読んだり観たり聴いたりしたもの -169ページ目

富豪刑事/ABC

第1回

ひょっとしたら昔全集で読んだかな?と思いながら観たが、読んでなかった事が判明した。
期待していたほどではなかったけど、割合面白かったので、次回も観ようと思う。

最後に、筒井のやっちゃんが出てきたので、笑った。時をかける少女の時も住職役で出ていたのを思い出した。

深田恭子には別に何も期待もしていないので、失望もない。あんなもんだろう。山下真司が良かった。

豪奢な設定の映像を取るのは、つくづく難しいもんだと思った。しかし面白い事も発見した。警察署内はセットだかロケだったか分からなかったが、署長室の扉があんなちゃちな安物の訳がないだろうと思って、実はのっけから冷めた。ほかで予算を使いすぎたのだろう。でも、後の富豪刑事宅の映像などを観る分には、逆にそれぐらい冷めておいた方が、バランスが取れて、結局は良かった。ひょっとしたら、こういう効果をねらって、わざとなのかも。というのは穿ちすぎだろうが。

オンエアバトル爆笑編/NHK総合

2005年1月8日放送分

オンエアバトルはばらつきが大きいが、今回は割と面白い回だった。
ただ、うっかりしてて最初の方をちょっと見逃したのが残念。

18KINは、わりと好きなコンビだが、この日のネタも面白かった。
トータルテンボスのコントは初めて見たが、まあまあ。でも、どちらかと言えば漫才の方が良いかも知れない。
キングオブコメディは、たまたま間が合ったのか、結構笑ってしまった。つっこみ方が、途中一瞬ネタを忘れたようだった。
ハレルヤは、いつもに比べパワーがイマイチな感じ。
360°モンキーズは、しっかり観るのは初めてかも知れない。アメリカザリガニに雰囲気が似てるかも。「そしてこれがオンエアされなかった芸人の分だ」ビンタ、のネタは良かった。

基本的に、マイノリティを異端視するネタは好きじゃない。でも、トータルテンボスの女装癖→カミングアウト→カミングアウト返し、というネタには、異端を笑うという行為を、そろそろ突き抜けようとする気配を、どことは言えないが、わずかに感じて新鮮味があった。笑う事によってマイノリティをマジョリティに持ってくる。その行為がさらに笑いになる、といった感じか。その点、同日のハレルヤのネタの落ちなどは旧態依然と言える。

駅とブランコ ~恋のステイション~/ピストルモンキー(ズ)

忘れていた年始のNHKオンエアバトルのビデオをやっと観た。
普段オンエアバトルは、爆笑編しか観ない。熱唱編は、始まった当時1,2回観て、つまらなかったので観るのを辞めたのだ。

でも、気まぐれでちょっと観てみた。意外にも、番組自体結構楽しめる事を発見した。ちょっと継続して観てみようかという気になったほどだ。

そのビデオ録画した回の勝者の演奏の中で、ピカイチだったのがこれ。

曲もグループも初耳。先ほど調べたらサイトがあったが、残念ながらこの曲は試聴できず、CDも出ていないそうだ。
SARUMANIA メイン

ステイション ステイション 恋のステイション~

魅惑の平成グルーヴ歌謡が、頭について離れない。

はったりくさい外見や音楽スタイルとは裏腹に、演奏もステージも、楽曲も素晴らしい。きっと番組を観てはまったという人も多いだろうと思った。

2005年は、ピストルさんを要チェックだ。

少林サッカー/チャウ・シンチー

関西テレビでやっていたので、観た。
公開当時かなり話題になっていたので、ちょっと気になっていたのだ。

予想とはちょっと違っていたが、まあ面白かった。良い意味で後に残らない映画だと思った。欲を言えば、もうすこしアクがあると良かったかも知れない。日本の伝統的なスポ根スタイルとは異なるようで若干違和を感じた所もあったが、終わった後では、それが何かも忘れてしまう程度のものだった。

オフサイドはもちろん、キックオフ・スローイン・ゴールキーパースローの直接シュートは得点にならないとか、凡人だったらこだわってしまいそうな点を、一切無視していた点が素晴らしい。

演技・アクションではキーパー役の俳優が、特に良かったと思う。

同監督は現在、同じようなカンフーコメディ、カンフーハッスルが公開されているようだが、また、TV公開時に観てみたいと思う。

この監督のスタイルで、ドラゴンボールを実写アレンジして映画化したら、面白いだろうと思う。監督・原作の両ファンはともに評価がまっぷたつに割れるだろうし、実現可能性は低いだろうけど。

亡国のイージス/福井晴敏

著者の代表作をようやく読了。

まず、ひとこと。
とにかく長かった。当然だが、長い事自体が悪ではない。長さを気にさせない小説・たくさんの残りページ数が嬉しい小説ももちろんある。2段組600ページ超は、読んでも読んでも減らず、なんども嘆息した。

つぎに内容。
処女作「川の深さは」は、きっとこの「イージス」の習作なのだろう。同じような話だった。どっちかを読めば、もう片方は読まずともいいだろう。
「川の深さは」にくらべれば、作品のレベルはかなり上がっている。多少は腕を上げたのだろう。その代わり長い。好きな方を選んで欲しいが、初めての人には短い前作をお薦めしたい。

面白いかどうか、という点では、面白い。上質のエンタテインメントとして、万人向けだ。アメリカのアクション映画がすきなひとだったら、間違いなく楽しめると思う。ミステリっぽい仕掛けもある。ただ、やはりそれ以上のものではない。三賞受賞と聞いて期待を持ちすぎて正当に評価できていないのだろうが、それほどの作品ではない、という読後の感触は拭えない。

たぶん、この著者とは、表現の感覚が合わないのだろう。読んでいてまったくしっくり来ない。作者が泣かせようとした場面で、泣きたいなあ、と思っているのに、泣けない。琴糸をかき鳴らして欲しい場面で、最後の一歩が退けている。届いてこない。この本の紹介で、「熱い文章」「熱い台詞」「熱い男たち」と、サウナのように熱い熱いと語られているが、その熱さが上っ面で横滑りしていて、まったく地に足が着いていないのだ。

ストーリーは面白い。壮大ですらある。でもその壮大さに筆が付いていけず、結局は描き切れていない印象だ。無事ストーリーを描き切り、それを読ませ切る。それだけの力は文句なしにあるのだが、残念ながらそこまでだ。どこかの紹介文で、本作を圧倒的筆力とあったが、きっと何かの冗談だろう。

決定的に、人物と世界が描けていないのだ。前作もそうだった。人物は薄っぺらで、出てくる多数の人間の区別が付かないし、唐突な行動も発言も、腑に落ちず理解しがたいまま放っておかれる。熱い台詞をはいて熱い行動を取るが、まるで、俳優がシナリオ通りに動いているようだ。風景描写は紙に書いた絵のようで、テレビ画面を通して見ているかのようにリアル感が無く迫ってこない。カットバックを多用しているにもかかわらず、全く「世界」が浮かび上がってこないのだ。それは、国家を論じるテーマでありながら、結局は物語が狭い部屋の中だけで語られていることにも関係があるだろう。イージス艦という部屋。防衛庁という部屋。部屋を外から見る視点がないから立体感が出ていない。

伝えたい、語りたいという作者の意志だけは非常によく伝わってくるのだ。頑張って一生懸命書いているなあ、と感心する。でも、書いても書いても、その書きたい事だけは伝わってこない。きっとそれが分かっているから作者も文を重ねて、ついつい長文になるのだろう。もう少し文章修行が必要のようだ。

テーマは、ほとんどおまけだと考えていい。自衛隊・九条・戦争・国家。描写が作者の筆に余る以上に、テーマの租借には無理があるようだ。物語を飾るスパイス程度に考えておくのが無難で、決して鵜呑みにするような事はしてはいけない。いうまでもないが、あくまで、お話だ。たまに内容を真に受けた書評を見る事もあるので、誤解の無いように、念のため注意を喚起したい。

最後に、気になった点。
主人公などに命の大切さを吐かせるのはいいが、同時に北朝鮮工作員は抹殺しても平気なダブルスタンダードを気にも留めない薄っぺらさ。しかも、それにうすうす気付いているので、ラストで見え透いたパフォーマンスでお茶を濁していて残念だった。
「許せなさ」がポイントのくせに、一旦は「テロ集団のボス」に成り下がった男に対して敬礼で見送るラストの「許し」など、以心伝心というか予定調和というかご都合主義というか、とにかく納得できない展開と人物の感情変化。そんなに簡単に許せるなら、この物語は始まらないだろう、と思わずにはいられない。無理にまとめすぎ。
強引な展開。無茶をやればなんでもうまくいく、とりあえず「熱ければ」いいと言うような展開や行動は、あまりに度重なると辟易してくる。戦闘シーンが嘘くさくプロレスくさくなってしまう。

著者: 福井 晴敏
タイトル: 亡国のイージス

もうなつかしい平成の年表/清水義範

2004年10月7日読了

ちょっと毛色の変わった本。
世が平成に変わってはや幾年。振り返ってみるといろいろあったね。それって平成だっけ?!そーか、そんな事もあったなあ、と感慨にふける本。その対象が昭和でなくて、平成、という現在進行形の微妙な時期なのがポイントだ。

平成元年から11年間を順に、1月から12月まで、政治国際社会芸能スポーツ科学といったジャンルで、主だった出来事を淡々と列記していく。語られるのは出来事のあらましであり、著者の主観はできるだけ排して書かれている。にもかかわらず、著者一流のリズムが面白い。

特に重要でかつ面白いのは、後知恵で当時の情報を編集していない事。

何年何月になにが起こった、ではなく、何が起こったと「伝えられていた」のかを、記してある点だ。つまり、当時我々がどう思っていたか、どう思わされていたかが、そのまま書かれているのだ。たとえ後に大きな事件のきっかけになる事があったとしても、無理にくっつけていない。
例えば、松本サリン事件の発端では、オウムの名前は出てこず、隣人を事情聴取、とさらりと記してあるだけである。

著者: 清水 義範
タイトル: もうなつかしい平成の年表

新シルクロード「第1集 楼蘭 四千年の眠り」/NHK総合

2005年1月2日放映

前日に見た予告通り新シリーズが始まった。第1回はシルクロードの要衝として栄えそして忽然と歴史から消えた幻の王国「桜蘭」について。

この桜蘭という国は史記にも登場するのだが、5世紀には消滅したため、その実態が余りよく分かっていない。なにせ、タクラマカン砂漠の端に位置するこの国の遺跡は、乾燥・強風・寒暖差など特有の厳しい自然環境にあり、そこへ辿り着くのにさえとてつもない困難を伴うからだ。
この桜蘭の遺跡を初めて発見したのは有名な探検家のヘディンだが、このとき彼の弟子が、地元民から砂漠にある奇妙な墓所の存在を聞きつけ発見したのが、今回のメインとなる、小河墓、と呼ばれる墳墓遺跡である。場所は桜蘭より西へ100km。
この墳墓は、この弟子の発見以来、今回の発掘調査の直前の2001年まで、まったく忘れ去られていたそうだ。
この墳墓の発掘調査によれば、この遺跡は今から4000年前のものであり、桜蘭に先立ちタクラマカン砂漠に栄えた最初の都市の遺跡ではないか、と考えられている。

発掘される出土品もミイラも、保存状態が素晴らしく、アイスマンを初めて見た時ぐらいに驚いた。棺や墓標などは、湖陽と呼ばれるヤナギ科の木を使って作られているが、例えば墓標は、露出部分ですらまだ朽ちずに原型をとどめているほど丈夫なのだ。現地のことわざに、「湖陽は三千年を生きる。生えて千年。立ち枯れて千年。倒れて千年」というようなものがあるらしい。
さらには、墓標の砂に埋もれている部分や棺の木部などは、今さっき作りました、と言っても通るぐらいだった。被せられている毛皮やミイラの着ている毛織物もまったく傷んでいなかった。そしてミイラ。独自の防腐技術が発達していたようで、顔面には白いワックスのようなものが塗られていたが、そのために、安らかな眠りの表情すら分かるほどの保存状態だった。まつげや唇もそのまま保存されているのだ。

そして彼女はコーカソイドなのだという!棺に納められた小袋には、当時アジアにはまだ伝わっていなかった麦の種籾が入っていた。つまり、それは中国で一番古い麦なのだ。

さらに興味深かったのは、埋葬の形式が、ほぼ桜蘭の遺跡と同じだった点。間違いなく、桜蘭を作ったのは、彼女の子孫だろう。

この直後に、アーカイブスで25年前の「桜蘭王国を掘る」をついでに見たので、さらに面白かった。

新シリーズの特徴として、とにかく映像が美しかった。これは映像技術の進歩はもちろん、GPSを始めロケをするためのあらゆる技術が発達したため、いい絵をじっくり待って撮れたからだろう。旧シルクロードがまさに探検記、と言った感があったのと比べ面白い変化だと思った。
また、モーターパラグライダーによる低空をゆっくり飛ぶ映像は、本当に見ているだけで面白い。別にシルクロードでなくても構わない。たとえ大阪の市街地でもいい、何時間でも、ただひたすら飛んで撮影した映像をそのまま放送して欲しいぐらいだ。市街地は難しいと思うので、大きな河川を下る/遡る、というのはどうか。橋をどうパスするか難しそうだが。電線も。

とにかく、映像を見ているだけでわくわくする番組だ。次回が非常に楽しみ。

プロローグ「25年目のシルクロード」/NHK総合

2005年1月1日放映。

NHK放送開始80年、シルクロード放送25周年を記念して制作・放映されるシリーズ番組、新シルクロードの紹介番組。

2部構成になっており、第1部は25年前の映像に登場した人物の消息を訪ね、第2部は、番組の音楽に焦点を当てた構成だった。

第1部では、とにかく成長著しい中国の底力と変容を見せつけられた。25年前、取材班の乗り付けた自動車を、集まってきた群衆が物珍しげに見つめていた広場が、今や複数車線のロータリーになっていた。また、玉を探して老人が裸足で歩いていた河原のきれいな浅瀬は、実力者がヘクタール単位で買い付け、重機で掘り返す採掘所になりはてていた。南喬鉄道のSLがたどり着く駅舎さえなかった最果ての鉄道兵の街は、観光車両を引くディーゼル機関車が並ぶ、鉄道の要衝として大きな街になっていた。月日は移り変わる。25年の歳月を実感することは、20代の頃は当然ながら、なかった。30を過ぎてから、四半世紀の単位の時間の流れを、肌にしみて感じるようになった。

第2部では、音楽監督として迎えたチェリストのヨーヨー・マと彼が結成したシルクロードアンサンブルのメンバーが登場。テーマ曲・挿入曲の演奏とインタビュー、そして、シルクロードアンサンブルの結成から番組音楽の作成ドキュメントで構成されていた。番組のために結成し音楽を作成したのかと思っていたが、さにあらず。かつてのシルクロードのように東西の音楽家の交流を深め、ひいては人類共通の言語である音楽を通じて人類の相互理解を深めようと言う、ヨーヨー・マが実践していた理念を番組に持ち込んだもののようだ。まさにうってつけ。
楽曲はどれも素晴らしい出来映えだ。またその作成過程やその曲に込められた想いが、裏側としてかいま見られたのも興味深かった。
テーマ曲も良いが、番組最後にスタジオ演奏した「キャラバンらサライの夜」がまた特に良かった。番組音楽という縛りを超えて、今その場で演奏されている臨場感がまさにこの曲を引き立てていた。パーカッションが特に秀逸だと思う。サントラCDは購入予定だが、「この」演奏は入っていないだろうと思うと、とても残念なほどだった。

小鳥の歌からヒトの言葉へ/岡ノ谷一夫

2004年1月14日。

ジュウシマツの鳴き声を分析する研究を通じ、人間が言語を獲得した進化についての知見を与えようとする。さらっと読み流すと何でもないが、よくよく考えると、非常に無理があるのでは?飛躍が過ぎるのでは?と心配になるテーマだろう。複雑な鳴き声を好む雌の存在が淘汰圧となり雄の鳴き声は複雑化し、そこには文法の存在さえ見て取れる、と著者は言う。

書籍自体は、とても読みやすくて面白い。それは、たんたんと研究報告のみを述べるドライな本ではなく、発送から推論、実験の準備や実施はもちろん、研究活動の細々を、生き生きと綴っているところにあるのではないか。こうしたリアルなライブ感は、実際の実験を担当した学生などの実名がきちんと表に出ている所などに端的に表れているだろう。とても好ましい形式だと思う。

実験の結果や表題でもあるその大胆な推論については、読者により受け取り方は様々だろう。

著者: 岡ノ谷 一夫
タイトル: 小鳥の歌からヒトの言葉へ

死体を語ろう/上野正彦

2004年2月11日読了。

ベストセラー「死体は語る」の著者で検死・法医学の第一人者が、10人の著名人との死体対談をまとめたもの。

たまたま手にとったので、読んでみた。ちなみに上記のベストセラーはまだ読んでいない。

居酒屋で死体をネタに話が盛り上がった、という感じだ。さらっとカラっと、面白く読めるので、暇つぶしにはちょうど良い。誰でもいつかは死体になるわけで、自分自身がなるであろうモノについての知識を得ておくのは良いことだ。ただ、それなら、多分、上記のベストセラー本の方が向いていると思う。此方は、まとまりも悪くあくまで対談者を楽しむ読み物だろう。

著者: 上野 正彦
タイトル: 死体を語ろう