何某のFM放送でリリースから半世紀ということからBad CompanyのCan't Get Enoughがかかっておりました。当時小学生だった小生なので、さすがにこれはリアルタイム世代ではなく、このバンドに対する同時代体験としては1979年のRock 'n' Roll Fantasyが初めてだった覚えがあります。割とポップで軽快なロックという印象はあったものの、特にハマることはありませんでした。ただし、この曲がきっかけでFreeというバンドを知ることが出来ました。時を同じくして、ある音楽情報誌にFreeのアルバムFire and Waterが以下のように紹介されているのを目にしたのです。

 

フリーは日本でも非常に人気の高かったハード・ロック・バンドだった。このアルバムはイギリスでナンバー・ワン、アメリカでもトップ・ファイブ入りした彼らの代表作(←いい加減なもので、これらは完全な誤り)。大ヒット曲の「オール・ライト・ナウ」が収められていて、ピークにさしかかったバンドのスリリングなプレイが楽しめる。

 

フリーというグループは、なんか聴き手の熱い思い入れを許すようなところがある。それは、ポール・ロジャースの憂いを帯びたボーカルであったり、アンディ・フレイザーのヘヴィなベース・ラインであったり、サイモン・カークのはったりのないドラムスであったり、もちろん亡くなってしまったポール・コゾフのギリギリにタメの効いたギター・ワークであったりするのだが、最も大事なことは、ひとりひとりのアーティストではなく、まさにこの4人が集まり、プレイすることによって何か別の磁場のようなものが起こり、それが僕たちを惹きつけてやまないのだ。これは70年6月に発表された3作目。~中略~ これは全英No.1ヒット(←これもどうやら誤り)となった「オール・ライト・ナウ」を含む7曲は深い嘆き、憂愁、言葉に出来ないような思いを、ひたむきに伝えて来る。決して饒舌なサウンドではない。しかし、その寡黙さが僕たちを安心させるのだ。

 

 

こうなるとLPを買わずにはいられませんでした。確か最初に買ったのはA&Mの輸入盤でした。正に情報誌に紹介された通りの音楽だったので即座にハマってしまったのです。前記のRock 'n' Roll Fantasyを振り返った時、ボーカリストであり主たるソングライターでもあったPaul RodgersとドラムスのSimon Kirkeが互いに共通するにも関わらず、Freeの楽曲群は質感においてかなり異なるように聞こえたのです。文頭に記したCan't Get Enoughを擁する名盤の誉れ高いデビューアルバムもLP時代に買ってみて気に入りはしたけれど、やはりFreeと異質な感を拭い去ることは出来ませんでした。

 

 

Paul Rodgersにしてみれば、新しいバンドを結成するにあたりFreeが進んでいたかもしれない未来のレールをあえて選ぶことに面白みも意味もないだろうし、Freeにおいてもう一人のカリスマ的存在であったギタリストのPaul Kossoffと、創作や編曲、さらにはFree独自の音空間に関して要であったAndy Fraserなくして再現しようがないと痛感していたんじゃないかと思えるのです。特にPaul Kossoffの存在。一時的にFree再結成に動くも、ツアーメンバーにさえ加わることの出来なかったKossoffの不在を経て、彼なしにFreeたりえないと気づいたに違いないのです。

 

 

Freeの音源を一通り制覇した後、CD時代に入ってから性懲りもなくRock 'n' Roll Fantasyを収めるDesolation Angelsを買ってみて好盤と聞きながらもやはりFreeとは全く違うと落胆しつつ、これが最後のつもり第三作となるRun with the Packを買ってみたのです。このアルバムを代表作に推す声を何かで読んで手に入れたわけですが、このアルバムの最終曲においてとうとうFreeの残り香らしき音像にたどり着けたのでした。Paul RodgersのペンによるFade Awayという楽曲で、同時代的に凝った編曲は施されているものの、Freeの第四作Highwayに収録されたSunny DayとかLove You Soのようなバラッドを思い出させてくれたのです。これをもってBad Companyでの追憶は終わりとなりました。

 

 

今回調べてみると、Run with the Packの発表は1976年2月となっていて、Paul Kossoffが薬物中毒の結果として移動中の機内で亡くなったのが同年3月と知るにつけ、Fade Awayに聴ける「泣きのギター」が何らかの予感を漂わせているように思えてしまうのは気のせいでしょうか。KossoffはFreeでの活動末期にはすっかり薬物依存になってしまっており、Run with the Packの制作時期である1975年9月の段階までには何度も危険な状態に陥っていた事実から、Free前夜に遡りRodgers自身の歌声に惚れ込んでバンドメイトへと引き抜いた友=Kossoffへ向けて歌われているようにも思うのです。

 

Fading colors, changing sounds

Shades of night come tumbling down

Bring tomorrow like yesterday

Fade away

 

 

 

少し前にFM放送のクラシックカフェという番組をエアチェックした。ドビュッシーは未だに好きなのかどうなのか自分自身にもわからない作曲家であって、だいぶ昔に「小組曲」を同じくFM放送で聞いたのがきっかけでCDを買ったこともある。この日はその「小組曲」も選曲されていたので録ったのだった。まず聞いたことのない「ピアノのために」なる曲がかかり、その後に買ったCDでは管弦楽による編曲だった「小組曲」がピアノの連弾で流れてきた。

 

「ピアノのために」は第3曲のトッカータが少し気になったくらいで、「小組曲」も想像の範囲を超えてはいなかったから大して感慨を覚えなかったが、前者の構成を調べるためにWeb検索をしているうちに「牧神の午後への前奏曲」が見えた。そうなのだ。この作品こそがドビュッシーを好きなのかどうなのかわからなくさせている張本人なのを思い出した。雲をつかむような、とりとめのない、高揚感を抱くこともない不可思議な音楽。それなりに長いので、聞き終わらないうちに眠れそうな、睡眠導入の効果はありそうだが、意図して聴きたいと思わせてはくれなかったのである。

 

 

 

 

 

さらにWeb検索を続けていると、この作品をモチーフとしてニジンスキーが振付を施したバレエにたどり着いた。歴史的事実として既に知ってはいたが、いい時代になったもので112年前の初演とされる映像の一部を見ることが出来た。衝撃だった。微かに知るニジンスキーとは伝説のバレエダンサーであって、神がかった跳躍をもって知られたとされているのが、その映像にはそうした特徴は微塵もなかったのである。のみならず、ガラスに張り付いたような、パントマイムを想起させる動きはまるでパラパラ漫画みたいだし、何と言っても横溢するエロティシズムが音楽と融けあっていたからなのだ。ドビュッシーがバレエ音楽を意識して作曲したのか私には定かではなく、残された映像に施された編集の妙はあるとしても、ここへ来て初めて「牧神の午後への前奏曲」の真髄を聴けた気がしたのである。

 

 

 

ニンフとの戯れの末、袖にされたニジンスキー演じる牧神は身に着けていた衣の残されたことを知り、失意から一転、抱きしめては恍惚となる。それをおかずに自慰行為を暗示して終わるというのだから、初演における驚きは如何ばかりだっただろうか。しかも、ドアーズのジム・モリソンがステージ上でマスターベーションをした(証言のみで映像証拠は残されていない)1969年はマイアミの悪夢と称されるコンサートよりも半世紀以上前の舞台ときている。尤も、ジム・モリソンの方は事前に観た舞台に感化されたらしいとは言え、泥酔の挙句果たした行為であり、芸術性を欠いたただのフリークショーに過ぎないのだから、同列に並べるべきではないのであろう。

 

 

この楽曲の魅力がわからなかったのは、偏に私の想像力が欠けていたゆえであって、これからはニジンスキーによる解釈の助けを借りて「意図して聞く」ことが出来そうで嬉しい。それから、久々に聴いてみて、繰り返される主題にピンクフロイドエコーズに終わりの方で聞けるユニゾンリフが脳内にて重なって響いてくるのに気づいた。おそらくは何の関係もないだろうけれど、エコーズは端から好きな楽曲であったので「牧神の午後への前奏曲」も潜在意識では気になり続けていた作品であったのだろうと思う。

 

だいぶ昔に買った件の「小組曲」を収録するCDのスリーブを観れば、これはニジンスキーだかヌレイエフだか誰がモデルかは別として、明らかにバレエ世界へと変怪した牧神であって、しかも同カタログに共通する意匠とあれば、ドビュッシーによる「牧神の午後への前奏曲」の音楽とニジンスキーの創出した舞踊はもはや不可分としたいくらいなのだ。バレエも含めて舞踊にはほとんど興味はなかったのに、今はこの演目を体験したくなっている自分がある。

 

 

前回の投稿から放置したままだいぶ経ってしまった。

 

以前に止まった時もそうだったが、一度手つかずになるや更新が億劫になってしまうもので、もし意図的に見に来てくださった方がいらしたら申し訳なく。

 

特に世の中へ役に立つ情報を発信しているでもなく、戯言に過ぎない独り言を配しているのが専らなので、この際閉じてしまおうかと案じたが、これまで費やした時間を消してしまうのが我ながら勿体なく思えてしまった。なのでまた少しずつ触れてゆこうかと思う。

 

久々の投稿は親友について。

巷には「ともだち」なる文字が溢れているようだが、このともだちとは何者だろうか。おそらくはかなりの幅で濃淡のあるはずで、少なくとも私には濃い色の友達はほとんどない。親友とまでいくと一人しかいない。物理的に離れているにも関わらずである。

 

 

少年ジャンプにかつて連載されていた漫画にろくでなしブルースという作品がある。

詳細は割愛するが、葛西という登場人物がタイマンにおける卑怯な手段によって一敗地に塗れた際、この男の最強を信じて疑わなかった「ともだち」たちが次々と離れてゆくなか、「坂本...おまえはいかないのか?」とつぶやく葛西にたった一人残った彼はこう言って笑うのだった。

 

別に。おまえが負けたからって、何が変わるってモンでもねーよ。

 

この作品の長きに渡る連載において、私にとっては最も心に残るシーンである。親友を定義する公式が幾つかあるとしたら、これは間違いなくその一つであって、全く同じ感情を持つとしたら自分には一人だけ在るということなのである。それがたとえ独りよがりの希望的観測だとしても。

 

 

 

 

バート・バカラック逝去の知らせから、B.J.トーマスの雨にぬれてもに続いてストラングラーズがカバーしていたウォーク・オン・バイのことを思い出していました。初めて聞いたのは確かTBSラジオのスネークマンショーにおいてでしたが、彼らの音源をレコード時代に買うことはなかったので、次に聞けたのはCD時代になってからブラック・アンド・ホワイトのボーナストラックでありました。

 

スリーブデザインおいて作品の表題がなく、メンバーによる白黒の画像のみでタイトルを表しているようですね。ライナーノーツを改めて読んでみると、「ヒュー・コーンウェルにインタヴューした渋谷洋一が腕をギュッとつかまれ、『今日は殴らないからね。』とニヤリ微笑まれて小便をちびりそうになったとか、極真会館に殴り込みに行ったジャン=ジャック・バーネルがあばらを折られて帰っていった...云々。」なる音楽面以外のエピソードの記述は覚えていましたが、その他はことごとく記憶から消え失せておりました。

 

 

ストラングラーズはパンク・ニューウェーブ一派としては珍しく?キーボードが目立っていたせいかドアーズが言及されることも多かったようで、そのあてつけでもあるかのようにウォーク・オン・バイではドアーズハートに火をつけてを連想させるような編曲がされているように聞こえます。ボーカルパート(主題)→キーボードソロ→ギターソロ→ボーカルパート(主題)、というような流れ。しかし、ドアーズはベーシストがいないことで有名だったのに対し、ストラングラーズはほぼリードベースと呼べそうなジャン=ジャック・バーネルによる強烈なベースラインが特徴的であって、実際には互いにだいぶ異質なサウンドではないかと思えます。事実、ウォーク・オン・バイでも非常に硬質で攻撃的なベースが聞けるのに比べると、ハートに火をつけてでのレイ・マンザレクの左指から繰り出されるキーボードベースは、どんよりした音像の催眠術的なリフレインであって、互いに印象的でありながら決して重なることはなさそうです。

 

↑ ジャン=ジャック・バーネルのベースってリッケンバッカーだと思い込んでましたが、どうやらフェンダーのプレシジョンベースだったみたいですね。ちょっと意外。

 

それにしても、ストラングラーズが演ってもバカラック色が全く消えていないのは凄いですね。バート・バカラック楽曲の歌い手さんとしても有名なディオンヌ・ワーウィックさんの原曲ウォーク・オン・バイを連想できないどころか、どう頑張っても似て非なるものに出来ないと思えるほど、バート・バカラックという作曲家の偉大さをストラングラーズのカバーバージョンから再発見するのでありました。

 

↑ リリース当時の某音楽雑誌レビューが残っておりました。

やっつけ仕事の臭いがプンプンするけれど、インターネット時代じゃないから情報も限られているし、内容が客観より主観寄りにならざるを得なかったのでしょうね。感性が共感できれば面白いかもしれませんが...。

 

 

以前にも似たような事を書いた気がしますが、出先の昼飯に思いつかない時はカレーライスにすると無難であることが経験的にわかっているせいか、そうなることがままあるんですね。近々でもそうでした。

 

まずは地元の蕎麦屋にて。いわゆる「うちは蕎麦しかやらねぇよ。」なる通好みな蕎麦屋ではなくて、うどんやご飯ものも色々ある敷居低めなお店ということで、私の場合は割とご飯ものになることが多く、なかでもカレーライスがお気に入りです。カレー南蛮蕎麦やカレーうどんと共通すると思しきルーの、かえしの技法が効いた蕎麦屋のカレーには独特の美味さがあり、いわゆるカレー専門店では代用にならないので、食べたい時の特異性が非常に高いのであります。ここは通常サイズではちょっと物足らないのが、プラス150円にするとお皿から丼サイズにボリュームアップする極端さで、これだと多すぎるから二人で注文する時はレギュラーと大盛を足してそれぞれの過不足分をシェアすることにしています。ちなみに巻頭写真は大盛。

 

もう一皿は珈琲館で食べたビーフカレーライス。おそらくレトルトなんだろうなぁと思いながら食べましたが、食後に胸焼けすることもなく思いのほか美味しく頂けました。セットで飲めるコーヒーは差額を払えば色々選べるようでした。抽出方法はサイフォン式でしたね。サイフォン式というのは無難な仕上がりにはなるのでしょうけれど、素晴らしいのに出会ったことが少なくとも私にはないのでした。ここでも然り、とは言え、コーヒーが食後に残るカレーの余韻を良い意味でリセットしてくれるのは新鮮な発見だったかもしれませんね。自宅ではあまり併せないから気づきませんでした。

 

 

コロナ禍前以来の久々に、がってん寿司へ飲みに出かけました。個室タイプのがってん承知の助へはランチ利用はしていたのですが、夜のお酒目的では自粛していたのです。まだ冬だからあるだろうと高を括っていたふぐひれ酒は残念、なかったので純米吟醸酒・やどりに託すことにしました。まぁ、前からよく飲んでいたのでお気に入りではありますが。

 

 

いつだったか、色んな日本酒が飲みたくて、いかにもこだわりのありそうなお店へ出かけたお姉ちゃんがそこの大将に「何か辛口でおススメの日本酒はありますか?」と尋ねたら、「日本酒に辛口なんてもんはねぇ~んだよねぇ。と返されて当惑しきりだったとかいう記事があったのを「そうかもしれんけど、そんな嫌な奴の店なんて行きたくないもんだ。」とか思い出してはまた一杯。「蒸留酒なら辛口なんだろうけど、お寿司なら日本酒だよなぁ、お茶でなくてお酒なら。」とうそぶきつつ。

 

↑ 愛媛産の「スマの握り」だそうで。まぁまぁ。

 

↑ 少し前にがってん承知の助で頂いた盛り込みもの。

 

↑ 馬肉シャトーブリアンの握りとのこと。音楽で言うところの転調に相当する役どころですかね。

 

↑ 結局、子供のころから一番好きなのはこれなんですね。車海老とかじゃないごく普通の寿司海老。

 

最初に長く勤めていた会社に日本酒女子(なんて呼び方はあるのか?)がいて、「何かおススメってある?」と酒席にて尋ねた時、「自分、ホウオウビデンがダントツです。」と聞いてから事あるごとに思い出しては飲んでみたいと思ってはいました。漢字で鳳凰美田と書くとのことで、収穫期を迎えて黄金に輝く稲田から飛び立つフェニックスを想像したり、鳳翼天翔なんて架空の必殺技やらを連想したり、募る想いはあってもこれがどこで買えるのかわからないまま時間だけが過ぎてゆきました。

 

初めて飲める機会を得たのは、確か東京駅近くの丸ビルは焼き鳥の今井屋本店だったはずです。お酒の一覧に憧れのきみがあったのです。それなりに日本酒も飲み知りえたつもりだったのが、これほどまで「一飲み惚れ」した銘柄は初めてだったかもしれません。そこではかの有名な十四代もあって飲み比べましたが、同じ流派っぽさはあっても名前の通り鳳凰美田の方により美しさが際立っていた、少なくとも私にとっては。かつて多岐川裕美さんが出演されていた某日本酒のCMでのキャッチコピーを借りるならば、これこそが正に美酒じゃないかなと。その時、「自分、ホウオウビデンがダントツです。」と断言した時のきらきらした彼女の、少しくすぐったげな表情も見えたような気がしました。

 

 

蔵元のある栃木県まで行けば買えるだろうと酒屋を周った時、確かにお膝元では売っていて、つぶやきシローさんに何となく似ているそこの店主と話をしているうちに「わざわざ遠くからうちに来なくても、小林酒造さんにどこへ卸しているか聞けるよ。」と親切に教えてくださって、今では地元からそう遠くない酒屋で買えるようになりました。しかも一升瓶で3,000円ちょいですからべらぼうに高い訳でないのも嬉しいです。

 

その酒屋で小林酒造さんの創業150周年を記念して作成したというテイスティングノートを置いてあったことがあって、改めてこの純米吟醸酒についての紹介があったので以下に。

鳳凰美田が食中酒として提案したいお酒です。フルーティーな吟醸香、口に含むと程よいコクがあり後味はスッキリとしています。バランスのとれたお酒なので、様々な料理との相性が良いお酒です。

原料米:麹米 兵庫県産 山田錦

     掛米 富山県産 五百万石

精米歩合:55%

アルコール度数:16度以上17度未満

 

確かに色んな料理に合うお酒であって、いわゆるかび臭さが全く感じられない、日本酒でありながら白ワインのごとき趣きを有している特徴が、このお酒の広い守備範囲の秘密じゃないかとはいつも飲んで思うことです。あえて言うならクリームシチューとかフレンチトーストには合わせようと思わないくらいかな。美男でもそうでなくてもぴったり寄り添ってくれる、そんな美酒・鳳凰美田なのであります。

 

 

地元のラーメン屋=きくちひろきへに鬼退治に出かけました。そこには赤鬼青鬼、かつて黄鬼も瞬間風速的にいた記憶がありますが、これらは言うまでもなくメニューの名称であります。ここは出来た当初から好きで、初期の頃はつけ麺を求めることが多かったのですが、次第にほぼ赤鬼狙いになっていました。コロナ禍および以前にも増して人気店となっていたために足が遠のいておりましたが、予定していたお店から立て続けにフラれたので久しぶりに寄ることになったのです。

 

しばらく来ないうちに行列で待つことによるお客さんを束縛しないようにとの配慮からか、パネルと番号札が連動するような、手作りのボードによる入店管理に変わっていました。そうしなくてはならないほど混雑時は待つということの顕れなのでしょうね。

 

↑ 2008年2月に食したつけ麺

 

きくちひろきさんの在る場所はいわゆる駄目地で、色んなラーメン屋さんが開業してはすぐ閉まっていたのが、きくちひろきさんになってようやく長く定着できているのでした。かなり前の某ラーメン本に紹介されていて、その刊行が2002年12月だから少なくとも20年は同じ場所で続いていることになりますね。

 

↑ 2008年2月に行った時のお店外観(今も基本一緒)

 

国道17号沿いにも関わらず駐車場がないし、駅から歩いてすぐという立地でもないの在り続けているのだから、ジモティーとしても誇らしく嬉しい限りです。件の本へ戻ると、2002年当時から赤鬼・青鬼はメニューにあったらしく、その頃は何と!500円だったみたいです。今回久しぶりに入って、赤鬼青鬼ともに830円(巻頭写真は味玉プラス130円の960円)でしたから、約1.7倍の値上がりです。しかし各所の有名ラーメン店ともなると1,000円超えも珍しくないと考えると、それほど高くないと思えてしまうから慣れとは恐ろしいもんです。

 

 

混んでいる時間は過ぎているおかげか、苦にならない程度の待ち時間にて入店。赤鬼の名前に相応しくスープにより赤色が、具の配置による見た目で鬼の面が表現されているようです。海苔で二本の角と髭を、細かく刻んだ肉を味付け成型したもので目を、揚げ葱だかニンニクだかで口の辺りを表現。スープは三層構造の醤油ベースで、辛味噌が外側を包み込み、ど真ん中を赤唐辛子が突き抜けるような風味と言ったらよいでしょうか。

 

↑ 2008年9月に食した赤鬼。巻頭写真の品と比べると赤色の弱いように見えますが、この当時の写真はガラケーなので単純にカメラ性能に起因する違いかもしれませんね。

 

私の記憶と味覚ゆえに間違っている可能性大ではありますが、多層構造の旨味に辛さと少し強めな塩辛さの絡み合いが癖なる味わいの由縁かと思えます。麺はわたし好みの少し細めかつかための仕上がり。久々に食べましたが、変わらない美味しさは嬉しいです。また機会があれば食べたいものですが、かなり待たされること必至なので次に来る気になれるか否や。

 

↑ 2009年1月に食した青鬼

 

何かのテレビ番組だったはずだが、町中華への取材において色んなチャーハンが供されているのを見て、毎度のことながら影響されて近々に食べたいと思っていた。そんな気分にあって羽生への用事ついでに「確かイオンモールに紅虎餃子房があったよな。」ということで、買い物と昼飯に寄ることにした。

 

番組ではチャーハンの上に五目あんかけだの焼肉だの蟹玉だのがのっている皿が登場していたが、あくまでも食べたいのチャーハンなので一番シンプルな卵チャーハンを選んだ。やって来たのは卵と葱だけみたいなこだわりの品ではなく、ところどころ細かい肉が見えた。いくらシンプルがいいとは言ってもそれくらいは入っていて欲しいのでむしろこれは歓迎。量も昨今のステルス値上げのように寂しい盛りということもなかった。味もまずまず。しかし、チャーハンには付き物であるはずのスープは来なかった。お馴染みの業務用でもいいからこれはあって欲しかった。それといわゆる多くの町中華にて目にする半球型のカタチではなく、お皿へパラっと盛られていた。

 

 

今では「チャーハンは半球型」なる先入観も少しは薄れているからそれほど気にしなくなってはいますが、それでも球体の方が表面積が小さくなるから冷めにくいような気がするし、あの綺麗に整ったチャーハンを崩しながら食べ進める方が美味しさも高まっていくように思えてしまうのです。

 

いつだったか久喜市の町中華屋さんで頂いたチャーハン。あくまでも私の場合ですが、写真で比較するならこちらの方に食指が動きます。ステレオタイプと言われても仕方ありませんが、やはり心のどこかに「こうであって欲しい」という理想の型枠が存在しているのは確かみたいですね。

 

 

 

天気予報で今日は雪が降る、それも確実に降るうえに大雪になる可能性があるとのことで、仕事に出かけようかという時間には既に舞い降りていた。午前中は曇りのはずじゃなかったの?と思わず狼狽。冬のマイカー通勤だからスタッドレスタイヤは履いているものの、ノーマルタイヤ車に追突された記憶がよみがえる。既に仕事を頑張る気は毛頭ないし、私が行かなくても困る訳ではないので上長に連絡したらあっさり当日休暇の許可がおりた。

 

埼玉県北部の大雪では2014年の同じく2月が思い出される。あれは関東平野としてはとんでもない大雪で、片足の駐車ポートは軒並み雪の重さでへし折れては、家の壁だのマイカーのルーフだのに覆いかぶさっている光景がみられたものだった。今日はそこまでにはならないにしても、お昼くらいの段階で周囲は一面の雪景色。しかし降らなければあり得ない美点があるもので、庭に咲いた終わりかけの蝋梅が雪結晶に映えて美しい

 

 

Princeが亡くなった時によくかかっていたせいか、雪が降るとPrince and The RevolutionのSometimes It Snows in Aprilが脳内に聞こえてくることが多くなりました。雪の日は寒くてひと気がなく、空からの緩やかな落下速度に時が止まったような瞬間があり、この楽曲の静逸さがそうした心象風景にも似合うからでしょうか。そんな気がします。