チャイニーズチキンバーガーでお腹が一杯になったところで、やって来たのは「金森赤レンガ倉庫」(函館市末広町14-12)のあるベイエリア。

「金森赤レンガ倉庫」は4つの施設からなる複合商業施設で、函館ベイエリアのランドマーク的存在です。

 

 

写真右手前から、丁度「金森ホール」「函館ヒストリープラザ」「金森洋物館」「BAYはこだて」と、4つの施設が並んでいるのが見えます。

 

 

この赤レンガ倉庫は、「函館ヒストリープラザ」の右側エリア部分。

 

と、この頃、スマホの調子が悪くなって強制シャットダウン。再起動させても電源が入らなくなってしまいました。嫁や息子と別行動で写真を撮っていたので、連絡手段がありません。

まずいなぁ・・・どちらかとうまく落ち合えるまで、通りでうろうろするしかありません。

よって、以降のこの記事の画像は2月に買った年代物のiPadカメラによるものなので、若干画質が暗めです。

 

 

「金森洋物館」側から、「函館ヒストリープラザ」「金森ホール」と続く倉庫群です。

 

「金森赤レンガ倉庫」の創業者は、この函館旅行記でも書いてきた「湯川黒松林」「函館四天王像」の初代渡辺熊四郎。1863年に蝦夷地に渡って来た熊四郎は、この箱館の地で1869(明治2)年に森屋という屋号の洋物店を開業します。

1887(明治20)年には営業倉庫業を開始。1907(明治40)年の大火で倉庫は全焼し、同年に彼も亡くなりますが、1909(明治42)年には倉庫群は赤煉瓦倉庫として再建されました。

1988年、時代の趨勢を鑑みて倉庫は改装され、「函館ヒストリープラザ」として開業。以降、「金森赤煉瓦倉庫」は「金森赤レンガ倉庫」という、レトロ感あふれる複合商業施設へと変わっていく事になります。

 

尚、「旧第百十三銀行」、かつて函館にあった「棒二森屋百貨店」、「函館どつく」などのルーツを辿れば、初代渡辺熊四郎の名を見る事が出来ます。

また熊四郎は私財を投じて区立函館病院を再建したり、学校、上水道、公園などの公共事業にも尽力し、函館の社会インフラ形成に多大な貢献をしました。

昔の経済人は器が違いますねぇ。”国も国民も皆が貧しい時代だったから”というのもあるんだろうけれど、それに比べて今の経済人の何とスケールの小さい事か。

 

※初代渡辺熊四郎以降の後継者たちは、各々渡辺熊四郎を襲名していたようなので、記事では創業者・渡辺熊四郎に対して「初代」と記しています。

 

 

 

(左)「金森洋物館」と、(右)「BAYはこだて」とを隔てる道路。

 

 

こちらは「BAYはこだて」です。

いや~、下手に施設内に入ってしまうと、行き違ってしまう恐れがあるので入れないや。雨も降っているというのに・・・

 

 

 

1882(明治15)年頃に築造されたという運河。「BAYはこだて」部分になります。

ベイクルーズの発着場がありますね。

 

 

通りを挟んで倉庫群の反対は海側になります。

そちらには「函館西波止場」という商業施設や、スタバ、そして「ラッキーピエロ マリーナ末広店」がありました。先ほど食事をした「ベイエリア 本店」とは大して離れていませんよ。それでもお客さん入るんだね~。さすが観光地・函館!

 

 

 

どこかで買い物をしている嫁が通りに出てくるまで、海でも見ていますか・・・

 

やがて何とか嫁たちと合流。

元町散策も見るべきところは見たので、そろそろ駐車場に戻ります。

 

 

再び市電の通りに出てきました。八幡坂です。

 

 

八幡坂は上らず、そのまま右折。

右手に「函館市文学館」(函館市末広町22-5)がありました。

この建物は旧第一銀行函館支店として1921(大正10)年に建設。

1964(昭和39)年に同銀行が移転した後は、(株)ジャックスの建物として使用されてきました。1989年に同社から函館市に寄贈され、1993年から函館市文学館として開館しています。

 

 

こちらは左手にあった「市立函館博物館郷土資料館(旧金森洋物店)」(函館市末広町19-15)。1880(明治13)年に建てられた「旧金森洋物店」を改修して、資料館として使用されているものです。


 

日和坂のふもとに、「北島三郎記念館」が入っている「ウイニングホテル函館」(函館市末広町22-11)がありました。

前面時計塔の外観がレトロっぽいので、写真に撮っておいたのですが、建物自体は2002年の建築です。

かつてこの場所には(棒二荻野呉服店と合併し、棒二森屋となる前の)金森森屋百貨店がありました。1925(大正14)に竣工し、1930(昭和5)年には後方部が増築されています。

 

「函館市史」デジタル版 より

 

旧金森森屋百貨店は2001年に老朽化のために解体されたものの、その跡地の再開発で往年のデザインを再現したこの建物が出来たという訳です。

 

 

では、日和坂を上っていきます。

 

 

駐車場の近くにあった末広町のレトロ家屋。

ネットで調べると、1917(大正6)年の建築という情報がありました。今でも現役の個人住宅のようなので、家主の名前や詳細な住所は書きません。

 

 

その並びにあった赤い屋根の邸宅は、1909(明治42)年建築の「箱館元町の宿・響場(きょうば)」

区立函館病院(現:市立函館病院)の第7代院長・饗場守三が独立した際に、住宅兼診療所として建てたのが始まりだそうで、現在は宿として使用されているようです。

 

さて、元町散策を終えて駐車場に戻って来ました。

これで当初の予定訪問先は完了しましたが、時刻はまだ15:00少し前。

函館を出発するのは16:30頃と考えていたので、約1時間半あります。

滅多に来る事の出来ない土地。

さあ、可能な限り、回ります。

 

 

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