TVドラマ『同期のサクラ』の若手俳優たちを観た | 徒然逍遥 ~電子版~

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ついつい最後まで観てしまった『同期のサクラ』

以前に明記した通り、基本的に我が邦を代表する二人の若手女優、高畑充希橋本愛、この二人の競演・競演を観たいがための鑑賞だった。


当初はそこそこ観られるクォリティのドラマであったが、それも第五話の新田真剣佑の回まで。それ以降なにやら雲行きが怪しくなってきた。


 

第八話に至り遂にピークを迎える。


それが個人的なトラウマとなり、その後全然何も響かなくなった。

もちろん高畑の演技を見ては感心することも多々あったが気が抜けたような気分が恢復せず、第九話では、ありゃ。まだ最終回じゃなかったんかい。と、ぼんやりする始末。終わったな。と自覚した。物語の行方はもうどうでも良くなった。


 

さて、高畑充希は奇異なキャラクターを割り振られたので、その芝居に対する評価が難しいようにも見える。一般常識的水準で推し量れない奇人ゆえ、その言動が果たしてあり得るものか否か判別し難いという向きもあろう。


だが、昨年のTVドラマ『義母と娘のブルース』ヒロインの綾瀬はるかも変人であった。

はっきり言って有り得ない人物である。それなのにバカバカしさを感じさせない人物造形が素晴らしかった。そして彼女の芝居も。

『高嶺の花』『義母と娘のブルース』雑感


“存在しえない奇矯な人物を完璧に演じることにより、我々の中に綾瀬=義母との認識を生み、それが実在する綾瀬とダブってきて義母=綾瀬との錯覚を呼ぶ。となれば珍妙なキャラも嘘から出たまこと式にすっきりと収まってくるといふものだ”


少々長くなるが、それに関する過去記事から引用した。
ここで、高畑も然り。と言わせてもらおう。“サクラ=高畑”が代入可能となるはずだ。

無表情に近いながらも黒目がちの大きな眼の動きで心中思うところをしっかり表現する。この眼の表情による演技は完璧。


さらに、その色ひとつで感情表現を明確化している。確信、高揚感、口惜しさ、喜びなどを、毅然と、上ずりと、震えとをもってその時々で分別しているのだ。


これらの微妙な違いを視聴者でも分かるように発信できるというのは凄い技量だと思う。

綾瀬も高畑もその演技力あってこそ、キャラクターに息を吹き込み、肉付けし、生きた人物として立ち上がらせることを可能とする。ここが『CHEATチート』本田翼との彼我の力量差なのである。

『CHEATチート~詐欺師の皆さん、ご注意ください~』の本田翼を観た


もちろん高畑とて普段は普通人を演じている。そんな時でも立ち振る舞いや咄嗟の動きなどは実に自然なのであろうと得心した場面もあった。


第九話で、相武紗季が高畑が床にとり落としたモノを片付けるべくしゃがみこむと、自分がやります、と腰をかがめようとする。そこで相武が、いいからいいから、と作業しつつ押しとどめる。と、中途までかがめた姿勢がまさに完璧なタイミングで元に戻る。
あまりにも自然過ぎて却って見落としても不思議はない一瞬の出来事だった。


そんなごくフツーの日常生活での所作動作すらも役者は演技せねばならない。しかも相手との掛け合いとなれば、反応が過剰過ぎても薄すぎても拙いし、反応のタイミングが早すぎても遅すぎてもおかしい。それを完全にこなすのは実力の証である。


余談だが、数日前の昼過ぎに妻の実家に立ち寄ったらTVで『忘却のサチコ』を放映していた。これが同じ女優か、と見入ってしまった。


一方、橋本愛はどうか。いや、その前に悪役ないしは憎まれ役をよくぞ引き受けてくれた、と感心した。
最終話でも高畑に「醜いあひるの子が白鳥になって人が変わった?」みたいな憎まれ口を叩くのである。いくらなんでも酷過ぎる。親友面しつつもホントは見下していたのか。と勘繰られても致し方ない言い草だ。

 *こぉの醜いあひるの子がよぉパンチ!*

この憎まれ役も芝居ができてこそだ。ハリウッド映画でも悪役は実力派スターが受けて立つ。

『マラソンマン』(76)のローレンス・オリヴィエ『スーパーマン』(78)のジーン・ハックマン『M:i:3』(06)のフィリップ・シーモア・ホフマン『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』(08)のケイト・ブランシェットなどなど錚々たるたる顔ぶれだ。

サイコ系なら『レオン』(94)のゲイリー・オールドマン『コン・エアー』(97)のジョン・マルコヴィッチら強烈である。

 *舐めとったらあかんどぉコラ爆弾*
比較が大袈裟に過ぎたようだが、リスク覚悟で臨んだに違いない。だって“ユリ=橋本”と、先程の引用文に代入するまでもなく、どうしたって損な役回りである。

 *いっぺん死ぬか。ん?メラメラ*
本当なら、高畑の側に立って支えつつベストのタイミングで意見したり説得したりするのが友人らしい姿のはずだ。それが、すぐにキレて罵るキャラにはどうしたって疑問符が付く。

そんな橋本が高畑を親友と呼ぶなど上っ面だけじゃね?と思われても仕方ない。

 *いらつくんだよテメエはよぉドンッ*
とにかく薄っぺらい友人関係にしか見えず残念。折角のキャラが巧く機能しなかった拙い脚本だった。
おかげで橋本=悪役高畑=善人の構図のみ強調されてしまい、マジで視聴者から憎まれたに違いない。


そんな橋本の覚悟にも拍手だ。加えて迫真のバトルも震えがくるほどの素晴らしさ。さらには、単に動向を見守る脇役となる際の隙の無い芝居も目立たないが上手いものだ。

いつも眼の動きで演技を続けている。わざとらしい表情を無理に作ることも無い。常々感心していたことである。

 *別に怒ってませんw*

では、他の若手たちの一挙手一投足に注視してみてどうだったか。
新田真剣佑の姿勢や佇まいには思わず目を奪われる。殊に正座する姿は実に美しい

第七話でそれが如実に表れた。さすが極真カラテのたしなみがあるだけのお方だ、と惚れ惚れ見入ったものだ。


岡山天音も同じ場にいたが、彼の挙動もリアルである。ヒロインの祖父の話を聴きながら、ちょっと居心地が悪そうな挙動不審な様は演技以上と感じるほどだった。

 *両手をそわそわ*


そんなささいな仕草や表情で芝居ができるか否かがプロとシロートの分かれ道なんだろう。

カメラのフレームに収まっていようがいまいが、自分にピントが合っているか否か、そんなこと関係なしに、カットの声が掛かるまでちゃんと自分の演技を続ける。それでこそ職業俳優だと思う。エキストラなど視線や表情がばらばらだったりするではないか。

まさに“神は細部に宿る”のである。


ついでになるが、竜星涼は他の同期に囲まれて分が悪かった。飽くまでも見た目の分かりやすい芝居に終始するのみ。アベレージの域を出ることは無かった。


高畑とは今年のTVドラマ『メゾン・ド・ポリス』でも共演した。

ちなみに岡山はと言うと、映画『オズランド 笑顔の魔法おしえます。(18)で橋本と共演。

 *左端)橋本、右端)岡山*

 

それにしても遊川和彦の脚本には綻びが目立つのが気になった。

これは作り物、とは承知しつつも杜撰過ぎる設定も多々。最終話は最高視聴率を叩き出したらしいが、終盤の失速傾向は明白。俳優たちも変なセリフや筋の運びに辟易していたのと違うか。と同情気味になってしまった。

 *まるで演劇・・・(苦笑)*

だが、女優二人の競演を観られたので佳しとしよう。


本日も最後までお読み下さりありがとうございました。

 

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