一日の命は三千界の財にもすぎて候なり

 
先生は、生きて生きて生き抜くための信心、と仰せです。
 
生きること以上の宝はない、生きて生きて生き抜くことが仏法の目的、と指導されてきた。
 
長く生きよ、ご本尊を信じて❗️短命であってはならぬ❗️と、この可延定業書の御書指導では戸田先生も言われていた。
 
若くして亡くなった学会員は信心がなかったとか、そんな意味ではない。
 
どれだけ命というものが何にも勝る宝か、一日を生きるということがどれほど大切であるのか、と言われているのである。
 
私はそのことをしみじみと感じる毎日を送っている。
 
母は今、生死の境を彷徨っている。
 
まさに、一日一日を力を振り絞って生きている。
 
一日の命を、これほどありがたく感じたことはない。
 
まさに「一日なりともこれを延ぶるならば、千万両の金にも過ぎたり」である。
 
母は先週、無呼吸になって酸素を入れている上に、さらに誤嚥性肺炎を起こしてしまった。
 
最悪である。
 
肺炎をやっつけるための抗生剤を入れるかどうかの決断を迫られる。
 
功を奏するかもしれないが、体力が落ちているため逆効果になるかもしれない、その方が可能性は高い、と在宅の担当医から言われる。
 
そうなるともう打つ手がなくなり、医療的には終わりを迎える、と。
 
抗生剤を打たず、家族で最後の時間を過ごされては、と暗に言われる。
 
その方がいいのでは、と言いたそうであった。
 
どうしますかと言われ、迷いなく私と長男、抗生剤にトライします❗️と返事する。
 
本人はこれだけ頑張って生きようとしているのに、話せないからと言って、家族が勝手に終了してくださいと、それはないと、長男。
 
多分耳は聞こえてるんやから、え‼️と思ってるで、と。
 
そうそう、本人はまだ必死に呼吸している。
 
この長男、全くの非活学会員のくせに、言うことだけは立派な学会魂‼️
 
ばあさんは、今まで闘って闘って、勝って勝って勝ちまくってここまで寿命を延ばしてきたんやから、周りがあきらめたらあかん❗️と。
 
最後まで攻めて闘ってこそ、ばあさんも自分らもここまで頑張ってきた甲斐がある、と。
 
私たちの熱意に負けて、在宅の担当医、抗生剤を入れてくれました。
 
さあ功を奏したのか、無呼吸でろくに寝ていなかった分を取り戻すかのように、母はすやすやと穏やかに寝始めました。
 
気づけば無呼吸は治っていました。
 
誤嚥性肺炎も治っていました。
 
3〜5回、抗生剤を入れる予定が、2回で治りました。
 
先生、勝ったよ❗️
 
綱一本残して、また勝ったよ❗️
 
勝って勝って勝ちまくった先に、生も歓喜、死も歓喜の境界が待っているのでしょう。
 
なんて素晴らしき学会精神‼️
 
呆れたような担当医笑
 
この家族、どこまで、、、と思われているだろう。
 
信心していなければきっと、死に直面した母を前に、悲しい表情をするしかなかったことだろうと思う。
 
しかし、我ら学会員には強力な剣がある❗️
 
今まで、この剣で全てを乗り越えてきた。
 
何とありがたい武器を、私たちは手に入れたのだろう。
 
この武器を手に闘うことは楽しいこと。
 
      
 
助かったら勝ち、死んだら負け、なんていう浅い勝ち負けではなく、生命の奥底からの勝負に挑んでいるのである。
 
今週は仕事は全て休み、毎日母の耳元にお題目を入れている。
 
生きても死んでも、私らは勝った❗️ばあさん、よかったね❗️すごいね‼️と、送り出してやりたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私にはまだまだ夢があって、毎日毎日熱心にお題目をあげている。

 

現実は厳しい。

 

嘆きたくなるようなことばかりである。

 

しかし、お題目をあげたり、このブログを書いたりしていると、ネガティヴ思考がポジティブに変わるのだから不思議だ。

 

今日は主人の誕生日。

 

私はもちろん、プレゼントなんかあげる気にはならない。

 

大嫌いだからだ。

 

家族の中でも、社会的にも、一番弱い存在である知的障害者の次男夫婦に、一番守ってやらないといけない存在の子たちに、あんな態度しか取れない主人のことは許せない。

 

それでもあの子らは、主人の誕生日や父の日にプレゼントを考えたりする。

 

どうせひねくれて受け取らないのだから、あの子らがかわいそうで、

私はプレゼントなんか考えなくていいよ、あんたらが元気でいてくれるのがいちばんのプレゼントだから、と毎年そのように言ってきた。

 

なのにあの子らは今年、もう買ってしまっていた。

 

お父さんがコーヒーが好きだからと、ドリップコーヒーを買っていた。

 

私はどうやって渡そうか困った。

 

あの子らが直接渡す選択肢はない。

 

ライオンの前に羊を出すようなものだ。

 

私が代わりに渡すしかない。

 

しかしそれでも、受け取るだろうか。

 

最高の反応で無視、、、。

 

最低の反応で投げ捨てる、、、。

 

信じられないだろうが、人間だと思ったら鬼だったのだから、こうなのだ。

 

意を決して声をかける。

 

あの子らがお父さんにって、コーヒー買ってくれたから台所に置いとくよ、と。

 

すると、何と何と、うなずいたのだ、あのライオンが🦁

 

何と、最上級の反応でありました‼️

 

こんなこと、祈っていたわけではないけれど、他のことで毎日毎日ご本尊にすがりつくように祈っていると、祈ってはいなかったことまで良い結果が出るものです。

 

うれしくて、早速次男夫婦にLINEしました。

 

お父さんが喜んでたよ、と。

 

あのライオンさんにとってうなずくなんて、喜びの表現なのです。

 

ちょっとした体験ですが、私にとってはうれしい誕生日でした。

 

何もあげない自分が恥ずかしくなりました。

 

わずかな障害年金のお金の中から、プレゼントをと考える次男夫婦に、人間としては完全に負けている、と思いました。

 

明日はお花を買ってきましょう。

 

     

先生の講演に、次のようなのがある。

 

「皆さん方も、3000万円くらいはいつでも使えるお金は持てるという生活闘争、福運を積んでいただきたい、

いつお会いしてもポケットの中に50万円や100万円はある、そうなっていただきたい」

 

これは昭和39年の講演なので、今で言うと、ポケットの中には600万円や1200万円、3000万円というのは6億円くらいはいつでも使えるように、と言うことになる。

 

先生のスケールの大きさがわかると言うものである。

 

これは決してユーモアを込めたジョークなんかではなく、この信心を真面目に実践すれば、本当に私の言うとおりになるよ、だからやってごらんなさい、と真剣にご指導されていたのだ、と思う。

 

そしてこの指導を聞いた人たちもみな決意を奮い立たせ、頑張ってきたのだと思う。

 

私はまだまだそこまでには届きませんが、我が家には、正式には我がグループホームにはまたお金が入ってきました。

 

ご存知でしょうが、私が1年半、あれほど泣いて苦しんだ利用者の一人Aさんは、うちを利用していた間、障害区分は3でした。

 

気が狂うほど祈ってようやく3月、正式に退去となり、入れ替わるように次男嫁の弟が入居してきました。

 

弟の障害区分は4。

 

3と4では国の給付金がかなり違うのです。

 

もちろん4の方が重い、と言う意味です。

 

そして今月、市役所の障害認定区分の調査で何と、次男も3から4になりました。

 

視覚障害を合併しているため、一人では外出はできませんと、必死の訴えと医師の診断書が決め手となり、見事区分が変更となりました❗️

 

区分3が二人と、4が二人とでは、年間100万円以上の差があるのです。

 

思わずバンザイ🙌

 

     

 

先生、Aさんにホームをやりたい放題に荒らしまくられて泣いて耐えた1年半の生活闘争は、こんな結果で実を結びました‼️

 

彼のような人物がうちに入ってきた意味はまだまだわかりませんが、

難でしょう。

 

泣いて祈って退去してもらうことに成功した我がホームは、一つ大きな山を越しました。

 

彼の紹介者は退去でもめていたときに、福祉の精神に反するだとか、

私のことを虐待だとか危険だとか散々わめいていたが、彼が新しいところでも早速問題を起こしてまたまた退去の問題が出てきている今、完全に見放して放置している状態にある。

 

関わるとこっちが悪者になるからだそうである。

 

しかしこれこそ福祉の精神に反しているのではないのか?

 

この業界は悪いが、言うこととやることの違う人が多いように思う。


言うことが矛盾していると感じることが多い。

 

どうりで話が噛み合わないわけだ。

 

決して私が向いていないわけでも、うまくできなかったわけでもないということに、人を見ていて気がついて、納得した。

 

我がホームは一つ一つ確実に、誠実に、前進していきたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は女性部総会。

 

地区の一番小さい単位であるグループごとに取ったが、何と初めての方も含めて8名の参加。

 

初めての方は、いろいろ悩みを聞いてほしい、と参加されました。

 

そうです、ここは悩み相談座談会。

 

鈴木奈々さんと加藤茶の奥さんである加藤彩菜さんとのトークを見てもらいました。

 

二人の、確信あふれるトークを聞いて、みなさん涙🥲、、、。

 

加藤彩菜さんが受けた結婚当時のバッシングに、加藤茶は10年辛抱すれば何も言われなくなるよ、と。

 

奥さんもすごければご主人もすごい。

 

何せ45歳年下だから、当時は相続狙いだとか何とか、電話は鳴りっぱなし、玄関のピンポンも鳴りっぱなし、壁にはペンキで落書きされ、週刊誌には書かれ放題、、、。

 

そこを反撃もせず、10年辛抱しよう、という度量の大きさ。

 

本当にその通り、今では逆に理想の夫婦にベストテン入りしている。

 

彼女は、あの経験があったからこそ、今がある、

あれくらい叩かれないと、人って変われない、

ちょっとした一言にも感謝できるようになった、

あのバッシングに育ててもらったんだと思う、とまで言っている。

 

実証を示した方の言葉は本当にすごいです。

 

また、小さい頃から雑誌のモデルになりたいと思っていた鈴木奈々さんは、子どもの頃から母親と一緒に新聞配達をしていたそうだ。

 

ある日、益若つばささんのサイン会に行ったところ、自分の順番が来たときに本人から直接、雑誌のモデルにならない?と声をかけられたそうだ。

 

新聞配達の功徳はすごい⁉️

 

絶対祈りは叶うから‼️との彼女の言葉に、自分も決意を新たにすることができました。

 

このSTB、創価連続セミナーはすごいです。

 

お二人のトークを聞いて、まだまだ私も甘い、と思いました。

 

正直、幹部のお話を聞くより、こういった体験談を聞く方が胸に刺さる❗️

 

初めて参加された方も、来てよかったと感動して帰られました。

 

式次第も何もない、これが本当の座談会。

 

小グループだからこそできるひざを突き合わせての座談の会。

 

決意して帰れるか、ムダな時間だったと思うか、同じ心でも結果は天と地の差が出ます。

 

私は、今日は本当に決意して帰れました。

 

      

 

私は不安神経症、だと思っている。

 

あまりに苦しいことが今まで多かったので、少しのことですぐ不安になり、ああなったらどうしよう、こうなったらどうしようと根拠のないことを考える癖がついてしまった。

 

 

その不安が頭をもたげてくると、これは少し気合を入れたお題目をあげるしかない。

 

いつもの惰性のお題目ではダメである。

 

半分寝ながらではダメである。

 

お題目なら何でもいいわけではない。

 

気合を入れてあげると、目の前がパァーと開けたように感じるときがある。

 

そうならないと、あげた意味がない。

 

特に私は代々が念仏の家なので、いやだ、しんどい、やめたい、どうせ、、、、というあきらめの命がしょっちゅう出てくる。

 

常に気合を入れておかないと、もっていかれるのである。

 

普通にしていても、しんどいの?と聞かれることがたまにあるのもそう言うことだと思う。

 

「夢の醸造所」というブログで、おもしろい実験のことについて書かれていた。

 

「念仏の害毒について」

 

同じ条件のネズミ5匹ずつを二つのケージに入れて、一方には南無阿弥陀仏をずっと聞かせ、もう一方には南無妙法蓮華経をずっと聞かせていると、10日後、南無阿弥陀仏を聞かせていた方は弱って3匹が死んでいたらしい。

 

かたや南無妙法蓮華経を聞かせていた方は全員がめちゃくちゃ元気であっただけでなく、子供まで産んで数が増えていたそうだ。

 

      

 

お題目の意味もわからない、こんな小動物であっても恐ろしいまでの結果が現れるのだなあと思う。

 

10日間の実験だけでこれであるのだから、先祖代々からの謗法の影響はというと、、、、恐ろしい。

 

悪の中の大悪は我が身にその苦を受くるのみならず、子と孫と末へ七代までもかかり候けるなりー

 

大悪は子孫七代へも及んでいくと仰せです。

 

自分には七代前の先祖がなした謗法の報いが現れてくる、、、、

 

見たこともない、会ったこともない何時代かわからない先祖の謗法の報いを自分が受けるなんて、これは大損ではないか。

 

しかし、このブログでは続けて

善の中の善もまたまたかくのごとし、、、、、上七代下七代、上無量生下無量生の父母等存外に仏となり給う、、、

 

と仰せのように、創価の信心で大善を積めば、その功徳は自身と父母だけでなく、七代の先祖、七代の子孫どころか、無量生の先祖、無量生の子孫を救って成仏させていける、と書かれている。

 

まさしく大損、大罰の人生から大利益の人生へと転換が可能だ、と。

 

それには自分の代で我が一家の宿命転換をする、と決めて戦うことが大事、と。

 

学会員として実践しなければ、世間の浅きことだけに人生を浪費して死んでいく、と書かれてある。

 

ああ、よくわかりました。

 

創価の信心で大善を積んで、あらゆる先祖、子孫を救っていく使命があるのですね。

 

勇気が出てきました。

 

 

支部婦人部長から、長男に任用試験を受けてはどうかとの打診。

 

無理だとは思うが笑、お題目あげて当たってみます❗️とラインすると、私もお題目送ります‼️との返事。

 

結果がどうあれ、言うことが大事、と決意できました。

 

 

 

 

 

今日は創価学会母の日。

 

余命宣告をはねのけて頑張る母に寄せて、投稿します。

 

信心とは確信、と私はいつも思っている。

 

戸田先生も、どういう人が偉い人なのでしょうか、と聞かれて、

「確信のある人だよ。人生はまた、全ては確信だよ」と答えられていたそうである。

 

 

確信を持った人は強い。

 

確信がなければ、グラグラである。

 

少しのことで180度ひっくり返ってしまう。

 

そこそこの役職を持っていた活動家が、アンチブログに転じているのを見ると、本当に情けない。

 

同じアンチ同士が傷をなめ合うようにいいねをつけ合っているのを見ると、本当に涙が出るほど情けない。

 

アンチなら何でもいいのか。

 

非活になろうが、正宗に行こうが、宗教自体を捨てようが、何でもいいのか。

 

学会でさえなければいいというそのモラルのなさ、一貫性のなさ、思考の浅さ、情けないとしか表現のしようがない。

 

 

生涯、一学会員として踏ん張り切ることがどれほど大変で尊いことか、改めて思う。

 

しかしその確信を持てるようになるまでの大変さといったら、半端ではない。

 

大抵、少しの波や縁でやられてしまう。

 

大波小波を幾多も乗り越えて、悪縁をも払いのけて、必死にすがりついて信心を手放さなかった人だけが人間革命の山を登り、一生成仏という境地を手に入れることができる。

 

      

 

一生成仏とは、何も他の世界に行くことではなく、この現実世界において、何者にも崩されない絶対的な幸福境涯を築くことをいう。

 

戸田先生の言う、生きていることが楽しくてたまらないという境地のことである。

 

何があっても、その状況を楽しめる、という境地のことである。

 

究極の楽観主義、というやつである。

 

そこまで行くには、あらゆる大波小波と戦わなければいけない。

 

「仏法」と、「戦う」ということが相いれないように感じて、創価はおかしいという人がいるが、自分の人生と戦わずして何が手に入るか。

 

もう戦わなくてよいのだと言う人たちは、「戦う」ということの意味を取り違えている。

 

学会活動の中の数の目標に飲み込まれて、我を失ってしまっている。

 

自分の人生の目標まで見失ってしまっている。

 

戸田先生の言う楽観主義と、単なる自身の娯楽の楽しみを、もったいなくも同じレベルで考えてしまっている。

 

何とレベルの低い、都合のいい話でしょう。

 

 

人生、毎日毎日が戦いの連続である。

 

日々目標に向かって進むということが、それが生きているということであり、生まれてきた価値もあるということである。

 

単なる数の目標と、人生の目標を取り違えたまま信心をバカにして捨ててしまうのは、あまりにもったいなく、おバカさんである。

 

気がついたときには取り返しのつかないところまで来ていることでしょう。

 

 

苦難のない人生なんかつまらない。

 

成長のない人生なんかどうしようもない。

 

アンチブログの多くが短命なのは、成長がないからです。

 

成長がないから、一通り書いたらもう書くことがないのです。

 

私はブログ上にぷかぷか難破船のように、乗組員がいなくなってゴミのように浮かんでいるアンチブログが大嫌いです。

 

海が汚れるだけです。

 

あるのなら、書いてみましょう。

 

私はこれでもまだまだ書き足りないです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今月のグループ学習会は、

法華初心成仏抄「仏になる法華経を耳にふれぬれば、これを種として必ず仏になるなり」

 

誰であれ、南無妙法蓮華経に一度縁すれば、それが成仏の種となって、植物が成長して身を結ぶように、必ず妙法に目覚める時がくる、ということで、これを下種仏法と言います。

 

相手の反応に関わらず、真実の法を説き聞かせることが成仏の直道なのだそうです。

 

相手が仏法を聞くことを好むかどうかに関わらず、毒鼓の縁と言うくらいですから、とにもかくにも法華経に縁させることが大事ということなのです。

 

しかし、人間関係でいうとこの辺が大変難しいところです。

 

現代では素直に聞く順縁の人はほとんどいなく、反発する逆縁の人ばかりなのですから。

 

多くの学会アンチの方がブログで批判しているのもこの辺りのことで、ここはこちらも常識を逸脱してはいけない。

 

いけないが、相手の反発を恐れて仏法を伝えなければ、相手は仏縁を結べず、成仏することができないわけです。

 

ですから学会員がしつこいと言われるのは、まあ当然ですね。

 

 

前記事でも書いたが、私は妹に大変嫌われています。

 

一時期、盛んに仏法対話をしていたからです。

 

その結果、顔を見るのもいやだと言われてしまいました。

 

最後はとうとう、ギャー‼️と叫ばれました。

 

しかし、考えてみれば妹との関係が悪くなったのは、嫌がっているのに無理に仏法対話をしていたからではない。

 

私は今になって思う。

 

自分は本当に彼女の幸せを願ってしていたのだろうか、と。

 

誰かいない?と言われて、数として上げたい気持ちでやっていただけなのではないだろうか、と。

 

その辺を見透かされていたのではないだろうか、と。

 

本当に自分のためを思ってくれているのなら、入会するかどうかはさておき、気持ちが通じないわけがないものを、気持ちすら通じなかったということは、そういうことではないかと思う。

 

申し訳なかったと思う。

 

ケンカした後、お題目をあげていて、自分は無慈悲であったと痛感した。

 

すると妹はその日から、母の介護に通ってくれるようになった。

 

今までは、どんなに頼んでも来なかったのです。

 

それは、母の介護をしたくないということではなく、ただ私に会いたくない、ということだったのです。

 

それを知ったとき、ただ申し訳なかった、と思いました。

 

しつこく仏法対話をしていたことにではなく、心から相手のことを思ってしていたわけではなかった自分の無慈悲さに、ただただ申し訳なかったと思いました。

 

北風と太陽ではないが、無慈悲な仏法対話をいくらしてもコートを脱がせられるわけがない。

 

心から相手の幸せを思ったときに初めて、自らコートも脱いでくれるのである。

 

悔しいが、やはり長男の言うように自分が変われば相手も変わる、そのものであった。

 

介護を手伝わなかった原因を、私はただ妹の発達障害のせいだけにして怒りをそちらに向けていたが、私が原因でもあったわけだ。

 

そのことに自分が気づいたとき、妹は素直に母の介護に来てくれるようになった。

 

まだまだもつれにもつれた糸がぴんと伸びるように関係が修復されるわけではない。

 

しかし、大きな一歩前進でありました。

 

関係修復をあきらめないで、今度こそ真の意味の仏法対話ができる時がくるよう、祈っていきたいと思います。





 

 

 

 

 

 

 

妹とケンカしてしまいました。

 

妹は、発達障害の一つ、たぶんアスペルガー。

 

診断を受けたわけではないが、特徴にことごとく当てはまっている。

 

行動がパターン化されており、応用がきかない。

 

どうしてこうなったのと聞かれると、その奥に相手が怒っているという行間が読めないので、○○だから○○しました、と説明する。

 

相手がいよいよ怒ると、逆に爆発される。

 

地雷を踏むのがこわいので、相手もあきらめて何も言わなくなる。

 

ますます、改善されたり学習する機会がなくなる。

 

いっしょに母の介護もしたかったが、もうあきらめた。

 

情報を共有し合うということがムリなので、いろいろ工夫もしたが、

機嫌をそこねるだけで、とうとうケンカになってしまった。

 

長男は、「あの人は介護に来ているわけではないから。

お客さんとしてきているだけだから、そういう目で見ると腹も立たないでしょ」と言う。

 

そう言われるとそうだが、腹が立つのは父で、妹が来ているときに母が食べ物をもどすと、うろたえてこっちに電話をしてくる。

 

「ちょっと早よ来てくれ!」

 

今、妹がいるんじゃないの、と言うと、「そやけど来てくれ、、、」

 

、、、、、はああああ、、、、、、

 

いっそ一人っ子の方がよかったよ、と思うこともある。

 

しかし、縁あって姉妹になったのだからと思うと、このまま人生の最後までこんな関係でいくのも複雑な思いだ。

 

 

長男は、自分が変われば相手も変わる、と信心もしていないのに偉そうなことを言う。

 

向こうから変わることは0%なんだから、あなたが変わる以外にない、と幹部みたいなことを言う。

 

そう言えば、帰っていく妹の後ろ姿を見ていると、とぼとぼと下を向いて歩いていて、なんだか一瞬哀れに思えた。

 

なんでわからないのだろう、と私はいつも妹に対していらだちを感じていて、それが表情にも出ていたと思うが、妹からしたら、なんで怒られているのかわからないのだと思う。

 

アスペルガーの人の頭の中には事実だけがあって、そこに感情やら気持ちやら思いやりなどが全くないか、あっても少ししかない。

 

相手がどんな思いでいるか、想像することが難しいのである。

 

 

知的障がいは、次男夫婦でだいぶん学ばせてもらった。

 

先月出ていってくれたAさんで、さらに痛いほど学ばせていただきました。

 

入れ替わりに入ってきた次男嫁の弟で、今度は精神障がいを学ばせていただいています。

 

母では認知症を、もうええってというほど学ばせていただきました。

 

そしてまだ、妹で発達障がいまで学ぶのですか、、、?

 

欲ばりすぎです。

 

こんなに勉強しなくてもよかったです、、、笑

 

妹のことは腹をくくるか、距離をとるか。

 

その日その日で心は揺らいでいる。

 

全部乗り越えてきたのだから、大丈夫だという確信はあるが、現実はしんどい。

 

しんどいが、母が癒してくれるのだから不思議だ。

 

 

昨晩、長男が母に昭和末期の頃のタイガーマスク🐯のプロレス動画を見せたら、なんと大興奮。

 

      

 

 

 

終わる頃には、やられた人がかわいそうだと、涙を流していたそう。

 

むちゃくちゃやわ〜‼️と。

 

感情豊かな認知症歴10年選手に癒されて、今度は発達障がいの山を克服しようか。

 

障がい関係のプロになります、どんな障がいもご相談に応じます、て誓ってきたのかなあ。

 

本音はいやなんですけど、いやをいやで終わらせるのも悔しいので、そのいやだという気持ちに向かって、どんな結果が出るか楽しみに、今からお題目をあげて挑戦します。

 

 

 

 

まだわからないが、私は宿業を一つ、やっつけかかっている。

 

ギブアップ寸前の超絶不利な体勢から、一転して有利な体勢に持ち込むことができ、今は押さえ込んでいる。

 

さあ、カウントダウンできるか?

 

 

次男のてんかん再発から13年。

 

長い長い年月であった。

 

何百回発作が出たことだろう。

 

救急車で運ばれるほどの大きな発作だけでも4回はあった。

 

私の寿命は10年は縮まったよ。

 

近所のクリニックから紹介してもらって行った大きな病院だけでもすでに4軒。

 

しかしその4軒目で次男は運命的にやっと、やっと、ハマる薬と出会う。

 

まだ国内では承認されていない、いわゆる治験薬。

 

この薬と出会って、次男のてんかん発作は劇的に減っていった。

 

私は前にブログで、信心すると、お金で解決できることにはお金ができる人になり、努力で解決できることには努力ができる人になり、

お金でも努力でも解決できないことには、何事にもあきらめない人になることができる、と書いたことがある。

 

次男のてんかんとの戦いはまさに、お金でも努力でも解決できないことであり、私は何があってもあきらめない人になることができた。

 

どれだけ発作が繰り返し起こっても、あきらめない人になった。

 

そしてようやく、治験薬を試してみないか、と言ってくれる主治医と出会い、その結果みるみる発作が減っていったのである。

 

その治験薬、私たちの予想のスピードをはるかに超えて、もう今年中にも承認されて保険適用されるそうである。

 

次男が試してから約2年、治験担当医もびっくりの速さで承認されていった。

 

いずれ地元のクリニックに帰りたい、という夢のまた夢のようなことを考えていたが、保険適用されることで、全くの夢ではなくなってきたかもしれない。

 

地元のクリニックに帰ることを一つの目標にしようと、いつか記事に書いたことがあったように覚えているが、そのときはまだ治験薬とも出会っておらず、発作は頻発しており、私はおびえ続けており、夢はほんとに夢でしかなかった。

 

しかし、さあ、その夢が一気に私の視界に入ってきた。

 

まだまだ遠いが、確実に射程圏内に見えてきた。

 

ほっぺたをつねりたくなるような、夢ではないかと思うような話である。

 

 

つらかった時、願兼於業の話をよく聞いたが、私はなかなか納得がいかなかった。

 

わざわざ苦しみの姿で生まれ、その苦しみと戦い、打ち勝つ姿を見せて仏法の力を教える菩薩の生き方、と言われるが、何で自分が?いやだこんなのは、といつも思っていた。

 

自分のことであったなら、私は途中であきらめていたかもしれない。

 

13年だよ、13年。

 

しかし、我が子のことであるなら、あきらめられなかったのです。

 

先生の指導が心にしみます。ー開目抄の講義よりー

 

「結局大事なことは、これ以上ムリだとあきらめる自分、もうこれくらいでいいだろうと妥協しそうになる自分との戦いである。

 

苦労を避けてはならない。断じて悩みに勝たなくてはならない。

 

自分の宝は自分で作る以外にない。自分で良かった、勝った、と言える人生の価値を作ること、その人が栄光の人、人格の人である。

 

仏法者にとっての敗北とは、苦難が起こることではなく、その苦難と戦わないこと。

 

戦わないで逃げたとき、苦難は本当に宿命になってしまう。

 

生ある限り戦い続ける。

 

生きて生きて生き抜いて、戦って戦って戦い抜いていく、この人生の真髄を教える大聖人の宿命転換の哲学は、従来の宗教の苦難に対する捉え方を一変する偉大なる宗教革命である。」

 

仏法者にとっての敗北とは、苦難が起こることではない、と。

 

その苦難と戦わないで逃げることだ、と。

 

戦わないで逃げたら、本当にそれが宿命になってしまう、、、、

 

いやだ〜‼️

 

絶対、てんかんと今世で縁を切りたい‼️

 

この思いが私を引っ張り続け、背中を押し続け、今まで頑張ってこられた。

 

病ある人仏になるべきよしとかれて候、病によりて道心はをこり候なり、、、、

 

この病がなければ、私は信心も何となくしているだけで、中途半端なもので終わっていただろうと思う。

 

今のように心の底からご本尊を求めてこなかったかもしれない。

 

この病は仏の御はからひか、そのものである。 

 

ありがたいことにてんかんと取っ組み合いしている13年のうちに、自分の信心は固く固く磨かれていきました。

 

 

人生は短距離走ではない。

 

マラソンである。

 

長い長いマラソン🏃‍♀️をいかにして走り抜くか。

 

目標を定め、いかにしてものにするか、大変おもしろい長距離走であります。

 

本物のマラソンは嫌いですが、人生のマラソンは大好きです。

 

     

 

 

 

 

 獅子風蓮さんのブログから、「さよならカルトさよなら創価学会」の、学会3世であるnijyorengeさんも、お母さんと今はいい関係であることはわかった。

 

介護に頑張っていただきたい。

 

ただ、母親の癌と認知症を報告する記事に「創価学会員の母が」という前置きがなぜ必要であったのか不思議に感じる。

 

私が母のことを書くときに、「邪宗の母が」という前置きを書くだろうか。

 

書くわけがない。

 

母は母である。

 

それ以外に書きようがない。

 

前置きをつけるところに、彼女の学会に対する異常な嫌悪感を感じる。

 

学会員を「狂人」とまで書いておられるのである。

 

知的水準が低い、とまで書いておられるのである。

 

何という言葉でしょう。

 

しかし私はその「狂人」さんたちのおかげで、ここまで這い上がってくることができました。

 

私の今の幸せは、「狂人」さんたちなくしては語れません。

 

 

みな、必死で毎日を生きているのです。

 

私のように宿業重い人たちはたくさんいます。

 

必ず何とかしようと必死で題目をあげているそのさまを見て、狂人だ、狂っている、気持ち悪いと言うのなら、生きていること自体が狂っていることになります。

 

哀しい母、とありましたが、哀しいかどうかは、残された家族の信心によります。

 

うちの母はコロナ2回、肺炎2回、心不全2回、入院6回、認知症歴10年ですが、少しも哀しくはありません。

 

母は家族のマスコットでもあり、かわいいわがままな女王様でもあります。

 

余命宣告も何のその、ただいま栄養状態良好にて、デイサービスに完全復活する。

 

デイサービスでは坊主めくりに興じる。

 

坊主が出ると、いゃ〜😮‍💨‼️と唸っているらしい。

 

ヘレンケラーではないが、我が家では「奇跡の人」と呼ばれている。

 

いろんな高齢者を見てきたデイサービスの責任者でも、ここまで復活するのはなかなかレアなケースだ、という。

 

便の調子も良く、一日2回、しっかりしたのが出ている。

 

泣き笑いのような介護生活10年。

 

声を大にして私は言いたい。

 

これぞ末法の冥益なり‼️

 

私の大好きな「ちょこっと教学」さんの最新記事にもありました。

 

末法の功徳は冥益です、と。

 

冥益とは目に見えない功徳であり、福運が積まれることで後に大利益を得る功徳のこと、と。

 

願ってすぐに叶わないからといって、この信心のすごさを推し量ってはいけない。

 

気長に頑張るのですよ。

 

そうしたら、想像もできないような大功徳がやってくるのです。

 

母は今はマスコットでもあり、かわいい女王様でもあるが、実は昔は家族中からの嫌われ者でした。

 

大嫌いでした、私も。

 

早く死んでくれ、とまで思っていたかも。

 

それがこんなに大事な存在になり、最後まで面倒見るよ、なんていう親子関係になるとは夢にも思わなかったです。

 

冥益です、本当に。

 

私は母の介護を通して、信心すると自分自身が幸せになるだけでなく、両親も家族もみな、幸せになるということを学びました。

 

何というありがたいことでしょう。

 

我が身仏になるのみならず、父母、仏になり給う、まさにそのものです。

 

こんなありがたいことがあるでしょうか。

 

親子もろとも幸せになれました。

 

 

 

学校が春休みなので、私はパソコン教室に通っています。   

 利用者さんたちの個別支援計画、チラシ、ホームページ作成などができるようになって、孤軍奮闘している長男を少しでも助けたい、と思っています。

 

老害にならないように、足を引っ張らないように、私も成長して、助けてやりたいと思います。

 

幸せなおかんの息子はやっぱり幸せ、と思ってもらえるように笑