(好きな作曲家100選 その5 シャンパーニュ伯ティボー4世) | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

今回は演奏会の感想ではなく、別の話題を。

「好きな作曲家100選」シリーズの第5回である。

 

 

前回の第4回では、1200年前後のパリのノートルダム楽派の作曲家、レオニヌスとペロティヌスのことを書いた。

同じ頃、宗教音楽のみならず世俗音楽においても、その中心が南フランスから北フランスへと移りつつあった。

12世紀南フランスの吟遊詩人をトルバドゥールと呼んだが、13世紀北フランスの吟遊詩人はトルヴェールと呼ぶ。

トルバドゥールは当時の南フランスの言語であるオック語で歌ったのに対し、トルヴェールは現代フランス語の原型であるオイル語で歌った。

 

 

一説には、アキテーヌ公ギヨーム9世(彼もまた最初期のトルバドゥールだった)の孫、公女アリエノール・ダキテーヌがフランス王室(カペー朝)のルイ7世に嫁いだ際、南フランスからトルバドゥールをたくさん引き連れて行ったために、北フランスにもその伝統が伝わってトルヴェールが生まれた、とも言われている。

この説には否定的な見解もあるようだが、ともかくも何らかの形で南から北への影響があったことは確かだろう。

 

 

代表的なトルヴェールとしては、コノン・ド・ベテュヌ(1150頃-1219)、リシャール獅子心王(1157-1199)、ガス・ブリュレ(1160頃-1220頃)、シャンパーニュ伯ティボー4世(1201-1253)、アダン・ド・ラ・アル(1240頃-1287/88頃)などがいて、これまたトルバドゥール同様出自が多彩である。

帝王十字軍で有名なリシャール獅子心王(イングランド王リチャード1世とも呼ばれる)の歌には彼の壮絶な生涯に見合った哀愁が漂うし、他にも色々と良いものがあるが、今回特に取り上げたいのはシャンパーニュ伯ティボー4世である。

 

 

シャンパーニュ伯ティボー4世(ナバラ王テオバルド1世とも呼ばれる)は、父の早逝により1201年に生まれながらにしてシャンパーニュ伯位を継承、また1234年にはナバラ王位をも継承した、古今の作曲家でも特に位の高い一人である。

フランス王室カペー朝のルイ9世の母后ブランシュ・ド・カスティーユと恋に落ち、彼の詩の多くは彼女に宛てたものとされる。

これだけ位が高いのに、あえてさらに位の高い王太后に恋するなんて、と言ってはいけない。

身分違いの恋は、トルバドゥールやトルヴェールたちにとって宿命なのである。

そんな彼の70ほどある抒情詩はダンテにも影響を与えたほどで、そのうちいくつかにはメロディが伝えられている。

 

 

 

 

彼の代表作の一つ、「貴女よ、慈悲を」(Dame, merci)。

南フランスの熱い生(なま)の情熱を感じさせたトルバドゥールのジャウフレ・リュデルに比べると(その記事はこちら)、トルヴェールのティボー4世の歌はもう少し落ち着いた装いをしているが、これが北フランスの流儀なのかもしれない。

加えて、彼の歌には伯位継承者たる威厳というべきか、高貴なる風格のようなものがあって、それが彼をしてトルヴェールの中でも特別な魅力を持たせしめている。

パリのシテ宮殿の一室で、彼と王太后ブランシュはリュートを鳴らしながらこうして歌い合ったのだろうか。

 

 

ところで、北フランスでトルヴェールたちが活躍していたのと同じ頃、ドイツにも吟遊詩人が現れ、ミンネゼンガーと呼ばれた。

ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ(1160/80頃-1220頃以降)、ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ(1170頃-1230頃)、タンホイザー(1205頃-1270頃)といった有名なミンネゼンガーたちの歌を聴くと、リュデルやティボー4世の情熱的で優美な歌とは全く違った、どこか生真面目でお堅い印象を受ける。

この頃からすでに音楽の地域差があったことが窺われて面白い。

 

 

なお、好きな作曲家100選シリーズのこれまでの記事はこちら。

 

前書き

1. セイキロス

2. カシアーニ

3. ジャウフレ・リュデル

4. レオニヌス

 

 


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