(好きな作曲家100選 その1 セイキロス) | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

今回は演奏会の感想ではなく、別の話題を。

「好きな作曲家100選」シリーズの第1回である。

 

 

好きな作曲家を時代の古い方から順に書いていく、と前回の前書きに書いたけれど、では最初の作曲家とは誰だろうか。

それはおそらく分かっていない。

人類最初の音楽は、おそらく歌だったのではないかと思うけれど、言葉と同じく、いつ頃生まれたのかを推定するのは難しい。

アウストラロピテクス(猿人)は歌を歌っただろうか、あるいはホモ・エレクトス(原人)は、ネアンデルタール人(旧人)は?

 

 

その後、人類は楽器を使うようになった。

確実に楽器とされるもので最古のものは、ドイツのウルム近郊の洞窟で発見された約4万年前の骨の笛らしい。

これを作ったのは、ホモ・サピエンス(現生人類)とのこと。

最古級の美術作品とされる南フランスのショーヴェ洞窟壁画にも年代的に近く、確かにもっともらしい。

文明が始まるずっと以前から、人類は音楽や美術に親しんでいたのだろう。

 

 

紀元前3~4千年以降、文明が始まってからは、メソポタミア(現イラク)が長らく文化的に最先端だったが、音楽においてもそうらしい。

メソポタミアの全盛期に近い紀元前20世紀頃の粘土板がイラクのニップルから出土しているが、そこにはメロディの断片が記されている。

「世界最古のメロディ」である。

また、メソポタミアの人たちは、いくつかの旋法と、そのためのリラ(竪琴)のチューニング法を会得していたようである。

四大文明というけれど、他の三つの文明ではこのような音楽の記譜や理論がみられるのはずっと後のことであり、メソポタミア文明の先進性が窺われる。

 

 

その後、メソポタミアの繁栄は少しずつ翳りをみせることになるが、その文化は周辺地域へ伝播していく。

メソポタミアの「ギルガメシュ叙事詩」がユダヤやギリシアの神話に影響を与えたのと同様、音楽も西方に影響を与えずにはいなかった。

地中海東岸の町ウガリト(現シリア)からは、フルリ語の聖歌が書かれた紀元前1250年頃の粘土板が出土しているが、そこにはアッカド式(メソポタミア式)記譜法で書かれた楽譜が併記されている。

なかでも、「h. 6」と名付けられたものについては、欠損がなく一曲まるまる残存している。

「世界最古の完全な曲」である。

ただし、作曲者は分かっておらず、楽譜の解読も困難で、5種以上の解釈があるらしい(そのうちの一つを五線譜に書き直したものがこちら)。

 

 

この後間もなく、ウガリトの町はいわゆる「海の民」によって破壊されてしまうが、その文化はさらに西方へと伝わっていく。

紀元前500年前後には、ギリシア前古典期・古典期の文化が花開く。

オリエント(東方)の影響のもと、音楽理論がさらに精緻に体系づけられ(ピタゴラス一派など)、また聖歌やギリシア悲劇など様々な局面で音楽が彩りを添えた。

ギリシア式記譜法も発達したが、この時期の曲は残念ながら現代に残されていない。

紀元前429年頃、ソフォクレスの書いた悲劇の最高傑作「オイディプス王」が初演され、3人の役者とコロス(合唱)によって壮大な音楽が鳴り響いたに違いないけれど、私たちには想像することしかできない。

 

 

しかし、幸いにもギリシア文化は、その後のヘレニズム期において(それまでとは逆に)オリエントへと伝えられた。

史上初の百万都市ともいわれるエジプトの大都市アレクサンドリアには、50万ものパピルスの蔵書を収めた図書館があったようだが、こうしたギリシアの文化力とオリエントの経済力の融合により、いくつかの文化的遺産が現代まで残された。

エジプトには、エウリピデスの悲劇「オレステス」など、いくつかのギリシア式記譜法による楽譜の書かれたパピルスが、ほんの断片だが残されている。

これらは、ギリシア古典期の音楽と全く同じわけではないのだろう。

それでも、ギリシア音楽の貴重な遺産が断絶しなかったのは嬉しい。

 

 

そして、帝政ローマ期になっても、ヘレニズム文化は引き継がれた。

紀元後1~2世紀頃にセイキロスという人の書いた歌が刻まれた石碑が、ローマ帝国でも5本の指に入る大都市エフェソスの近隣(現トルコのアイドゥン近郊)から出土している。

この歌には、ギリシア式記譜法による楽譜が付いている。

これは、「世界最古の作曲者の分かっている完全な曲」であろう。

解読も、多少の幅はあるがそれほど大きな異同はない。

セイキロスという人についてはほとんど何も知られておらず、残された作品もこれ一曲だけだが、ともかくこの歌は彼の妻に捧げられ、その墓石に書かれたものらしい。

 

 

 

 

「セイキロスの墓碑銘」と呼ばれるこの歌は、ウィキペディアによると、歌詞は以下の通り。

 

“生きている間は輝いていてください

思い悩んだりは決してしないでください

人生はほんの束の間ですから

そして時間は奪っていくものですから”

 

 

こんなに短い一曲のために、セイキロスを作曲家100選に入れてしまうのもどうかとは思う。

しかし、そうは言ってもこの曲、世紀の名旋律ではないだろうか。

シンプルだが、根源的な感動がある。

これを聴くと私はいつも、遠い遠い2000年もの昔、トルコのヘレニズムの町に吹いたであろう風を感じて、また太古の昔から変わらぬ人の思いを感じて、何だか気の遠くなるような思いがするのである。

 

 

このほか、帝政ローマ時代の作曲家としては、ハドリアヌス帝のお気に入りだったクレタ島の作曲家メソメデスがいる(紀元後2世紀)。

彼らが使用したギリシア式記譜法は、以後使われなくなっていくのだが、それでもギリシア音楽の理論や旋法は、これ以後の西洋音楽にも細々と、しかし大きな影響力をもって受け継がれることとなる。

 

 

なお、好きな作曲家100選シリーズのこれまでの記事はこちら。

 

前書き

 

 


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