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fuyusunのfree time

長唄などの邦楽をこよなく愛する看護師のfuyusunです。
ナースの仮面を脱いだ、fuyusunの日常を綴っています。

七日から緊急事態宣言が出されるそうですが、今回は本当に規模の小さいもので終わりそうです。

私たち医療従事者はテレワークのできない仕事です。

直接コロナの治療に関係しない医療従事者も、コロナから患者の命を守る事を使命に頑張っています。

コロナ以来、私は通常の一時間前に家を出て出勤します。多少は電車が空いているからです。

それでも電車は混んでいます。きっと、みんなが「なるべく空いた電車で」と思うからでしょうね。

しかし、この中でテレワークで済む人は大勢いらっしゃると思います。

何故なら、前回の緊急事態宣言時は、もう少し空いていたからです。

現在、学生は冬休みですが、三学期が始まればもっと電車は混みます。

 

社会性というか、道徳心が今一つの学生。本当に勘弁してほしいです。

スクールバスを出すとかして、なるべく公共の交通機関を使わないシステムにしてほしい。

 

 

通勤がとてもストレス。未だにマスクしていない人はいるし、大声で話している人はいるし。

そして、通勤の間にコロナを持ちはんこんでいるのではないかとの不安。自身に罹患しなくても、服とか髪の毛とかいろいろに付着している。それをばら撒いているのではないかと不安である。

私たち医療従事者をもっと世の中の接点を減らして、安全に通勤できるように確保してほしい。

我がままですよね。。。

なんか変な花火を打ち上げたり、色々してくれなくていいから、それより、私たちの通勤の安全を確保して欲しい。

宜しくお願いいたします。

正月二日からは多くのお店が始業する。

基本的に巣ごもりが苦手な親子。お節や雑煮に飽きてしまって、ランチは外食となりました。

複合機のインクも買いたかったし、他にも見たいものがあったので街の方に出掛けました。

しかし、旅行に行けず「ステイホーム」の方々が多いのですね。例年になく、通常の休日のような人ごみでした。

テレビもロクなものをやっていないし、多くの人は巣ごもりしきれずに街に出てきているのでしょう。

ちょっと前の正月テレビといえば、長編時代劇をはじめ思考凝らしたドラマをやっているし、バラエティもあるし、古典もあるし、スポーツもあるしでしたが、今はほとんどがバラエティ。私は吉本系のタレントのおちゃらけた番組が好きではないのでうんざり。しかし、他所のチャンネルを回してもマラソンとかスポーツ。興味なし。

BSもCSも時々はたまたまがあるけれど。。。ああ、つまらない。

暇がつぶせない今日この頃。たぶん、多くの人がテレビにうんざり。時間を持て余しての外出が多いのでしょう。

ドラマが少ないのは、その製作費がもったいないから。特に時代劇が少ないのは予算がたたないから。

いい加減、芸人に間を持たせる企画でお茶を濁すのはやめて欲しい。本当につまらない。

 

今日も街に行くと、マスクをしていない青年を見た。

この爆発的感染状況にマスクをせずに人ごみにいるのが信じられない。

いやいや、その子がコロナになって重症化して命が尽きても自業自得ですが、あの手の年代は無症状で高齢者や免疫力のない人にうつしまくっているのですよ。はっきり言って、あんたは存在が殺人兵器になりうることを気が付かないのですかね。

若者が、年寄りが自覚なくフラフラしているから、コロナに罹患して重症化して医療を切迫させているという書き込みをネット上で目にしますが、確かにそれもありますけれど、自覚のない若者がばら撒いているのも確かな事。年寄りばかりが悪いわけではない。

みんながみんなそれぞれが注意して、「うつさない、うつらない」の努力が必要だと思います。

例えコロナ感染者でなくても、

「私はコロナ感染者なんだ」・・・そういうつもりで人に接する事が大切なようです。

人に飛沫を飛ばさないためにマスクをするのはエチケットです。飛沫を飛び散らさないように注意していれば大声でしゃべらないでしょう。

 

しかし、今年初めてのお蕎麦はとても美味しかったです。

贅沢して天せいろも考えましたが、お財布の紐をしっかり調整。

桜エビの天ぷらが乗った「桜そば」美味しかった♪

今年も美味しいお蕎麦を沢山食べたいです。

新年明けましておめでとうございます。

本年も宜しくお願いいたします。

今時のテレビはとても親切。富士の山頂に輝く初日の出の写真のおすそ分けをさせてくれます。

雲の隙間から顔をのぞかせた、これぞ本当の初日の出。冒頭の絶景に至るまではしばらく時間がかかりました。今年一年の平和をご来光に祈りました。

本栖湖近くの龍神池からのダイヤモンド富士の写真もゲットしました。

何だかんだ言いつつも、やはり富士は日本一の山ですね。世界に誇る事のできる美しい山だと思います。

さて、今年は初詣も自粛しました。昨年、近所の氏神様も人ごみで行列を経験。このコロナ渦で多くの人が自粛して地元の初詣が例年以上に増えていると思うのです。新年にあまり欠かしたくない行事ですが、もう少し落ち着いたら遅い初詣に行きたいと思います。

 

ポストを開けたら年賀状が・・・

昨年は大変忙しい日々で、年賀状まで手が回りませんでした。

多忙な年末を上手くやり繰りされて、年賀状をくださった方々に大変申し訳なく思います。時間のやり繰りが下手な事を言い訳に・・・反省です。

必ずお返事出しますね♪

 

当家のお雑煮は、小松菜にゆずのおすましというシンプルなもの。あまりにシンプルなので、十何年前から私の希望で筋子を彩りに使うようになりました。

お雑煮は家々で色々ですよね。色々な具で彩られたお雑煮が子供の頃は憧れでした。

例年は母が担当していたお煮しめ。今年のおせちのお煮しめは私が作ってみました。見た目がごついのですが、なかなかお味は良かったと自画自賛です。

最近、料理が楽しくて夕食は仕事から帰って来て、私が担当しています。

今年も色々とレパートリーを増やしていきたいと思います。

 

コロナに負けず、皆さまにとって良き一年でありますように。

今年も宜しくお願いいたします。

 

年越しそばは、いつものお蕎麦屋で天丼セット。ポイントが溜まっていたので、母と私とそれぞれ100円引きでした。

大晦日ですね。今年も思えばあっという間でした。

コロナのせいで、楽しい思い出が少ないです。

今週は絶対に新規感染者が千を超えると思いましたが、やっぱり千三百を超えましたね。

いつも、この時期は人口の減少を感じる季節ですが、

今年は日常と変わらない人口という感じです。

そして、どこもかしこも人がいっぱい。

本日も、早めに買い物に出掛けたのですが、バスの中で三人組の中年男性が大声で会話している。

本当に非常識。思わず、座っている席付近の窓を全開にいたしました。

マスクはしていても、ペラペラ大声出して、飛沫が飛ぶでしょ。換気、換気!

どこそこのアスベストが含有されたバスマットを持っているがどうのと話していましたが、アスベストもさることながら、あなたの飛沫は同等なくらいに問題です。

しかし、年末のお買い物。一家総出でスーパー等に来るのは止めてほしい。

だからコロナの患者が増えているのに!

子どもはお留守番。そして、お父さんかお母さんが留守番して子供の管理をするべきです。

 

今年は私がお煮しめを作りました。

人参にタケノコ、レンコンにごぼう・・・。レンコンの皮むき。ネットで調べたらアルミ箔をクチャクチャの塊で薄く削ると栄養分が残って良いという事を知って試してみた。レンコンの皮むき。包丁だと怖いのですが、お手軽でよい方法を見つけました。

 

来年は延期したオリンピックを開催する年ですが、本当に開催できるのでしょうか。

経済よりも人命が大切。ごり押しで無理せずに、安全でなければ無理に開催する必要はないと思います。

感染者が増えるばかりのコロナ。来年はどうなるのでしょうか。

 

本年もありがとうございました。

皆さま、良いお年をお迎え下さいませ。

 

 

 

帰宅途中に空を見上げると、とても綺麗な月がでていました。

今年も残すところ僅か。

今年の仕事は本日で終了。

昨年の事故以来、通常通りに働けない状態が続いています。

コロナのせいで、ボーナスも少ないし・・・。先日配た源泉徴収票を見てガックリでした。

来年こそは夜勤に復帰できるでしょうか。やっぱり、看護師は夜勤をやってナンボの商売です。

 

先日、夜勤明けの介護士が夜間に発熱。

発熱=コロナを疑う。という事で、ずっと休憩室に隔離されていたそうです。

しかし、困る人を放ってはおけない性分の看護師が一緒の勤務で色々と世話をやいたそうです。

もしコロナだったら濃厚接触者になっちゃう・・・。

そのナースも心配を抱えながら今日を迎えたようです。

明けて帰って、もしかして「コロナかも」と思いつつ今日まで過ごして来た。

結果はマイナスだったのですが、昨日分かっていたのに一緒に働いていたナースに対しての結果報告は今日。出勤するまで心配だったのに。。。一日不安損。可愛そうに。

 

今日で私は仕事納め。

徐々に認知症が怪しくなる母に対して、きっちり見当識を整えるために年始のお休みを希望したら、年末も休みになった。

ラッキー♪

 

思えは、何年か前に風邪を引いて、両鼻の閉塞で無味無臭の世界に陥った。カレーを食べてもただ美味しくない泥を食べている感じ。

もしかして。。。コロナだったのかもですね。

今年は正月早々に母がインフルエンザになって、熱の為にせん妄に・・・。

初めての経験でかなり吃驚した。

いやいや、仕事ではよく体験している事ですが、プライベートで吃驚ですよ。

本当に、コロナになったら一発で母がボケボケになっちゃう。その恐怖がコロナ流行以来心配の毎日です。

 

今年の半分以上はコロナとの戦いでした。

うちは直接的にコロナ患者を引き受ける病院ではありませんが、入院している患者さんをコロナから守る使命があります。

自身も生活に気を付けて、患者さんがコロナに罹患しないように最大限にプライベートに気を付けていました。

・・・

・・・

政治家の方々は病人を相手の商売でないので、会食とか「えーっ!」の行動を何が悪いという顔でやっていますが、病人相手の商売の私たちは直接コロナの看護を請け負っていなくても大変な思いをして患者さんの命を守っています。

この年末は、コロナのベット確保のために、高齢の患者さんを各病院が放出しているらしくて、本当転院の患者さんの受け入れで大変でした。全部の病院がPCR検査の証明書を持って来てくれるわけではないので、入院時に当院でPCRをして、結果が出るまでコロナ扱い。

患者さんも無機質な宇宙人のような看護師や介護士にケアを受けて・・・認知症の患者さんは現実が分からないので、非常に怖い思いをしているとおもいます。かわいそうです。

 

現場に余裕がなくなった事から、身体拘束が増えました。

細かく患者さんを看護できなくなった証拠です。問題があればとにかく抑制しちゃう。。。そうなるのです、

現場の大変さが良く分かるので、

なかなか「抑制される方々の人権の尊厳」なんて叫ぶ事ができないです。

私的には、細かなケアの追加で、ミトンをしなくても大丈夫とおもうのですがね。。。

そういう意味でもコロナ憎しです。

 

コロナ収束を願います。

 

ある大部屋(九人部屋)。八人は寝たきりでほぼ意思疎通できない状態の患者さん。テレビが見られるわけでもなく、ちょっとでも刺激をと考えたレクレーション係の介護さん。昭和歌謡をいくつかチョイスしてCDに焼いたものをBGMとしてその病室では流されている。

私が生まれる前の曲もあるが、誰でも知っているような懐かしい歌謡曲がその部屋では流されている。

偶然か、その部屋に入るといつも春日八郎の『お富さん』が流れている。

「粋な黒塀見越しの松に~♪」

明るい曲調でウキウキする。しかし、考えてみたら切られ与三郎のお話しだよね。そんなにウキウキしたお話しではないよね。

地元の親分の妾だったお富。その彼女に一目ぼれした与三郎。その情事のために与三郎は親分の子分たちに滅多斬りにされてしまう。お富はその現場から逃げはしたものの追い詰められて入水自殺を図った。

普通だったら二人は死んでいる。が・・・それぞれ命を取り留めた。お富は助けてくれた人の妾となる。与三郎は親から勘当されごろつきに。そして三年後に偶然再会する二人・・・。そんなストーリーに複雑な人間関係などが加わり、なかなか人気な歌舞伎の演目(ストーリーやや自信なし)ですよね。

歌詞をよくよく聞けば

「死んだはずだよお富さん、生きているとは御釈迦様でも知らぬ仏のお富さん」だものね。

生死の狭間にいらっしゃる患者さんのお部屋には、あまり相応しくない歌詞だなぁと思いつつ、明るい曲調に気分よく仕事をしている自分もいる。聞いている患者さんもきっと歌詞の事なんて考えないで、この曲調に楽しい気分になっているのかもですね。

昭和の空間。何気に懐かしくて・・・。私でもそう思うのですから、貧しかった昭和から高度成長する昭和と共に生きてこられた方々ですからね。きっと懐かしく、元気な気分になるんでしょうね。

朝一番に目にした訃報。

堅田喜三久氏の訃報であった。

お囃子の手ほどきは堅田流であった。やっと初舞台を踏んでという時に、前の師匠は旅立ってしまった。

あまりの悲しさに、大好きだったお囃子を諦めていたけれど、約十年の月日の経過で「もう一度お囃子をやりたい」と言う気持ちになった。そして今の師匠に師事する事になった。そして私は藤舎流になった。

 

前の師匠と喜三久氏は同い年であった。「やっちゃん」「まあちゃん」という呼び合うような幼馴染であったようだ。

同い年だったので、どこかでライバル心を抱いていたのかも知れない。前師匠はどちらかというと先代の朴清氏との思い出話が多かったように思う。前師匠は大皮の名手であった。先代の朴清氏や喜三久氏といかに切磋琢磨の演奏をして来たか話してくれた。

前師匠と先代の朴清氏とのカップリングでの演奏はあまり覚えがない。しかし、喜三久氏との演奏は何回も耳にしている。

聴き応えのある、命のこもった演奏で素敵だった。

前師匠が亡くなった時に、もうこういった切磋琢磨な演奏は聴けない事が悔やまれてならなかった。

 

ウィンナーコーヒーを頼んで、まず生クリームだけ食べちゃう姿、

ハヤシライスを頼んだのに、カレーが来て、半分以上召し上がって「あれ?これハヤシライスじゃないね」と間違えを指摘して、しっかり後から来たハヤシライスを召し上がった事・・・

チャーミングな思い出が幾つかあります。

 

小学校に通っていた頃、よく母に連れられて色々な長唄の演奏会に行きました。学校をサボってでも連れて行ってくれた母でした。学校の先生的には困った父兄だったかも知れませんが、私にとっては多感な時に色々よい演奏を目の当たりにして幸せでした。

その頃、「あのおじさんは素敵」と幼心をときめかせたのが喜三久氏でした。「あのおじさんに小鼓を習いたい」と我がままを母に言った時期がありました。あのおじさんではない方を当時の三味線の先生に紹介されたけれど、あのおじさんではなかったのでパスするという生意気ぶりでした。

 

ある時、何故か母が長唄の流派の「お囃子教室」に参加する事になって、なんと「あのおじさん」に手ほどきを受ける事になって・・・、とっても「あのおじさん」が手の届くところに存在する事になった。が、やっぱり遠かった。

なんとかお囃子をやりたい気持ちの実現。「あのおじさん」は無理でしたが、同じ流派で大皮の名手だった前師匠のもとに入門したんだよなぁ。

そして、初舞台で、憧れの「あのおじさん」に並んでいただいた・・・。良き思い出です。

その時の師匠が急逝して、ぜひ憧れの「あのおじさん」に弟子入りしたかったけれど、素人弟子は基本的に受け入れないという事だったので、お囃子を続ける事を諦めちゃった。

それで私は看護師になったんだよね。でも、国家試験で大変だった時も時々亡くなった師匠が夢に出てきて「何故お囃子を辞めたのか」と責めるのです。たぶん潜在意識でお囃子を続けたかったのでしょうね。「ああ、お囃子がやりたい」という気持ちを奥底にしまいながら看護師となって、、、

が、そんな気持ちが芽を出した。ふとした事で今の師匠に出会った。母に流派を変わる事に対してすごっく反対されたけれど、お囃子やりたかったから。亡くなった師匠から学んだ事を無駄にしたくなかったから。

流派が変わった事で、「あのおじさん」がとても遠い存在になった。

 

しかし、流派を超えて教科書として、いつも「あのおじさん」はいた。

きっと「あのおじさん」ならこうして表現するだろう。小鼓に関しては、いつも「あのおじさん」を目指していた。

理想はなかなか実現できないのが素人である。「あのおじさん」のようになれなくて当たり前なのに、自身の非凡さムカついた頃もあったな。

 

 

・・・

色々と思い出が蘇る。

 

そうそう、何年か弟子・・・いやいや生徒さんだった母。大尊敬する方の訃報がどうしても受容できないようだ。

何度も何度も「喜三久先生が亡くなったんだっけ」と確認される。一つ年下の母。この衝撃が健康に影響しない事を願う。

 

このコロナ渦で、人間国宝で現役の演奏家の方なのに、盛大なご葬儀もできないのが残念。

急なご不幸だったようで、ご家族の皆さまも大変だったのではないだろうか。そして、心の準備もない別れに受容できない事ばかりでしょう。

本当に心からお悔やみ申し上げます。・・・合掌

この道、もう半世紀以上あるいている。あの頃は、母に手をつながれて歩いていた。あの頃は、あの頃は・・・。思い出ばかりである。

今は他の地域に住んでいるけれど、どうしてもこちらに足が向いてしまう。何十年も、喜びも悲しみもあった場所だから。

ここに来ると私は、幼児になり、小学生になり、中学生になり、高校生になる。深い愛を誓ったあの人ともこの道を歩んだ。あらゆる世代の思い出が蘇る。

仲良しの鷺。この距離感が素敵だ。近からず遠からず。コミュニケーションを取る最大で最小の距離であろう。

一艘の白鳥のボートが水面を揺らしてい.る。

毎年、桜の季節はもっこりピンクになる風景が、今は痩せ細った感じがする。

しかし、よくよく見ると秋の趣きがいっぱいの公演である。

このポイントは桜も有名である。

春は桜、秋は紅葉・・・管理者の演出を感じた。

この季節は、池の水の枯れ葉による淀みが何故か感慨深くなる。

紅葉といえば赤なのですが、黄色い紅葉がある事に今日気が付いた。

美しい。黄色も赤も、秋色はとてもきれいだ。

小さい子供はどう越冬するのかしら。頑張って、これからくる試練に耐えて春を迎えて欲しいものだ。

いつも、いつも思う事。あの頃は親の気持ち、そして、叔母の気持ちとなり、、、、もしかして、今は祖母の気持ちかも知れない。

ふと、すれ違う人。もしかして、同級生の孫かな?なんて思ってしまう。

けっこう同級生はこの地元で生活している人がいるので、ついついそんな事を思う。

さて、地震雲と思われる雲が・・・

穏やかな休日なのに、何故か不安に感じてしまう空模様でした。

綺麗な紅葉に感動。

こんな感じの着物を作りたいなぁ。なんて妄想。しかし正座が未だにできない私。お稽古の復活もまだ難しいし、演奏活動なんて夢の夢の話である。だから、着物を作っても着る機会もないし・・・なんか、寂しいです。

 

先日ニュースで、どこぞのスーパーでかぼちゃの天ぷらが何故かレジ付近の床に落ちていて、それを踏んだ男性が滑って転倒して怪我をした。

なんか、けっこうこの手の事故って多いのかしら。・・・私も経験者・・・

しかし、裁判になったという事は、相手のスーパーに全然誠意がない対応だったのでしょうね。しかし、裁判になって身体的にも精神的にも困憊状態なのに、裁判費用の方が高かったのではないかという結果ですよね。

スーパーの安全管理不足はあるけれど、そもそも天ぷらは他のお客さんが落としたもので、店の人が落としたわけではない。よって天ぷらが落ちていた事に対して店側に全面的な責任はない。あなたも注意していれば床に落ちている天ぷらを踏む事はなかったでしょう。なんて言われるんですよね。確かに、落としたのは他のお客さん。しかし、そういわれるとその客を必ず見つけ出して責任を負わせたい気分になる。だいたい床ばかり気にしていたら買い物できないよね。裁判所に難癖付けられている感じ。そういっている自分だって床に何か落ちているのではないかと注意を払ってショッピングするかい?

滑って、たまたま前に倒れたから膝の怪我で済んだけれど、これが後ろに倒れて頭を打って死んでしまっても、店の安全管理不足はあるが、そもそも注意散漫に歩いているあなたが悪い。子どものケースだったら、きちっと保護しない親が悪いとなるんですかね。なんかやるせないなぁ。

このスーパー。うちの近くにも支店があるけれど最低最悪。

たぶん、色々な天ぷらが並べられていて、好きな天ぷらを自分でトングで取って、パックに入れてレジに持って行って会計するパターンの奴で、その客はきちっとパックをしめなかったか、またははみ出るくらいにパックに入れ過ぎて気づかないうちにポロンとかぼちゃの天ぷらが床に落ちちゃったのだろうな。いやいや、気が付いたけれど、床に落ちたから無視したのかも。

まあ、こういう不道徳な客をどうするかではなくて、店側がポロンとならないようにどうするかを対策するべきだな。たぶん、不誠実なお店だから、そういう事も考えないのだろうな。

 

 

 

うちの病院はここまでひどい身体拘束はしませんが、ミトン・つなぎ・三点柵・センサーと、全く身体拘束をしないわけではありません。

私的には、ミトンは最悪な身体拘束だと思います。まだ、紐で上肢を抑制したほうが、見た目は悪いけれど害が少ない。

ミトンは、手の拘縮や手の白癬の発生とか良いことがない。安易な身体拘束をして、たった一週間で普通の手だった患者さんが、全く運動のできないマネキンのような手になってしまった事を今でも覚えています。

 

急性期の病院の方々にお願いしたい。

最近、大学病院を始めとして、急性期病院では、内頚部にCVを挿入するのが流行しているらしい。確かに、鎖骨では気胸のリスクがあるし、鼠経では感染のリスクが高い。リスクを考えると内頚は一番安全である。

しかし、一般の皆さんでも、首に何かあると気になりませんか。ちょっと首を動かせばCVが気になるはずです。

頭部はけっこう動きます。動くたびに首の異物が気になると思いますよ!

また、一番、「こんなの嫌」と自己抜去しやすいところにある。

 

生活の場である療養型病院では、患者さんの尊厳を損ない、基本的人権の侵害となる身体拘束はなるべくしたくないのです。

何故なら、治療上仕方がなくではないからです。

生活の場ですから、大切なのは患者さんの尊厳です。

しかし、経口的に食べられない患者さんに対して、急性期の病院て経管栄養や 経静脈栄養を施して療養型病院に転院してくる。

非経口栄養を選択されている患者の中にも、いやいや実は食べられちゃう人がいます。

たまたま、その病院のご飯が口に合わなかったり、介助のされ方が悪くて拒食を示す人がいます。

うちの病院は、よその病院に比べて味付けが濃い。高齢者に美味しさが伝わりやすい食事を用意するので、拒食だった方がパクパク食べるケースが時々あります。

 

非経口で来た患者さん。そのルートを安全に確保するために、身体拘束するケースがとても多いです。

「食」は生命に関わる事です。食べられなければ餓死となるのです。生命に関わる事は抑制はしかたない・・・。

たぶん、多くの施設でもそう判断するとでしょう。

そして、身体拘束は死ぬまで続き、ご本人は尊厳を失いながら終末を迎えるのです。

いやいや、このCVのルートが鼠蹊部だったら・・・。経鼻栄養でなくてPEGだったら・・・。

その人の尊厳を損なわれずに済むのにという事が多々あります。医療者の説明や判断で、その患者の一生が台無しになるのです。

 

急性期の病院の方々。その人がいかに尊厳を保ち基本的人権が確保されるか工夫して療養型に送ってほしいです。

内頚のCV確保は、しっかりした人でも気になって自抜事故を起こします。

医師が安全に主義を提供する事も大切ですが、

以降、数年の失われる尊厳の方が重要と私は思います。