己こそ己の寄るべ | 非二元|縁起的現象としての「私」

非二元|縁起的現象としての「私」

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己(おのれ)こそ己の寄るべ己を置きて誰に寄るべぞ。
よく整えし己こそまこと得難き寄るべなり。

これは、初期仏教の経典「法句経(ダンマパダ)」の句ですが、私がこの言葉に初めて触れたのは今から51年前、7歳の時でした。

少林寺拳法の道場に入門した時、聖句としてこの言葉を覚え、唱えていました。

少林寺拳法の道場には9年通っていたのですが、当時、小学生、中学生であった私は、この言葉がお釈迦さんの言葉であることを知らず、またこの言葉の意味もわからないまま、ただ声に出して唱えていました。

道場に通っていてつらかったのは、稽古が始まる前に、道場の床をほうきで掃いてから雑巾がけをしていたのですが、その雑巾絞りの役まわりを引き受けた時でした。
裸足で玄関先の外に出て、水道からバケツに水を入れ、みんなが床をふくための雑巾と、拭き終わって汚れた雑巾を、また、バケツの中で洗って絞ることを繰り返していたのですが、冬の寒い日にこの役目を果たすのは、水も冷たく、着ているのも道着一枚の薄着でしたから、とても寒かくてつらいなと感じていました。

また、道場から7、800メートルほど離れた駅まで道着姿でみんなで走って行き、ドブ臭い駅の地下道の掃除をすることも時々あって、「僕は武道を習うために道場に入門したのに、何でこんなことまでやらなあかんのか、武道の練習と何の関係もないやん」と思いながら、いやいや掃除をしていました。

練習を始める前にも、必ず板の間の上で坐禅する時間もあり、足がシビれるのもつらくて、こんなことを練習前に毎回やって、いったい何の意味があるのかと疑問に思っていました。

そんな私も、50歳を過ぎてから、冒頭にあげた聖句が、お釈迦さんがお亡くなりになる直前に、嘆き悲しんでいる弟子の阿難に向かって語られた言葉であったことを知りました。

「阿難よ。私はもうすぐ死ぬが、悲しんでいてはいけない。私は裏表の区別などない法というものを全て教えてきた。私の教えに秘密などない。自己と法は別々にあるものではなく一つであり、それを寄りどころとしなさい。その他のものを燈火としてはならない

聖句が語られた背景とその意味を知ってから、私は50年ほどかかってやっと己(おのれ)とは何かを知り、聖句を実践できるようになりました。

この身が今、道場にあるなら、道場も含めて己。この身が今、地下道にあるなら、地下道も含めて己。
この身が今、職場にあるなら、職場も含めて己。

どこにいようと、誰といようと、よく整えし己こそ、まこと得難き寄るべなり。

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