非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」 -29ページ目

非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

より多くのお金を求めて働く貨幣経済の中で、自分らしく輝きながら、他者と共に幸福に生きる「技と知」を、ライフコーチの矢沢大輔が提案。

あなたが本当に求めているものは、あなたが欲しがっているものでも、イメージしているものでもない。


その証拠に、欲しかったものやイメージしていたものが手に入っても、何かを求めるあなたの心の動きは止まらない。


手に入れた瞬間は、満足感に浸れても、数日もすれば、また「私には何かが足りない」という感覚が戻ってくる。


そして、また、次なる何かを求めて動き始める。

Aが手に入ったら、今度は「私に足りないのはBだ」という思いが現れ、Bが手に入ったら、今度は「私にまだ足りないのはCだ」という思いが現れ、これが延々と繰り返される。

でも、どこまで行っても、探求が終わらない。

「私には、まだ何かが足りない」「何かがまだ間違っていて、私はそれを修正する必要がある」という思いがこみ上げてくる。

何を手に入れても満足できる日がやってこない。

「いったい人生とは、何なのか?」と問いたくもなる。

そんな時、二元性のストーリーを超えた非二元(ノンデュアリティ)の扉が開く。

そうか、私が本当に求めていたのは、非二元だったんだ。

そう思った途端、非二元を理解したくなる。

非二元を理解することが、次なる最新の目標になってしまう。

こうして、延々と繰り返されてきた探求は終わることなく、延長戦に突入してしまう。

非二元をわかろうとする探求者に、非二元を教えてやろうというティーチャーが現れ、この「生徒と教師」という二元性のストーリーの中で、非二元は新しい宗教やスピリチュアルの教えのように捉えられしまう。

しかし、あなたが本当に求めているものは、説明されて、いつか理解できるようになるような新しい概念ではない。

それは、言葉以前にある「これ」。
今、現れているすべて。
この完全さ。

お知らせ
非二元(ノンデュアリティ)を言葉や概念でわかろうとする探求が続いている方は、プライベート・セッションか12月開催のノンデュアリティ・エクスペリエンスにお越しください。
ノンデュアリティ・エクスペリエンスにご参加ください。
何年英語を学んでも、英語を聞き取れるようにも、話せるようにもならない人が、共通して信じ込んでいること。

それは、英単語をたくさん記憶すれば、そのうち英語を使いこなせるようになるという思い込み。

要するに、たくさんの情報を頭の中にインプットすれば、そのうち英語を話せる(アウトプットできる)ようになるだろうという明治時代から信じられてきた詰め込みの教育法をいまだに鵜呑みしたままなのだ。

幼少時代に言葉を話し始めた時、私たちは、単語を覚える学習をしてから、日本語を話し始めただろうか?
カタコトの日本語でも、話しながら日本語を身につけていったのではないだろうか?

アウトプットしながら、人は言葉を身につけていく。
言葉は覚えるものではなく、口から声を発して自分のものにしていくものだ。

なのに、日本では、学生に英語を学ばせる時に、この逆の教育ばかりなされてきた。

英語を話させることなく、頭に文法や英単語を詰め込む教育ばかりなされてきた。

だから、日本で英語教育を受けた私たちの大半は、英語を6年学ぼうが10年学ぼうが、ネイティブの会話を聞き取れないし、話せない。

日本にやってきて、明らかに何かに困っている外国人を見かけても、どうにかしてあげたいという思いはあっても、声さえかけられないでいる。

私には、英語を何年学んでも、英語を使いこなせるようにならない日本の英語教育を変革してやろうなんて思いはさらさらない。

学校で学べる英語は、点数化できる文字ベースの英語にならざるを得ない。
文法の間違いや単語のスペル間違いであれば、チェックして採点できるが、学生が話した英語が外国人にも伝わる発音、言い回しになっているのかを採点するには限界があり、変革は難しい。

でも、言語は本来、点数化して評価されるようなものではない。

言語は、コミュニケーションを取るためにある便利な道具であって、それは、使っているうちに徐々に身についていくものだ。

私自身、この半年間、発話のためのトレーニングをコツコツ繰り返しきたことで、街の中で困っている外国人を見かけた時に、やっとこちらから声をかけられるようになった。

完璧な英語でなくても、地下鉄に乗って、どこの駅で何線に乗り換えれば目的地にたどり着けるかを伝えられるだけの発話力。

ラーメン屋さんで、メニューの違いがわからず、戸惑っている外国人に、味や具材の説明をしたり、替え玉というシステムがあることを教えてあげられる発話力が徐々に身についてきた。

そして、話してみて初めて、「あーもう少しこういう言い方をした方がわかりやすかったかな」と、後で気がつき、さらにスマートな言い回しが身につくようになる。

でも、話してみなければ、このような気づきも起こらない。

だから、英語を話せるようになりたければ、知っている単語を駆使して、とにかく話してみることが大事だ。

今やスマホの翻訳アプリを使えば、英語がわからなくても、外国人と会話できる便利な時代になった。

でも、AIに頼りすぎると、その分、自分の脳を動かす機会は減り、脳は退化してしまう。

そういう意味で、私が53歳から始めた英語学習は、脳の老化防止に役立つし、これまで声をかけたくてもかけられなかった外国人ともやりとりできるようになり、とてもいい趣味に出会えた気がしている。

お知らせ

英会話スクールに行かなくても、ちょっとした空き時間を使って、毎日、音声を聴きながら発話練習を繰り返すことで、英語脳をつくれるようになるトレーニング法を知りたい方は、今週末開催のこちらの講座にご参加ください。

昨夜、なんとなく、バリー・ホワイトのLove’s Themeが聴きたくなったので、iPhoneで何度も繰り返し聴いていた。

そして、今日、目が覚め、外に出てみると、今度は、商店街のスピーカーからLove’s themeが聴こえてきて、商店街を歩きながら、こんなことに気がついた。

昨夜、聴いていたたLove’s themeは、私が聴きたくなったから自分で選択して聴いていた音楽だと思っていたけど、実は、今、聞こえているLove’s themeと同じで、ひとりで現れ出てきている音なのだと。

LIFEは、愛のテーマによって、いつもこんなふうに彩られている。


お知らせ
非二元(ノンデュアリティ)を、二元性の言葉で捉えてわかろうとしても、混乱や疑問が増えるだけです。
非二元は、言葉で説明できるような概念や教えではなく、感覚的に認識できるものだからです。
非二元の感覚をダイレクトに感じてみたい方は、プライベートセッションか、12月開催のノンデュアリティ・エクスペリエンスにご参加ください。
今日は、徳島の女性と電話で非二元(ノンデュアリティ)のセッションをやった。
 
冒頭、ノンデュアリティとは、デュアリティ(二元性)を否定する「アンチ・デュアリティ」ではなく、排除という対立概念のない絶対的な受容性であることを伝えてから、セッションを始めた。
 
彼女は、思考の渦に巻き込まれることを避けたいと思っていた。
 
「思考に巻き込まれている」「巻き込まれていない」の二元性の中を行ったり来たりしている自分がいて、できれば、今後は、巻き込まれないようになりたいと彼女は願っていた。
 
でも、その思いは、言葉がつくりだした二元性の世界の話であって、言葉以前に、今、実際に現れている非二元性を認識できたなら、巻き込まれようが、巻き込まれまいが、どちらでもよくなることを伝え、ここにあるその非二元の受容性を確認できるよう、セッションを進めていった。
 
すると、彼女は、「思考は現実化する」という新興宗教の考えを信じ、それによって自分の考えを責めはじめて苦しくなると、今度は、「全ては決まっている」という伝統的な宗教の教えを信じ、相反する二元性の概念の中を行ったり来たりしてずっと苦しんでいたことを、正直に伝えてくれた。
 
「思考を考えているのは、自分だと思い込んでいるでしょ!」と私がいうと、彼女は「えっ?」と驚いた。
 
「じやあ、そうなっているかどうか、調べてみよう!」
 
こんなやり取りをしていると、現れ消えていく思考にとらわれることなく、どんな二元性の思考をも否定しない、絶対的な受容性、ノンデュアリティ(非二元性)が、ここにあることに誰もが気づいていく。
 
ノンデュアリティの受容とは、二元性においての「拒絶」の対立概念の「受容」ではない。
 
これは、対立のない「受容」。
ただ、この受容だけがあり、何が起ころうが、どんな思考が浮かんでこようが、全ては拒絶されることなく、既に受容されている。
 
お知らせ
ノンデュアリティの受容感を体験したい方は、非二元のプライベートセッションか、12月開催のノンデュアリティ・エクスペリエンスにご参加ください。
今日は、私が30年前に職場の先輩から教わった高収入を生み出せるようになる学習法についてのご案内です。

この学習法は、いまだに学校では教えられていなくて、それゆえ実践している人はかなり少ないのですが、私はラッキーなことに、23歳の時に、この学習法を実践していた先輩に出会え、普段から
どのような事を繰り返しているから、説得力のある話ができるようになり、社会で出世できるようになるのかを知ることができました。

高収入を得ているビジネスパーソンやクリエイターたちが、普段から無意識に繰り返しているその学習法を知りたい方は、
こちらのページをご覧ください。
思考は、物事を「陽と陰」の二つに分けて、片側の陰を否定する。

「善と悪」の悪を拒絶し、「喜びと悲しみ」の悲しみを拒絶し、「長所と短所」の短所を拒絶し、「味方と敵」の敵を拒絶し、「生と死」の死を拒絶し、「若さと老い」の老いを拒絶し、「ハリとシワ」のシワを拒絶し、「筋肉と脂肪」の脂肪を拒絶する。

本来、切り離されてはいないものを二つに分け、ネガティブな側面を忌み嫌い、消し去ろうとする。

ネガティブな思考が消滅すれば、ポジティブ思考だけが残ると思い込んで。
不完全さがなくなれば、完全になれると思い込んで。
汚れか浄化されれば、美しさが手に入ると思い込んで。
メンタルブロックが消えれば、解放が起こると思い込んで。
欠乏感がなくなれば、豊かになれると思い込んで。
エゴが消えれば、覚醒が起こると思い込んで。

思考は、相対的に物事を二つに分け、その片方を消そうと試みる。

でも、どれだけ、陰を消そうと試みても、陰は現れ続ける。

光がある限り、陰が消えることはない。

地面に映った自分の陰を消そうと、どれだけ足で踏みつぶしたところで、光がある限り、陰は消えない。

光あるところに、陰は必ず現れる。

光から切り離されて、単独で存在している陰などない。
陰は光によって生まれるものであり、陰が光を脅かすようなものではないことを、光は知っている。

陰は消すべきものではなく、光の存在を思い出させてくれるもの。

本当のあなたがなんであるかを、いつでも思い出せるように、陰は常に現れ続けている。

お知らせ
思考がどれだけネガティブな面に着目し、それを消そうと試みていても、あなたの人生は既に完璧です。
人生の修正にくたびれた方は、非二元のプライベートセッションか、12月開催のノンデュアリティ・エクスペリエンスにご参加ください。

私たちは映画が大好きだ。

 
映画を観ている間、私たちは、我を忘れて映像の世界にのめり込んでいる。
 
次にどんなシーンが現れ、どんな展開になるかは、私たちにはわからない。
 
もし、映画の筋書きや結末を事前に知っていたら、映画を楽しめなくなってしまう。
 
次に何が起こるのかがわからないからこそ、私たちは映画を楽しむことができる。
 
そして、映画を見ている間、私たちは、映画の筋書きにケチをつけたりはしない。
「ここはこうではなく、こう展開させた方がよりドラマチックになるんじゃないか」と脚本家のような目で映画を見ていたら、映画を楽しめなくなる。
 
どんな俳優がどんな役柄で現れようが、私たちは、登場人物にケチをつけたりしない。
「この役柄なら、この役者よりあの役者に演じさせた方がもっと面白くなるのに」と評論家のような目で映画を見ていたら、映画を楽しめなくなってしまう。
 
でも、私たちは、人生においては、まるで映画監督か脚本家のように、人生の展開を自分で調整しようとしている。
 
だから、人生という映画を楽しめない。
 
この先の計画ばかり立てて、予測のつく範囲に人生の展開を押し込めようとしてばかりいるから、先の見えない映画を楽しむように、人生を楽しめない。
 
「ユニバーサル(宇宙)スタジオ」がクリエイトしている「人生」と呼ばれる映画は、毎日、映画館に行かなくても無料で上映されている。
 
なのに、人は、この映画をありのままに楽しもうとはせず、筋書きや登場人物を変えようと、日夜、人生と戦い続け、クタクタになっている。
 
そこには、人生という映画を楽しむ余裕などまったくなく、つかの間、映画館に行った時だけ、ありのままに映画を見て、泣いたり、笑ったりして、一息ついている。
 
お知らせ
今年最後の「ノンデュアリティ・エクスペリエンス」のテーマは、映画を楽しむように人生を楽しんでいる「意識」です。
遠方の方は、電話かスカイプでのセッションをご活用ください。

今日から、絵を描く練習を始めることにした。

 

いきなりうまくは描けないが、お手本を見ながら、毎日、一枚ずつでも描き続けていこうと思う。

 

今日描いたのは、先月から始めた講座「ブレイン・アップグレード・ジム」のイメージ。

 

こうして絵にしてみると、「セミナー名をこんなふうに変えた方がしっくりくるのではないか」というひらめきも浮かんできて、久々にコピーライターに戻ったような感覚を感じている。

 

 

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お知らせ

 

脳のスイッチが切り替わり、仕事と学習が楽しくなる「ブレイン・アップグレード・ジム」の次回開催は、来年1月28日(日)です。
(内容は変わりませんが、講座名が変わる可能性があります)
今日から、ひらがなの書き方の勉強を始めることにした。

7歳の頃にも、こういうドリルで、ひらがなやカタカナの書き方を学んだ記憶があり、とても懐かしい感じがする。

7歳の時に手にしていたのは、えんぴつで、今はボールペン。
そして、なにより手の大きさが、随分、変わったのだろうが、あの頃の手の大きさや形の記憶は、まったく思い出せない。
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追伸
私は学生の頃、人前に立つのがとても苦手でした。
人前に立った時、自分がみんなから見られていると思うだけで、恥ずかしさがドッと込み上げてきて、一刻も早くこの場から立ち去りたいとばかり思っていました。
当然、自分が思っていることの1割も話すことができませんでした。
もし、その頃、話し方教室というものがあったとしても、私は、教室にも行けないほど、恥ずかしさの感覚にさらさられることを嫌っていました。
たぶん、こんな感覚を感じている人が、私以外にもいるのではないかと思い、私は今、自分の経験を活かして、話し方教室をやっています。

もし、あなたが、もう少しラクに人前に立てて、落ち着いて話せるようになりたいと思っているなら、12月開催
話し方教室に参加してみてください。

50年以上も生きてくると感動することが増える。感動する数も増えるが、感動(驚き)の大きさも増す。

 
私が子供の頃に想像していた50代の男性は、お爺さんに近いイメージだった。
その頃の定年退職は55歳だったので、50代の男性といえば、家でのんびり暮らしている老後のイメージが強かった。
 
そして、驚いたことに、私はまだ54歳なのに、既に老後のような生活を送っている。
 
毎日、近所のモスバーガーに行き、紅茶を飲みながら好きな本を読んで過ごしている。
 
家に帰ったら、iPhoneで英語の音声を聞きながら、毎日、飽きるまで英会話の練習を繰り返す時間もある。
 
私が学生の頃にはなかった英会話の教材にも恵まれ、「長く生きていると、こんなに素晴らしい学習教材にも巡り合えるようになるんだな」と感動しながら、毎日、英語の学習を楽しめている。
 
そして、優れた教材のおかげで、私の英語力はこの1年で、学生時代の6年分をはるかにしのぐほど伸びた。
 
また、若い頃は、企業からリタイアしたら安定収入が絶たれるので、お金の心配が増すのではないかと想像していたのだが、現実はその逆で、クリエイティブな作業をしていれば、自ずとお金もクリエイトされてくるので、お金のために働くことはなくなり、クリエイティブな作業を楽しみたいだけ楽しめるようになった。
 
こんなふうに、現実は、人間の想像をはるかに超えて、その広大さ、豊かさを隠すことなく体験させてくれる。
 
お知らせ
英語を学び直したいと思いつつ、何から手をつければいいのか迷っている方は、11月末に開催する「何歳から英語脳をつくりだせる脳トレ法」にご参加ください。