創価の信心を長く続けられる人と、続けられない人の特徴というのを、「カリフォルニアの空」という動画で見た。
まず、続けられる人の特徴
○師匠直結の信心
○人間的に誠実
○周りへの感謝
○何事にも謙虚
○物事を多角的に柔軟に考えることのできる思考力
○私利私欲がない
○自己顕示欲がない
○いざという時もたじろがず勇気のある人
○地道にコツコツと努力ができる人
○約束を守ろうとする人
私はいくつ当てはまっているだろうか。
続いて、続けられない人の特徴
○自意識が強い
○ご利益イコール信心と思う人
○他力本願
○他人と自分を常に比較
○周りに惑わされやすい人
○感謝の気持ちが薄い
○地球は自分を中心に回っていると錯覚する人
○自己確立できていない
○思慮分別に欠ける
○信心がない
○元々愚痴や文句が多い
○職員や組織の不満をよくいう
○元々意地が悪い
○お寺が大好き
○人のために尽くすのが嫌い
「カリフォルニアの空」さんは結論として、こういう人は宗教そのものに向いていない、入会されても退会してアンチ活動するのであれば、創価の信仰はお勧めしません、としている。
なるほどなあと思うものばかりである。
私は、創価の信心を続けられる原動力に、タイトル通り、宿業が深いというのがあると思っていたが、私のようにそうである人もいるが、宿業が深くても続けられない人もいるようだ。
いつかも書いたが、「おじさんの忘備録」というブログには、うちと同じように障害を持つ子どもさんがいることが書かれてある。
そのうちグループホームも探さないととか、この子より一日でも長生きしたいとか、かつての私と同じことが書いてある。
この子が職場で大きなミスをして、クビも覚悟したなど、本当に気持ちがわかるものである。
一般就労もできて感謝、とある。
なのに、退会⁉️
なぜ⁉️
私は思った。
やはり、同じ境遇に立たされても、選ぶ選択肢は違うのだ、と。
歯を食いしばってでも踏ん張り切るか、あっさりやめてしまうか、、
子を思う親の気持ちにそう違いがあるとは思えない。
まして障がいを持つ子の将来を憂える気持ちはみな同じようなものだと思う。
なのに、信心を続けるか、やめるか、なぜ正反対の選択肢が生まれるのだろう。
「カリフォルニアの空」さんがあげていた特徴を見返してみる。
続けられる人は感謝、誠実、謙虚、勇気、努力、、、なるほどその通り。
続けられない人の特徴は、、、
たくさんあるが、一つ、笑えました。
信心がない、、、‼️
ええっ、やっぱりそうか、と。
これ、根本ですね。
ここから出発してるんですね、何もかも。
結局そういうことです。
他のことは全部、言い訳ですね。
体験がないといざという時退転する、と思ってきたが、体験があってもそれが命の底に染み込んで、信心がダイヤモンドのように固くならなければ、人間なんて簡単に忘れてしまうのです。
主人は転職する時、一生懸命お題目をあげて、一流企業に転職できたが、その時の感謝をあっという間に忘れてしまった。
そして悪態をついている。
人間には感謝を忘れない人と、忘恩の人といるんだ、、、
感謝する能力が足りないのか、知恵が足りないのか、、、
こんな人と今世夫婦になったのも私の宿業だが、ため息しか出ないが、背負うしかない。
私に信心をさせてくれるという役目を担ってきてくれたのだから、大嫌いでも背負うしかない、と思っている。
背負い切れたら、私は境界がまた上がるのだろうか。
信心を続けられるかどうかの違いをもう一つあげるとすると、大変なときに腹を決められるかどうか、、、かもしれない。