(好きな作曲家100選 その18 クラウディオ・モンテヴェルディ) | 音と言葉と音楽家  ~クラシック音楽コンサート鑑賞記 in 関西~

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クラシック音楽の鑑賞日記や雑記です。
“たまにしか書かないけど日記”というタイトルでしたが、最近毎日のように書いているので変更しました。
敬愛する音楽評論家ロベルト・シューマン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、吉田秀和の著作や翻訳に因んで名付けています。

今回は演奏会の感想ではなく、別の話題を。

「好きな作曲家100選」シリーズの第18回である。

 

 

前回の第17回では、16~17世紀のルネサンス~バロック移行期のイタリアの作曲家、カルロ・ジェズアルドのことを書いた。

百花繚乱のごとく名作曲家の輩出したこの時期のイタリアの中でも、とりわけ偉大な巨匠だったクラウディオ・モンテヴェルディ(1567-1643)のことをいよいよ書かねばならない。

彼こそは、音楽の新しい道を切り開き、バロック音楽の礎を築いた人であった。

 

 

北イタリアのクレモナに生まれた彼は、若い頃から音楽の才能を発揮し、10歳代で宗教マドリガーレ集(1583)を出版したが、まだ硬さはあるもののすでに習作とはいえないほどの完成度である。

マントヴァのヴィオラ・ダ・ガンバ奏者として勤めだした20歳代には、マドリガーレ集第1~3巻(1587/90/92)を出版したが、これらは同時期のジェズアルドのマドリガーレ集第1~4巻(その記事はこちら)と並んで、当時としても一級の作品となっている。

これらの曲によって、彼は自身の前期様式を完全に確立した。

 

 

マントヴァでガンバ奏者から宮廷楽長へと出世した30歳代には、マドリガーレ集第4、5巻(1603/05)を出版したが、これらの曲で彼は「第二作法」と呼ばれる自由で新しい音楽を探っていった。

そして40歳代には、まだ生まれて間もないオペラの分野(その記事はこちら)に着手する。

彼の輝かしい最初のオペラ「オルフェオ」(1607)やその次の「アリアンナ」(1608、ほぼ消失)、宗教音楽に新たな活気を与えた「聖母マリアの夕べの祈り」(1610)、多声声楽曲の「音楽の諧謔」第1巻(1607)やマドリガーレ集第6巻(1614)といった、彼の中期様式による“傑作の森”ともいうべき名曲が次々に書かれた。

 

 

名声の高まった彼は、40歳代半ばにマントヴァからヴェネツィアに移ってサン・マルコ寺院の楽長に就任し、その後の生涯をヴェネツィアで過ごした。

50歳代には3つめのオペラ「アンドロメダ」(1620、消失)のほか、「タンクレディとクロリンダの闘い」(1624)やマドリガーレ集第7巻(1619)が書かれた。

60歳代には4つめのオペラ「略奪されたプロセルピナ」(1630、ほぼ消失)のほか、「音楽の諧謔」第2巻(1632)が書かれた。

これらの作品によって、彼の音楽はさらなる変化を遂げていく。

 

 

70歳代になると、ついに後期様式に突入する。

マドリガーレ集第8巻(1638)、倫理的・宗教的な森(1640-41)は、それぞれ彼の世俗・宗教声楽曲の集大成である。

また彼は、1637年にヴェネツィアにできた世界初の歌劇場、サン・カッシアーノ劇場のために、晩年のオペラ三部作を書いた。

「ウリッセの帰還」(1639-40)、「エネアとラヴィニアの結婚」(1640-41、消失)、そして「ポッペアの戴冠」(1642-43)である。

これらは、あの中期の傑作「オルフェオ」と比べても格段に規模が大きく、ルネサンス期音楽の名残の角(かど)が完全に取れた、情感あふれる美しい音楽となっている。

1643年、彼は76歳で生涯を閉じた。

 

 

モンテヴェルディの音楽から一曲選ぶのは実に難しい。

ベートーヴェンのピアノ・ソナタのように生涯にわたって書き続けたマドリガーレも重要だし、底抜けの明るさに心打たれる「音楽の諧謔」も捨てがたい。

ヴァーグナーの「ラインの黄金」に先駆けて長い長いトニカ(主和音)で大胆に曲を開始し、オペラの輝かしい歴史の幕開けを高らかに告げた「オルフェオ」。

ヴェルディのレクイエムに先駆けてオペラの躍動感を宗教曲に持ち込み、驚くべき劇的な成果を得た「聖母マリアの夕べの祈り」。

当時はヴァーグナーやヴェルディの何倍も驚異的だったことだろう。

しかし、やっぱり彼の晩年のオペラ三部作、殊に彼の絶筆といわれる「ポッペアの戴冠」は、どうしても見過ごすわけにはいかない。

 

 

 

 

「ポッペアの戴冠」第3幕より終曲の二重唱「ずっとあなたを見つめ」(Pur ti miro)(なお全曲聴くにはこちら)。

このオペラは彼の生前には出版されず、没後にヴェネツィア稿とナポリ稿という二種類の版が残されたが、彼が書いたのは歌と通奏低音のパートのみであるらしく、楽譜には弟子たちの手が入っている。

モーツァルトのレクイエムのごとく、最晩年の彼は作曲の途中で力尽きてしまったのだろうか。

そんな不完全な曲であるにもかかわらず、これは彼の最高傑作と言ってもいいほどのオペラである。

 

 

専らギリシア神話に基づいていたそれまでのオペラと違い、この曲では初めて史実が題材となった。

ポッペアとネローネ(暴君ネロ)という悪賢い2人が策略により結ばれるという極めて現実的な、風刺的でさえあるストーリーを書いたのは、オペラ史上最大の台本作家の一人ともいわれるブセネッロ。

このようなストーリーとなったのには、このオペラが宮廷でなく歌劇場で上演される、つまり観客が王侯貴族でなく一般大衆だということが関係していただろう。

 

 

そんな一癖も二癖もある台本につけられた音楽は、ときには美に陶酔し、またときには生気に満ちて、このオペラの世界を生き生きと描き出している。

このポッペアとネローネによる最後の愛の二重唱のえもいわれぬ美しさも、何にたとえたらよいものか。

耽美的でありながらも、楚々として格調を失わない。

なおかつ、ルネサンス期の音楽にはまだなかった、人間らしい生命力の充溢がある。

モンテヴェルディが最後に到達した境地といえるだろう。

 

 

モンテヴェルディは、イタリア・オペラ最大の作曲家(あるいはもっというとイタリア最大の作曲家)だと私は考えている。

こう書くと、ロッシーニはどうした、ヴェルディは、プッチーニは、と言われてしまうかもしれない。

しかし、例えばドイツ・オーストリアのオペラにおいて、ヴェーバーやヴァーグナーやR.シュトラウスのオペラがいかに素晴らしかろうとも、モーツァルトのオペラはやはり特別だと感じているような方には、私の言うことがきっとお分かりいただけるのではないだろうか。

モンテヴェルディやモーツァルトの偉大なる「明るさ」は、太陽のように私たち聴き手を照らしてくれる恵みの光である。

 

 

なお、好きな作曲家100選シリーズのこれまでの記事はこちら。

 

前書き

1~10のまとめ 1500年以前

11. ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ

12. オルランド・ディ・ラッソ

13. ウィリアム・バード

14. トマス・ルイス・デ・ビクトリア

15. ヤコポ・ペーリ

16. ヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンク

17. カルロ・ジェズアルド

 

 


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