非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」 -38ページ目

非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

より多くのお金を求めて働く貨幣経済の中で、自分らしく輝きながら、他者と共に幸福に生きる「技と知」を、ライフコーチの矢沢大輔が提案。

非二元(ノンデュアリティ)は、スピリチュアル市場に突如現れた新商品でもなければ、宗教の教義でもない。

非二元には、教えられるような「教義」も「コンテンツ」もない。

だから、非二元のセッションをやっている時に、「矢沢先生」と呼ばれると、「私は先生じゃない」とつい言いたくなってしまう。

学習法や記憶法を教えている時には、伝えられる「コンテンツ」がちゃんとあるので、「矢沢先生」と呼ばれても何の違和感も感じない。

でも、非二元のセッションをやっている時に「先生」と呼ばれたら、「非二元は私の話を聞いてわかるようになる教えではない」ことを、まず伝えてからセッションを始めるようにしている。

「宗教」には、文字が表している通り、人に伝えられるような「教え」がある。

たとえば、お坊さんやスピリチュアル・ティーチャーは、信者が「死んだらどうなるんですか?」と問えば、それに答える。
信者が納得できるような神話(物語)や教えを語り、信者を安心させる。
これが宗教が担ってきた役割だ。

でも、非二元は、宗教でもなければ、哲学でもない。

「私たちは何のために生きているんですか?」「死んだらどうなるんですか?」と問われても、教えや答えを差し出すことはない。

問いの答えを知りたがっている私もいなければ、知らなくてはならない何かもないことを、端的に指し示し、問いそのものを無効化してしまう。

問いの答えを教えて、知識を増やす手伝いをするのではなく、このような問いが「分離した個人がいる」という誤解から出てきていることを見透かせるよう、確認を促し、問いそのものを崩壊させてしまう。

そして、この崩壊を意図的に起こせるような「個人=先生」も、もちろん存在しない。

自らを、非二元の教師(先生)と語る人がいたなら、その人は「非二元」をスピリチュアルの教えの一つのようにとらえ、教えられるものだと勘違いしている可能性が高い。

ちなみに、私は、「ノンデュアリティ・スピーカー」と名乗っているが、この表現もまた、「ノンデュアリティ(非二元)についての知識を持ち、ペチャクチャ語る人」という誤解を招き、時に答えを求めるマインドの質問責めが起きてしまうので、「スピーカー」よりも的確な表現はないものかと思ったりする。

非二元を指し示すためには、言葉を使う必要があるが、言葉が指し示している「これ」が見られたなら、言葉はいらなくなる。

宗教やスピリチュアルは、言葉を使って神話(物語)や教えを語るが、非二元は、「これ」を指し示すためのポインターとして言葉を使う。

これが、宗教と非二元の決定的な違いだ。

そして、この違いを、まだ9歳だった私に指摘してくれたのは、ブルース・リーが語ったこの禅の言葉だった。

Don't think feel.
It's like a finger pointing away to the moon.
Don't concentrate on the finger, or you will miss all the heavenly glory.

お知らせ
非二元を頭で理解しようとすると、知識ばかりが増えて、探求がいつまでも続いてしまいます。
非二元は、話を聞いてわかるようになる宗教の教えではなく、リアルにあるものです。
非二元の感覚を直接Feelしたい方は、プライベートセッションをお受けください。
タラレバ娘の主題歌「TOKYO GIRL」を歌っているパフュームが、どうやって、あの難しい振り付けを覚えているのかが、昨夜のテレビ番組で明かされた。

彼女たちは、一曲の振り付けを、2〜3時間くらいで覚えてしまうらしいのだが、一日で一気に覚えようとする「集中学習」ではなく、睡眠をはさんで記憶を強化していく「分散学習」を採用していることがわかった。

あ〜ちゃん(真ん中の子)曰く。

夜、2時間くらい踊ってから、踊れているかどうかに関わらず、一旦その日は寝る。
そして、次の日にやったら、ちゃんと踊れるようになる。
最初に踊った時は、何がわからないのかがよくわからない。
でも、翌日に踊ってみると何がわかってなくて踊れないかが明確になり、頭に入りやすくなる。
ということらしい。

実は、この睡眠をはさんで記憶を定着させる分散学習法は、英単語を記憶する時にも有効なので、私の著書「稼げる記憶術」でもその実践法を紹介し、「学習ストラテジー講座」で、より具体的な実践法をお教えしている。

ダンスは体で覚えるものなので、実際に体を動かしながら覚えないと身につかない。

そして、英単語もまた、実際に口を動かし発音しながら覚えないと、身につくものではない。

運動の記憶を司っているのは、大脳ではなく、小脳で、体で覚える必要のある記憶を効果的に定着させるには、睡眠をはさんだ分散学習が有効であることは、科学的にも実証されている。

でも、この分散学習を、意図的に活用している人はまだまだ少なく、昨夜のあ〜ちゃんの発言をきっかけに、睡眠をはさんでの反復学習の有効性に気づく人が、これから増えだすのではないかと期待が膨らんだ。

お知らせ
覚える努力なく「英語脳」と「ビジネス脳」がつくれる学習ストラテジー講座の先行割引は、4月28日(金)までです。

アウェイクニング(目覚め)を経験した人の多くの悩みは、アウェイクニング前よりも、時に苦しみが複雑化したように感じることだ。

 

自分がいないことに気づいたのに、再び自分がいるという感覚とともに苦しみが現れる。

 

この苦しみをどうにか解消したいと思うものの、それを解消できる自分はもういない。

なんとかしようと試みれば、何かをできるような自分がいるという思いや感覚が再強化されてしまう。


このジレンマによって、アウェイクニング後に、以前よりも、いらだちを感じている人は少なくない。

 

アウェイクニングは、起こるものなので、私がいなくなったり、現れたりする。

 

でも、リバレーション(解放)は、起こるものではなく、存在そのもので、シンプル極まりない。

 

今、何が見えていようと、どんな思考や感覚が現れていようと、そのすべてが存在の表現。

無からのほとばしり。

 

「エンプティネス」と「フルネス」。

この存在の一体性が見られたなら、覚醒後のジレンマは消える。

 

あるのは、このリバレーション(解放)だけ。

 
お知らせ
覚醒やスピリチュアルをどれだけ探求し続けても、探求する「私」(分離)の活動性が続く限り、リバレーション(解放)は見過ごされます。
リバレーションは、探求して至れるような特別な境地ではありません。
これは、いつでもあるものです。
覚醒やスピリチャアルの探求にくたびれた方は、一度、非二元のプライベートセッションをお受けください。

「自己啓発」と「自己実現」。

 

こうして文字にすると、同じもののように思えるかもしれないが、両者には天と地ほどの違いがある。

 

自己啓発の「自己」は、あなたが自分だと思い込んでいる「私=個人」のことを意味している。

 

これに対して、自己実現の「自己」は、あなたが見失っている「本当の自己=Being」のことを意味している。

 

「自己啓発」は、個人としての自分を啓発すれば、どんな夢も実現できるという、アメリカの新興宗教から生じた思想運動だ。

 

「自己実現」は、現実化(Realization)しているのは自己(Being)そのものであることを端的に表している。

 

現実(Reality)を生みだしているのは、自己(Being)であって、個人の私ではない。

 

それでも、多くの人は、自己啓発を信じて、自分(私)の夢を現実化しようと、個人としての自分を啓発し続け、本当の自己(Being)を見失い続ける。

 
お知らせ
自己啓発やスピリチュアルを探求し続けても閉塞感を感じたままで、生きづらさを感じている方は、本当の自己(Being)を確認できる非二元のプライベートセッションをお受けください。

人は「因果の法則」を信じて、原因(現在)を変えれば、結果(未来)が変わると思い込んでいる。

だから、思考を変えようとしたり、感情を変えようとしたり、行動を変えようとしたり、いろいろ試み続ける。

 

でも、「思考」「感情」「行動」をどれだけ変えようと試みたところで、いつまでたっても自分の思い描いたような人生にはならず、人は自己改善の探求にくたびれ果てる。

そして、この探求は、リバレーション(解放)が再発見されるまで繰り返される。

 

リバレーションが再発見されたなら、原因と結果の因果関係などなく、あらゆる出来事がひとりでに生じてきていることに気づける。

何かを変えようとしてきた個人など存在していなかったことが明らかになり、無条件の愛に包まれたフルネス=ワンネスだけになる。

 

あるのはこのBeingだけ。

 

お知らせ

スピリチャルや心理学の探求にくたびれた人の多くが、何かをコントロールできるような自分がいないことに目覚めはじめてきています。

アウェイクニング(目覚め)は起こるものですが、リバレーション(解放)はあるものです。

アウェイクニングやリバレーションに興味がある方は、5月のノンデュアリティ・エクスペリエンスに遊びにきてください。

先行割引は、明日3月31日(金)までです。

昨夜、電話でやり取りした大阪の父との会話。

「なおみ(妹の名前)から聞いたんやけど、おまえ、えらい痩せてしもたらしいやないか。病気でもしたんちゃうかと思て心配になって電話したんや」
「歩いてたらズボンがずれてきて、ウエストのボタンを外さんでも脱げてしまうほど、痩せたわ」
「痩せようとして痩せたんか」
「いや、なんもしてへんよ」
「ほんなら、病気ちゃうんか」
「いや、すこぶる元気やで」
「ご飯はちゃんと食べてんのか」
「あんまり食べてへん。毎日、モスバーガーで本読んでるだけで、お腹すくほどエネルギーつこてへんから」
「おまえ、仙人みたいなやっちゃな」
「仙人は山奥におるけど、俺は都会にいて、うまいもん食べたなったら好きなだけ食べてるし、酒もガバガバ飲むがな。何ひとつ我慢も制限もしてないで」
「そんな暮らししてて、お金は大丈夫なんか」
「お金も体重も何もかも、天気と同じようにひとりでに動いてるだけやから、なんの心配もないよ。こんなにのんびり自由に暮らしてたら、これ以上に望むものなんて何も思いつかんわ」

こんな感じで、親子の会話もひとりでに起こり、やがて、静寂に戻っていったのでした。

お知らせ
非二元の自由さを直接経験できるノンデュアリティ・エクスペリエンスの先行割引は、今週末の金曜までです。

「あるのは今ここだけ」というストーリーを信じて、もし、あなたが今ここにいようと注意しているなら、あなたはいったい、どこにいて、いつの時点から、「今ここ」へと移行しようとしているのだろう?

 

自らの尻尾に噛みつこうとして、同じ場所をくるくると回り続けている犬を見かけたなら、あなたはきっと笑うだろう。


動き回ろうが、のんびりしていようが、居場所が変わることはない。

 

これと同じように、「今ここにいよう」とする思考の試みは、思考の堂々巡りを生みだすだけで、これを試みている限り、非二元(ノンデュアリティ)の目覚めは、ありもしない想像上の「未来」に先送りされてしまう。

 

お知らせ
スピリチュアルや心理学を探求し続けても閉塞感を感じたままで、生きづらさを感じている方は、非二元のプライベートセッションをお受けください。
昨日、親戚の結婚式に出席するために妹が上京してきて、納車されたばかりのレクサスのすごさを聞かせてくれた。
 
車に乗ると、コンシェルジュがまず挨拶の声がけをしてくれて、行き先を伝えれば、カーナビのセッティングから周辺駐車場の空き状況の確認までやってくれるらしい。
 
また、ドアのロックをかけ忘れた時は、連絡を入れると、遠隔操作でロックしてくれて、ホテルや航空券の予約も引き受けてくれるらしい。
 
それって、コンピュータが応対してるのか?と聞くと、「違うよ、人間の女の人が24時間対応してくれんねん」というので、「えー、そのサービスのために毎月、どれくらいお金かかるんや」と聞くと、「車代しか払ってないよ」という。
 
もはや自動車メーカーは、車を売っているのではないという時代の変化を思い知るとともに、「AI(人工知能)が進化すると人間の仕事がなくなる」というのは、全くのウソだなとわかり、いい勉強になった。
 
お知らせ
日本人が何年英語を学習しても、英語を使いこなせるようにならないのは、英語を母語(日本語)に置き換えて解釈しようとする翻訳型の古い学習法にとらわれてきたからだ。
英単語を覚えるにしても、一単語一単語の意味をそれぞれ日本語に置き換えて覚えようとするから、覚えられない。
覚えられたとしても、いざという時に口から英語が出てこない。
私たちが何年英語を勉強しても英語を使いこなせるようにならないのは、記憶力が悪いからでもなんでもなく、古い学習法に縛られてきたからだ。
学習成果を1ヶ月ほどで実感できるようになる認知言語学に基づいた学習法を知りたい方、覚える努力なく「英語脳」と「ビジネス脳」をつくれる学習ストラテジー講座にご参加ください。

非二元(ノンデュアリティ)の話をしていると、時々、「マインドフルネス」と「非二元」の違いについて質問される。

 

40代の後半、私もヴィパッサナー瞑想のやり方を学び、瞑想を実践していた時期があった。

 

瞑想には、いろんな方法がある。

呼吸に注意を向けたり、マントラを唱えたり、ヴィパッサナーのように、今、確認できる体の動きをとらえたり…。

 

どの瞑想であれ、普段から考えごとばかりしてしていて、マインドの動きがなかなか静まらない人にとっては、瞑想はとても役立つ。

 

短時間の瞑想で、リラックスした気分になれたり、脳波がシータ波に変わったり、時にはトランス状態を経験できたりする。

そして、マインドフルネスは、瞑想が現実逃避のための道具にならないよう注意を促している。

 

瞑想であれ、ヨガであれ、その行い自体が気持ちよくて、日常生活の役に立っているなら、どんどん続ければいい。

 

でも、瞑想について私に質問する人は、「これからもっと熱心に瞑想に取り組み、この道を突き進めば、その先に非二元の目覚めが待っているか?」というニュアンスで聞いているケースが多い。

 

もし、非二元の目覚めが未来に起こるものと期待して、そうなるための手段として瞑想を行おうとしているなら、瞑想は苦行となり、あなたは修行者(ハードプラクティショナー)になってしまうだろう。

 

なぜなら、瞑想をやっている間、意識の「注意」は、観察対象となる思考や呼吸に向かうので、観察者の「私」と「対象」の分離が起きてしまうからだ。

 

これは脳の機能として避けられないことなのだが、対象に意識の注意が向いている限り、私たちは存在の非二元性(ワンネス)を見失ってしまう。

 

だから、非二元の「目覚め」に、瞑想は必要ない。

 

もし、「目覚め」を目指して、瞑想を行おうとしているなら、それをやろうとしているのは「自分」なので、瞑想をやり続けている限り、何かを達成できるような「自分(主体者)」が存在しているという二元性(分離)の思い込みが強化されてしまう。

 

しかし、このメッセージが届き、非二元の目覚めが起きたなら、どこかに至りつかなければ心が満たされることはないと思い込み、せわしなく動き続けていたマインドもろとも「私」は消える。

 

非二元の目覚めとは、「マインドフルネス」ではなく、マインドの崩壊。

「フォーゲットフルネス」。

 

でも、このフォーゲット(忘却)は、認知症になって、以前のことを忘れてしまう忘却とは違う。

 

毎日、どこに出かけようと、ちゃんと自宅に帰ってこれるし、こんなふうに言葉を使って文章を書くことだってできる。

 

でも、この文章を書いているのは、「私」ではない。

 

何を書こうかと考える努力なく、指が勝手に動いて文章が出来上がっていく。

 

未来をどうしようかと、思い悩むマインドの出番はない。

 

お知らせ
瞑想やヨガを実践し続けても、日常の生活や仕事、人間関係において生きづらさを感じている方は、非二元のプライベートセッションをお受けください。

 

あなたも、このように思考するようにしたら、自分の思いが現実化するようになる。


 「自己啓発」「成功哲学」「引き寄せの法則」などの本を読めば、このようなことが書かれていて、不完全さを感じている私たちのマインドは、「願いが叶う」という言葉に、強烈に魅了されてしまう。
そして、今度こそ、自分の夢や思いを叶えようと、人は、自分の考え方や思考を変えようと努力しはじめる。

 

その努力によってうまくいったように思えることもあるかもしれない。

逆に、本当に望んでいることがいまだに実現されず、焦りを感じているかもしれない。

 

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