「生きているのは、個人の私」という感覚を強く感じている人ほど、乗り越えるべき問題が次々に現れてくるように思え、人生の苦しみが増します。
不完全な私がいて、それを克服するために人生という長い時間がある、という物語を信じているので、当然、人生は修行の連続となり、重苦しいものになっていきます。
少し成長できたと思えれば、喜びがやってきますが、不完全な私がいるという感覚が戻ってくると、まだまだ私の達成レベルが低いから、こんな惨めな感覚が現れるんだと思い込み、完全に向かう修行はさらに続きます。
こうして、「不完全な個人の私がいる」という感覚は、消えることなく継続されます。
何かを克服しようという活動が続く限り、不完全な個人の私がいるという分離感が再強化されてしまうからです。
このマインドの動きは、死に向き合うようになっても、続きます。
たとえば、癌になったなら、人生において癌が克服すべきものになり、さらなる探究と戦いが始まります。
不完全な私がいて、克服すべき問題が次々に現れるこの分離の人生ゲームは、いつまでも続くように見えます。
まるで、今の自分がどのレベルにいるかを試されているようなレベルアップゲームに放り込まれているように感じている人もいるかもしれません。
しかし、実際には、到つけるような最高峰のレベルも、途中段階のレベルも存在していません。
克服すべき何かも、不完全な個人の私もそもそも存在していないからです。
マインドは、常になぜなぜと問い続け、私がいて、その私が獲得したり、克服したりすべき何かがあるという二元性の概念を考えだしますが、存在そのものは至ってシンプルです。
あるのは、一なる存在(ワンネス)だけです。
そして、この一なるものから離れて、単独で生きている私がいるという分離の感覚さえ、一なる存在の中で起きています。
一なる存在から、切り離されて存在しているものなど、何もありません。
存在しているのは、個人の私ではなく、このワンネスの生。
お知らせ
私がいないワンネスの感覚を、直接感じてみたい方は、非二元のプライベートセッションをお受けください。
・5月13日(土)開催 ノンデュアリティ・エクスペリエンス
・4月23日(日)開催 非二元のフォローアップ講座