私は不安神経症、だと思っている。

 

あまりに苦しいことが今まで多かったので、少しのことですぐ不安になり、ああなったらどうしよう、こうなったらどうしようと根拠のないことを考える癖がついてしまった。

 

 

その不安が頭をもたげてくると、これは少し気合を入れたお題目をあげるしかない。

 

いつもの惰性のお題目ではダメである。

 

半分寝ながらではダメである。

 

お題目なら何でもいいわけではない。

 

気合を入れてあげると、目の前がパァーと開けたように感じるときがある。

 

そうならないと、あげた意味がない。

 

特に私は代々が念仏の家なので、いやだ、しんどい、やめたい、どうせ、、、、というあきらめの命がしょっちゅう出てくる。

 

常に気合を入れておかないと、もっていかれるのである。

 

普通にしていても、しんどいの?と聞かれることがたまにあるのもそう言うことだと思う。

 

「夢の醸造所」というブログで、おもしろい実験のことについて書かれていた。

 

「念仏の害毒について」

 

同じ条件のネズミ5匹ずつを二つのケージに入れて、一方には南無阿弥陀仏をずっと聞かせ、もう一方には南無妙法蓮華経をずっと聞かせていると、10日後、南無阿弥陀仏を聞かせていた方は弱って3匹が死んでいたらしい。

 

かたや南無妙法蓮華経を聞かせていた方は全員がめちゃくちゃ元気であっただけでなく、子供まで産んで数が増えていたそうだ。

 

      

 

お題目の意味もわからない、こんな小動物であっても恐ろしいまでの結果が現れるのだなあと思う。

 

10日間の実験だけでこれであるのだから、先祖代々からの謗法の影響はというと、、、、恐ろしい。

 

悪の中の大悪は我が身にその苦を受くるのみならず、子と孫と末へ七代までもかかり候けるなりー

 

大悪は子孫七代へも及んでいくと仰せです。

 

自分には七代前の先祖がなした謗法の報いが現れてくる、、、、

 

見たこともない、会ったこともない何時代かわからない先祖の謗法の報いを自分が受けるなんて、これは大損ではないか。

 

しかし、このブログでは続けて

善の中の善もまたまたかくのごとし、、、、、上七代下七代、上無量生下無量生の父母等存外に仏となり給う、、、

 

と仰せのように、創価の信心で大善を積めば、その功徳は自身と父母だけでなく、七代の先祖、七代の子孫どころか、無量生の先祖、無量生の子孫を救って成仏させていける、と書かれている。

 

まさしく大損、大罰の人生から大利益の人生へと転換が可能だ、と。

 

それには自分の代で我が一家の宿命転換をする、と決めて戦うことが大事、と。

 

学会員として実践しなければ、世間の浅きことだけに人生を浪費して死んでいく、と書かれてある。

 

ああ、よくわかりました。

 

創価の信心で大善を積んで、あらゆる先祖、子孫を救っていく使命があるのですね。

 

勇気が出てきました。

 

 

支部婦人部長から、長男に任用試験を受けてはどうかとの打診。

 

無理だとは思うが笑、お題目あげて当たってみます❗️とラインすると、私もお題目送ります‼️との返事。

 

結果がどうあれ、言うことが大事、と決意できました。