今日は、徳島の女性と電話で非二元(ノンデュアリティ)のセッションをやった。
冒頭、ノンデュアリティとは、デュアリティ(二元性)を否定する「アンチ・デュアリティ」ではなく、排除という対立概念のない絶対的な受容性であることを伝えてから、セッションを始めた。
彼女は、思考の渦に巻き込まれることを避けたいと思っていた。
「思考に巻き込まれている」「巻き込まれていない」の二元性の中を行ったり来たりしている自分がいて、できれば、今後は、巻き込まれないようになりたいと彼女は願っていた。
でも、その思いは、言葉がつくりだした二元性の世界の話であって、言葉以前に、今、実際に現れている非二元性を認識できたなら、巻き込まれようが、巻き込まれまいが、どちらでもよくなることを伝え、ここにあるその非二元の受容性を確認できるよう、セッションを進めていった。
すると、彼女は、「思考は現実化する」という新興宗教の考えを信じ、それによって自分の考えを責めはじめて苦しくなると、今度は、「全ては決まっている」という伝統的な宗教の教えを信じ、相反する二元性の概念の中を行ったり来たりしてずっと苦しんでいたことを、正直に伝えてくれた。
「思考を考えているのは、自分だと思い込んでいるでしょ!」と私がいうと、彼女は「えっ?」と驚いた。
「じやあ、そうなっているかどうか、調べてみよう!」
こんなやり取りをしていると、現れ消えていく思考にとらわれることなく、どんな二元性の思考をも否定しない、絶対的な受容性、ノンデュアリティ(非二元性)が、ここにあることに誰もが気づいていく。
ノンデュアリティの受容とは、二元性においての「拒絶」の対立概念の「受容」ではない。
これは、対立のない「受容」。
ただ、この受容だけがあり、何が起ころうが、どんな思考が浮かんでこようが、全ては拒絶されることなく、既に受容されている。
お知らせ
ノンデュアリティの受容感を体験したい方は、非二元のプライベートセッションか、12月開催のノンデュアリティ・エクスペリエンスにご参加ください。