非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」 -37ページ目

非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

より多くのお金を求めて働く貨幣経済の中で、自分らしく輝きながら、他者と共に幸福に生きる「技と知」を、ライフコーチの矢沢大輔が提案。

今日は、「覚醒(目覚め)」とは何かについて、少し詳しく書いてみます。

「目覚め」には2種類の目覚めがある。

一つは、睡眠からの目覚めで、これは毎日、朝になれば、ひとりでに起こる目覚めだ。

もう一つは、催眠からの目覚めで、これもひとりでに起こる目覚めだ。
(私には起こっていないと思っている人が多いが、頻繁に起こっている)

催眠とは、テレビでやっている催眠術と同じで、目を開けた状態で、現実を見失い、夢(幻想)にリアリティを感じている状態だ。

では、催眠にかかった人は、どんな夢を見ているかというと、「個人の私がいて、自分の決断や行動によって、現実をより良いものに変えられる」という夢を見ている。

この催眠の夢は、自然に起きる。
だから、悪いことではない。

自分の思い通りに、全てがうまくいっているなら、大歓迎すべき、最高の夢になる。

でも、多くの人は、「私の人生は、どうして自分の思い通りに事が運ばないんだ」と嘆いていたりする。

そして、たいていの場合、こんな苦しい状況から早く脱出したいと思い、覚醒を目指して、グルのもとに話を聞きにいく。
そして、言われた通りに、いろんなことを試みだす。

グルがマントラを唱えれば唱え、瞑想すれば瞑想し、断食すれば断食する。

グルの導きに従えば、私もいつか目覚めて、あらゆることが一変するに違いないと期待して。

でも、その日は、やってこない。
覚醒を目指して、あなたが何かをやればやるほど、目覚めは逃げていく。

まるで、馬の鼻先にぶら下げられたニンジンのように、前に走った分だけ、ニンジンは遠のく。

個人の私が、目覚めを目指して、何かを試み続けているその状態こそが、催眠の中の物語だからだ。

あなたが覚醒を期待して、何かをやり続けるなら、催眠状態はいつまでも続く。

催眠の土台を崩せるのは、「目覚め」そのものであって、あなたではない。

目覚めとは、ワンネス(一体性、非二元性)の気づきであり、これを認識できれば、「個人の私がいる」という催眠のストーリーが見抜かれ、現実があるがままに見えるようになる。

お知らせ
覚醒、スピリチュアルを探求し続けても閉塞感を感じたままで、生きづらさを感じている方は、ワンネスを認識できるようになる非二元のプライベートセッションをお受けください。
仕事とは、顧客の問題を解決することだと思って仕事をしている人は多い。
でも、そう思って仕事をしている人ほど、顧客を失いやすい。

顧客の問題を解決するのは、あなたではなく、あなたが提供した商品やサービスを使う顧客だ。

あなたが問題を解決すれば、顧客の発見の喜びは奪われ、顧客はあなたから離れていく。

お願い
6月から「話し方」についての講座を開こうと考えています。
話し方といっても、人前での「自己紹介」「プレゼンテーション」「スピーチ」など、様々なシチュエーションが考えられますが、どのような場面で、どのようなことに困っているか、あなたが知りたいと思っていることを、ぜひ、コメントでお知らせください。

非二元(ノンデュアリティ)のセッションを受ければ、誰でも覚醒できるんでしょうか?と、時々、問い合わせがくる。

 

この質問は、「覚醒」というものが何らかの拍子に個人に起きるものだという誤った観念から発せられるものだ。

 

「覚醒した人」「悟った人」が、いかにも存在しているかのように伝えられているけれど、それこそ思考による作り話(ストーリー)であって、実際には覚醒できるような「個人」は、存在していない。

と同時に、まだ「覚醒していない人」「悟っていない人」も存在しない。

 

なぜなら、覚醒(目覚め)は、起こるものではなく、既にあるものだからだ。

 

目覚めがあって、その目覚めの中で、「人生に苦しんでいる私がいて、その私が覚醒を求め、あれこれ試みたものの、いまだに悟れない」というストーリーが現れているに過ぎない。

 

だから、非二元のセッションを受けても、あなたという個人に覚醒が起きることはあり得ない。

悟れるような誰かなんて、そもそも存在していないのだから。

 

それでも、自分に覚醒、悟りが起こるんじゃないかと期待して、多くの人が非二元のセッションを受けにきてくれる。

 

そして、セッションの場で、覚醒に関する誤った思い込みが解かれていく。

悟りを目指す私がいるというストーリーが、思考による作り話であったことが、既に目覚めている意識によって見抜かれていく。

 

その気づきが起こるのに、時間は必要ない。

覚醒のストーリーとして語り継がれてきた、瞑想も、クンダリーニも、タントラも必要ない。

 

覚醒は既にある。

既にあるものに、到りつくことは、不可能。

 

お知らせ

覚醒すれば、特別な存在になれる。

というこの衝動、思いこそ、「私は、他の人とは違って特別な存在なのよ」と思いたい「分離思考」の現れです。

でも、それも自然に現れでてきた思考に過ぎません。

あなたが覚醒や悟りを目指すなら、探究の道は果てしなく続きます。

しかし、既にある覚醒に気づけば、探究は自然に終わります。

興味のある方は、非二元のプライベートセッションをお受けください。

・5月13日(土)開催 ノンデュアリティ・エクスペリエンス

・4月23日(日)開催 非二元のフォローアップ講座 

「生きているのは、個人の私」という感覚を強く感じている人ほど、乗り越えるべき問題が次々に現れてくるように思え、人生の苦しみが増します。

 
不完全な私がいて、それを克服するために人生という長い時間がある、という物語を信じているので、当然、人生は修行の連続となり、重苦しいものになっていきます。
 
少し成長できたと思えれば、喜びがやってきますが、不完全な私がいるという感覚が戻ってくると、まだまだ私の達成レベルが低いから、こんな惨めな感覚が現れるんだと思い込み、完全に向かう修行はさらに続きます。
 
こうして、「不完全な個人の私がいる」という感覚は、消えることなく継続されます。
 
何かを克服しようという活動が続く限り、不完全な個人の私がいるという分離感が再強化されてしまうからです。
 
このマインドの動きは、死に向き合うようになっても、続きます。
 
たとえば、癌になったなら、人生において癌が克服すべきものになり、さらなる探究と戦いが始まります。
 
不完全な私がいて、克服すべき問題が次々に現れるこの分離の人生ゲームは、いつまでも続くように見えます。
まるで、今の自分がどのレベルにいるかを試されているようなレベルアップゲームに放り込まれているように感じている人もいるかもしれません。
 
しかし、実際には、到つけるような最高峰のレベルも、途中段階のレベルも存在していません。
 
克服すべき何かも、不完全な個人の私もそもそも存在していないからです。
 
マインドは、常になぜなぜと問い続け、私がいて、その私が獲得したり、克服したりすべき何かがあるという二元性の概念を考えだしますが、存在そのものは至ってシンプルです。
 
あるのは、一なる存在(ワンネス)だけです。
そして、この一なるものから離れて、単独で生きている私がいるという分離の感覚さえ、一なる存在の中で起きています。
 
一なる存在から、切り離されて存在しているものなど、何もありません。
 
存在しているのは、個人の私ではなく、このワンネスの生。
 
お知らせ
私がいないワンネスの感覚を、直接感じてみたい方は、非二元のプライベートセッションをお受けください。

非二元(ノンデュアリティ)に目覚めたら、子供との会話の内容にどんな変化が起こるか?と時々、質問される。

 

子供と話している時は、親であるという自覚が現れるので、会話の内容は自然に親子(二元性)のやりとりになる。

非二元性を知ったからといって、日常の会話の内容まで非二元になることはない。

 

たとえば、相手に対して申し訳ないことをしたと思えば、今でも私は「すみませんでした」と普通に謝れる。

決して「良いことも悪いこともない。悪いことをした私もいなければ、悪いことをされたあなたもいない」なんて非常識なことは言わない。

 

もし、そんなことを言ったら、警察に突き出されるか、精神科につれて行かれるのが落ちだろう。

こんなことを言うようになったら、友達もいなくなるだろうし、仕事もいただけなくなってしまうだろう。

 

だから、非二元に目覚めたからといって、息子との会話の内容が非二元になったこともない。

以前と変わらず、今も普通に、親子の会話を楽しんでいる。

未来のことも語れば、過去のことも語り合う。

 

「私もいなければ、過去も未来もない」なんてことを語ったことは一度もない。

 

でも、非二元について知りたい人が現れれば、話の内容は一変する。

そして、この切り替えを行なっているのは、私ではない。

 

ストーリーとしての二元性の語りも、ストーリーを超えた非二元性の語りも、現れる時に自然に現れ出てくる。

 
お知らせ
自己啓発やスピリチュアルを探求し続けても閉塞感を感じたままで、生きづらさを感じている方は、ありのままの完璧さに気づける非二元のプライベートセッションをお受けください。

今でこそ、私は講師の仕事をしていますから、人前で話すのが大好きです。

 
でも、十代の頃は、人前どころか、一人の人と話すのも苦手でした。
 
二十代でコピーライターになったのですが、自分の書いたコピー(広告文)をクライアント企業に採用してもらうには、プレゼンというものがあり、シドロモドロになってしまうため、先輩にこっぴどく叱られたこともありました。
 
そして、三十代でワインに関する本を出版した時、Oggiという女性誌の創刊5周年記念パーティーに招かれ、大勢の女性読者の前で、ワインの楽しみ方について語りました。
 
大勢の前で特定のテーマについて語る、私にとってはこれが初めての機会でした。
 
何を話したのかは、今となってはまったく覚えていないのですが、本番が始まる前、私はとても緊張していて、何度もトイレに行ったり来たりしていたことだけは、よく覚えています。
 
同時に、「人前でうまく話せるようになったら、さぞ、楽しい人生になるだろうな」と思い始めたのも、この時からだったこともよく覚えています。
 
それからちょうど20年が経ちました。
 
この20年の間に、人前で緊張せずに話せるようになるために、いろんな技術を学んできましたが、ある時、突然、ラクに話せるよになったというより、気づいたら、いつの間にか、人前で話せるようになっていました。
 
私は酔っ払うと饒舌になってしまうそうなのですが、今や人前に立てば、お酒を飲まなくても気持ちよく何時間でも話していられるほど、話し好きになってしまいました。
 
話すことが好きなので、講師という仕事は楽しいものです。
 
好きなことをベラベラと好きなだけしゃべらせてもらえて、それをお客さんに聞いてもらえて、さらにはお金までいただけるわけですから、よくよく振り返ってみると、私にとってこんなに楽しい仕事はありません。
 
そして、今日、話し方教室のようなものをやってみたいなと、突然、思い始めました。
 
人前で緊張せず、楽しく話せるようになる方法を、認知言語学、情報整理術、合気道などの観点からまとめ、6月4日(日)にお披露目したいと思っています。
 
興味のある方は、詳細が決まり次第、メルマガでお知らせしますので、登録がまだの方は、登録しておいてください。
 

自己啓発や成功哲学にハマった人たちは、仕事とは関係のないことに熱中している人に対して、時々、こんな忠告を発する。

 
例えば、プロレスのことなら3時間でも4時間でも語れる人に対して、「プロレスに対する君のその情熱を、どうして仕事の方面に活かそうとしないんだい?」というような忠告。
 
こう忠告されると、一見、それが可能であるかのように思えるが、そう簡単に興味の方向性が変わることはない。
 
なぜなら、プロレスファンは自分の意志によって、「これから私はプロレスファンになり、プロレスのことを何時間もしゃべれる人物になろう」と決意し、ファンになったわけではないからだ。
 
気づいたら、いつの間にか、プロレスファンになっていた。
というのが、プロレスファンの本音だろう。

ある日、プロレスファンになることを固く決意してファンになった、という人はいない。
 
しかし、自己啓発や成功哲学にハマった人は、この事実を無視して、意図的に自分の意志でそうなろうと決めたから、そうなれたんだと考えたがる。
 
意志→行動→結果
 
という因果のプロセスを固く信じている。
 
だから、プロレスに熱中している人を見たら、「なんて的外れなことをしてるんだ。プロレスに対するその熱意を仕事に向ければ、あなたはもっと成功できるのに」と忠告したがる。
 
でも、その忠告は、いつの間にか野球が大好きになったイチローに対して、「野球に対するその情熱をビジネスの方面に向ければ、君はビジネス界で大成功できるのに…」と忠告するほど馬鹿げている。
 
何に夢中になるかを自分で決められるような個人はいない。

プロレスに夢中になるか、野球に夢中になるか、ビジネスに夢中になるかは、本人にもわからない。

何かに夢中になることが自然に起き、そして、時とともに、その興味の方向性も自然に変わっていく。
 
そして、自己啓発にハマった人もまた、自分で意図的に自己啓発にハマろうとしたわけではなく、自然にそれが起こったに過ぎない。
 
何に夢中になるかは、それぞれ違っていて、まったくOK。

「なぜ、私はお金にもならない、こんなことしか夢中になれないんだろう」と悩む必要はない。

それに夢中になるのを決めたのは、あなたではないのだから。

今、楽しめることがあるなら、それがお金になろうがなるまいが、大いに楽しめばいい。

それが人生という物語の面白さなのだから。
 
お知らせ
自己啓発やスピリチュアルを探求し続けても閉塞感を感じたままで、生きづらさを感じている方は、本当の自己(Being)を確認できる非二元のプライベートセッションをお受けください。
「許せるようになりたい」と思いつつ、いつまでも許せないことがあって、嫌な記憶が何度も浮かんでくるようなら、以下の文章を読んでみてください。
 

寸分の狂いもなく、あらゆることが完璧に起きている。

 
ほんのわずかな修正の余地もない。
 
修正できるような誰かもいなければ、修正されるべき何かもない。
 
全ての現れが完璧。
修正の余地なし。
 
「そんなわけない! こんなことがあってなるものか? 許されるべきものでなはない」という怒りの思考さえ、それが現れたなら、完璧なる思考として現れている(思考の内容が完璧という意味でなく、どんな内容の思考であれ、思考は思考として完璧という意味)。
 
修正されるべき考え、思考もない。
 
そもそも思考を修正できるような誰かも存在していない。
 
全てがひとりでに現れ、そして消えていく。
 
あるのは、この完全さ。
始まりも終わりもない、永遠のミラクル。
 
お知らせ
自己啓発やスピリチュアルを探求し続けても閉塞感を感じたままで、生きづらさを感じている方は、本当の自己(Being)を確認できる非二元のプライベートセッションをお受けください。
化学兵器でこんなにも多くの子供たちが殺された。
とその悲惨さをメディアで大々的に報じ、それを口実に新たなバトルを仕掛けるマインドの巧妙さと騒がしさには、うんざりだ。

お知らせ
マインドは、「正義と悪」「味方と敵」という二元性を生みだし、敵がいなくなれば、平和が訪れると思い込んでいます。
平和を求めるマインドが、平和とは逆の争いを生み続ける。
この矛盾を解消できるのは、マインドではありません。
守るべき自分がいなくなった時、争うべき他者もいなくなり、ワンネス(非二元)の生だけになります。
対立のないワンネスの感覚を直接感じてみたい方は、非二元のプライベートセッションをお受けください。

何十年もスピリチュアルを探究してきた人が、非二元(ノンデュアリティ)を知り、私のブログを読んでプライベートセッションを受けにきてくれる人が増えてきた。

 
「非二元のトークを聞きに行っても、本を読んでも、『分離した個人が存在しないってどういうことかわからない』『物質も肉体もなく、あるのはワンネスだけってどういうこと?』『何かを選択、決断できるような私はいないってどういうこと?」とわからないことだらけになり、それを体験的に認識できるようになるなら体験したい」という理由で、多くの人がセッションを受けにきてくれるようになった。
 
セッションをやっていて面白いのは、存在のリアルさを確認していくにつれ、それまで確実に存在していると思っていた「個人の私」が存在しておらず、どれだけ調べても「ワンネス」しか見つけられないことが明白になった時、人は仰天する。
 
個人の私も、肉体も物質も存在しておらず、存在していたのはワンネスの生だけであることに気づいた時、人は仰天するが、もはや仰天できるような個人はいないので、「仰天」だけになる。
 
そして、多くの人はこんなことを語りだす。
 
今まで、不完全な自分がいると思い込み、波動を上げたり、パワースポットに出かけたり、ハイアーセルフにつながろうとしたり、いろんな努力を重ねて満たされる日がくるのを待っていたけれど、はじめからこのワンネス、フルネスがあるだけで、不完全な私なんてどこにもいなかったんですね。
いったい、私は、この何十年、何を勘違いしてきたんでしょうか。
 
こんなことを語りながら、涙する人もいる。
 
でも、そのスピリチュアルの探究さえ、それをやろうと決断してやってきた個人はいない。
 
悔めるような過去も、修正すべき私も存在していない。
 
お知らせ
私がいない非二元性の感覚を直接体験したい方は、プライベートセッションをお受けください。