非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」 -6ページ目

非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

より多くのお金を求めて働く貨幣経済の中で、自分らしく輝きながら、他者と共に幸福に生きる「技と知」を、ライフコーチの矢沢大輔が提案。

私は最近、イノダコーヒ三条店のカウンター席が気に入っている。

円形のゆったりとしたカウンター席でアイスカフェオレを飲みながら新聞や禅の本を読んでいると、避暑地のホテルのラウンジで夏休みを過ごしているような気分にさせてくれる。

3日前、三条店で支払いをすませて、自動ドアの前に立つと、ドアが3分の1ほど開いた瞬間に突風が吹き、ガタっと音がして自動ドアが店内側に押し込まれ、ドアが開かなくなった。

「こういうこと、よくあるんですか?」と聞いてみると、「初めてだ」という返事がかえってきた。

そして、今日、三条店に行ってみるとドアが開けっぱなしになっていて、まだ完全に直っていないことがわかった。

イノダコーヒー三条店の自動ドアを破壊した男。
それが私なのかと思いながら、同時に、3日前のその後の出来事の記憶が頭に浮かんできた。

3日前、三条店を出た後、家の方に向かっていると、京都文化博物館に貼られた一枚のポスターに目が止まった。

小津安二郎監督の東京物語の画像の横に「映画にのこる日本の精神風土」と書かれていた。
古い映画を上映していることがわかり、館内に入って、今日は何を上映しているのかを聞くと、「王将」だとわかった。

王将は、大阪の天王寺で暮らしていた将棋棋士、坂田三吉の奔放ぶりを描いた映画で、監督は伊藤大輔。

私と同じ「大輔」という名前の映画監督が、昔、京都の大映にいたわけだが、実は私の名前は、映画好きの父が、私が生まれた直後に、伊藤大輔の名前を新聞で見かけて、「大輔」と名付けたことを父から聞かされていた。

その後、私は縁あって、映画のポスターのキャッチフレーズを書く仕事をしていた。

しかし、自分の名前の命名のきっかけとなった伊藤大輔監督の映画を観たことは、一度もなかった。

それが1ヶ月前に東京から京都に引っ越してきたことで、しかも偶然、文化博物館の前を通りかかり、ポスターに目が止まったことで、今回、初めて伊藤大輔監督の作品を観ることができ、閉ざされていたこちらの扉は見事に開いた。

そして、王将を見て感じたことは、明治時代の日本人が、仏教とは精神的に切っても切り離せない暮らしをしていた、ということ。

「映画にのこる日本の精神風土」

まさにこの言葉通りの企画展であり、実に的を射たキャッチフレーズだと思った。

お知らせ
10月3日(日)オンライン開催。
自己の素晴らしさを知る講話会「公然の秘密」のお申し込み受付を開始しました。

成功を追い求めたり、幸福を追い求めたり、豊かさを追い求めたり、自分らしさを追い求めたり…

今ここにないように思えるこれらをつかみ取ろうと、ああでもないこうでもないと試行錯誤を繰り返しているうちは、自己の真相の素晴らしさに気づけない。

今ここに、求めていたものが求めなくても実現されている(はっきり見えている)ことに気づけない。

気づけないから、それを求めて探し周ってしまう。

どっちの方向に進めば、成功に近づけるのか?
幸福に近づけるのか?

この心の動きが、迷い。

では、どうすれば、迷わなくなるのか?
うろたえずに、落ち着いて、日々を過ごせるようになるのか?

ここを離れて、どこかよその場所に何かを求める動きが止まれば、ここにあるものが、そのまま、はっきり見えるようになる。

探さなくてもよかった「事実」に、触れられるようになる。

真実に触れたなら、もうこれ以上、近づきようがないのだから、どこにあるのかと探し周る、落ち着きのない心の動きは止まる。

止めようとしなくても、止まる。

追伸
あなたが何か(たとえばお金)を求めているなら、「あなた」とあなたが求めている「お金」は距離を置いて離れていることになります。
あなたの体とお金が別々の場所にある。
2点に分かれて存在している。
これが、思考が作りだしている「二元性」の考えです。
でも、実際には、分かれて(離れて)存在している二つのものなど存在していません。
離れた2点などないので、これを「不ニ」と言ったり、「非二元」と言ったりします。
でも、これを頭で理解することは不可能です。
なぜなら、頭の働きによって生じる思考そのものが「二元性」だからです。
非二元に触れる経験をしてみたい方は、矢沢大輔か、認定ファシリテーターによるプライベートセッションを一度、受けてみてください。

京都に移住してから10日が経ちました。


東京で暮らしていた時との一番の違いは、朝、目が覚めると、マンションのベランダの窓越しに、山(東山)が見えること。

今は梅雨時なので、東山の頂上に雲がかかっている日が多く、その雲のかかり具合というか、山の表情が毎日違っているので、過去(昨日の東山)はもうどこにもない、という事実をありありと実感できます。


東京で暮らしていた頃は、ベランダ越しに向かいのマンションの壁面とわずかに空が見える程度で、景色としてはそれほど変化を感じられず、あらためて自然に触れられる地に越してきて、よかったなと感じています。


振り返ってみると、私は今年の春、桜を見るために京都を訪れたのですが、六角堂の桜を見た後、イノダコーヒーの本店まで歩いている最中、「この辺りに住めば、毎日、コーヒーを飲みながら読書して暮らすのに最高かも…」と思い出しました。

そして、京都の不動産屋さんに「イノダコーヒーの近くで物件を探して欲しい」とリクエストし、この7月に30年以上暮らした東京から京都へと引っ越してきました。

桜の季節に、六角堂からイノダコーヒーまで歩いていなかったら、今ごろ、まだ東京で暮らしていたかもしれない。


そう考えることもできるでしょうが、現実にはそうなっておらず、私はここで暮らしたいと思う街に出会い、実際、今ここにいます。


ですから、ここが私の新しい住処(すみか)となり、マンションの名前は「スミカ〇〇〇〇」と言います。

そして、新しい電話番号の下4桁は1715(イーナイコー)となっています。


お知らせ

京都での非二元(ノンデュアリティ)の対面セッション。

どこのカフェでやろうかと、ここ数日、烏丸御池界隈のカフェを巡っていたのですが、この文章を書いていて、わざわざ探す必要がないことがわかったので、対面セッションのご予約の受付を開始しました。

また、7月18日(日)にはオンラインでの講話会「公然の秘密」を開催します。


引越し準備のため引き出しの中を整理していたら、こんなものが出てきた。


26年前に取得したワインのソムリエ資格だが、今、振り返ると、この資格を取った当時、私はワインの色も香りも味も、まったく感じとれていなかった。

資格は、知識さえあれば取れる。
もっと正確に言うなら、自分が既に知っている知識を通してワインの香りや味を分析し、言語化できれば、資格は取れる。
また、お客さんに対しても、香りや味の特徴を言語化して伝えることができれば、ソムリエの仕事はそこそここなせる。

でも、残念なことに、資格を取るために頭の中に入れたさまざまな知識が邪魔になり、一本一本異なるワインの香りも味もダイレクトに感じられなくなる。
ワインの香りそのもの、味そのものをありのままに楽しめなくなる。

26年前の私は、まさにそう言う状態に陥っていて、目と鼻と口ではなく、頭を使ってワインを理解し、ワインを味わったつもりになっていた。

実際には、目で色に触れ、鼻で香りに触れ、口で味に触れているのに、頭にある知識が邪魔をして、ワインを味わうのではなく、ワインを評価する人になってしまっていた。

でも、仏法(不ニの法)を知ってから、私の飲み方は変わった。

お茶を飲めば、お茶の味がする。
ワインを飲めば、ワインの味がする。
日本酒を飲めば、日本酒の味がする。

飲めば、そのものの味、香りがする。

ここに、ウンチクや評価を差し挟む必要はない。

「自分の事は自分でやりなさい」

小さい頃、親からこう言われて育った人は多い。

ここで見逃しがちなのは、この言葉には「自分と他人」とが別々に切り離されている意味合いが含まれていること。

だから、この言葉を信じて育った人は、一般的には「自分でなんでもできる人」「自立した人」と捉えられているが、現実には、家庭においても、職場やコミュニティにおいても、周りへの気配りができない人になったりする。

なぜ、そうなるのか?

たとえば、喉が渇いて、何かを飲みたいなと思ったとしよう。

「そういえば、冷蔵庫の中にお茶があるな」と思って、お茶を取りに行く。

その時、この人は、自分のお茶だけを取りに行き、周りに人がいたとしても、「お茶飲む?」とは聞いたりしない。

なぜなら、「自分の事は自分でやる」のがこの人の信念になっているからだ。

他の人が今、何かを飲みたいかどうかなんて、その人が決めること。
そして、もし、何かを飲みたいのなら、自分で取りに行くのが当たり前。

そう考えているので、人から「この人、気が効く人だね」と思われるような事はほぼ起こらない。

その一方、自他を隔てて物事を見ない仏教を学んだ人でれば、人から「気が効くね」と褒められたいがためにお茶を運んでくるわけでもなく、ただお茶を飲みたいからお茶を取りに行き、その場に居合わせた人たちにもお茶を配れる。

でも、今の日本には、自他を隔てない「不二の法(仏法)」を伝えてくれる人は少なくなり、「自分の事は自分でやりなさい」という西洋からきた個人主義の考えを広める人が多くなってしまった。

自立という名の「孤立」が進み、人間関係がギスギスした世の中になるのも、これでは仕方あるまい。
「見返り(報酬)なしで、なんで私があなたのためにお茶入れなきゃいけないの?」
そう考える大人や子供が増えるのも、これまた仕方あるまい。

お知らせ
7月より京都に移転するため、東京での対面によるプライベートセッションは、6月26日(土)までとさせていただきます。

6月末をもって30年以上暮らした東京を離れ、京都に引っ越すことになりました。


東京で暮らした30年の間に、2人の息子が生まれ、彼らもあっという間に大人になり、今年から働き出しました。


そして私は、仕事を続ける上で、これから先もずっと東京で暮らす必要があるだろうと思っていたのですが、昨年から今日に至るまで、コロナの影響で会場を思うように借りられなくなり、講座の開催方法をオンラインに切り替えたところ、以前と変わらず講座をやっていけることがわかりました。

それで、この身ひとつあれば、どこでも暮らしていける自由があったことに気がつき、じゃあ、どこで余生を過ごそうかと考えたところ、真っ先に京都の風景が思い浮かびました。


私の両親は共に京都生まれの京都育ちで、私自身3歳まで京都で暮らしていたので、自分が最初に話し言葉を覚えた地に今回55年ぶりに戻り、初心に戻って、自己のあり様を見直していきたいなと感じています。


また京都には、毎日、散歩しても、巡りきれないほど数多くのお寺があります。

自分の足が元気に動くうちに、知らない寺を訪ねては庭を眺めて一休み、そんな散歩を楽しみたいなと思います。


そして京都は、道元禅師が「正法眼蔵」を書き始められた地でもあります。

文庫本の正法眼蔵を持ち歩きながら、お寺だけでなくカフェや甘味処にも立ち寄り、漢文を読めるようになるよう日々の勉強と読書を続けていきます。


東京でお世話になった皆様、長い間、ありがとうございました。 


京都にお越しになったら、また、お会いしましょう。


お知らせ

京都に移ってからは、「公然の秘密」という名で、定期的に講話会(オンライン)を開いていこうと考えています。

己(おのれ)こそ己の寄るべ己を置きて誰に寄るべぞ。
よく整えし己こそまこと得難き寄るべなり。

これは、初期仏教の経典「法句経(ダンマパダ)」の句ですが、私がこの言葉に初めて触れたのは今から51年前、7歳の時でした。

少林寺拳法の道場に入門した時、聖句としてこの言葉を覚え、唱えていました。

少林寺拳法の道場には9年通っていたのですが、当時、小学生、中学生であった私は、この言葉がお釈迦さんの言葉であることを知らず、またこの言葉の意味もわからないまま、ただ声に出して唱えていました。

道場に通っていてつらかったのは、稽古が始まる前に、道場の床をほうきで掃いてから雑巾がけをしていたのですが、その雑巾絞りの役まわりを引き受けた時でした。
裸足で玄関先の外に出て、水道からバケツに水を入れ、みんなが床をふくための雑巾と、拭き終わって汚れた雑巾を、また、バケツの中で洗って絞ることを繰り返していたのですが、冬の寒い日にこの役目を果たすのは、水も冷たく、着ているのも道着一枚の薄着でしたから、とても寒かくてつらいなと感じていました。

また、道場から7、800メートルほど離れた駅まで道着姿でみんなで走って行き、ドブ臭い駅の地下道の掃除をすることも時々あって、「僕は武道を習うために道場に入門したのに、何でこんなことまでやらなあかんのか、武道の練習と何の関係もないやん」と思いながら、いやいや掃除をしていました。

練習を始める前にも、必ず板の間の上で坐禅する時間もあり、足がシビれるのもつらくて、こんなことを練習前に毎回やって、いったい何の意味があるのかと疑問に思っていました。

そんな私も、50歳を過ぎてから、冒頭にあげた聖句が、お釈迦さんがお亡くなりになる直前に、嘆き悲しんでいる弟子の阿難に向かって語られた言葉であったことを知りました。

「阿難よ。私はもうすぐ死ぬが、悲しんでいてはいけない。私は裏表の区別などない法というものを全て教えてきた。私の教えに秘密などない。自己と法は別々にあるものではなく一つであり、それを寄りどころとしなさい。その他のものを燈火としてはならない

聖句が語られた背景とその意味を知ってから、私は50年ほどかかってやっと己(おのれ)とは何かを知り、聖句を実践できるようになりました。

この身が今、道場にあるなら、道場も含めて己。この身が今、地下道にあるなら、地下道も含めて己。
この身が今、職場にあるなら、職場も含めて己。

どこにいようと、誰といようと、よく整えし己こそ、まこと得難き寄るべなり。

お知らせ
「自己の素晴らしさを知る」講話会の受付を開始しました。


近所の蕎麦屋で、蕎麦を食べながら、ふと外を眺めると、縦長ののれんが揺れ動いていて、こんな話を思い出した。



旗がパタパタと動いている様子を見て、一人のお坊さんが「あれは旗が動いているんだ」と主張し、もう一人のお坊さんが「いや、あれは風が動かしているんだ」と反論しているところに、たまたま慧能禅師が居合せ、「旗が動いているのでもなければ、風が動かしているのでもない」と答えたという話。

では、慧能禅師が何が動いていると答えたかは、公案の答えになってしまうので、ここでは回答を差し控えるが、その答えを聞いたお坊さんたちは、あっと驚き、「もしやあなたが五祖弘忍禅師の所で印可(悟りの証明)を得て、その後、行方がわからなくなった六祖慧能禅師では?」と直感させるほど、慧能禅師の答えは鋭かったのだ。

普通に考えれば、店先ののれんが揺れ動いていたら、「風が吹いているから、のれんが揺れている」と思うか、「風によってのれんが揺れた後、風がやんでもしばらくの間、のれんは揺れ続けている」と思うことだろう。

でも、このどちらの「思い」も、頭で考えた答えであり、これでは、禅の公案は通らない。

「風」と「のれん」。
「動くのれん」と「それを眺めている私」。

頭はこんなふうに、物事を二つに分けて考えることしかできない。

しかし、慧能禅師は、「仏法は是れ不ニの法なり」と説いている。

動いているのは、のれんでもなければ、風でもない。

のれんが揺れている眼の様子は、不二(非二元)そのもの。

「のれんが揺れているのか」それとも「風が動かしているのか」と言った疑い、迷いが生じるのは頭の中だけ。

そして、蕎麦を食べる時も、食リポするかの様に頭を使って味を評価しようとしたなら、蕎麦の香りも味もぼやけて、楽しめなくなる。

追記
非二元(ノンデュアリティ)=「私はいない」と思い込んでいる人がいますが、「私はいない」という思いも、頭の中の考えであり、それでは「私はいる」と思っている人に対して、「いや、私はいない」と言って正反対の意見を戦わせることになるだけで、これでは「風動幡動」でもめていたお坊さんたちと同じように、不二(非二元)を悟れません。
不二(非二元)とは何かを知りたい方は、一度、ノンデュアリティ・プライベートセッションを受けてみてください。
現在、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、プライベートセッションは、zoomか電話のみで行っています。
昨日は、zoomを使って「非二元入門」を開催した。

「非二元(ノンデュアリティ )=二つがない」とは、そもそもどういうことなのか?

それを知るには、「考え」を通して理解しようとしても絶対にわかりようがないけれど、「ダイレクトパス」であれば、誰でも直ちに触れられることを話してから、手元にあったマジックペンや扇子を使って、「二つがない経験」をしてもらった。

また、日常生活と離れたどこか別の場所に、自分が求めてきた本当の何かが隠されているわけではなく、日常の真っ只中に本物(真実)があらわになっていること(これを「公然の秘密」と言ったりもする)。

でも、なぜ、それが見えなくなるのか?聞こえなくなるのか?

その答えとして、講座が始まる直前に、私の母が発した一言を例に挙げ、いかに多くの人が、「現実」を見ているつもりでいて、実はまったく見ていない事実についても明らかにしておいた。

そして、昨日の夕方、京都出身の父母と私の3人で、TBSの「世界遺産」を観ている時に、面白いことが起きた。

京都の禅寺「龍安寺」の石庭が映し出された時、父がこう言ったのだ。

「俺には、この庭に置かれた岩を見ても、それが何を意味しているのか、さっぱりわからない。それがわからないから、この庭の何がいいのかもわからない」

父は、世界遺産に認められた庭の良さをわかろうと努力していた。

でも、中国の禅師(慧能、馬祖、臨済禅師など)や中国で禅を学んだ道元が伝えようとしていたことは、頭で考えてわかるような複雑な話ではない。

だから、今日、父にも、昨日、非二元入門で話したようなことを折りを見て話してみようと思う。

お知らせ
新型コロナウイルスの陽性者が増えてきたため、非二元(ノンデュアリティ )プライベートセッションは、当面の間、オンライン又は電話でのみ対応させていただきます。
本棚の中で長年眠ったまま、再読されることがなかった大量の本を昨日、段ボールにつめこみ、BOOKOFFに引き取ってもらった。

段ボールに本を詰め込みながら思ったのは、「よくこんな本を買い、しかも、大量の時間まで費やし読み終えたものだ」という思いだった。

それぞれの本のタイトルを見ているだけで、40代の頃の自分がいかに先行きの不安をを感じながら生きていたのか、さらに、これらの本がいかに当時の私の不安につけ込み、正しい方向に私を導くどころか、ただ本を売らんがために書き上げられたものであったかが、今の時点から見ると、よくわかるようになった。

もちろん、悪いのは、本の方ではない。

これらの本を求める私の心そのものが、絶えず不安にさいなまれつづけていて、少しでもその不安から解放されたいという衝動から、これらの本に私自身の心が飛びついていたのだ。

しかし、私は幸運なことに、50歳を過ぎてから、良書(良き教え)に出会えるようになった。

良き教えに出会うと、これまでに読んできた本が読む価値がないほど本質から外れた駄本であるとわかるようになるし、それと同時に良書(良き教え)以外の本は読めなくなる。
つまり、良書は何度も繰り返し読むことになるだろうし、ずっと手元に置いたままの本となる。

「願わくば、もう少し早くこれらの本に出会えていればなー」とも思えるのだが、おそらく30代、40代の頃の私の目には、これらの本のタイトルがたとえ視界に入ってきても、私の人生とは何の関係もないものだと思えただろうから、「願わくば…」という可能性はまったくあり得ず、「出会うべき時に出会うべきものと出会える」が真実なんだと今は思う。

30代、40代の頃の私は、洋書を読めず、日本の禅の本がどれほど世界中で読まれているのかも知らなかったし、たとえ、日本語で書かれた道元の本を書店で見かけたとしても、「それが自分の日々の生活となんの関係があるのか?」「そんな教えにうつつを抜かしている暇があるなら、仕事の効率を上げる努力をした方がよっぽど身のためだ」と思えるほど、三毒(貪・瞋・痴)の中でもがき苦しんでいたから。

お知らせ
3月22日から桜を見物するため、3日間、京都に滞在し、3月25日から4月中旬まで、大阪の実家に滞在します。
大阪滞在中、非二元の対面セッションは、梅田のカフェで行います。