一日の命は三千界の財にもすぎて候なり

 
先生は、生きて生きて生き抜くための信心、と仰せです。
 
生きること以上の宝はない、生きて生きて生き抜くことが仏法の目的、と指導されてきた。
 
長く生きよ、ご本尊を信じて❗️短命であってはならぬ❗️と、この可延定業書の御書指導では戸田先生も言われていた。
 
若くして亡くなった学会員は信心がなかったとか、そんな意味ではない。
 
どれだけ命というものが何にも勝る宝か、一日を生きるということがどれほど大切であるのか、と言われているのである。
 
私はそのことをしみじみと感じる毎日を送っている。
 
母は今、生死の境を彷徨っている。
 
まさに、一日一日を力を振り絞って生きている。
 
一日の命を、これほどありがたく感じたことはない。
 
まさに「一日なりともこれを延ぶるならば、千万両の金にも過ぎたり」である。
 
母は先週、無呼吸になって酸素を入れている上に、さらに誤嚥性肺炎を起こしてしまった。
 
最悪である。
 
肺炎をやっつけるための抗生剤を入れるかどうかの決断を迫られる。
 
功を奏するかもしれないが、体力が落ちているため逆効果になるかもしれない、その方が可能性は高い、と在宅の担当医から言われる。
 
そうなるともう打つ手がなくなり、医療的には終わりを迎える、と。
 
抗生剤を打たず、家族で最後の時間を過ごされては、と暗に言われる。
 
その方がいいのでは、と言いたそうであった。
 
どうしますかと言われ、迷いなく私と長男、抗生剤にトライします❗️と返事する。
 
本人はこれだけ頑張って生きようとしているのに、話せないからと言って、家族が勝手に終了してくださいと、それはないと、長男。
 
多分耳は聞こえてるんやから、え‼️と思ってるで、と。
 
そうそう、本人はまだ必死に呼吸している。
 
この長男、全くの非活学会員のくせに、言うことだけは立派な学会魂‼️
 
ばあさんは、今まで闘って闘って、勝って勝って勝ちまくってここまで寿命を延ばしてきたんやから、周りがあきらめたらあかん❗️と。
 
最後まで攻めて闘ってこそ、ばあさんも自分らもここまで頑張ってきた甲斐がある、と。
 
私たちの熱意に負けて、在宅の担当医、抗生剤を入れてくれました。
 
さあ功を奏したのか、無呼吸でろくに寝ていなかった分を取り戻すかのように、母はすやすやと穏やかに寝始めました。
 
気づけば無呼吸は治っていました。
 
誤嚥性肺炎も治っていました。
 
3〜5回、抗生剤を入れる予定が、2回で治りました。
 
先生、勝ったよ❗️
 
綱一本残して、また勝ったよ❗️
 
勝って勝って勝ちまくった先に、生も歓喜、死も歓喜の境界が待っているのでしょう。
 
なんて素晴らしき学会精神‼️
 
呆れたような担当医笑
 
この家族、どこまで、、、と思われているだろう。
 
信心していなければきっと、死に直面した母を前に、悲しい表情をするしかなかったことだろうと思う。
 
しかし、我ら学会員には強力な剣がある❗️
 
今まで、この剣で全てを乗り越えてきた。
 
何とありがたい武器を、私たちは手に入れたのだろう。
 
この武器を手に闘うことは楽しいこと。
 
      
 
助かったら勝ち、死んだら負け、なんていう浅い勝ち負けではなく、生命の奥底からの勝負に挑んでいるのである。
 
今週は仕事は全て休み、毎日母の耳元にお題目を入れている。
 
生きても死んでも、私らは勝った❗️ばあさん、よかったね❗️すごいね‼️と、送り出してやりたい。