今回は演奏会の感想ではなく、別の話題を。
「好きな作曲家100選」シリーズの第9回である。
前回の第8回では、14世紀のイタリアの作曲家、フランチェスコ・ランディーニのことを書いた。
彼はイタリアのトレチェント音楽の代表的作曲家だが、その後14世紀末~15世紀初頭になると、そのトレチェント音楽とフランスのアルス・ノーヴァとの融合が起こり、アルス・スブティリオルと呼ばれる複雑で洗練された音楽様式が生まれた。
アルス・スブティリオルの作曲家としては、フィリップス・デ・カゼルタ、アントネッロ・ダ・カゼルタ、マッテオ・ダ・ペルージャ、ヨハンネス・チコーニア(1373頃-1412)らがいる。
そして、そのチコーニアを皮切りに、15世紀頃からフランドル地方出身の音楽家が多数現れる。
フランドルとは、現在のフランス東部およびベルギーあたりを指す。
前回のランディーニの記事で、イタリアのフィレンツェが毛織物工業で栄えた旨書いたが、フランドルもフィレンツェに並ぶ毛織物工業地域だった。
毛織物工業は当時きわめて重要な産業だったのだろう、フィレンツェ(を中心とするイタリア)とフランドルは大きく繁栄し、ルネサンス期の二大文化拠点となった。
特に、14世紀半ばから15世紀半ばにかけての百年戦争に重なる期間には、フランドルはブルゴーニュと合併して強大なブルゴーニュ公国となり、公国ながら王国にも比すべき栄華を誇った。
フランドル楽派(フランドル-ブルゴーニュ楽派とも呼ばれる)の始祖とされるのが、ギヨーム・デュファイ(1397頃-1474)である。
ちょうど、彼と同世代の画家ヤン・ファン・エイクが、初期フランドル派の始祖(の一人)とされるのと対応している。
ただ、初期フランドル派の美術が、イタリアとは別個に発展したローカルな様式とされるのに対し、デュファイの場合は違う。
彼は、アルス・スブティリオルを通じてフランスとイタリアの音楽を、またジョン・ダンスタブル(1390頃-1453)を通じてイギリスの音楽を習得し、これらを統合して全く新しくかつ普遍的なルネサンス期音楽のスタイルを見事に確立したのだった。
そんなデュファイも、20~30歳代頃の作品と思しきミサ・シネ・ドミネなどを聴く限り、最初はまだ彼より100歳ほど先輩のギヨーム・ド・マショーのミサとあまり変わらないゴシック期風の硬さを持っていた。
その後、イタリアの明るい旋律美やイギリスの三度・六度の柔和なハーモニーを取り入れ、また楽章間の主題の統一(循環ミサと呼ばれる)や曲構成の高度な均整美(黄金分割に基づく)にもこだわった、大規模で完成度の高いルネサンス建築にも譬うべきミサ曲が作られる。
50歳代頃のミサ・ス・ラ・ファス・エ・パル、ミサ・ロム・アルメ、60歳代頃のミサ・エッチェ・アンチルラ・ドミニなどがそれにあたる。
そして、最晩年の70歳代頃には、彼の最高傑作ともいわれる4声のミサ曲、ミサ・アヴェ・レジーナ・チェロールムが作曲された。
「ミサ・アヴェ・レジーナ・チェロールム」(Missa Ave regina caelorum)より第1楽章 キリエ(Kyrie)(なお全曲聴くにはこちら、YouTubeページに飛ばない場合はhttps://www.youtube.com/watch?v=WAmZ9FYvNPo&list=OLAK5uy_nMx9CmToKaAubvzAL7X3Nj6LXMub1ggR8&index=8&t=0sのURLへ)。
私は、作曲家の晩年の曲をとりわけ愛することが多く、今後の作曲家選でも晩年の作ばかり取り上げることになりそうだが、今回はその初めである。
デュファイ最晩年のこの美しいミサには、旋法のみならず調性(長調や短調)の萌芽がすでにみられ、これらを巧みに対比させた書法により、安らぎや哀しみ、慈しみのようなものさえ感じられる。
特に、第5楽章アニュス・デイの中頃に突如現れる、短調風の部分の哀切なる表現が印象深い(アニュス・デイはこちら)。
デュファイをもって、ルネサンス期の音楽が始まったとされる。
彼の群を抜いた偉大さとその影響のためか、フランドルには彼に続いて才能ある音楽家が次々出現したのに対し、盛期ルネサンスのもう一方の雄フィレンツェ(を中心とするイタリア)にはフランドルに比肩しうる音楽家がしばらく現れず、同地で活躍した音楽家の多くがフランドル出身だった。
美術においてはフランドル以上に華やかだったにもかかわらず、である。
美術のイタリア、音楽のフランドルともいうべきこの差異は興味深い。
ロマネスク期、ゴシック期と続いたフランス(・ベルギー)音楽の優勢は、ルネサンス期においても未だ衰えを知らないのだった。
なお、好きな作曲家100選シリーズのこれまでの記事はこちら。
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