私と同じ「大輔」という名前の映画監督が、昔、京都の大映にいたわけだが、実は私の名前は、映画好きの父が、私が生まれた直後に、伊藤大輔の名前を新聞で見かけて、「大輔」と名付けたことを父から聞かされていた。
私と同じ「大輔」という名前の映画監督が、昔、京都の大映にいたわけだが、実は私の名前は、映画好きの父が、私が生まれた直後に、伊藤大輔の名前を新聞で見かけて、「大輔」と名付けたことを父から聞かされていた。
京都に移住してから10日が経ちました。
東京で暮らしていた時との一番の違いは、朝、目が覚めると、マンションのベランダの窓越しに、山(東山)が見えること。
今は梅雨時なので、東山の頂上に雲がかかっている日が多く、その雲のかかり具合というか、山の表情が毎日違っているので、過去(昨日の東山)はもうどこにもない、という事実をありありと実感できます。
東京で暮らしていた頃は、ベランダ越しに向かいのマンションの壁面とわずかに空が見える程度で、景色としてはそれほど変化を感じられず、あらためて自然に触れられる地に越してきて、よかったなと感じています。
振り返ってみると、私は今年の春、桜を見るために京都を訪れたのですが、六角堂の桜を見た後、イノダコーヒーの本店まで歩いている最中、「この辺りに住めば、毎日、コーヒーを飲みながら読書して暮らすのに最高かも…」と思い出しました。
そして、京都の不動産屋さんに「イノダコーヒーの近くで物件を探して欲しい」とリクエストし、この7月に30年以上暮らした東京から京都へと引っ越してきました。
桜の季節に、六角堂からイノダコーヒーまで歩いていなかったら、今ごろ、まだ東京で暮らしていたかもしれない。
そう考えることもできるでしょうが、現実にはそうなっておらず、私はここで暮らしたいと思う街に出会い、実際、今ここにいます。
ですから、ここが私の新しい住処(すみか)となり、マンションの名前は「スミカ〇〇〇〇」と言います。
そして、新しい電話番号の下4桁は1715(イーナイコー)となっています。
お知らせ
京都での非二元(ノンデュアリティ)の対面セッション。
どこのカフェでやろうかと、ここ数日、烏丸御池界隈のカフェを巡っていたのですが、この文章を書いていて、わざわざ探す必要がないことがわかったので、対面セッションのご予約の受付を開始しました。
また、7月18日(日)にはオンラインでの講話会「公然の秘密」を開催します。
6月末をもって30年以上暮らした東京を離れ、京都に引っ越すことになりました。
東京で暮らした30年の間に、2人の息子が生まれ、彼らもあっという間に大人になり、今年から働き出しました。
そして私は、仕事を続ける上で、これから先もずっと東京で暮らす必要があるだろうと思っていたのですが、昨年から今日に至るまで、コロナの影響で会場を思うように借りられなくなり、講座の開催方法をオンラインに切り替えたところ、以前と変わらず講座をやっていけることがわかりました。
それで、この身ひとつあれば、どこでも暮らしていける自由があったことに気がつき、じゃあ、どこで余生を過ごそうかと考えたところ、真っ先に京都の風景が思い浮かびました。
私の両親は共に京都生まれの京都育ちで、私自身3歳まで京都で暮らしていたので、自分が最初に話し言葉を覚えた地に今回55年ぶりに戻り、初心に戻って、自己のあり様を見直していきたいなと感じています。
また京都には、毎日、散歩しても、巡りきれないほど数多くのお寺があります。
自分の足が元気に動くうちに、知らない寺を訪ねては庭を眺めて一休み、そんな散歩を楽しみたいなと思います。
そして京都は、道元禅師が「正法眼蔵」を書き始められた地でもあります。
文庫本の正法眼蔵を持ち歩きながら、お寺だけでなくカフェや甘味処にも立ち寄り、漢文を読めるようになるよう日々の勉強と読書を続けていきます。
東京でお世話になった皆様、長い間、ありがとうございました。
京都にお越しになったら、また、お会いしましょう。
お知らせ
京都に移ってからは、「公然の秘密」という名で、定期的に講話会(オンライン)を開いていこうと考えています。
近所の蕎麦屋で、蕎麦を食べながら、ふと外を眺めると、縦長ののれんが揺れ動いていて、こんな話を思い出した。