(好きな作曲家100選 その15 ヤコポ・ペーリ) | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

今回は演奏会の感想ではなく、別の話題を。

「好きな作曲家100選」シリーズの第15回である。

 

 

前回の第14回では、16~17世紀の後期ルネサンスのスペインを代表する作曲家、トマス・ルイス・デ・ビクトリアのことを書いた。

イギリス、スペインと各国で栄えた後期ルネサンス音楽について触れてきたが、ここでもう一度、16世紀後半からヨーロッパ音楽界を牽引する存在となったイタリアに話を戻したい。

この頃のイタリアでは、ある重要な音楽形式の誕生へ向け、非常に活発な動きが起こった。

 

 

16世紀のイタリアの宮廷では演劇が盛んに上演されたが、その幕間に観客が休憩したり飲食したりするロビーのようなスペースはなく、そのまま座りっぱなし(場合によっては立ちっぱなし)だった。

そんな観客の気晴らしのために、演劇の幕間にインテルメディオと呼ばれる音楽劇が上演されるようになった。

インテルメディオを持つ喜劇として有名な1525年上演の「クリツィア」や1526年上演の「マンドラゴラ」は、台本をマキャヴェリ、音楽をフランスの作曲家フィリップ・ヴェルドロ(1480/85-1552以前)が書いている。

 

 

その後、インテルメディオは本来メインであった演劇を追い越すほどの人気を獲得し、大きく発達していった。

中でも、1589年にフィレンツェの大公フェルディナンド・デ・メディチとクリスティーナ・ディ・ロレーナの結婚式で上演された喜劇「ペレグリーナ」のインテルメディオは、何人もの作曲家が音楽を手掛けた豪華なもので、この後も他の喜劇に差し込まれて複数回上演された。

この大行事で音楽を担当したジョヴァンニ・デ・バルディ(1534-1612)、ジュリオ・カッチーニ(1545/51-1618)、エミリオ・デ・カヴァリエリ(1550頃-1602)、ルカ・マレンツィオ(1553/54-1599)といった錚々たる作曲家たちの中に、当時27歳だったヤコポ・ペーリ(1561-1633)がいた。

 

 

ローマで生まれフィレンツェで音楽を学んだペーリは、いくつかの教会で務めた後、フィレンツェのメディチ家の宮廷で仕えた。

1570~80年代のフィレンツェには「カメラータ」と呼ばれる、古代のギリシア悲劇を復興しようする文化人たちのサークルがあり、その活動の結晶が上述の「ペレグリーナ」のインテルメディオだったが、その後すぐにこのカメラータは衰退してしまった。

1590年代には別のカメラータができ、その音楽分野における中心人物となったのが、30歳代になり脂ののりだしたペーリである。

前のカメラータで音楽の中心人物だった先輩カッチーニは、頭角を現すようになったペーリと激しく対立した。

 

 

ペーリは、1594年頃から支援者と共同して、カメラータで議論された古代ギリシア悲劇の理論や物語に上述のインテルメディオの音楽語法を組み合わせ、音楽劇「ダフネ」を作り上げた。

これが、オペラの誕生である。

オペラは音楽史の中でも珍しく、自然発生的ではなく意識的に作られたジャンルであった(20世紀の十二音音楽のようなものか)。

この作品は1598年に上演されたが、残念ながら楽譜は現存しない。

しかし、彼の次の作品で、この2年後の1600年に上演された「エウリディーチェ」は、現存する最古のオペラとなった。

 

 

1600年にマリア・デ・メディチとフランス王兼ナバラ王アンリ4世の婚礼の祝典で上演された、カッチーニら作曲の牧歌劇「チェファロの誘拐」は、5時間もの上演時間を持ち、1000以上もの人が携わる盛大な音楽だったが、間もなく忘れ去られた。

その3日前、婚礼のささやかな贈り物として上演されたペーリの「エウリディーチェ」は、2時間弱の小さな演目だったが、大成功を博した。

これに嫉妬したカッチーニは、すぐに「エウリディーチェ」の同じ台本に違う曲を書いて出版した。

かくして、上演されたペーリ版と上演されなかったカッチーニ版、2種類の「エウリディーチェ」の楽譜が残された。

 

 

 

 

ペーリ作曲「エウリディーチェ」よりプロローグ。

オペラ、と言われて現代の私たちが思い浮かべるような派手さはないが、後世のオペラにないまったりとした素朴な味わいが魅力。

それに、これまでに紹介したルネサンス音楽のアルカイックな性質と比べると、音楽に新しい活気が息づいている。

これを聴いた当時の人々は、遠い昔の輝かしい古代ギリシア悲劇が目の前によみがえったような感動を覚えたことだろう。

バロック音楽の開始は明確には定義づけられていないが、この曲をもってそれに充てても良いかもしれない。

 

 

なお、上述の通りカッチーニ版の「エウリディーチェ」もあるが(上のペーリ版の演奏と同じ部分はこちら)、そちらも悪くない。

前のカメラータからずっと関わってきたカッチーニは、オペラの創始者(あるいはギリシア悲劇の復興者)の役回りをペーリに取られたくなかったのだろうし、それだけの自信もあったのだろう。

ただ、カッチーニの歌がやや古風で硬い表情を持つのに対し、ペーリの歌はよりのびのびと自由で晴れやか。

この後も、重唱部分の溌剌としたリズムといい(ペーリ版はこちら/カッチーニ版はこちら)、オルフェオの嘆きの歌(ペーリ版はこちら/カッチーニ版はこちら)や喜びの歌(ペーリ版はこちら/カッチーニ版はこちら)の生き生きとした感情表現といい、ペーリのほうがオペラという新時代の音楽にふさわしい。

 

 

ペーリは、この後もオペラを多数作曲したらしい。

1627年(66歳)、メディチ家の婚礼のために「イオレとエルコレ」を作曲するも、カッチーニの娘で歌手兼作曲家のフランチェスカ・カッチーニ(1587-1640頃)に妨げられお蔵入り(親の仇?)、「フローラ」に変えて翌1628年に後輩と共同で作曲し、どうにか婚礼で上演した。

これら晩年のオペラのために書かれた“イオレの嘆き”(Lamento di Iole)や“クロリスの嘆き”(Lamento di Clori)といった歌も味わい深い。

オペラの創始者たるにふさわしい優れた音楽的才能を有し、かのモンテヴェルディにも影響を与えたかもしれないペーリは、オペラ・ファンにとって決して見過ごせない存在といえるだろう。

 

 

なお、好きな作曲家100選シリーズのこれまでの記事はこちら。

 

前書き

1~10のまとめ 1500年以前

11. ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ

12. オルランド・ディ・ラッソ

13. ウィリアム・バード

14. トマス・ルイス・デ・ビクトリア

 

 


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