非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」 -28ページ目

非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

より多くのお金を求めて働く貨幣経済の中で、自分らしく輝きながら、他者と共に幸福に生きる「技と知」を、ライフコーチの矢沢大輔が提案。

創世記に出てくるエデンの園には、「生命の樹」と「知識の樹」があった。

 
そして、知識の樹になる果実を食べることは、禁じられていた。
 
ここでいう禁断の果実とは、「善悪」などの二元性があるとされる言葉のことだ。
 
言葉を鵜呑みにしてしまうと、楽園から追放され、生と死がある二元性の世界の中で、死ぬまで苦役を負うことになる。
 
そして、アダムとイブは、ヘビにそそのかされ、その禁断の果実を食べ、失楽園してしまう。
 
これが創世記に記された物語だ。
 
そして、これは、現実に今も起こっている。
 
「非二元(ノンデュアリティ)」という言葉は、生命の樹を指し示している言葉だ。
 
しかし、ネットで「非二元」「ノンデュアリティ」を検索すれば、「非二元とはどういうことか」を言葉で解説している文章がたくさん見つかる。
 
たとえば、「非二元とは、二つがないこと。ワンネスしかないこと」と書いてあり、それを読んで、「そういうことね」とあなたがその言葉を飲み込み、理解してしまったなら、その瞬間、楽園から落ちてしまう。
 
なぜなら、「非二元」を二元性の知識でとらえてしまったからだ。
 
「非二元」という言葉が指し示しているのは、楽園の「生命の樹」のことだ。
 
「非二元」とは、「生命そのもの」を指し示すポインターであり、「非二元」という言葉そのものには、何の意味もない。
 
もし、非二元を、知識、思考で理解したなら、その瞬間、今ここにある生命のフレッシュさから切り離され、楽園を見失う。
 
だから、ネットの中の「非二元とは何か」を語っている言葉を、けっして鵜呑みにしてはいけない。
それはあなたを失楽園に誘いこむヘビのそそのかしのようなものだ。
 
「非二元についてわからないことがあったら、なんでも質問してください」という誘いにのって、「私はいない」とは、どういう意味ですか?と質問した瞬間、あなたは、答え(新たな知識)を待ち望む思考者に陥り、今ここにある楽園の恵みを見失う。
 
そして、もちろん、ここで私が語っている言葉も理解しようとしてはいけない。
 
ここまでの言葉を読んで、もし、頭で理解しようとしたなら、ブルース・リーからこんなふうに叱られてしまうから。

Don’t think. feel!
It’s like a finger pointing away to the moon. 
Don’t concentrate on the finger, 
or you will miss all the heavenly glory.
 
動画はこちら
 
お知らせ
j実際に樹を見ながら、「生命の樹」「知識の樹」の違いを確かめたい方は、2018年3月4日(日)開催のノンデュアリティ・エクスペリエンスにご参加ください。
遠方の方は、電話での非二元プライベートセッションをご活用ください。

一昨日、非二元(ノンデュアリティ)のセッションを受けるために、岩手県から来てくださった女性からのお土産。

彼女のご主人がおつくりになっているリンゴのチップス。

 

電話でもセッションは可能ですよとお伝えしたのだが、私に直接、会ってみたいということで、わざわざ東京まで来てくださった。

 

彼女は、「わかっちゃった人たち」という本を読んで、この世界に「わかっちゃった人」と「まだわかってない人」の二つがあるというストーリーを信じ込み、私のことを「わかっちゃった人(悟った人)」だと思い込んでいた。

 

でも、セッションが進むにつれ、彼女がまだ悟れない人であろうが、なかろうが、そのマインドによるジャッジメントに関わらず、既に無条件の愛に包まれていたことが明らかになると、彼女の目から自然に涙があふれ出した。

 

わからなかった人が、努力の末に、何かの境地に至り、わかっちゃった人になるのではなく、意識は既に目覚めていたこと。

全体から切り離された個人の私など、初めから存在しておらず、ワンネスしかなかったこと。

それが確認できたところでセッションを終えた。


お知らせ

12月26日から1月5日までの間、非二元の対面セッションは大阪の梅田で行います。

非二元のプライベートセッションのご予約

 

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私は昔、映画の宣伝用のキャッチフレーズを書いていた。

小学生の頃から、映画館に行くのが好きだったし、今はNetflixやAmazonでも映画が見放題なので、かなりの本数の映画を見てきた。

 

邦画で一番好きな作品は何かと聞かれたら、「湯を沸かすほどの熱い愛」だと今なら応える。


タイトルの通り、この映画には愛がぐらぐらするほどあふれかえっている。

日本にこんな女優がいたのかと驚くほど、宮沢りえは女優を超えて愛そのものになっている。

 

そして、今夜、地上波でこの映画が放送される。

無条件の愛にふれて、また、えげつないほど泣いてしまう気がする。

 

お知らせ

12月26日から1月5日までの間、非二元の対面セッションは大阪の梅田で行います。

非二元のプライベートセッションのご予約

コンピュータは、人間の脳よりたくさんの情報を、ハードディスクに記憶できる。

しかも、保存されたデータは消去されるまで消えない。
人間の脳のように、覚えたことを忘れることはない。
 
コンピュータは情報の演算処理の速度が速い。
短時間のうちに大量の情報を演算処理して、最適解を導き出せる。
だから、将棋のプロだって、コンピュータに勝てなくなった。
 
これからも、AI(人工知能)やロボットが進化し続け、これまで人間がやっていた仕事が、どんどんコンピュータに奪われていくことは確かなようだ。
 
でも、脳にはもともとコンピュータにはできない機能が備わっている。
 
それは、パターン認識の機能だ。
 
人間の脳には、コンピュータのように細かい情報をすべて参照しなくても、誰かの顔の映像を見た途端、それが誰なのかを瞬時に判別できるパターン認識の能力が備わっている。
 
たとえ、その人がヘアスタイルを変えても、変わっていない部分から共通項を見つ出し、誰であるかを特定できる。
 
もちろん、このパターン認識の機能だって、いまやコンピュータも備えはじめ、顔認証の防犯システムなどに活かされいる。
 
それでも、本や新聞を読んで、要点を抜き出し、他の情報との共通点を見つけてパターン化し、それを自らの仕事やビジネスに適用していく能力は、まだ人間にしかできない。
 
記憶の関わることや、膨大な情報の中から検索したい情報を探しあてる作業は、コンピュータに任せばいい時代になって来たけれど、これからもまだしばらくは、人間の脳に本来備わっているパターン認識の機能が活かされる時代は続くだろう。
 
これから仕事や学習を続けていく上で、何に自分の脳力を費やし、どんな作業についてはコンピュータに任せればいいのか?
その仕分けを間違えると、自分がやっていた仕事がいつかコンピュータに奪われてなくなってしまうかもしれない。
 
でも、人間の脳はパターン認識を得意としている。
この事実をわきまえていれば、そう大きくは仕分け作業で間違ってしまうこともないのではないかと、私は考えている。
 
お知らせ
人間の脳に備わったパターン認識の能力をフルに活かせる仕事術、学習法を知りたい方は、来年1月開催の全脳学習法にご参加ください。
どこの映画館に行くよりも、わが家(ホーム)のスクリーンは大きい。

このスクリーンには、いつも最高傑作の映画が上映され続けている。

それは人生という名の映画。

この映画には、監督も脚本家もいない。

それでも、人生のシーンは自動的に展開していく。

そして、スクリーンから距離を置いた席から映画を眺めている観客もいない。

映画の中に現れる一人の登場人物に成り切り、ハラハラドキドキしながら、時に涙したり、時に大笑いしながら、人生という劇に没頭している。

これほどリアルな映画はない。

映画を見ているのか、それとも、これが現実なのかがわからなくなるほど、人生という名の映画はよくできている。

しかも、料金は無料。

お金を一切支払わなくても、この映画は提供され続けている。

しかし、映画の中の登場人物になりきり、人生という映画の中のフィクショナルな問題を解決しようと動き出すと、途端にこの映画は楽しめなくなる。

問題とその問題に悩まされている自分とがとても現実的なものに思え、これが映画とはとうてい思えなくなる。

人生という映画を楽しむ余裕などまったくなくなり、時に登場人物は大暴走して、どこかの神社の宮司のような騒動を巻き起こしてしまう。

しかし、ホームシアターに流れている映画は、映画の中の登場人物に対して、物語の流れを変える努力など一切求めてはいない。

ホームシアターの椅子は、登場人物がどれだけ人生の展開にくたびれ果て、絶望していようと、あなたに自らを差し出し、こうささやいている。

人生の展開を変えようと、もがき苦しむのをやめて、ここにゆったりと腰掛け、この人生という映画の展開を眺めてみませんか?と。

そして、このホームシアターの椅子とは、あなたが今、腰掛けている、まさにその椅子。

ここが、あなたが求めていた安らぎの場所、ホーム(わが家)。

お知らせ
今週末の日曜は、今年最後のノンデュアリティ・エクスペリエンスです。
普段見えていなかった人生という名の映画を見てみたいなと思ったら、遊びに来てください。
昔の私は、とても恥ずかしがり屋でした。
でも、今はそれを克服して、人前で堂々としゃべれる私になれました。

これがマインドが思い描いている「理想のストーリー」。
「成長のストーリー」。

「青虫だった私が、今や蝶になり、私は自由に羽ばたいている」
マインドは、そう思い込んでいる。
(実際、青虫は、努力したから蝶になったわけではないのに。それは生の神秘そのものなのに)

そして、マインドはこう叫ぶ。

「見て見て、みんな私を見て」
「私が経験した特別な経験を聞いて」

「こうして私は、自分を変えることができた。
あなたも、私と同じように考え方を変えれば、行動を変えれば、私のように羽ばたけるようになる!」

「私は特別な存在になれたけど、あなたはまだ不完全。
私こそ、あなたを助けられる特別な存在」

このようにしてマインドは、「私」と「あなた」を別々のものに切り離し、自分を特別なものにしたがっている。

マインドは、「私はいない」という非二元(ノンデュアリティ)のメッセージを聞いたなら、それを最新のマントラのように唱え、私がいない新しい自分をつくりだそうとする。

私がいなくなれば、今度こそ、完全な自分、特別な自分、周りから注目される自分になれると思い込んで。

こうして、不完全な自分を、完全な自分、特別な自分にしようとするマインドのストーリーは、どこまでも延長されていく。

しかし、非二元(ノンデュアリティ)とは、不完全な自分を完全な自分に変える試みではない。

それは、限られた誰かに起こる特別なことではなく、ありふれた日常の中にいつもあるものだ。

でも、特別な自分になろうと、常に何かを追い求めているマインドには、日常の中に現れているフレッシュさが見えない。

特別なものを探し求めている間は、ここにある楽園の光景が見えない。

自由とは、覚醒を追い求めていた不完全な自分に、ある日、特別なことが起こって、完全な自分になることではなく、マインドが思い描いていたその覚醒のストーリーが崩壊し、私がいなくなること。

そして、変わらなくてはいけない私がいる、というストーリーが崩壊しても、生は変わり続ける。

青虫がひとりでに蝶に変化するように。

生きているのは、私ではなく、生そのものだから。

お知らせ
年内最後のノンデュアリティ・エクスペリエンスは、今月17日(日)開催です。
また、年末年始は、大阪の梅田で非二元セッションを行います。
徐々に予約が詰まってきているので、関西方面の方でセッションを受けたい方は、お早めにご予約ください。

今夜、近所の寿司屋さんでパック詰めの寿司を買い、その後、スーパーに立ち寄り、レジに並んだ。
すると、何かを買い忘れた年配の女性が、列の先頭からこちらに向かって逆走してきて、私の持っていた寿司入りのレジ袋にぶつかった。

 

ガチャっという音に反応して、女性はすかさず「ごめんなさい」と謝り、「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた。

 

袋の中を見てみると、軍艦巻きに乗っていたネタが飛び散っていた。

 

 「そのお寿司、私が買い上げさせてもらいます。おいくらでしたか?」と言ってくれたので、値段を言いかけたのだが、一瞬、ちょっと待てよと思い返せた。

 

「この女性は、今夜、寿司を食べたいわけではない。寿司を食べたいのは、この私だ」ということに気がつき、「いいです。私が食べたかった寿司ですから」と声をかけて、家に帰ってきた。

 

寿司ネタは飛び散ってしまったが、どういうわけか、とても清々しくていい気分だ。

 

お知らせ
年末年始の対面セッションは、大阪の梅田で行います。
関西方面の方で、電話ではなく、対面でのセッションをご希望の方は、この機会にご予約ください。

 

今日は福井県の女性と、電話で非二元(ノンデュアリティ)のセッションをやった。

彼女は10年以上、スピリチュアルの探求が続いていた。
一瞥体験をした後にも、ワンネスを感じられなくなることがあり、それをなんとかしなければいけないと、彼女の探求は続いていた。

今、実際に何が起こっているのか?
それを一つ一つ確かめていくと、すべてのものが変化し続けているエネルギーであることがはっきりし出した。

すると、彼女は、「矢沢さんはどこにいるのか?それが気になる」とつぶやいた。

矢沢というのは名前であって、実際に今、現れているのは、音として聞こえる声であり、矢沢という人物が存在しているわけではないことを伝えると、彼女は個人がいないことに、なんとなく気がつき始めた。

さらに、彼女は、「じゃあ、このような考えは、いったいどこに現れているんですか?頭の中ではないような気がするんですけど」といったので、思考が現れるためには、そもそも何がなくてはいけないのかを明らかにしていった。

あらゆるものの居場所が、ここにあること。
このスペースがなければ、何も現れることができないこと。
そして、マインドはいつも、ここに今ないものをリストアップして、それがなければ完全になれないと思い込みんでいること。

この10年の探求は、ここにないものを求めるマインドの活動であり、それが苦しみの原因であったこと。
でも、そのマインどの動きさえ、このスペースは
許していたことを伝えて、セッションを終えた。

お知らせ
年末年始の対面セッションは、大阪の梅田で行います。
関西方面の方で、電話ではなく、対面でのセッションをご希望の方は、この機会にご予約ください。

今日の話し方教室には、和菓子の「銀座あけぼの」の専務(元コピーライター)、電通の営業の方など、メッセージを届けるプロの方々が参加されている。
 
メッセージを届けるプロでも、見落としてしまっているスピーチのポイント。
小泉進次郎さんがやっていて、私たちが気づいていないポイントは何なのか?

それをお伝えし、練習できる一日にしようと思う。

 
そして講座が終わったら、みんなで恵比寿のバーに繰り出し、フリートークを楽しもうと思う。
http://goo.gl/t0WJNY
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今日は小学生のお孫さんがいる女性と非二元(ノンデュアリティ)の再セッションをやった。

高血圧と診断されてから、心配事が増えたらしく、その状態をなんとか変えなければいけないと彼女は思っていた。

また、体のためにも、タバコをやめなければとわかっていても、喫煙か続き、罪悪感を感じていることも正直に打ち明けてくれた。

はじめに、心配事をしているのは誰かと言うことを確かめながら、心配事をしたり、しなかったりすることを決めているような自分などどこにも存在していないことを明らかにしていった。

心配事が起こっている間は、とうてい大丈夫だとは思えない感覚があるにもかかわらず、「何が起きても大丈夫」というスピリチュアルの言葉(概念)を信じて、彼女は、そう思えるように努力していた。

彼女が本当に求めていたのは、「いつでも大丈夫だ」と思える完全な自分になることではなく、常に大丈夫でなくてもかまわないこと。
大丈夫であろうが、なかろうが、起こることを起こるがままに受容している存在があることを彼女はどこかで知っていた。

だから、それを再発見できるように、セッションを進め、存在の非二元性を明らかにしていった。

喫煙についても、「高血圧なのだからタバコをやめなければ」という思考が現れても、実際には、喫煙が時折起きていること。
そして、喫煙の直後に「タバコを吸ってしまったのは自分だ」という思いが現れ、その自分に罪悪感を感じること。

このすべての思考、感情の現れさえ、既に受容されていて、変えなければならないものなど何もないこと、起ることのすべてが、既に完璧な存在の現れであることを明らかにして、セッションを終えた。

追伸
76歳の私の父も、高血圧で、喫煙も50年以上続いています。
この状態を自ら望んでやっている父親など、どこにもいません。
でも、私の父も、今日、セッションを受けてくれた彼女と同じように、高血圧になったのも、タバコをやめられないのも、自分に問題があるからだと思っているかもしれないことを、今日、気づけました。
この年末に大阪に帰った際、父親とも、血圧や喫煙のことを少し話してみようと思います。

年末年始、非二元(ノンデュアリティ)の対面セッションは、大阪・梅田で行います。