今回は演奏会の感想ではなく、別の話題を。
「好きな作曲家100選」シリーズの第10回である。
前回の第9回では、15世紀のフランドル-ブルゴーニュ楽派の始祖、ギヨーム・デュファイのことを書いた。
彼に続いて、この楽派は驚くべき隆盛期を迎える。
栄華を極めたブルゴーニュ公国は、シャルル突進公の戦死によって弱体化し、15世紀末にはフランドル部分はハプスブルク家の神聖ローマ帝国領となる(なおブルゴーニュ部分はフランス王国領となった)。
しかし、ブルゴーニュ公国が滅んだ後もフランドル楽派の勢いは衰えず、才能ある音楽家が多数輩出した。
ジル・バンショワ(1400頃-1460)、ヨハネス・オケゲム(1410/30-1497)、アントワーヌ・ビュノワ(1430頃-1492)、ハインリヒ・イザーク(1450頃-1517)、ジョスカン・デ・プレ(1450/55-1521)、ピエール・ド・ラ=リュー(1452頃-1518)、ヤーコプ・オブレヒト(1457/58-1505)、アドリアン・ヴィラールト(1490頃-1562)、ニコラ・ゴンベール(1495頃-1560頃)、ジャック・アルカデルト(1504/05-1568)、クレメンス・ノン・パパ(1510/15-1555/56)、チプリアーノ・デ・ローレ(1515/16-1565)、オルランド・ディ・ラッソ(1532頃-1594)等々、ルネサンス期のフランドルは百花繚乱の様相を呈していた。
彼らはフランス・ドイツ・イタリアのあらゆる都市で雇用され、飛ぶ鳥を落とす勢いで西ヨーロッパの音楽界を席巻した。
中でも、ジョスカン・デ・プレは最も偉大な音楽家であった。
ルネサンス美術最大の人物といわれるレオナルド・ダ・ヴィンチと生きた年代がほぼ重なる彼は、まさに音楽におけるレオナルド・ダ・ヴィンチと言えるだろう。
レオナルド・ダ・ヴィンチもジョスカン・デ・プレも、イタリアやフランスの各地を渡り歩いて活躍、生前から西ヨーロッパ中に名声が鳴り響き、その生涯は盛期ルネサンスそのものであった。
あるいは、ジョスカン没後の1567年にフィレンツェの文学者コジモ・バルトリが述べたように、“オケゲムの弟子ジョスカンは、音楽において自然の怪物であったと言える。建築や絵画や彫刻におけるミケランジェロのように”と言ってもいいかもしれない。
プロテスタントのマルティン・ルターでさえ、“ジョスカンは楽譜の名人。楽譜はジョスカンの思うままでなければならぬ。他の歌の名人は楽譜の思うままでなければならぬ”と称賛した。
ジョスカン・デ・プレは、デュファイが確立しオケゲムらが発展させたルネサンス期のミサ曲を、最高の完成度に高めた。
下声部で既存の旋律を、上声部で新しい旋律を歌わせていた“伴奏とメロディ”のようなそれまでの書法とは違った、既存の旋律の変形主題を少しずつタイミングをずらして全ての声部に歌わせる、のちのフーガに近い書法を確立した。
これを「通模倣様式」と呼ぶが、これによってミサ曲の全声部が完全に対等になり、対位法的書法が完成したといえる。
彼の完全なミサ曲としては18曲が現存しており、「ミサ・ラ・ソ・ファ・レ・ミ」や2つの「ミサ・ロム・アルメ」など傑作揃いだが、上述の通模倣様式が確立したのは、晩年の60~70歳代頃(1514年以降)に書かれた彼の最後のミサ曲「ミサ・パンジェ・リングァ」においてであった。
「ミサ・パンジェ・リングァ」(Missa Pange lingua)より第1楽章 キリエ(Kyrie)の冒頭部分(なお全曲聴くにはこちら)。
抒情的でさえあったデュファイ最晩年のミサに比べ(その記事はこちら)、この曲はジョスカン最晩年の作とはいえ感傷や諦念のようなものはあまり感じられず、むしろ清新なる生命力に満ちている。
主題は既存の聖歌に拠りながらも、その旋律線はより活発な動きに変えられ、各声部で優美かつ華やかに飛翔する。
曲の作りもより劇的になり、例えば第3楽章クレドの中頃「Et incarnatus est」では、各声部が同時に動くホモフォニックで静謐な音楽に突然変わって、イエス・キリストの神聖なる生誕と自己犠牲とを感動的に描き出す(この箇所を聴くにはこちら、動画の10:10あたり)。
これはその後に続く、イエスの復活を力強く歌う「Et resurrexit tertia die」のポリフォニックな音楽と好対照をなす。
これを聴くと私は、ベートーヴェンの交響曲第9番終楽章の中頃、「ひざまずくか、諸人よ」に始まるホモフォニックで静謐な合唱と、その後に続く壮大な歓喜の二重フーガとの好対照を思い出すのである。
さらにその後の「Et ascendit in caelum」では、音階上行音型がイエスの昇天を高らかに表現する。
その音楽的雄弁さは、ヴァーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の蠱惑的な愛の法悦の音階上行音型をさえ思い出させる。
もちろん、ベートーヴェンやヴァーグナーのロマン的な表現と比べると、ジョスカンはずっとおとなしい。
しかし、宗教的敬虔さとキリストの劇的な物語とを絶妙なバランスで描くこのミサ曲の清澄な古典的均整美は、後世のベートーヴェンやヴァーグナーからはもはや望むことができない。
レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」やミケランジェロの「最後の審判」にも比すべき、ジョスカン渾身の「最後のミサ曲」である。
ロマネスク期には南フランス、ゴシック期には北フランス、ルネサンス期にはフランドル、と約500年もの間ずっと西洋音楽界の最先端をひた走ってきたフランス・ベルギー音楽は、1500年前後にジョスカン・デ・プレらによって偉大なる頂点を迎えた。
あれほど長く隆盛を誇ったフランス・ベルギー音楽も、ついに下り坂となる日がやってくる。
フランス・ベルギー音楽が同様の大きな頂点を再度迎えるのはもっとずっと後、クロード・ドビュッシーらが活躍した1900年前後を待たねばならなかった(その間に、フランソワ・クープランらによる1700年前後のやや小さな頂点があったけれど)。
ジョスカン・デ・プレとクロード・ドビュッシー、彼らは二大巨頭としてフランス・ベルギー音楽史に燦然と輝いている。
なお、好きな作曲家100選シリーズのこれまでの記事はこちら。
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