今回は演奏会の感想ではなく、別の話題を。
「好きな作曲家100選」シリーズの第13回である。
前回の第12回では、16世紀のフランドル楽派最後の巨匠、オルランド・ディ・ラッソのことを書いた。
後期ルネサンスのこの頃になると、黄昏ゆくフランドル楽派の一方で、西ヨーロッパ各国の音楽文化が栄えるようになった。
パレストリーナの記事(こちら)で紹介したイタリアがその筆頭だが、それに次ぐのがイギリスであろう。
トマス・モアに始まり、ウィリアム・シェイクスピアやフランシス・ベーコンに終わる、華やかなりしテューダー朝のイギリス文化。
音楽においても、ジョン・タヴァーナー(1490頃-1545)、トマス・タリス(1505頃-1585)、ウィリアム・バード(1539/43-1623)、ジョン・ブル(1562/63-1628)、ジャイルズ・ファーナビー(1563頃-1640)、ジョン・ダウランド(1563-1626)、オーランド・ギボンズ(1583-1625)など、数多くの作曲家が活躍した。
今となってはイギリスが音楽の国という印象はあまりないが、この時代は有名どころだけでもこれだけたくさんの音楽家が活躍した、イギリス音楽の全盛期だった。
中でもウィリアム・バードはその頂点ともいうべき存在で、「イギリス音楽の父」とも呼ばれ尊敬を受けている。
パレストリーナを「イタリアのバッハ」とすると、バードはさしずめ「イギリスのバッハ」といったところか。
若い頃から頭角を現した彼は、20歳代にはリンカン大聖堂オルガニスト兼聖歌隊長、30歳代からは王室礼拝堂オルガニストとして活躍しながら、鍵盤楽器曲、室内楽、宗教合唱曲と多彩な音楽を書いた。
カトリック信者だった彼は、当初エリザベス1世から破格の保護を受けるものの、40歳代にはイギリス国教会からの弾圧に悩まされる。
50歳代からはカトリック系貴族の保護の下、エセックスのスタンドン・マッシーに移住し、名高い3つのミサ曲(1592-95年頃)などを書いた。
一方でイギリス国教会の音楽も書いており、50~60歳代に書かれた「グレイト・サーヴィス」は彼の最高傑作の一つである。
70歳代には、最初期の鍵盤楽器印刷譜「パーセニア」(それまでは専ら筆写譜だった)に、最晩年の様式による味わい深い数曲を残した。
ファンタジア イ短調 BK13。
晩年好きの私としては「グレイト・サーヴィス」や「パーセニア」の数曲も捨てがたいが、今回はあえて若書きのこの曲を選びたい。
以前の記事に「声楽の西洋、器楽の東洋」と書いたが(その記事はこちら)、古代・中世と千年以上にわたって西洋音楽の楽譜のほとんどは声楽曲であり、私もこれまでの12回の記事で全て声楽曲を取り上げてきた。
それが、この頃から事情が変わるのである。
ルネサンス期に入ると、ブクスハイムオルガン曲集(1460-70年頃)など、西洋でも器楽曲の楽譜が出始める。
その中心となった楽器は、オルガンやチェンバロ(またはより小型のクラヴィコードやヴァージナル)といった鍵盤楽器であった。
スペインのアントニオ・デ・カベソン(1510-1566)、イタリアのアンドレア・ガブリエリ(1532/33-1585)といった先駆者たちを経て、バードがルネサンス期最大の鍵盤楽器作曲家となった。
「フィッツウィリアム・ヴァージナル・ブック」と呼ばれる、イギリスを中心に当時の各国の作曲家たちによる300曲以上もの鍵盤楽器曲を集めた貴重な筆写譜がある。
そこに収録された一曲である、このファンタジア。
1563年以前に書かれたようだが、成熟した対位法的書法のみられるこの作品、20歳そこそこの青年の手になるとはとても思えない。
同時代の類似作品を通り越して、50年後のフレスコバルディ、あるいは150年も後のJ.S.バッハをさえ指し示すかのような音楽である。
鍵盤楽器音楽の原点の一つとして、ピアノやエレクトーンに携わる多くの方にお聴きいただきたい一曲。
教会音楽はもちろんのこと、鍵盤楽器曲や(今回あまり触れなかったが)室内楽にも名曲を残し器楽の礎を作ったバードは、「イギリス音楽の父」であるとともに「西洋器楽の父」とも言えるかもしれない。
バードの弟子たちもそれを引き継ぎ、後期ルネサンスのイギリスは器楽の一大拠点となった。
バロック期以降のイギリスでは、文学・思想・科学の分野の発展が続いたのに対し、イギリス音楽が後期ルネサンスの頃のように大陸の音楽を圧倒するほどの存在感を示すことはもはやなかった。
ただ一人の天才を除いては。
その人物については、また追って取り上げたい。
なお、好きな作曲家100選シリーズのこれまでの記事はこちら。
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