創世記に出てくるエデンの園には、「生命の樹」と「知識の樹」があった。
Don’t think. feel!
一昨日、非二元(ノンデュアリティ)のセッションを受けるために、岩手県から来てくださった女性からのお土産。
彼女のご主人がおつくりになっているリンゴのチップス。
電話でもセッションは可能ですよとお伝えしたのだが、私に直接、会ってみたいということで、わざわざ東京まで来てくださった。
彼女は、「わかっちゃった人たち」という本を読んで、この世界に「わかっちゃった人」と「まだわかってない人」の二つがあるというストーリーを信じ込み、私のことを「わかっちゃった人(悟った人)」だと思い込んでいた。
でも、セッションが進むにつれ、彼女がまだ悟れない人であろうが、なかろうが、そのマインドによるジャッジメントに関わらず、既に無条件の愛に包まれていたことが明らかになると、彼女の目から自然に涙があふれ出した。
わからなかった人が、努力の末に、何かの境地に至り、わかっちゃった人になるのではなく、意識は既に目覚めていたこと。
全体から切り離された個人の私など、初めから存在しておらず、ワンネスしかなかったこと。
それが確認できたところでセッションを終えた。
お知らせ
12月26日から1月5日までの間、非二元の対面セッションは大阪の梅田で行います。
私は昔、映画の宣伝用のキャッチフレーズを書いていた。
小学生の頃から、映画館に行くのが好きだったし、今はNetflixやAmazonでも映画が見放題なので、かなりの本数の映画を見てきた。
邦画で一番好きな作品は何かと聞かれたら、「湯を沸かすほどの熱い愛」だと今なら応える。
タイトルの通り、この映画には愛がぐらぐらするほどあふれかえっている。
日本にこんな女優がいたのかと驚くほど、宮沢りえは女優を超えて愛そのものになっている。
そして、今夜、地上波でこの映画が放送される。
無条件の愛にふれて、また、えげつないほど泣いてしまう気がする。
お知らせ
12月26日から1月5日までの間、非二元の対面セッションは大阪の梅田で行います。
コンピュータは、人間の脳よりたくさんの情報を、ハードディスクに記憶できる。
今夜、近所の寿司屋さんでパック詰めの寿司を買い、その後、スーパーに立ち寄り、レジに並んだ。
すると、何かを買い忘れた年配の女性が、列の先頭からこちらに向かって逆走してきて、私の持っていた寿司入りのレジ袋にぶつかった。
ガチャっという音に反応して、女性はすかさず「ごめんなさい」と謝り、「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた。
袋の中を見てみると、軍艦巻きに乗っていたネタが飛び散っていた。
「そのお寿司、私が買い上げさせてもらいます。おいくらでしたか?」と言ってくれたので、値段を言いかけたのだが、一瞬、ちょっと待てよと思い返せた。
「この女性は、今夜、寿司を食べたいわけではない。寿司を食べたいのは、この私だ」ということに気がつき、「いいです。私が食べたかった寿司ですから」と声をかけて、家に帰ってきた。
寿司ネタは飛び散ってしまったが、どういうわけか、とても清々しくていい気分だ。

