創世記に出てくるエデンの園には、「生命の樹」と「知識の樹」があった。
そして、知識の樹になる果実を食べることは、禁じられていた。
ここでいう禁断の果実とは、「善悪」などの二元性があるとされる言葉のことだ。
言葉を鵜呑みにしてしまうと、楽園から追放され、生と死がある二元性の世界の中で、死ぬまで苦役を負うことになる。
そして、アダムとイブは、ヘビにそそのかされ、その禁断の果実を食べ、失楽園してしまう。
これが創世記に記された物語だ。
そして、これは、現実に今も起こっている。
「非二元(ノンデュアリティ)」という言葉は、生命の樹を指し示している言葉だ。
しかし、ネットで「非二元」「ノンデュアリティ」を検索すれば、「非二元とはどういうことか」を言葉で解説している文章がたくさん見つかる。
たとえば、「非二元とは、二つがないこと。ワンネスしかないこと」と書いてあり、それを読んで、「そういうことね」とあなたがその言葉を飲み込み、理解してしまったなら、その瞬間、楽園から落ちてしまう。
なぜなら、「非二元」を二元性の知識でとらえてしまったからだ。
「非二元」という言葉が指し示しているのは、楽園の「生命の樹」のことだ。
「非二元」とは、「生命そのもの」を指し示すポインターであり、「非二元」という言葉そのものには、何の意味もない。
もし、非二元を、知識、思考で理解したなら、その瞬間、今ここにある生命のフレッシュさから切り離され、楽園を見失う。
だから、ネットの中の「非二元とは何か」を語っている言葉を、けっして鵜呑みにしてはいけない。
それはあなたを失楽園に誘いこむヘビのそそのかしのようなものだ。
「非二元についてわからないことがあったら、なんでも質問してください」という誘いにのって、「私はいない」とは、どういう意味ですか?と質問した瞬間、あなたは、答え(新たな知識)を待ち望む思考者に陥り、今ここにある楽園の恵みを見失う。
そして、もちろん、ここで私が語っている言葉も理解しようとしてはいけない。
ここまでの言葉を読んで、もし、頭で理解しようとしたなら、ブルース・リーからこんなふうに叱られてしまうから。
Don’t think. feel!
It’s like a finger pointing away to the moon.
Don’t concentrate on the finger,
or you will miss all the heavenly glory.
動画はこちら
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お知らせ
j実際に樹を見ながら、「生命の樹」「知識の樹」の違いを確かめたい方は、2018年3月4日(日)開催のノンデュアリティ・エクスペリエンスにご参加ください。
遠方の方は、電話での非二元プライベートセッションをご活用ください。