(好きな作曲家100選 その2 カシアーニ) | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

今回は演奏会の感想ではなく、別の話題を。

「好きな作曲家100選」シリーズの第2回である。

 

 

前回の第1回では、帝政ローマ前期の作曲家セイキロスやメソメデスのことを書いた。

そのあと4世紀頃、帝政ローマ後期になると、コンスタンティノポリス(現トルコのイスタンブール)の町が徐々に栄えだし、文化の中心地となっていく。

また同じ頃、キリスト教が勢力を強めて公認・国教化され、音楽文化と密接にかかわるようになる。

 

 

コンスタンティノポリスではキリスト教聖歌が歌われ、それがネウマという原始の音符のような記号で記録されるようになった。

ネウマ、なんていうと仰々しいけれど、最初は単に音高の上がり下がりを線で記したくらいの単純なものだった。

私の実家にある浄土真宗のお経にも、その詩句の横に、歌い方の調子を表すネウマに似た記号が書いてある。

キリスト教独自の発明、というほど複雑なシステムではない。

ただ、これまで使われてきたメソポタミア式記譜法やギリシア式記譜法が、楔形文字やアルファベットを使った文字譜だったのに対し、ネウマは文字を使っておらず、文字を知らなくても読めるのが画期的といえばそうかもしれない。

これが今後少しずつ発展し複雑化して、最終的に現代の五線譜になるのである。

 

 

ローマ帝国は分裂前から西方よりも東方で文化的発展を遂げており、初期キリスト教聖歌の発展も東方が中心となった。

現存最古のキリスト教聖歌であるオクシリンコス出土の「三位一体の聖歌」(3世紀末、まだネウマでなくギリシア式記譜法)も東方であるし、有名なヒラリウス(310頃–367頃)やアンブロジウス(339頃–397頃)による西方教会聖歌の制作も、シリアのエフレム(306頃-373)が書いたマドラーシャーなど当時の東方教会聖歌を範としている。

そしてローマ帝国分裂後、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の首都となったコンスタンティノポリスは、5~6世紀には世界第一の都市にまで発展した。

キリスト教聖歌(ビザンツ聖歌)もますます盛んに作られ、5世紀にはトロパリオン、6世紀にはロマノス・メロドス(5世紀後半-555以降)らによりコンタキオンという形式の聖歌が発展した。

7~8世紀にはイスラム教が誕生し、ビザンツ帝国はその勢いに押されることになるが、この頃(いわゆる「暗黒時代」)にも音楽の発展は続き、クリトのアンドレイ(650頃-712/26/40)やダマスコのイオアン(676頃-749)らによりカノンという形式の聖歌が成立した(なお一般的な音楽用語のカノンとは別)。

そして、9~10世紀にはビザンツ帝国が勢いを取り戻し再興期に入り、音楽的にも全盛期を迎えるが、この頃に活躍した作曲家がカシアーニ(805/810-865頃)である。

 

 

カシアーニ(カッシアとも呼ばれる)は、名の知られている中では最古の女性作曲家である。

コンスタンティノポリスの裕福な家庭に生まれ、修道院を設立して聖職者として活動したという。

容姿と知性に恵まれたといい、皇帝テオフィロスとの悲恋の伝説もあるようだが、真偽のほどは分からない。

彼女の書いた聖歌がいくつか残されている。

 

 

 

 

彼女の代表作の一つ、「聖水曜日のためのトロパリオン」。

同時代の西ヨーロッパのグレゴリオ聖歌などと比べ、ほのかな東方の香りともに、彼女個人の音楽的才能を感じる。

当時としては異例な広い声域の伸びやかなメロディ、他の聖歌にない自由な感性の閃きが聴かれる。

この当時、女性作曲家が名を馳せ、自作を他の修道士たちに歌わせ、後世まで残るビザンツ聖歌として定着させるには、並々ならぬ努力と才能が必要だったに相違ない。

その資格が彼女にはあったことがよく分かる一曲。

 

 

ところで、彼女が活躍したビザンツ帝国の再興期(9~10世紀)には、オリエントから地中海南岸・西岸にかけて、イスラム教の勢力が隆盛を誇った。

文化的にも大いに栄え、例えば文学について、有名な「千夜一夜物語」の原型はこの頃にできた。

音楽も同様で、ビザンツ帝国の首都コンスタンティノポリスは当時世界第二の都市だったが、世界第一の都市だったアッバース朝の首都バグダード(現イラク)ではマウシリー父子やマフディー、世界第三の都市だった後ウマイヤ朝の首都コルドバ(現スペイン)ではジルヤーブといった作曲家が活躍し、その音楽は大変に魅力的だったらしい。

ぜひ聴いてみたいところだが、当時のイスラム音楽には記譜の習慣がなかったのだろう、彼らの楽譜や演奏音源に巡り会えたことは残念ながらまだない。

 

 

これまで書いてきたように、この頃まで音楽文化は主にオリエントやギリシアを中心に発展を遂げてきた。

西ヨーロッパはまだ文化的に辺境の感が否めず、多くを東方からの影響に負っていた。

しかし、この頃からグレゴリオ聖歌がまとめられ、スイスのザンクト・ガレン修道院で聖歌に新たな歌詞が付けられるなど(トロープスやセクエンツィアと呼ばれる)、徐々に独自の音楽文化が発展し始める。

次回以降、そんな草創期の西ヨーロッパ音楽をとりあげていきたい。

 

 

なお、好きな作曲家100選シリーズのこれまでの記事はこちら。

 

前書き

1. セイキロス

 

 


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