大阪滞在中には、多くの方と初めてお目にかかり、非二元性(ノンデュアリティ)を確かめるセッションを行いました。
今回、一年ぶりに大阪にきて、びっくりしたのは、「今、現実に見えている世界は、幻想なんでしょ」という言葉を何人もの人から聞いたことでした。
あまりに多くの人から、この言葉を聞いたので、関西には、現実を幻想として扱い、現実から逃避する手段として「非二元」という言葉が利用されていること、非二元がニヒリズム(虚無主義)と同義語のようになっていることに驚かされました。
そのため、セッションでは、何が現実(リアリティ)で、何が思考上のストーリー(フィクション)なのかを明確にしていくやり取りが数多く起こりました。
非二元とは、現実(リアリティ)を否定するものではありません。
今、見えているこれは、LIFEの動きそのものであり、これを幻想として否定するなら、それこそ、生命そのものの否定となり、驚きに満ちあふれた生の歓びを見失ってしまうからです。
実際に存在しているのは、個人の私ではなく、このLIFEであり、LIFEを幻想として否定できるような誰かは、存在していません。
「LIFE」と「LIFEを否定する誰か」の二つが存在するなら、非二元ではなく、二元になってしまうからです。
今、現れている現実こそが、LIFEであり、これ以外に存在していると思えるものは、それが何であれ、思考によるストーリーです。
そして、その思考によるストーリーさえ、否定されることなく、現れ出ることが許されています。
でも、このストーリーの中に入り込んでしまうと、ストーリーであったはずのものがまるで現実のように思え、ここに今、現れているリアリティが見えなくなります。
そうなると、ストーリーをストーリーとして見抜けなくなり、ストーリーが現実とすりかわってしまいます。
人間の苦しみというものは、すべてこのストーリーを現実だと思い込み、常に完全であるリアリティを見失うことから生まれます。
問題というものは、現実だと思い込んでしまっているストーリーの中でだけあり得るもので、実際にあるのはLIFEであり、LIFEが故障したことなど、一度もありません。
お知らせ
今日から非二元(ノンデュアリティ)のセッションは、東京で行います。