(好きな作曲家100選 その3 ジャウフレ・リュデル) | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

今回は演奏会の感想ではなく、別の話題を。

「好きな作曲家100選」シリーズの第3回である。

 

 

前回の第2回では、9世紀ビザンツ帝国の作曲家カシアーニのことを書いた。

そのあと1000年頃を境に、衰退しゆくビザンツ帝国に代わって、西ヨーロッパの文化が少しずつ花開いていく。

 

 

西ヨーロッパ各地の教会や修道院が文化の牽引役となった。

修道院で歌うべきグレゴリオ聖歌を覚えるやすくするため、北イタリアで活躍した修道士のグイード・ダレッツォ(991/992-1050頃)によって階名(いわゆるドレミ)が作られた。

また、彼は譜線を使って音高をきっちりと指示する記譜法を推奨した。

彼のドレミおよび譜線記譜法は徐々に西ヨーロッパ中に浸透し、音楽を記す環境が整っていった。

 

 

ロマネスク期(11~12世紀)の西ヨーロッパ文化は、教会改革で有名なクリュニー修道院などにみられるように、主に南フランスを中心に栄えていく。

音楽においても同様で、南フランス各地の教会や修道院で聖歌が盛んに作られ、それらはリモージュのサン・マルシャル修道院に集められて大切に保存された(その写本は現在も残されている)。

これらの聖歌を聴くと、当時の修道士たちの敬虔で質朴な精神世界がありありと浮かんでくる。

 

 

一方、この頃から宗教音楽のみならず世俗音楽も残されるようになる。

南フランスの吟遊詩人、トルバドゥールたちの登場である。

彼らの歌はオック語という、当時の南フランスの独特な味のある言葉で歌われ、そのテーマはたいてい、身分違いの女性への忠実で献身的な精神愛だった。

代表的なトルバドゥールとしては、アキテーヌ公ギヨーム9世(1071-1127)、ジャウフレ・リュデル(12世紀中頃)、マルカブリュ(12世紀中頃)、ベルナルト・デ・ヴェンタドルン(1130/40頃-1190/1200頃)、ベルトラン・デ・ボルン(1140頃-1215以前)などがいて、王侯貴族から身分の低い者まで実に幅広い。

一般的にはベルナルト・デ・ヴェンタドルンの評価が高いように思うが、ここは一つ、私の好みでジャウフレ・リュデルを取り上げたい。

 

 

ジャウフレ・リュデル(ジョフレ・リュデルとも呼ばれる)は、12世紀に活躍した南フランスの下級貴族出身のトルバドゥールである。

彼の生涯は謎に包まれている。

伝説によると、1147年の第2回十字軍に参加した彼は、会ったことのない美貌のトリポリ伯夫人オディエルナに恋焦がれた。

一度でも会いたいと願うも十字軍の遠征中に病に侵され、やっとのことでレバノンのトリポリにたどり着きオディエルナの腕の中で息絶えたという。

本当にそんなことがあったとは信じがたいが、ともかくもそんな彼の詩が7点現存し、うち4点は音楽も残されている。

 

 

 

 

彼の代表作の一つ、「五月に陽の長くなる頃」(Lanquan li jorn)。

素朴な中にも気高い情熱を秘めた名曲である。

これを聴くと私は、900年の昔、中世ヨーロッパの騎士道精神と南仏の豊かな自然に育まれ、その生涯をまだ見ぬ理想の女性に捧げた桁外れのロマンチストの詩人騎士が、本当にいたような気がしてくる。

 

 

この後、アルビジョア十字軍などを契機に、文化の中心は南フランスから北フランスへと移っていく。

南フランスの文化の多くは廃れてしまい、その意味でも現代まで残されたトルバドゥールたちの歌は貴重な遺産である。

 

 

なお、好きな作曲家100選シリーズのこれまでの記事はこちら。

 

前書き

1. セイキロス

2. カシアーニ

 

 


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