まだわからないが、私は宿業を一つ、やっつけかかっている。
ギブアップ寸前の超絶不利な体勢から、一転して有利な体勢に持ち込むことができ、今は押さえ込んでいる。
さあ、カウントダウンできるか?
次男のてんかん再発から13年。
長い長い年月であった。
何百回発作が出たことだろう。
救急車で運ばれるほどの大きな発作だけでも4回はあった。
私の寿命は10年は縮まったよ。
近所のクリニックから紹介してもらって行った大きな病院だけでもすでに4軒。
しかしその4軒目で次男は運命的にやっと、やっと、ハマる薬と出会う。
まだ国内では承認されていない、いわゆる治験薬。
この薬と出会って、次男のてんかん発作は劇的に減っていった。
私は前にブログで、信心すると、お金で解決できることにはお金ができる人になり、努力で解決できることには努力ができる人になり、
お金でも努力でも解決できないことには、何事にもあきらめない人になることができる、と書いたことがある。
次男のてんかんとの戦いはまさに、お金でも努力でも解決できないことであり、私は何があってもあきらめない人になることができた。
どれだけ発作が繰り返し起こっても、あきらめない人になった。
そしてようやく、治験薬を試してみないか、と言ってくれる主治医と出会い、その結果みるみる発作が減っていったのである。
その治験薬、私たちの予想のスピードをはるかに超えて、もう今年中にも承認されて保険適用されるそうである。
次男が試してから約2年、治験担当医もびっくりの速さで承認されていった。
いずれ地元のクリニックに帰りたい、という夢のまた夢のようなことを考えていたが、保険適用されることで、全くの夢ではなくなってきたかもしれない。
地元のクリニックに帰ることを一つの目標にしようと、いつか記事に書いたことがあったように覚えているが、そのときはまだ治験薬とも出会っておらず、発作は頻発しており、私はおびえ続けており、夢はほんとに夢でしかなかった。
しかし、さあ、その夢が一気に私の視界に入ってきた。
まだまだ遠いが、確実に射程圏内に見えてきた。
ほっぺたをつねりたくなるような、夢ではないかと思うような話である。
つらかった時、願兼於業の話をよく聞いたが、私はなかなか納得がいかなかった。
わざわざ苦しみの姿で生まれ、その苦しみと戦い、打ち勝つ姿を見せて仏法の力を教える菩薩の生き方、と言われるが、何で自分が?いやだこんなのは、といつも思っていた。
自分のことであったなら、私は途中であきらめていたかもしれない。
13年だよ、13年。
しかし、我が子のことであるなら、あきらめられなかったのです。
先生の指導が心にしみます。ー開目抄の講義よりー
「結局大事なことは、これ以上ムリだとあきらめる自分、もうこれくらいでいいだろうと妥協しそうになる自分との戦いである。
苦労を避けてはならない。断じて悩みに勝たなくてはならない。
自分の宝は自分で作る以外にない。自分で良かった、勝った、と言える人生の価値を作ること、その人が栄光の人、人格の人である。
仏法者にとっての敗北とは、苦難が起こることではなく、その苦難と戦わないこと。
戦わないで逃げたとき、苦難は本当に宿命になってしまう。
生ある限り戦い続ける。
生きて生きて生き抜いて、戦って戦って戦い抜いていく、この人生の真髄を教える大聖人の宿命転換の哲学は、従来の宗教の苦難に対する捉え方を一変する偉大なる宗教革命である。」
仏法者にとっての敗北とは、苦難が起こることではない、と。
その苦難と戦わないで逃げることだ、と。
戦わないで逃げたら、本当にそれが宿命になってしまう、、、、
いやだ〜‼️
絶対、てんかんと今世で縁を切りたい‼️
この思いが私を引っ張り続け、背中を押し続け、今まで頑張ってこられた。
病ある人仏になるべきよしとかれて候、病によりて道心はをこり候なり、、、、
この病がなければ、私は信心も何となくしているだけで、中途半端なもので終わっていただろうと思う。
今のように心の底からご本尊を求めてこなかったかもしれない。
この病は仏の御はからひか、そのものである。
ありがたいことにてんかんと取っ組み合いしている13年のうちに、自分の信心は固く固く磨かれていきました。
人生は短距離走ではない。
マラソンである。
長い長いマラソン🏃♀️をいかにして走り抜くか。
目標を定め、いかにしてものにするか、大変おもしろい長距離走であります。
本物のマラソンは嫌いですが、人生のマラソンは大好きです。