「英単語を大量に記憶→英会話できる」の嘘 | 非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

より多くのお金を求めて働く貨幣経済の中で、自分らしく輝きながら、他者と共に幸福に生きる「技と知」を、ライフコーチの矢沢大輔が提案。

何年英語を学んでも、英語を聞き取れるようにも、話せるようにもならない人が、共通して信じ込んでいること。

それは、英単語をたくさん記憶すれば、そのうち英語を使いこなせるようになるという思い込み。

要するに、たくさんの情報を頭の中にインプットすれば、そのうち英語を話せる(アウトプットできる)ようになるだろうという明治時代から信じられてきた詰め込みの教育法をいまだに鵜呑みしたままなのだ。

幼少時代に言葉を話し始めた時、私たちは、単語を覚える学習をしてから、日本語を話し始めただろうか?
カタコトの日本語でも、話しながら日本語を身につけていったのではないだろうか?

アウトプットしながら、人は言葉を身につけていく。
言葉は覚えるものではなく、口から声を発して自分のものにしていくものだ。

なのに、日本では、学生に英語を学ばせる時に、この逆の教育ばかりなされてきた。

英語を話させることなく、頭に文法や英単語を詰め込む教育ばかりなされてきた。

だから、日本で英語教育を受けた私たちの大半は、英語を6年学ぼうが10年学ぼうが、ネイティブの会話を聞き取れないし、話せない。

日本にやってきて、明らかに何かに困っている外国人を見かけても、どうにかしてあげたいという思いはあっても、声さえかけられないでいる。

私には、英語を何年学んでも、英語を使いこなせるようにならない日本の英語教育を変革してやろうなんて思いはさらさらない。

学校で学べる英語は、点数化できる文字ベースの英語にならざるを得ない。
文法の間違いや単語のスペル間違いであれば、チェックして採点できるが、学生が話した英語が外国人にも伝わる発音、言い回しになっているのかを採点するには限界があり、変革は難しい。

でも、言語は本来、点数化して評価されるようなものではない。

言語は、コミュニケーションを取るためにある便利な道具であって、それは、使っているうちに徐々に身についていくものだ。

私自身、この半年間、発話のためのトレーニングをコツコツ繰り返しきたことで、街の中で困っている外国人を見かけた時に、やっとこちらから声をかけられるようになった。

完璧な英語でなくても、地下鉄に乗って、どこの駅で何線に乗り換えれば目的地にたどり着けるかを伝えられるだけの発話力。

ラーメン屋さんで、メニューの違いがわからず、戸惑っている外国人に、味や具材の説明をしたり、替え玉というシステムがあることを教えてあげられる発話力が徐々に身についてきた。

そして、話してみて初めて、「あーもう少しこういう言い方をした方がわかりやすかったかな」と、後で気がつき、さらにスマートな言い回しが身につくようになる。

でも、話してみなければ、このような気づきも起こらない。

だから、英語を話せるようになりたければ、知っている単語を駆使して、とにかく話してみることが大事だ。

今やスマホの翻訳アプリを使えば、英語がわからなくても、外国人と会話できる便利な時代になった。

でも、AIに頼りすぎると、その分、自分の脳を動かす機会は減り、脳は退化してしまう。

そういう意味で、私が53歳から始めた英語学習は、脳の老化防止に役立つし、これまで声をかけたくてもかけられなかった外国人ともやりとりできるようになり、とてもいい趣味に出会えた気がしている。

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英会話スクールに行かなくても、ちょっとした空き時間を使って、毎日、音声を聴きながら発話練習を繰り返すことで、英語脳をつくれるようになるトレーニング法を知りたい方は、今週末開催のこちらの講座にご参加ください。