン減ってその内ハマってしまう。
幸い、ヤズマット戦は一時離脱できるので、何度も回復&セーブしながら削った。
最後の数パーセントの体力は、本当にこうしてコツコツ削ったが、バトルに時間を掛けすぎると、なんとヤズマットは時々体力を回復しやがる。数時間がパーという事もたびたび。
最後は見かねた妻がマメにセーブしながらちびちび削ってくれた。
こうして苦闘の後、デコイ&リバースなどを掛けて、最後は力業で仕留めたのであった。
このヤズマット戦、他の人も色々工夫しているみたいで、YouTubeには討伐動画が多数上がっていた。十数分などと1時間以内で倒す動画も多く、凄いなーと感心した。装備やガンビットをカリカリにチューンしての挑戦である。ただ、その多くはインターナショナル版のようだったので、直接参考にはできなかったのだが。
という事で、ようやくFF12終わり。
ファイナルファンタジーXIIの過去エントリ

スクウェア・エニックス
ファイナルファンタジーXII
モブのリストに新規が出ないようになったので全てクリアかと思い込んでいたのだが、とてつもない敵が潜んでいた。あまりに最強、あまりに凶悪すぎるその存在は、十分に経験を積み、挑むに足ると認められた者にしか明かされない伝説であった。伝説の噂を耳にした私は、さらにイヴァリースを彷徨い、ようやく魔神竜を倒して、モンブランよりランクXであるヤズマットの討伐依頼を受けることに成功した。じつはこのクランの設立目的こそが、師匠を死に追いやった宿敵ヤズマットを倒す勇者を見いだす事なのであった。
という訳で、ヤズマット倒すまで、延々、FF12延長。結局合計50時間をあらたに費やした。
取り敢えずクリア後の70程度のレベルで気楽に挑んで見たが、かなりサクサクとやられた。
何より驚いたのは、ヤズマットのその驚異的な体力&防御力。
こちらがちまちま削るスピードから逆算して、討伐までには数十時間と見積もられる。しかも、FF12のボスではしばしばあるように、討伐間際の凶暴化や硬化は十分に予想されるところだ。
よって、現状での挑戦は無謀なので、強化が必要だ。その方法としては、1.最強装備を求める、2.取り敢えずレベルを上げる、の2つが考えられるが、面倒なので2をチョイス。
以後、レベル上げに特化した装備とガンビットを組み、稼ぎ場所で放置して経験値稼ぎをひたすらやった。
たまにハマってリーダーが死ぬと止まるので、本を読みながら、他のゲームをやりながら、食事をしながら、音を消したテレビ画面を時折見つつコツコツと鍛えたのである。
こうして、レギュラーがLv99に鍛え上がった所で再戦。念のためとして控えメンバーもほぼ90ぐらいまで鍛えておいた。
それでもヤズマットは固かった。
さすがにレベル99であるので、半分ぐらいまでは放置でサクサク削れるが、体力が減ってくると、やはり変化する。攻撃パターンが変わり、硬化し、凶暴化。
残り1割を切った辺りからが本当にきつかった。ヤズマットの特殊攻撃には、「必殺」があり、ほぼ当たる上に一撃死するので、連発されるとキツイ。アレイズの嵐で、MPがバンバン減ってその内ハマってしまう。
幸い、ヤズマット戦は一時離脱できるので、何度も回復&セーブしながら削った。
最後の数パーセントの体力は、本当にこうしてコツコツ削ったが、バトルに時間を掛けすぎると、なんとヤズマットは時々体力を回復しやがる。数時間がパーという事もたびたび。
最後は見かねた妻がマメにセーブしながらちびちび削ってくれた。
こうして苦闘の後、デコイ&リバースなどを掛けて、最後は力業で仕留めたのであった。
このヤズマット戦、他の人も色々工夫しているみたいで、YouTubeには討伐動画が多数上がっていた。十数分などと1時間以内で倒す動画も多く、凄いなーと感心した。装備やガンビットをカリカリにチューンしての挑戦である。ただ、その多くはインターナショナル版のようだったので、直接参考にはできなかったのだが。
という事で、ようやくFF12終わり。
ファイナルファンタジーXIIの過去エントリ
夏のあらし! 3~8巻/小林尽
結局、入手した2巻までを読んだ直後、古本屋の100円コーナーで大量に見かけてまとめ買い。読み進んで、完結巻まで読了した。
読み始めの時点からは想像も付かない重厚な話であった。大変素晴らしい漫画だったと思う。
この漫画が描いたもの、それを一言で著すなら、「地続きである」という事ではないか。
最終話で、八坂一は横浜から自転車で呉を目指す。来る日も来る日も、夏の太陽の下、汗だくになって坂を上る。そして下り、また上る。
一は、自分の足で、手で、確認したかったのだ。自分が愛した女性を助けようと跳んだ1945年の横浜空襲で、掴みそこね、手をすり抜けて落ちた運命を。自分を守って消えていったあらし。嵐山小夜子が生きた時代。間違いなく生を生きたという証明。そして「今も生きている」という希望。そうしたものへ繋がる道を、自分自身の力で辿る、その象徴としての旅だった。
何日も掛け、体力を削って果てしない距離を走破し、一は呉にたどり着く。
「道って… ホントに… 繋がってるんだな…」
60年前の女性と自分とを結ぶ道は、確かに繋がっていた。
現代の平和な日本。そして1945年の横浜空襲の生き地獄。
どちらの夏にも人はいて、その時代を自分の時代だと感じ、生き、暮らし、そして死んでゆく。
信じられないほど相貌の異なる二つの時代は、しかし、確かに繋がっているのだ。気が滅入る程の隔たりを持ちながら、しかし、同時に「たかだか チャリで 戻れるキョリ」なのである。
そして、「新幹線を使えば(略)4時間で」行けてしまうキョリに過ぎないのだ。
「ここまでの…あの道のりを たったの4時間で」
「それが今 俺は信じられない 貴女にそれを伝えたい」
この「信じられない」という実感を、イメージとして持ち続ける事、それこそがこの漫画の焦点だろう。
横浜と呉は、地続きである。
横浜空襲と現代の平和は、地続きである。
あらしの時代と、一の時代は、地続きである。
そして、さらに、もう一歩踏み込んだ作者の矜持がのぞく。
漫画と戦争は、地続きである。
コメディと戦争は、地続きである。
ラノベ調ギャル漫画と戦争は、地続きである。
戦争とは我々が歩いてきた道であり、今後歩いていく道でもある。平和な日本では、今更戦争?と思えても、果てしなく遠い異世界に思えても、実際には、たったの4時間もあればたどり着いてしまうのだ。技術の進歩はそれをさらに早めるかも知れないし、逆にそこから連れ戻す事にも貢献するかも知れない。いずれにしても、戦争を知らない現代の私たちがすべき事は、そうした世界がかつてあり、そこへ繋がる道は現実のもので、今でも繋がっているのだ、という信じられない実感を、現代の私たちが最も馴染む表現で、感じ続ける事である。
戦争をテーマにした作品は多数ある。もちろん素晴らしい物も多数ある。しかし、そのリアリティを自分自身の日常に関連づけて感じられる物はどれだけあるだろう。こと実感、というものに関して、どれだけの配慮がなされているだろう。戦争を体験した人の実感と、体験していない人の実感は違う。火垂るの墓を観て、その哀しみを想い泣く事はできる。だが、人間はファンタジーでも泣く事ができるのだ。戦争の悲惨さを表現する事と、戦争が現実に存在しうる悲惨さを描く事は、似て非なる物だ。
だから、ただの戦争物語ではなく、戦争を体験していない私たち自身の物語、私たち自身の表現形式として、腫れ物に触る批判を物ともせずこの作品を描ききった作者の意志には感服する。
ゆえに、複雑に入り組んだ物語が分かりにくいとか、結末が意味不明とか、SF的なネタの吟味とか整合性がどうこうとか、もしも批判があったとしても、そういう点は些事でしかない。八坂一の13歳の夏の、あの暑さを、そして熱さを、感じる事ができればそれで良いのだろう。
ただ、個人的には、一が成長したあと、またあの地獄の中で、今度は本当にあらしを助ける、作中では描かれなかったその物語を観てみたいとは思った。
しかし、それは未来の話である(過去でもあるが)。未来は、我々が、読者が、造るものである。我々自身の未来の物語であるがゆえに、それは描かれなかったのである。今日この日は、いつでもその夏へ繋がっているのだから。
夏のあらし!の過去エントリ

小林尽
夏のあらし! 3~8巻
読み始めの時点からは想像も付かない重厚な話であった。大変素晴らしい漫画だったと思う。
この漫画が描いたもの、それを一言で著すなら、「地続きである」という事ではないか。
最終話で、八坂一は横浜から自転車で呉を目指す。来る日も来る日も、夏の太陽の下、汗だくになって坂を上る。そして下り、また上る。
一は、自分の足で、手で、確認したかったのだ。自分が愛した女性を助けようと跳んだ1945年の横浜空襲で、掴みそこね、手をすり抜けて落ちた運命を。自分を守って消えていったあらし。嵐山小夜子が生きた時代。間違いなく生を生きたという証明。そして「今も生きている」という希望。そうしたものへ繋がる道を、自分自身の力で辿る、その象徴としての旅だった。
何日も掛け、体力を削って果てしない距離を走破し、一は呉にたどり着く。
「道って… ホントに… 繋がってるんだな…」
60年前の女性と自分とを結ぶ道は、確かに繋がっていた。
現代の平和な日本。そして1945年の横浜空襲の生き地獄。
どちらの夏にも人はいて、その時代を自分の時代だと感じ、生き、暮らし、そして死んでゆく。
信じられないほど相貌の異なる二つの時代は、しかし、確かに繋がっているのだ。気が滅入る程の隔たりを持ちながら、しかし、同時に「たかだか チャリで 戻れるキョリ」なのである。
そして、「新幹線を使えば(略)4時間で」行けてしまうキョリに過ぎないのだ。
「ここまでの…あの道のりを たったの4時間で」
「それが今 俺は信じられない 貴女にそれを伝えたい」
この「信じられない」という実感を、イメージとして持ち続ける事、それこそがこの漫画の焦点だろう。
横浜と呉は、地続きである。
横浜空襲と現代の平和は、地続きである。
あらしの時代と、一の時代は、地続きである。
そして、さらに、もう一歩踏み込んだ作者の矜持がのぞく。
漫画と戦争は、地続きである。
コメディと戦争は、地続きである。
ラノベ調ギャル漫画と戦争は、地続きである。
戦争とは我々が歩いてきた道であり、今後歩いていく道でもある。平和な日本では、今更戦争?と思えても、果てしなく遠い異世界に思えても、実際には、たったの4時間もあればたどり着いてしまうのだ。技術の進歩はそれをさらに早めるかも知れないし、逆にそこから連れ戻す事にも貢献するかも知れない。いずれにしても、戦争を知らない現代の私たちがすべき事は、そうした世界がかつてあり、そこへ繋がる道は現実のもので、今でも繋がっているのだ、という信じられない実感を、現代の私たちが最も馴染む表現で、感じ続ける事である。
戦争をテーマにした作品は多数ある。もちろん素晴らしい物も多数ある。しかし、そのリアリティを自分自身の日常に関連づけて感じられる物はどれだけあるだろう。こと実感、というものに関して、どれだけの配慮がなされているだろう。戦争を体験した人の実感と、体験していない人の実感は違う。火垂るの墓を観て、その哀しみを想い泣く事はできる。だが、人間はファンタジーでも泣く事ができるのだ。戦争の悲惨さを表現する事と、戦争が現実に存在しうる悲惨さを描く事は、似て非なる物だ。
だから、ただの戦争物語ではなく、戦争を体験していない私たち自身の物語、私たち自身の表現形式として、腫れ物に触る批判を物ともせずこの作品を描ききった作者の意志には感服する。
ゆえに、複雑に入り組んだ物語が分かりにくいとか、結末が意味不明とか、SF的なネタの吟味とか整合性がどうこうとか、もしも批判があったとしても、そういう点は些事でしかない。八坂一の13歳の夏の、あの暑さを、そして熱さを、感じる事ができればそれで良いのだろう。
ただ、個人的には、一が成長したあと、またあの地獄の中で、今度は本当にあらしを助ける、作中では描かれなかったその物語を観てみたいとは思った。
しかし、それは未来の話である(過去でもあるが)。未来は、我々が、読者が、造るものである。我々自身の未来の物語であるがゆえに、それは描かれなかったのである。今日この日は、いつでもその夏へ繋がっているのだから。
夏のあらし!の過去エントリ