(好きな作曲家100選 11~20のまとめ 1501~1600年) | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

今回は演奏会の感想ではなく、別の話題を。

「好きな作曲家100選」シリーズの第11~20回のまとめである。

 

 

11. ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ(1525頃-1594 イタリア)

12. オルランド・ディ・ラッソ(1530/32-1594 ベルギー)

13. ウィリアム・バード(1539/43-1623 イギリス)

14. トマス・ルイス・デ・ビクトリア(1548頃-1611 スペイン)

15. ヤコポ・ペーリ(1561-1633 イタリア)

16. ヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンク(1562-1621 オランダ)

17. カルロ・ジェズアルド(1566頃-1613 イタリア)

18. クラウディオ・モンテヴェルディ(1567-1643 イタリア)

19. ジローラモ・フレスコバルディ(1583-1643 イタリア)

20. ハインリヒ・シュッツ(1585-1672 ドイツ)

 

 

括弧内の国名は、生地の現国名である。

生年が1501~1600年の作曲家から10人選んだ。

時代としては概ねルネサンスにあたる。

 

 

国別の内訳は、イタリアが5人、ベルギーが1人、イギリスが1人、スペインが1人、オランダが1人、ドイツが1人。

イタリア人が半分を占めることとなった。

前回の第1~10回(1500年以前)の作曲家の内訳が、フランス・ベルギーが7人、トルコ(文化的にはギリシア)が2人、イタリアが1人だったのと比べると、ルネサンス期に音楽の中心地がフランス・ベルギーからイタリアへと移っていったことが分かる。

もちろん、私が好きな作曲家を勝手に選んだだけなのだけれど。

 

 

ところで、西洋でルネサンス期の音楽が奏されていた頃、東洋の日本では戦国時代の音楽が栄えた。

室町時代に発展した申楽(現在は能または能楽と呼ばれる)が、戦国時代には織田信長、豊臣秀吉、徳川家康ら時の権力者たちに愛好され、武家社会における格式高い音楽劇として最盛期を迎えた。

その点で、申楽は草創期のオペラに似ている。

しかし、オペラがバロック期に宮廷から歌劇場へと場所を移して一般大衆の間で発展を続けたのに対し、申楽はあくまで武家社会の庇護下にとどまったため、江戸時代になるとより大衆的な歌舞伎に人気の座を譲ることとなる。

 

 

一方、器楽の分野でも、公家文化の中で平安時代末期以降大きな変化なく硬直気味だった雅楽に代わって、戦国時代に新たな風が吹くこととなる。

九州は久留米の僧だった賢順(1534頃-1623頃)は、九州に渡来した中国(明)の鄭家定に琴や箏を学び、また雅楽や歌謡の要素も取り入れて、筑紫箏と呼ばれる新たな器楽流派の創始者となった。

賢順の弟子の法水はのちに江戸に出て八橋検校を教え、その八橋検校は現代に伝わる箏曲のほぼすべての流派の基を作ったため、そのきっかけとなった賢順は近代箏曲の祖とも呼ばれる。

それまでの雅楽とは違った新しい箏曲を突然作り出してしまった彼は、きっと天才的な人物だったのだろう。

 

 

九州で隆盛した筑紫箏だったが、先に述べた申楽と同様、武家文化としての格式を重んじ大衆化を拒んだため、その後の大きな発展は望めなかった(対する八橋検校の流派は枝分かれしながら江戸や上方の大衆文化の中で発展していった)。

江戸時代から明治大正昭和にかけて細々と続いてきた筑紫箏の系譜は、村井れい(1887‐1958)、井上ミナ(1895‐1995)の二人を最後に途絶えてしまう。

彼女たちの録音は残されているようであり、今回YouTubeで紹介したかったのだが、残念ながら見つけられなかった。

私たちの時代に人知れず廃絶した貴重な文化の一例である。

 

 

なお、好きな作曲家100選シリーズのこれまでの記事はこちら。

 

前書き

1~10のまとめ 1500年以前(古代・中世とその周辺)

 

 


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