(好きな作曲家100選 その8 フランチェスコ・ランディーニ) | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

今回は演奏会の感想ではなく、別の話題を。

「好きな作曲家100選」シリーズの第8回である。

 

 

前回の第7回では、14世紀のフランスの作曲家、フィリップ・ド・ヴィトリやギヨーム・ド・マショーのことを書いた。

彼らのアルス・ノーヴァ(新技法)の音楽が始まった頃、そうしたフランス音楽の隆盛を羨ましげに眺めていた人々があった。

イタリア人たちである。

少し前の13世紀頃から、イタリアではラウダと呼ばれる宗教歌が歌われ、またトロヴァトーレと呼ばれる吟遊詩人たちにより世俗歌が歌われたが、これらはまだ単純な単旋律音楽であった。

1320年に書かれたイタリアの音楽家マルケット・ダ・パドヴァの著作には、当時ナポリを支配していたフランスのアンジュー伯の宮廷で流れる精妙なフランス多声音楽への、賞賛と羨望の記述があるという。

 

 

しかし、この頃からイタリア音楽は急速に発展する。

流行の伝播は速いもので、1320年にまだ単旋律だったイタリア音楽は、ナポリのアンジュー伯の宮廷を介した南方からの影響か、はたまたフィリップ・ド・ヴィトリが出入りしたアヴィニョンの教皇庁を介した北方からの影響か、1320年代末には早くも多声が主流となった。

こうして14世紀に突然花開いたイタリアの多声音楽を、「トレチェント音楽」あるいは「イタリアのアルス・ノーヴァ」と呼ぶ。

トレチェントとはイタリア語で「300」、つまり1300年代(14世紀)を意味する言葉である。

 

 

フランスの多声音楽がパリ大学を中心に発展したのと同様に、イタリアでもまずはパドヴァ、ボローニャといった古い大学の町が音楽の中心地となった。

14世紀前半の初期トレチェント音楽の作曲家としては、マギステル・ピエロ、ジョヴァンニ・ダ・カッシャ、ヤコポ・ダ・ボローニャらがいる。

彼らによって、フランスのアルス・ノーヴァの影響を受けながらも少し違ったイタリア独自の記譜法が発展し、また中世マドリガーレやカッチャといったイタリア独自の多声音楽形式が生まれた。

 

 

その後、14世紀後半になると、イタリア音楽の中心は学問の町から経済の町へと移っていった。

中でも、毛織物工業で目覚ましい繁栄を遂げた町、フィレンツェ。

この特筆すべき町では、少し前の時代には詩人ダンテや画家ジョットが文化的発展の先鞭をつけ、トレチェント音楽の頃にはペトラルカやボッカッチョといった人文主義者たちが活躍した(ペトラルカのフィレンツェとの関係は間接的だが)。

そんなフィレンツェを中心に栄えた盛期トレチェント音楽の作曲家としては、ゲラルデッロ・ダ・フィレンツェ(1320/25頃-1362/63)、ロレンツォ・ダ・フィレンツェ(?-1372/73)、そしてフランチェスコ・ランディーニ(1325頃-1397)らがいる。

 

 

トレチェント音楽最大の作曲家とされるランディーニは、イタリアにおける最初の真の音楽の巨匠ともいわれる。

ドイツにおけるハインリヒ・シュッツのような存在と言えるだろう。

ランディーニはフィレンツェのサン・ロレンツォ聖堂に勤め、作曲家のみならず歌手、詩人、オルガニストとしても名声を博した。

彼は、その頃中世マドリガーレやカッチャに取って代わったバッラータと呼ばれる形式の多声音楽を数多く作曲した。

 

 

 

 

彼の3声のバッラータの一つ、「ノン・ド・ラ・コルパ・テ」(Non dò la colp' a te)。

フィリップ・ド・ヴィトリの優美なフレンチ・アルス・ノーヴァに対し、ランディーニのイタリアン・アルス・ノーヴァは、どちらかというと「甘美」という言葉が似合う。

イタリア音楽特有のあの甘い美しさは、19世紀のロマン派の時代に初めて作られたわけではなく、もっとずっと以前からあったことが分かる。

 

 

ゴシック期からルネサンス期への橋渡しの時期にイタリアで花開いたトレチェント音楽。

この後、15世紀になるとフィレンツェはメディチ家の保護の下さらなる文化的発展を遂げ、ルネサンスの一大拠点として、ゴシック期までのフランスの文化的優勢をついにひっくり返した。

フィレンツェを中心に、美術では15世紀前半のブルネレスキ、ドナテッロ、マサッチョ、15世紀後半のボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、思想ではマキャヴェリといった錚々たるイタリア文化人たちが活躍した。

音楽もそうなるかに見えたが、しかし、音楽だけはそうはいかなかった。

ある地域で突然、他地域の音楽家たちを軒並み駆逐するほどの才能が多数輩出したためだが、それについては次回以降に述べたい。

 

 

なお、好きな作曲家100選シリーズのこれまでの記事はこちら。

 

前書き

1. セイキロス

2. カシアーニ

3. ジャウフレ・リュデル

4. レオニヌス

5. シャンパーニュ伯ティボー4世

6. アダン・ド・ラ・アル

7. フィリップ・ド・ヴィトリ

 

 


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