非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」 -27ページ目

非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

より多くのお金を求めて働く貨幣経済の中で、自分らしく輝きながら、他者と共に幸福に生きる「技と知」を、ライフコーチの矢沢大輔が提案。

今日は、非二元(ノンデュアリティ)の観点から、記憶というものが、どこに保存されているのかを書きます。

 
私は、記憶術の講師をしている時には、脳科学的な観点から記憶のメカニズムについて話していますが、今日は、それを超えたノンローカリティ(非局在性)の話です。
 
脳科学では、「記憶」は脳の中に保存されていることになっていますが、脳はあくまで情報が一時的にダウンロードされる場所(局在)であり、記憶の元となる概念や思考は、常に「意識」の中に存在しています。
 
ここでいう「意識」というのは、個人が持っていると思われている意識のことではなく、局在化(個別化)されていない全体意識(集合意識)のようなものだと考えてください。
 
その意識の中には、思考だけでなく、この世に存在しているあらゆるものの原形が、無形の状態で存在しています。
 
たとえば、あなたが知り合いの顔を見て、とっさにその人の名前を思い出せなかった時のことを、今、思い返してみてください。
 
喉元まで、その人の名前がでかかっているのに、どうしても名前が出てこない。
頑張って思い出そうとすればするほど、その人の名前が出てこない。
 
でも、不思議なことに、その後、その人が目の前からいなくなり、ほかのことを考えていた時に、その人の名前が、突然浮かんできた、という経験をしたことはないでしょうか?
 
その人の名前の記憶は、あなたが思い出そうとして思い出せなかった時にも、「意識」の中にありました。
 
でも、その時、あなたの意識の焦点は、意識のある範囲内にのみ光が当たっている状態で、その人の名前は、光の外側にあり、その人の名前を見つけ出すことができませんでした。
 
しかし、その後、あなたの前からその人がいなくなると、あなたは、その人の名前を思い出そうとする「集中した意識状態」から解放されます。
 
すると、先ほどまで、焦点が絞りこまれていた光が当たる範囲が広がります。
 
この瞬間、先ほどまで、光の外側にあったその人の名前が、今度は光の範囲内に見えるようになり、あなたはその人の名前を思い出せるようになったのです。
 
つまり、ある時に、すでに知っている情報を思い出せなくなるのは、記憶力の問題ではなく、意識の集中状態に関連しているのです。
 
一般的には、集中状態にあるほど、学習効果が上がると考えられていますが、実際には、リラックスしているときこそ、光の焦点の絞りこみが起きず、意識の中に存在しているあらゆる情報にアクセスしやすくなります。
意識の光の絞り込みが緩むことで、思い出せなかったことを苦もなく思い出せるようになったり、、これまでにアクセスできなかった情報にもアクセスできるようになるわけです(後者を私たちは「ひらめき」と呼んでいます)。
 
何かを思い出せなくなったら、それは、あなたの記憶力が衰えたからではなく、意識が集中状態に入り、アクセスできる範囲が絞り込まれてしまっているから。
 
このことを知っていれば、あなたは、何かを思い出せなくなっても焦ることなく、意識をリラックスした状態にシフトすることができます。
 
集中も大事ですが、それ以上にリラックスも大事。
これは、仕事においても学習においても共通して言えることです。
 
お知らせ
集中とリラックス(睡眠)の繰り返しを生かして、英語を効率よく学び直したい方は、2月18日開催の「英語」脳トレにご参加ください。
また、「脳の左脳と右脳をフルに働きだす図解学習法」のお申込み受付を開始しました。
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私たち日本人は、たいてい自分のことを「私」と呼ぶ。

 
Aさんにとっての「私」と、Bさんにとっての「私」と、Cさんにとっての「私」は、実は同じ一つの「私」。
一億二千万人の見かけ上の顔や体つきは、それぞれ違っても、直感的に同じ存在であることを知っているから、私たちは自分のことを同じ言葉で呼び合っている。
 
そして、英語圏の人たちは、自分のことを「I」と呼んでいる。
文字の形が表している通り、私たちが「一つの存在」であることを知っているから。
 
「私」「I」という言葉は、単なる人称代名詞ではない。
 
それは、「存在(Being)」そのものから発せられる言葉。
誰もが同じ存在であることを確かめあえる言葉。
 
お知らせ
本当の私の制限のなさを体験を通じて確かめたい方は、非二元のプライベートセッションか、3月のノンデュアリティ・エクスペリエンスにお越しください。
自分ではないもの(肉体)を自分だと思い込むと、完全さが見失われ、肉体の完全さを追い求めることになる。

自分ではないもの(心)を自分だと思い込むと、安らぎが見失われ、心の安定を求めることになる。

自分ではないもの(思考)を自分だと思い込むと、楽園が見失われ、幸福を探し求めることになる。

自分ではないもの(年齢)を自分だと思い込むと、生の歓びが見失われ、生きながら死後の安楽を追求することになる。

自分ではないもの(個人)を自分だと思い込むと、愛が見失われ、相手に愛を求めることになる。

しかし、これらの探求は、遅かれ早かれ、頓挫する。

ただし、これは悲劇ではない。

自己の取り違えが取り消される、これは恩寵。

自分が長く探し求めていたものが、本当の自分であったことが明らかになりだす、LIFEの始まり。

自分ではない何者かになろうとして、人は夢の中をさまようけれど、その夢を見ている間も、本当の自分はくつろぎ、幸福、愛に満ち溢れている。

お知らせ
本当の自己を体験を通じて再発見したい方は、非二元のプライベートセッションか、3月のノンデュアリティ・エクスペリエンスにお越しください。
今日は、非二元の観点からお金について書いてみます。

お金は、人生において欠かせないものに見えます。

お金がなくては買い物ができません。

お金がないと食べ物も買えませんから、そうなると自給自足の生活をしなくてはいけないように思えます。

だから、多くの人は、絶えずお金の心配をしながら生きています。
どうすれば、一生暮らせるだけのお金を獲得できるかを考えてばかりいます。

でも、本当に私たちが求めているのは、お金ではありません。
お金によって手に入るモノやコトでもありません。

私たちが本当に求めているのは、モノやコトによって得られると信じている存続のための安心感と幸福感です。

ところが皮肉にも、お金をどれだけ獲得してモノやコトを手に入れ続けても、私たちが感じられる安心感、幸福感は、束の間のうちに消えてしまい、再び不安感、欠乏感にさいなまれます。

そして、また、安心感、幸福感を求めて、新しいモノやコトを得るためにお金を獲得することに邁進することになります。

お金→モノ・コト→安心感・幸福感→不安感・欠乏感→お金→モノ・コト……

安心感・幸福感を得ては消えてしまう、この終わりのない悪循環に、はまりこんでしまっているわけです。

ここで私が伝えたいのは、「お金は人を惑わすものだから悪いものだ」と言ってるのではありません。

「束の間の安心感・幸福感しか与えてくれないモノやコトが問題だ」と言っているのでもありません。

私たちが安心感・幸福感を求めるには、安心・幸福がどこかに存在していることを知っていなければなりません。

なぜなら、知らないものを追い求めようがないからです。

では、なぜ、私たちは安心、幸福を知っているのでしょうか?

それは、本当の自分が、安心・幸福そのものだからです。

では、安心・幸福そのものである自己が、なぜ、安心・幸福を求めなくてはならないのでしょうか?

それは、本当の自分を見失い、自分ではないもの、たとえば、寿命という限界がある体や、揺れ動き続ける心の状態を自分だと思い込み、その不完全さ、不安定さに耐えきれなくなっているからです。

しかし、本当の自分ではないものを自分だと思い込んでいるこの勘違いが解ければ、本当の自分が平和・幸福・愛そのものであったことが明らかになります。

そうなると、安心・幸福を、お金やモノを通じて求める必要がなくなります。

お金がなくては大変なことになると思い込んでいた深刻さから解放され、真実が見え始めます。

一生分暮らせるお金を頑張って得た結果として自由がもたらされるのではなく、本当の自分の制限のなさ、自由さを認識できるようになります。

そして、肉体も、お金も、あらゆるモノも、個別に存在している物質ではなく、自らの自発的な表現として見えるようになります。

お知らせ
自分のことを体だと信じているなら、宇宙はそれに応じます。
自分とは平和・幸福・愛そのものだとわかっているなら、宇宙はそれに応じます。
自分のことを何だと思っているか?
その通りに世界は現れます。
非二元に興味のある方は、3月開催のノンデュアリティ・エクスペリエンスか、プライベートセッションをお受けください。
今日は、30歳の男性と非二元(ノンデュアリティ)のセッションをやった。

彼は、映画マトリクスのストーリーを語りながら、私たちが現実だと思っている世界は、本当はどうなっているのかを知りたがっていた。

映画の中では、モーフィアスが、赤いカプセルと青いカプセルを差し出し、ネロにどちらかを選択するように迫る。

しかし、現実(リアリティ)においては、赤か青かを選ぶ選択肢など存在していない。

「選択」という概念は、想像上のストーリー(二元性)の中にだけあるもので、現実はいつでも非二元で、他の可能性や選択肢が入り込む余地などないことを明らかにしていった。

そして、今、直接経験できるこの現実が、いかに想像を超えた奇跡であり、どれほど無条件の愛に溢れているかを確認できたところで、セッションを終えた。

どちらかのカプセルを選択しろと迫るモーフィアスも、どちらかのカプセルを選ぶネロも、ストーリー(フィクション)の中の登場人物であり、現実にはどちらも存在していない。

あるのは、非二元。
これ以上の選択肢もなければ、これ以下の選択肢もない。

お知らせ
非二元(ノンデュアリティ)のセッションは東京で行っていますが、遠方の方は電話でもセッション可能です。
今日は、趣味と仕事の関係について、私が実感していることを書いてみます。

私の趣味は、読書です。

趣味が高じて「記憶できる読書法」を教えているほど、読書が好きです。

52歳までは、英文を読めないので、和書ばかり読んでいました。

でも、53歳になってから、日本語で読める本だけでは物足りなくなり、私は洋書を読めるようになるために、英語の学習を始めました。

私の趣味は読書ですから、英語の学習を始める時も、片っ端から英語の学習書を買い集め、読みまくりました。

すると、10冊に1冊程度の割合で良書に出会え、後の9冊は良書の焼き回しであることがわかるようになってきました。

良書に出会えたおかげで、私は英語のスクールに通うことなく、洋書を読みこなせるようになり、趣味である読書の幅が広がって、読書がますます楽しいものになりました。

ここまでを振り返ってみると、どうしても読みたいジャンルの洋書があり、そのジャンルの本を読むために英語を学び始めたら、今度は、英語学習の良書に出会えて、洋書を読めるようになり、今や英語の学習法まで教えて収入を得られるようになったわけですから、私が日々楽しんでいる読書は、趣味と言えるものなのかどうか、どんどんわからなくなってきています。

でも、一つ言えるのは、毎日、当たり前のように続けていられることがあるなら、それが趣味であろうが、仕事であろうが、スキル化され、全自動状態になり、苦もなく速やかにこなせるようになることは間違いないようです。

お知らせ
2月開催の英語脳トレ法では、私が使って効果を実感できた英語の教材をお配りし、毎日、どんなトレーニングを繰り返すと、リーディング力、リスニング力、スピーキング力を短期間で高められるかをお教えします。

今、大阪から東京に戻りました。

大阪滞在中には、多くの方と初めてお目にかかり、非二元性(ノンデュアリティ)を確かめるセッションを行いました。

今回、一年ぶりに大阪にきて、びっくりしたのは、「今、現実に見えている世界は、幻想なんでしょ」という言葉を何人もの人から聞いたことでした。

あまりに多くの人から、この言葉を聞いたので、関西には、現実を幻想として扱い、現実から逃避する手段として「非二元」という言葉が利用されていること、非二元がニヒリズム(虚無主義)と同義語のようになっていることに驚かされました。
そのため、セッションでは、何が現実(リアリティ)で、何が思考上のストーリー(フィクション)なのかを明確にしていくやり取りが数多く起こりました。

非二元とは、現実(リアリティ)を否定するものではありません。
今、見えているこれは、LIFEの動きそのものであり、これを幻想として否定するなら、それこそ、生命そのものの否定となり、驚きに満ちあふれた生の歓びを見失ってしまうからです。

実際に存在しているのは、個人の私ではなく、このLIFEであり、LIFEを幻想として否定できるような誰かは、存在していません。

「LIFE」と「LIFEを否定する誰か」の二つが存在するなら、非二元ではなく、二元になってしまうからです。

今、現れている現実こそが、LIFEであり、これ以外に存在していると思えるものは、それが何であれ、思考によるストーリーです。

そして、その思考によるストーリーさえ、否定されることなく、現れ出ることが許されています。

でも、このストーリーの中に入り込んでしまうと、ストーリーであったはずのものがまるで現実のように思え、ここに今、現れているリアリティが見えなくなります。

そうなると、ストーリーをストーリーとして見抜けなくなり、ストーリーが現実とすりかわってしまいます。

人間の苦しみというものは、すべてこのストーリーを現実だと思い込み、常に完全であるリアリティを見失うことから生まれます。

問題というものは、現実だと思い込んでしまっているストーリーの中でだけあり得るもので、実際にあるのはLIFEであり、LIFEが故障したことなど、一度もありません。

お知らせ
今日から非二元(ノンデュアリティ)のセッションは、東京で行います。

昨日は、経営者の男性と非二元(ノンデュアリティ)のセッションをやった。

「意識が高まれば、宇宙とつながり一体になれる」と、彼は思っていた。

そこで、まず、
意識に高い、低いのレベルがあるかどうか。
今、仮に意識が低いレベルにあるなら、意識が高まる可能性があるのは未来ということになっているけれど、その未来は存在するかどうかを確かめていった。

すると、意識は既に覚醒していること。
未来は存在せず、今があるだけであることが、あっという間に明らかになった。

また、経営者である限り、常に正しい決断、選択を迫られているが、選択については、どう考えれば良いのか?という質問が出た。

選択や自由意志というものが存在しないことを概念的に伝えても、哲学問答のようになってしまうので、実際に歩いている最中に、右の道に進むか、左の道に進むかを自分で選択しているように思い込んでいるけれど、現実には、一切、選択などありえず、一通りの現実を経験しているだけであることを明らかにしていった。

現実(リアリティ)とは何なのかが明確になるまで、人は、自分が選択したと思い込んでいる決断とその結果に、重い責任を感じ、後悔と重圧を積み重ねていく。

しかし、選択の余地など一切ない現実が見えた瞬間、人はこうつぶやく。

これがわかると、ものすごくラクになりますね。

選択があるというストーリーからの解放。

この解放が起こるまで、人は選択があり、選択しなければいけないというストーリーの中で、日々、悩み続ける。

お知らせ
大阪での非二元のセッションは明日5日までで、6日以降は、東京でセッションを行います。
明けましておめでとうございます。
皆さま、本年も、よろしくお願いいたします。

元日は、76歳の父の運転で、京都まで墓参りに行き、帰りに能勢に立ち寄り、しし鍋うどんをご馳走になりました。

車のコントロールパネルからレクサスオーナーズデスクのボタンを選び、担当者に行き先を告げると、カーナビの設定をしてくれたり、行き先の近くで食事できる場所を探してくれたり、自動車産業のサービスの変化に驚かされた一日でした。

そして今日は、ちょっとあっさりめのものを食べたいなと思い、実家の近所のミスタードーナツにやってきました。

汁そばとドーナツのセットを頼み、ズルズルと汁そばをすすっていると、4、5歳くらいの女の子が私のところに近づいてきて、こんな会話になりました。

「なに食べてるん?」
「ラーメン!」
「ラーメンたのんだん?」
「うん、たのんだよ」

私がそういった瞬間、女の子のお父さんが現れ、無言で子供の手を取り、向こうの方に連れていってしまいました。
女の子は、もう少し、私に何かを聞きたそうだったのですが、何が聞きたかったのかは、わからずじまい。

中途半端な感覚は残っているけれど、この女の子から「見知らぬ人とでも、これくらいの会話はいつでも気軽に楽しめるでしょ!」と教えてもらえた気がします。

お知らせ
英語学習に何度挫折した人でも、「聞く力」「話す力」「読む力」を同時に開発できる『英語』脳トレ法の先行割引は、1月10日までです。
https://goo.gl/4ug7dJ

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大阪に帰省して今日で3日目。

この3日間、毎日、非二元(ノンデュアリティ)のセッションをやっていて、今日は、70代の女性とカフェで対面セッションをやった。
 
彼女は、十代の頃から、母親に愛されなかったことに対して恨みつらみを感じ続けていた。
 
「恨みつらみ」の思いをつくり出しているのは、誰?と問うと、「エゴの私」という答えが返ってきた。
そこで、それをやっている「エゴの私」が実在するかどうかを確認することから、セッションを始めた。
 
彼女は、これを確認するまで、「恨みつらみ」の思いを生み出しているエゴが消えれば、「恨みつらみ」の思いがなくなると、長年信じ込んできた。
 
しかし、それが事実かどうかを実際に確認してみると、恨みつらみの思いが、気づきのスペースに、ひとりでにポップアップしてきて、ひとりでに消えていくものであることに気がつき、エゴとの格闘が終わった。
 
そして、セッションが終わる頃、彼女は、乳がんになり、末期の状況であることを私に知らせてくれた。
 
そして、彼女は、乳がんになったのも、自分がその原因をつくっていると思い込んでいたので、それをやっているのもエゴの私ではなく、マインドがきらう癌でさえ、気づきのスペースの中で許されていること、本当の私は、癌になれないこと、死を経験できないことを確認して、セッションを終えた。
 
お知らせ
大阪での年内のセッションは、ご予約がうまりました。
年明け、3日から5日までは大阪でセッションを行い、その後、東京に戻ります。