(好きな作曲家100選 1~10のまとめ 1500年以前) | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

今回は演奏会の感想ではなく、別の話題を。

「好きな作曲家100選」シリーズの第1~10回のまとめである。

 

 

1. セイキロス(1~2世紀頃 トルコ)

2. カシアーニ(805/10-865頃 トルコ)

3. ジャウフレ・リュデル(12世紀中頃 フランス)

4. レオニヌス(1150頃-1201頃 フランス)

5. シャンパーニュ伯ティボー4世(1201-1253 フランス)

6. アダン・ド・ラ・アル(1240頃-1287/88頃 フランス)

7. フィリップ・ド・ヴィトリ(1291-1361 フランス)

8. フランチェスコ・ランディーニ(1325頃-1397 イタリア)

9. ギヨーム・デュファイ(1397頃-1474 ベルギー)

10. ジョスカン・デ・プレ(1450/55-1521 フランス/ベルギー)

 

 

括弧内の国名は、生地(不明の場合は関連地)の現国名である。

生年が1500年以前の作曲家から10人選んだ。

時代としては概ね古代・中世にあたる。

 

 

さて、ここでついでに、東洋の古代・中世音楽についても触れておきたい。

東洋音楽では作曲者と伝承者とが明瞭に分けられないことが多く、「好きな作曲家」としていいかどうか判断に迷うこともあって、これまで東洋の音楽家を挙げてこなかった。

しかし、西洋に劣らず東洋においても古代から音楽が盛んであった。

 

 

古代ギリシアで前古典期・古典期の音楽が栄えていた紀元前500年前後、春秋時代の中国の強国、斉の首都だった臨淄は当時世界でも五本の指に入る大都会で、その地で華やかな宮廷音楽に接した孔子は感激のあまり三か月間肉を食べても味が分からなかったという。

時代が下り、古代ローマでヘレニズムの音楽が流れていた紀元前後、前漢代の中国で五経の一つ「礼記」が編纂されたが、その中の「投壷」に“魯鼓”と“薛鼓”という二種類の鼓の楽譜が含まれる。

これが、現存する東洋最古の楽譜であろう。

私はこの曲を聴いたことがないのだが、鼓ならばリズムのみでメロディはないのかもしれない。

 

 

東ローマ帝国でビザンツ聖歌が成立しつつあった中世前期、南北朝時代の中国では南朝の古琴の名人、会稽の丘明(494-590)が「幽蘭」という秘曲を宜都の王の陳叔明に伝えたが、それを写した楽譜「碣石調幽蘭第五」がなんと日本に残された。

メロディを持つ完全な曲としては、現存する東洋最古のものである。

文章譜という古い記譜法で書かれ、難解なため完全な解読は困難のようだが、ともかくも解釈され演奏されている。

 

 

 

 

「碣石調幽蘭第五」の楽譜は、この動画に見られるように文章によって演奏法が記されており、現代の琴の楽譜のように漢字を記号的に用いて音程を示す記譜法とは全く異なる。

文章譜を読めない私には、この演奏が当時の音楽をどれだけ忠実に再現しているのか、あるいはほとんど後世の自由な解釈の賜なのか、判断できない。

ただ、もしここに聴かれるような音楽が南北朝時代の中国で奏されたのだとしたら、それは同時代の西洋音楽に全く劣るものではないと思う。

 

 

その後、唐代になると現代の減字譜や工尺譜と呼ばれるものに近い文字譜が現れる。

日本に残された8世紀の「天平琵琶譜」、奈良末期~平安中期の「五弦譜」、9世紀の「琵琶諸調子品」、10世紀の「南宮琵琶譜」や「博雅笛譜」、中国に残された10世紀の「敦煌琵琶譜」といった楽譜によって、唐代の様式を偲ぶことができる。

時代が下りロマネスク・ゴシック期になると、宋代の中国で13世紀初頭に「白石道人歌曲」や「風雅十二詩譜」が著される一方、平安後期以降の日本では中国の影響からやや脱し国風の特色を持つに至った11世紀の「源経信筆琵琶譜」、12世紀末の琵琶譜「三五要録」や箏譜「仁智要録」、笛譜「管眼集」や笙譜「古譜呂律巻」、14世紀の篳篥譜「芦声抄」といった数多くの楽譜が書かれ、現代まで残された。

その多彩さは西洋の聖歌の写本に匹敵するものであり、中世までは「声楽の西洋、器楽の東洋」といっても過言ではないだろう。

 

 

そしてこれらの古楽譜は、中国以上にむしろ日本で数多く残されているのが興味深い。

現存する世界最古の印刷楽譜も、実は日本の「声明集」(1472年)で、これは現存する西洋最古の印刷楽譜よりも一年早いという。

西ヨーロッパと日本でこのように文化的な遺産がよく保存されているのは、遊牧騎馬民族の襲来とそれに伴う支配民族変化が少なかったことが大きいだろう。

西ヨーロッパも日本も、それぞれユーラシア大陸の西と東の果てにあり、文化的にも辺境の地だったけれど、その分トルコ人もモンゴル人もこんなところまでは本気で攻めてこなかった。

また、西ヨーロッパは騎士、日本は武士という完全には官僚化・貴族化しなかった武張った支配層が異民族の侵入を防ぎ、文化の破壊や散逸が免れた。

 

 

こうしてみると、西ヨーロッパと日本は驚くほどよく似ている。

中世前期、西ヨーロッパはビザンツ帝国、日本は唐という先進国の文化的影響下にあるちっぽけな存在だったが、1000年頃を境に独自の発展がみられだし、西ヨーロッパではパリが、日本では京都が文化都市となった。

15~16世紀には、西ヨーロッパはルネサンス、日本は戦国時代という群雄割拠・下剋上の戦乱の世になり、商人出身のメディチ家も農民出身の豊臣家もみな出自へのコンプレックスもあってか積極的に文化を保護して、各地方都市への文化普及が進んだ。

17~18世紀には、西ヨーロッパは絶対王政、日本は幕藩体制にて中央集権化が進み、江戸やロンドンやパリは大都市として、清の首都北京やオスマン帝国の首都イスタンブールに迫るまでになった。

19~20世紀には、革命や近代産業によりさらに上り詰め、かつての東西の辺境の地は列強として世界に君臨するのだが、それは後の話。

とにかく、西ヨーロッパと日本は双子のように似ていた。

 

 

しかし、似ていたとはいえ、次回から述べていく1500年以降の世界において、西ヨーロッパの科学・思想・芸術面での大きな発展は、贔屓目に見てもその多彩さと力強さにおいて日本より秀でていたと言わざるを得ないだろう。

音楽においても、それは例外ではない。

というわけで、やはり専らヨーロッパの作曲家を取り上げていくことになると思うが、それでも他地域の音楽にも抗しがたい魅力があり、今後もこうしてときどき少しだけ触れることをご容赦いただけたらと思う。

 

 


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