湯浅学氏が教えてくれた裸のラリーズ

さる4月18日にNHKFMは「世界の快適音楽セレクション」にて番組の最後に湯浅学氏が「裸のラリーズ」なるバンドの「白い目覚め」を選曲されていました。湯浅学氏からは国内外に渡って聞いたことも見たこともないミュージシャンを教えてもらうことが多く、しかも好みにドンピシャの場合も多いのです。

 

当日の番組から「白い目覚め」を紹介する湯浅学氏の話を以下に文字起こし。

 

湯浅学氏

今日はですね、ついにこの日が来たのかと言う個人的には、え~そういう感じなんですけども、「裸のラリーズ」っていうバンドが、え~ありましてですね、もうないんですけども、その「白い目覚め」。これがですね、1976年頃ということで、え~なんですが、これが珍しくあのスタジオ録音の音源なんですよ。

 

チチ松村氏

ほぉ~、普段はスタジオ録音してないの? 裸のラリーズは。

 

湯浅学氏

あんまりないんですよ。

 

チチ松村氏

あぁほんとに。

 

湯浅学氏

まぁ、あの~ライブのテープはもう沢山あるんですよ。

 

チチ松村氏

あぁ、そうなんですか。ふ~ん。

 

湯浅学氏

まぁ、スタジオ録音もそれなりな量はあるんですが、これまでにあの~正式に出たものはあんまりないんですね。それで2019年に裸のラリーズの中心メンバー水谷孝さんって方が亡くなって、その後にあの~復刻作業がず~っと継続してやってるんですが、その中のもので、え~っと新しくですね、ディスク4・76スタジオエットライブっていう、え~アルバムが出たんです。で、その中に入っている今日でそのラリーズのわりと抒情的な面がですね、こう凝縮された曲なのでそれを聴いてみたいと思うんですが、まぁ、裸のラリーズっていうと物凄い爆音で、もう鼓膜が凹むくらいの音で、こうライブをやってたってことで有名ですけども、まぁこういう、あの~愛に満ちた曲って言うのもあるので、そういうのをちょっと聴いてみようと思います。裸のラリーズで「白い目覚め」です。

 

半世紀ものあいだバンド名さえ知らなかったとは

予想通りドンピシャでした。Web検索すると「白い目覚め」以外にも主としてライブ音源を聴くことが出来て、「白い目覚め」という楽曲に限定されるのではなく裸のラリーズが自分にとってドンピシャであることも確信出来ました。

 

湯浅氏が語っていた「裸のラリーズっていうと物凄い爆音で、もう鼓膜が凹むくらいの音で、こうライブをやってた。」というのは中心メンバーであった故・水谷孝氏が弾くギターのフィードバック奏法を指すのだろうと理解出来ましたが、不快になりがちなこの種の音響がすんなり入って来るのは我ながら不思議です。

 

↑ 演者リストに裸のラリーズは見えない....「その他」に一絡げ扱いされている様子

 

 

 

水谷孝氏の歌は上手いどころか音程が明らかに外れているし、ギターも同様に正確とは言い難いけれど何故に魅かれてしまうのだろう。トム・ヴァーラインのボーカル&ギタープレイとロバート・フリップによる錯乱気味のフィードバックギターが合体したような感じと言えばほんの少しだけ近いだろうか。

 

物凄くきっちりとしたリズム隊とフリーキーなボーカルとギターの混ざり具合が他に類がないほど絶妙であって、こんな凄いバンドの存在に今の今まで気づかないままだったのは残念ではありますが、半世紀を経ていたとしても知ることが出来てよかった。湯浅さんには感謝しかありません。

 

 

意外にドリームポップな面も

ところで、番組で紹介のあった「白い目覚め」にはBeach Houseの、特にElegy to the Voidが繋がって聴こえたのです。おそらく誰に質問しても「絶対違う。」との答えが返ってきそうだけれど、「白い目覚め」の音にはBeach Houseの演っている俗に言うドリームポップのテイストがするのです。捉えどころのない歌や同じく雲のように浮遊する様が、どれだけ激しい演奏であったとしても夢見の幻想が内在するように聞こえるのです。

 

Beach Houseはワールドロックナウ内で故・渋谷陽一氏が紹介してくれて好きになった音楽ユニットでした。先に記した不快になりがちなフィードバック演奏が裸のラリーズに関してそうならずに入って来る理由は、その音像がドリームポップとの境界線に接しているからとか、半世紀も前に世に出ていた極東のバンドと2006年にデビュー作を発表した米国のBeach Houseが繋がっているかもしれないとか、想像してみるのも面白いものです。

 

 

↑ 1976年ライブ音源

 

↑ 後半から終わりにかけてに裸のラリーズっぽさがあるかも?

 

 

 

大人しい友人が聴いていたおとなしくない曲

大学に入って間もなくの頃に出来た友人がいた。声が小さく色白で、ナヨナヨした背格好の大人しい奴だった。ただ、見た目のイメージとは違って何かと不満げに「ウザってぇ。」が口癖だった。もうはっきり覚えていないのだが、たしか三鷹の自宅から通学していた彼だった。「ウザったい。」なんて聞いたことなかったから、都内ではよく使われるのだろうかと初めは違和感があったのに移ってしまったらしく、いつの間にか自分にもしっくり来る感情表現になっていた。

 

その大人しい彼がよく聴いていたのがザ・スターリンだったのだ。彼は面白がって聞かせてくれた。「お前がこんなのに聴くんだ。」と意外に思ったが、何でもとんでもないことを起こすらしいライブ会場まで足を運んでいたようで、これまた目を輝かせて話してくれた。熱心なファンだったのだろうと思う。

 

 

当時の私はFreeを後追いハマりしていたこともあって、聞かせてもらったほとんどに興味を持てなかったのが、一曲だけはっきり覚えている作品があった。それは「パパ ママ 父さん 母さん」と繰り返しているだけの激しい曲で、その前のめりに突っ走る様と歌詞のミスマッチみたいのには思わず笑ってしまったのだ。しかしポップさもあって「これ、いいじゃん。」との感想に彼は笑っていた。そう、嬉しそうに笑っていたのだ。

 

そいつとは次第に疎遠になってしまった。ザ・スターリンの音楽も気にはなっていたが追うことなく何十年も経った現在、例の「パパ ママ」の歌詞で検索をかけたら見つかったのである。あの曲は「Go Go スターリン」というタイトルだったのだ。しかし「父さん、母さん」は記憶違いだったらしく、「共産党!」が父さんに聞こえていたのかもしれない。

 

「おーい!元気かい。今でもスターリン聴いてるのかい?」。

「やっぱりこの曲いいよな。他のも今なら好きになれそうだよ。」と彼に話しかけられたなら、あの時と同じように笑ってくれるだろうか。

 

 

 

学生時代に出会いたかった

 

2015年頃からだったか、NHKAM第二で放送の英会話タイムトライアルという番組を聞いている。ただし、月曜日から金曜日の一週間全てという訳ではなくて、月曜日から水曜日のSPRトレーニングのみ。SPRとは瞬・発・力の頭文字を採ったもので、日常的な会話で役に立つ簡単な一文か二文を瞬時に出てくるように練習するプログラムである。

 

例えば

 

JP「あのあれ、持ってますか。」/EN ” Do you have that thing?”

JP「うちは共働きです。」/EN ” We both work.”

JP「日本に来たきっかけは何ですか。」/EN ” What brought you to Japan?”

JP「家の中を引き続き探します。」/EN ” I’ll keep looking around the house.”

JP「私はABC社のジェニーです。」/EN ”I’m Jenny from ABC.”

JP「もう一度お名前を教えて頂けますか。」/EN ”May I have your name again?.”

 

こんな具合。

 

クリアな音質になりました

NHKAM第二の終焉に伴い、4月から英会話TTはNHKFMへお引っ越し。元々この番組を好んで聞くようになったのは、番組出演者の一人であるジェニー・スキッドモア嬢の声が好みだったのが一番の理由だったので、FM放送になったことによる音質向上は歓迎。

 

特に彼女が歌うオープニングテーマは本編と地続きな感のあったAM時代と際だった違いが。ただ、以前の細かく背後に聞こえる雑音があるためにS/N比の悪かった頃の放送も、変なもので懐かしく感じる。

 

↑高校時代に愛用していたミニ英和辞書。今では字が小さすぎて使えない。

 

受験英語の呪縛

中学生の頃にラジカセを買ってもらえたのは「ラジオで英語を勉強したいから。」との主張が通ったからだった。確かマーシャ・クラッカワー先生とかの英会話番組があって当時は日本語も達者であることから「マーシャ倉川」先生と思いこんでいた。結局全く続かなくて、ラジカセは好きな音楽のエアチェック用になってしまった。

 

あの当時にこの英会話タイムトライアルがあってくれたらと思う。受験英語とは関係なく少しは使える英語が身についたかもしれないから。しかし、中学生では無理で高校生になってからならではあるか。英語の試験で大して点数が良くなくてもいいから、コミュニケーションの指向性こそ目を向けるべきたったとは社会人になってから痛感することであった。

 

 

社会人になってからチャンスはあった。インドの事業所へ長期出張の打診があった時だ。腸が弱い体質のためインドは絶対に無理です。」と強硬に固辞した結果、後輩が行くことになった。そして当地ではやはりその方面で慣れるまではひどい目にあった様子だったと聞く。

 

後輩が日本へ戻ってからしばらくして、ベルギーの関連会社への長期出張の話が出てきた。予想通りと言うべきか、白羽の矢は私を素通りして件の後輩に立った。

 

それから数年が経ち、早期希望退職という名のリストラがあった時、事前に後輩は対象にならないような配慮(異動)を会社から受けていたらしい。今思えばそうなのである。インド行きを快諾していたなら使える英語も上達したし、引き留められたのは自分になっていたかもしれないと、無意味な後悔をすることもあった。

 

英会話学習は妄想が動機だったのかも?

学生の頃から英語の授業が好きな訳ではなかったが、英語で歌われるロックやポップスは大好物だったので、何を歌っているのだろう?」との興味がために授業へは前向きだった。The Rolling StonesのSome Girlsがリリースされたのと同時期に買った「ローリング・ストーンズ詩集」は当時の愛読書であり、英語の教科書より役に立ったように思える。

 

ではなぜ未だにラジオで英会話タイムトライアルなど聞いているのだろうか。仕事でも私用でも英語を話す必要はほとんどないにも関わらず。受験英語に囚われていた過去の自分を解放するためなのか、与えられたチャンスをみすみす逃した後悔なのか。そのどちらでもあるし、どちらでもない気もする。

 

これを書いているうちに、実はジェニー・スキッドモア嬢のような、英語を話す女性の友人が欲しいとの妄想がそうさせているように思えてきた。

 

 

現在は音声AIが英会話の相手になってくれると聞く。そうなると画面設定によってAI嬢の見た目も自由自在、声質まで好みにしてくれるならと妙な妄想も出てくる。これにも英会話タイムトライアル聴取がきっかけとして役に立ちそうである。ただし、携帯端末の進歩により他言語に対して同時通訳が可能になる日がそう遠くないと考えると如何なるものだろうか。

 

まぁ、異なる言語を学習してみようとするのは、ものの見方や考え方のバリエーションを広げるのに役立つのは間違いないことであって、AIのそうした機能が100%正しくなれはしないだろう。よって他言語学習がなくなってしまうことはあり得ないと思うのである。

 

青空文庫で読み始めた太宰治

頻繁にという訳でもなく、暇つぶしにごくたまに青空文庫から引っ張り出して太宰治作品を読み始めている。興味があって挑み続けていた泉鏡花は一読では読みとり不可能なので、少々疲れてしまったから。志賀直哉を激しく攻撃した、結果的に太宰最晩年の評論となる「如是我聞」以外は「走れメロス」すら読んだことのない作家である。評判らしい「お伽草紙」から入ったのが幸いだったか、続けられそうな予感があった。これまた有名らしい初期の「道化の華」も読んだ。もの凄く個性的でクセの非常に強い作品だった。これはひとまず脇へ。

 

ところで、この「道化の華」へ言及した川端康成に対して反論あるいは「本音は違うだろう?嘘をつくな。」なるニュアンスに近い追求を試みた「川端康成へ」という評論がある。これを読んで「道化の華」の初期稿が「」なる題名なのを知った。太宰本人がそう記しているのである。「道化の華」には惹かれるところがあったので、作者が物語世界へ介入するメタ小説(と呼ぶらしい)へと激変する前の姿が如何なるものなのか興味が沸いたのである。

 

何事にも共感は期待しない方がいいかも

青空文庫に「」が見つかった。「よし、これで(道化の華)原初の姿が拝めるぞ!」は完全に肩すかし。全く関係のない掌エッセイと呼べるような書き物だった。時代背景は第二次世界大戦のさなか。いつ死ぬかわからない状況である。生まれてこのかた海を見たことのない娘さんを思う太宰氏。やがて疎開先へ向かう途中でようやく海を見せてあげられる機会が訪れた。

 

太宰氏は津軽平野の真ん中で生まれ育ったので、少年の頃に初めて海を見た時はいたく感動して、貴重な思い出にさえなっているから見せてあげたいのである。

 

ところが、いよいよ海が見えて大はしゃぎする父親をよそに当の娘さんは「川だわねぇ。お母さん。」と答えるのである。眠たげな奥さんも「ああ、川。」と素っ気ない。愕然とした太宰氏は一人黄昏の海を眺める、というようなお話。

 

 

 

これによく似た光景を目撃したことがある。何年か前に富山県の岩瀬浜へ行った時のこと。市内から路面電車に乗って岩瀬浜に着くと、富山港展望台が見える。25メートルほどの高さらしいのに、自力で階段を上がらないと展望台にはたどり着けない。そこから見えるであろうパノラマ堪能が目的の一つだったので、えんやらこらどっこいしょとばかり頑張りながらようよう到着。

 

富山湾とその対称に広がる、当日は少し雲がかかっていた立山連峰を愛でていると、大砲みたいなカメラを携えた男性と連れらしき女性が入ってきた。嬉々として窓を指さしながら写真を撮りまくる男性に対して、息せき切った様子の女性は何やらうんざりした様子。程なくして痺れを切らしたかのように「もういい?」と話しかけていた。私たちはお先にと展望台を下りた。

 

 

 

ひとしきり岩瀬浜周辺を巡って、「そろそろ市内へ戻ろうか。」と路面電車乗り場へ向かった。すると先の二人連れも到着を待っているところだった。男性が例のキヤノン砲を近づいてくる電車へ向けているのに対して、連れの女性はベンチに座ってスマートフォンの画面を凝視しているのを見ては思わず苦笑い。「たぶんご夫婦なのだろうけど、あるあるだよな。」と。

 

 

 

「素晴らしい景色なのだから、自分も含めて誰だって観たら感動するはずだ。」なる期待は必ずしも叶わないのだ。しかし、共感が得られたり想定を上回る好評を得られたりすることだって少なくないのだけれど、太宰治の「海」はなぜ前者の方を選んだのだろう。それにアマゾン川じゃあるまいし、海と川を混同するのはどう考えても不自然なのである。

 

「川じゃないよ。海だよ。てんで、まるで、違うじゃないか! 川だなんて、ひどいじゃないか。」。実につまらない思いで、私ひとり、黄昏の海を眺める。

 

共感してくれないのはまだ我慢できるとして、正論が道化に墜してしまうことを嘆いているこの文章に続き、結びの一文にある黄昏が「私ひとり」と「海」の双方にかかっているように読めて面白い。

 

 

 

然るに、「海」に登場する太宰氏の娘さんと同じく、岩瀬浜では件の女性にとっても展望台から見える風景などどうでもよかったのだ。窓ではなく液晶パネルを張り付けて秩父連山を映したとしても「立山連峰だわねぇ。あなた。」と言うかもしれない。目では見えても視てはいないのだから。

 

北の地獄

欧州プロサイクルロードレースの格式あるクラシックレース(モニュメント)のうちでも一際異彩を放つパリ~ルーベが終わりました。このレースが特別に「クラシックの女王」と言われる所以は総距離約260kmのうち30カ所にも及ぶ悪路、それもかなりでかい石が不規則に敷き詰められたパヴェと呼ばれる道をトータル55kmもこなさなければならないからです。

 

 

該当の悪路には昔から続く農道をコースに使うわけですから、車両交通を考慮された整備はなく荒れていて、場合によっては家畜の糞が転がっている、というような環境で選手たちは走らなければならないのです。雨が降れば路面は滑りやすくバイク制御が困難はおろか常に落車の危険と隣り合わせであり、晴れたら晴れたで舞い上がる粉塵が視界を遮り呼吸系を痛めつける、前提がそもそも突き上げる振動に身体は痛み疲弊する上に、場合によっては強い寒風が吹きすさぶという、ゆえに「北の地獄」との異名を持つパリ~ルーベなのです。

 

雨は降らなかったが

選手の皆さんには申し訳なく思うものの、「悪天候になって欲しいな。」と期待してしまう大会です。確か近々ではコルブレッリ選手が勝った2021年は、前日あるいは当日も雨のせいで、まるで泥人形がロードバイクを漕いでいるような年があって、それでいてライダーの背面は綺麗なままなのを見て不謹慎ながら笑いながら観戦したものです。同じパリ~ルーベでも尋常ではない過酷さを克服した、そのような年の勝者は特別じゃないかと思うのです。

 

 

 

今年はどうかと言うと幸い?あるいは残念ながら雨にならなかったのですが、有力選手たちにパンクやメカトラブルが相次いでしまいました。特にこの大会史上初の四連覇(&最多勝利数タイ)を目指していたマチュー・ファンデルプールは悲劇と言ってしまっていいほど運に見放されていました。

 

代車として即乗り替われそうだったチームメイトのバイクが、なんとプロトタイプの新型ペダルを装着していたがために、マチューのレーサーシューズでは使えなかったのです。

 

 

競技場勝負へ

パヴェ区間が繰り返されるなか、次第にライダーは絞られて後続の合流を嫌ったワウト・ファンアールトとタディ・ポガチャルは互いの脚を繰り出して引き離しにかかります。そしてポガチャルは得意の独走へ持ち込めぬまま、ワウトは競技場での勝負に持ち込みたいがために逃がさず離れず。

 

いよいよ競技場バンクコースでのスプリント対決となりました。ミラノ~サンレモと同じく先行したポガチャルを鬼脚で仕留めたワウト・ファンアールトの優勝です。

 

 

思い出されるのは昨年ツール・ド・フランス最終日の勝利に向けた石畳激坂でのポガチャル砲に覆いかぶさり封じ込めて勝った、そして東京五輪ではメダル争いにてポガチャルの銀メダルを阻んだワウトのスプリントでした。

 

さらには男涙のワウトを祝福に駆けつけたマチュー・ファンデルプールの走りも圧巻でした。不運があっても諦めない男ここにありと言わんばかりで、ワウトのチームメイトであるクリストフ・ラポルト選手の巧みなチームプレイによる追走封じに遭いながらも、差のない4着まで追い上げた力はさすが優勝最右翼の脚でした。

 

連想された競走馬ステイゴールド

かつて中央競馬界を主戦場とし海外レースも含めて50戦した小柄な牡馬がいました。その名はステイゴールド。50戦のうち勝利数は7戦しかなく、しかしどんなレースでも掲示板を外さない世に言う善戦マンではありました。2着3着も多かったことから、名前はゴールドだけれどシルバー&ブロンズコレクターなどと揶揄されながらも競馬ファンからとても愛された馬でした。

 

 

 

そんな彼がキャリアの終わり近くに挑んだ海外レースの一つ・ドバイ・シーマクラシック。ステイゴールドは当時世界最強の呼び声も高いファンタスティクライトをハラハラドキドキの末脚で差し切ったのです。

 

惜しいところであと一歩の決め手がないと決めつけていたあの善戦マンが世界最強馬に勝ったのです。それがタディ・ポガチャルとワウト・ファンアールトによる今回のパリ・ルーベ対決へと重ね合ったのです。

 

 

 

ワウト・ファンアールトがトップレベルの強い選手であることは選手間はもちろんファンの多くが認めるところです。ステージレースでは平地ステージや山岳ステージを問わずエースへの献身的なアシストを務めながら、チャンスがあれば自身もきっちり勝っていたからです。

 

しかし、どういうわけかモニュメントレースや世界選手権などエースとして臨んだワンデーレースでは表彰台には上がるけれど勝てない善戦マン」のイメージが強かったのです。今年のミラノ~サンレモもそうでした。さらに得意とするシクロクロス大会でも絶対王者マチュー・ファンデルプールの壁に阻まれてここ数年は優勝へ届かない。だからこそ愛される選手でもありました。単に強いだけではないのです。

 

まだまだ頑張って欲しい

モニュメントレースは2020年のミラノ~サンレモに加えて2勝目とのこと。ただし、かつてのシクロクロス世界選手権王者の彼にとってパリ~ルーベこそが最も欲したであろうタイトルであり、またその勝者に相応しく、現在世界最強のライダーと断言できるタディ・ポガチャルをスプリントで下した点においてもこの勝利の価値はとてつもなく大きいはずです。

 

 

先のステイゴールドと重ねてしまうと、あと一つは「観る者全てが奇跡の瞬間に立ち会った。」とも称される伝説的な豪脚によりビッグタイトルを獲って引退の花道になってしまいますが、30代になってからむしろワンデーでの大活躍が目立ったアレハンドロ・バルベルデのような選手もいるので、まだしばらく彼にはポガチャルの天敵としても立ちはだかって欲しいものです。

 

 

そして最後に。

「今年のパリ~ルーベは素晴らしいレースでした」ときれいごとを言いつつも、来年こそはどろんこ悪路のパリ~ルーベは「地獄の日曜日」を走るライダーたちに会いたいと本音を記すところであります。

 

 

まずは「胸いっぱいの愛を」私見

Led Zeppelinのシングルヒット曲としてビルボードHot100のTop10へ食い込んだこともあり、中学生だった頃には目をつけてエアチェックしていたのがWhole Lotta Love(胸いっぱいの愛を)でした。頻繁に聴き過ぎたのと中間のサイケな演奏にウザったさを感じてから遠ざかって久しくなっていました。そんなある日のことです。

 

 

 

ある日とは、CD時代になってからSmall Facesを聴き始めて、彼らのYou Need Lovingを初めて耳にした時のことでした。「これって、Whole Lotta Loveじゃないの?」と驚いてしまったのです。Robert PlantがSteve Marriotを敬愛していることは音楽雑誌で読んで知っていましたが、なるほどそういうことなのかと納得するくらい似ているのです。

 

"I wanna whole lotta love"と繰り返すコーラスの代わりに、"Baby, You need love"と歌われる制作過程初期のバージョンもあるときては、「全然関係ないよ!」との主張が通らないであろうことは無理からぬことだったらしいです。結局、訴訟から法廷闘争の末に元ネタとされるYou Need Loveを作曲したWillie Dixonの名がWhole Lotta Loveに記載されることなったとのことです。

 

Jimmy Pageの独創と信じていたギターリフだったが

Whole Lotta LoveがSmall FacesのYou Need Lovingとそっくりだからと言っても、両者には決定的な違いがありました。前者にはあって、後者にはないもの、それはかの有名なギターリフです。Jimmy Pageによるそれが繰り返し聴きたくなってしまう最大の理由であり魅力でもあるほどなのです。

 

デビューアルバム収録のCommunication Breakdownなどもその類に属する楽曲であって、リフ創りの名人の成せる技と信じて疑わなかったのですが、最近ある曲を早送りしている最中に「あれっ?」と引っかかる瞬間があったのです。

 

 

指弾きされるLove Me Two Times

ウォークマンのランダム再生で曲飛ばしするつもりが、たまたま早送りになってしまった時、聞こえてきたのはThe DoorsのLove Me Two Timesのイントロでした。彼らの2ndアルバムStrange Daysからリカットによるシングル盤としてリリースされた当時、評論家筋からone of the band's grooviest guitar riffsとの賞賛もある、特徴的なギターリフです。

 

 

 

ロックバンドには珍しい指弾きギタリストRobby Kriegerによるそのリフは、印象深くありながらどことなく漂うギクシャク感のあったのが、早送りしたせいなのかブルース寄りからロック寄りのギターリフに聞こえたのです。

 

それと同時に「そっくりさんではないけれど、Whole Lotta Loveのあれに似てないか?」と繋がったのです。

 

 

 

少し野暮ったくひしゃげて聞こえるLove Me Two Timesのギターリフに比べて、切れ味鋭く素早いWhole Lotta Loveのそれは洗練されており、似て聞こえたのは空耳かもしれないのですが、「アイデアを洗練させた結果」と捉えると何となく似て聞こえてしまうのです。

 

Hello, I Love YouやTouch Meではパクリや引用の指摘があるThe Doorsなので、もしJimmy Pageが引用したのだとしたら、The Doorsにとって溜飲の下がるところであり、光栄でもあるでしょう。

 

 

少し風変わりなブルースロック

 

さて、ようやく本題のLove Me Two Timesについて。ミディアムテンポのこの楽曲は特徴的なギターリフと荒々しいJim Morrisonのボーカルにより典型的なブルースロックになると思いきや、Ray Manzarekによる編曲が施された途端に一捻りある風変わりな音になってしまったようです。

 

 

 

Ray Manzarekは彼のパートを氏のトレードマークたるVox ContinentalのオルガンとFender Rhodesのキーボードベースの組み合わせによる演奏ではなく、チェンバロを使って演奏しており、それがブルースロックなのに典雅な響きを持つという不思議さを醸し出しているのです。

 

ただ、音が小さく調弦も難儀で扱い難いチェンバロがライブでは使えるはずもなく、スタジオ版のみの風変わりさに留まるようです。

 

 

放送禁止の憂き目に遭う

Love Me Two Timesは1967年3月に行われたMatrixでのギグではセットリストになかったので、この後セッションに入ったStrange Days向けの新曲だったと思われます。

 

そして、Light My Fireと同じくRobby Kriegerのペンによるこの作品、直接的な男女関係に触れる歌詞はさらにあからさまな性愛表現になっていて、The Rolling StonesのLet's Spend the Night Togetherと同様にその歌詞が原因でラジオ曲のオンエアリストから外されるケースが目立つことになってしまうのです。

 

Love me one time

Could not speak

Love me one time babe

Yeah, my knees got weak

 

Love me two time, girl

Last me all through the week

Love me two times

I'm goin' away

 

 

さらに悪いことには、リリース直後のコネティカット州はニュー・ヘイブンのコンサートでJim Morrisonが音楽史上初めて舞台上で逮捕されてしまう「事件」が起こってしまったのです。

 

楽屋で開演前にグルーピーとよろしくやっていたJim Morrisonは職質した警官に反抗した末、催涙ガスを食らう羽目に。コンサートが開始されると、ステージ上でその出来事について警官をあからさまに馬鹿にしながら茶化して挑発した結果、有無を言わさずの逮捕へ発展となったようです。

 

 

 

この件に限らず、Jim Morrisonとは頻繁に感情的な衝突があったらしいドラマーのJohn Densmoreはニュー・ヘイブンでの逮捕劇がきっかけで放送禁止が加速されたとの思いから、当時の怒りや不吉な予感を自著に記していました。

 

ステージの袖とカーテンのうしろから二、三人の警官が出てきた。するとジムは警官のひとりの鼻先にマイクを突きつけ、「言いたいことがあるなら、言えよ!」と言った。警官たちはジムをステージから引きずりおろし.......中略....

 

のちにレイも、あのとき、これがぼくたちの崩壊の序曲になるのではないかと、不吉な予感を感じたと言っている....中略.....

 

レイは正しかった。ニュー・ヘイブンでの出来事は、ぼくたちがそれまでに作り上げてきた全ての崩壊の始まりだった。セカンド・アルバムからの二枚目のシングル「ラブ・ミ・トゥー・タイムズ」はヒットチャートを急上昇していたが、ニュー・ヘイブンでの事件のせいで放送禁止となったぼくたちが物議をかもしたからだそうだ。くそっ。

 

 

 

 

なお、The Doorsがというか、Jim Morrisonがこの楽曲を気に入っていた、あるいは性に合っているためか、初期の楽曲が次々とセットリストから消えてゆく中にあって最後まで残っていた作品の一つでもあったようです。

 

↓ Youtubeから(珍しいシングルバージョン)

 

再構築音源にハマる

最近ハマっているのがYoutubeにアップされている有名楽曲の再構築音源です。特定の演奏やボーカルのみを抽出した楽曲がどなたかの尽力より成されて、数多く聴くことが出来るのです。これにより、しばらく遠ざかっていた作品も新鮮に聞こえる不思議さがあります。

 

ご無沙汰作品群にはKing Crimsonの「宮殿」や「ポセイドンのめざめ」も含まれており、特に前者はかつてそれなりに聴いていましたが、どうにも長過ぎるのと、その冗漫さに飽きてしまうようになってから積極的にかけることはほとんどなくなりました。また、後者は元々In the Wake of Poseidon(ポセイドンのめざめ), Candence and Cascade, Peace Suite以外は数えるくらいしか聴いてないアルバムでもありました。

 

 

ただ、「宮殿」や「ポセイドンのめざめ」のうち最も好きで聴く機会の多かったのはIn the Wake of Poseidonでありました。

 

しかし惜しむらくは後半タレるのとドタバタした太鼓の音がうるさすぎるのです。

 

 

宮殿のあとに残されしロバートフリップ卿

そして「ポセイドンのめざめ」制作時にはオリジナルメンバーが続々と脱退したことから、「King CrimsonとはRobert Fripp Bandの源氏名である。」になってしまった起点となる作品集とも言えそうです。

 

脱退メンバーのうち、EL&Pの結成を控えていたGreg Lakeはボーカリストとしてゲスト参加だったものの、主題曲では素晴らしい歌声を残してくれました。

 

 

 

ほぼグレッグ・レイクのアカペラ

そんな訳で「ポセイドンのめざめ」は、これはもう個人的にGreg Lakeのボーカルに尽きるのです。彼が若き日の美青年然としたルックスから「少年時代はボーイ・ソプラノで鳴らしたに違いない。」と想像したのが、全くそうした環境からは程遠い少年時代であったようですが、その男性的でありながら濁りのない済んだ歌声は、ビブラートをほとんど伴わない直線的に突き抜ける力強さもあって「こんな声で歌えたらなぁ。」と憧れたものです。

 

 

 

 

ゆえにほぼアカペラで歌われる「ポセイドンのめざめ」が聴けて感激しきりでした。特に彼の歌声を邪魔してこの上ない、嫌悪感さえあった太鼓の音が消えてくれたのが大きい。

 

また、彼のボーカルパートで完結するので長すぎる冗漫さもなし。演奏レスなので、近くで歌われているような距離感や空気感が生々しく、楽器隊なしでもこれだけ美しく聞こえるのが素晴らし過ぎ。

 

 

 

 

おまけに楽曲は良い出来なのにGordon Haskellのボーカルがしょぼくて残念なCandence and CascadeのGreg LakeによるデモバージョンまでYoutubeで聴くことが出来たのが非常に嬉しいのでありました。

 

 

 

 

 

おはよう!ポセイドン

昔から指摘されていることですが、In the Wake of Poseidonの邦題である「ポセイドンのめざめ」は真面目に取り組んだのであれば完全な誤訳なのだそうです。財津和夫の歌ったWake Upじゃあるまいし「おはようございます!ポセイドン」ではなく、「ポセイドンのあとを追って」や「ポセイドンに続いて」が近いとのこと。

 

ただ、正式な邦版パッケージとしてリリースされているので意図的な誤訳という可能性も僅かながらあると思いたいです。訳の分からないPete Sinfieldの歌詞よりもメロトロンの荘厳な音やGreg Lakeのクリスタルヴォイスから「目覚め」が喚起されたとしても不思議はないように想えるからです。

 

 

それと、歌詞には確かポセイドンは出てこなかったはずなので、何故にポセイドンなのか考えたことがあります。Pete Sinfieldの言わんとしていることを努力して解釈すれば、ポセイドンに繋がるヒントがあるのかもしれないですが、未だに意味不明なまま。In the Wake ofの意味する「あとを追って」や「に続いて」に着目すれば、ポセイドンとは前作の「宮殿」の暗喩なのかも?と勝手に想像するのみであります。

 

 

 

 

「ポセイドンのめざめ」についてはだいぶ昔に航空会社のCMに引用されたことがあって、TVからこれが聞こえてきた日は驚いたものでした。

 

やはりGreg Lakeの天空高く飛び立つイメージのある歌声が航空会社を連想させたということでしょうか。まぁ、Schizoid Manも広告やBGMに結構使われていますから、それに比べたら地味ではあります。

 

 

 

 

Youtubeから

↑ グレッグ・レイクの歌うポセイドンのめざめ

 

 

↑ グレッグ・レイクの歌うケイデンス&カスケイド

 

↑ Peace組曲

 

 

アーティゾン美術館のカフェめし

少し前、東京駅の八重洲口側にあるアーティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館)併設のカフェにて行った時のこと。

 

印象派とはすなわちクロード・モネであると世に言われるとか言われないとか、まぁ、それはともかく非常に人気の特別展らしく、カフェも同じく空き待ちの行列になっていて、予約しておいてよかったとホッとします。そしていつ来ても惚れ惚れするお洒落かつ見た目を裏切らない美味しさでした。

 

 

↑ アーティゾン美術館入口近くに建っていたオブジェ。個人的には名称も含めてブリヂストン美術館時代の方が好きですが、カフェ飯は抜群に良くなりました。

 

 

八重洲地下街で見かけたせんべいや「喜八堂」

 

アーティゾン美術館から八重洲地下街へ潜って歩いていると、良さげなお煎餅屋さんに気づきました。

 

ブログ再開のきっかけは煎餅好きもあってそれをテーマにしようとの目論見は続かずとも、好みは変わらずほぼ毎日食べてはいるので煎餅屋に対するアンテナ感度は鋭いのです。老舗のお煎餅屋さんで喜八堂というお店とのことです。

 

 

観ると種類がとても多く、個包装に二枚入って概ね200円と高くもないので苦手な砂糖まぶし系を除いて色々買ってみました。子供の頃から駄菓子まみれに育ったせいか、今でもスナック菓子は嫌いではないですけれど、加齢もあってか煎餅の方がしっくり来るようになっており、これらを順番に試すのがとても楽しみであります。

 

 

 

腹巻き姿の佐藤二朗が舞い跳びまわる夢

ステテコ姿の佐藤二朗がおもむろに腹巻きから稲穂を手にしては、バレエのダンサーよろしく高く跳び舞い上がっては開脚し、稲穂を天に捧げるようなポーズを取る。ビージーズの「愛はきらめきの中に」が流れる舞台で、彼の表情は歓喜の色に満ちてななななぁ~ん!と叫んでいる。

 

そんな映像が繰り返されるだけの夢を見ました。

 

 

夢の起源を探ってみる

BGMの愛はきらめきの中に

朝のNHKFM放送・リワインドタイムのテーマ「光」の時に「愛はきらめきの中に」がかかったことと推測。わりと好きな楽曲でもある。

 

腹巻き

「愛はきらめきの中に」のタイトルから「愛は腹巻きの中に」なるおやじギャグへ繋がったせい、だと思う。

 

稲穂

少し前に読んだ太宰治の「舌切り雀」にて雀のお宿からお爺さんがお土産に稲穂を持ってくる描写があり、それが元と推測。

 

佐藤二朗

これまた少し前まで読んでいた「とんでもスキルで異世界メシ」というネット小説に出てくる創造神・デミウルゴス様と佐藤二朗が「勇者ヨシヒコ」で演じた仏(ほとけ)のキャラクターがどこか似通っていると感じられたためと推測。

 

ステテコ姿

腹巻きからバカボンのパパ、着ている服がステテコだから、だと思う。

 

バレエダンサー

これについては不明。稲穂から一輪の花、それをくわえて踊るダンサーのイメージからだろうか?

 

このように元ネタが追える夢見もあれば、全く意味不明な夢もあって不思議なものです。

 

白い道4勝目

ここでふれるのはダデイ・ポガチャルのことです。世間一般の認識としてマイナースポーツと言っても差し支えないであろう、プロサイクルロードレース界ではありますが、数年来の最強ライダーというだけでなく史上最強とも称され始めたこの選手、彼にとって年の始めの試しとての恒例となった白い道ことストラーデ・ビアンケでは大会史上最多となる4勝目をあげました。

 

 

 

ロードレースとは言いつつも、未舗装路がコース203kmの3割にも及び、さらに激坂区間も多く、特に一般的にイメージされるステージレーサーにとって非常に難儀なストラーデ・ビアンケを今年も残り約80kmを独走して勝ってしまいました。フランス期待の19歳、若手ライダーのセクサス選手が見せ場を作ってはくれましたが、ポガチャルは落車して苦しんだ去年よりも余裕残しでゴールラインに到達したように見えました。

 

デルトロ選手の強力なアシストも効を奏してか、素人目には楽勝だったこのレースの先にはおそらくはミラノ・サンレモだけが見えていたのでしょう。

 

 

 

 

ミラノ・サンレモ初勝利

そんなポガチャルをして最も勝つのが難しいと言わしめるミラノ・サンレモが3月21日に開催されました。なぜ彼にとって難しいのか?それは登り坂の難易度が低過ぎるゆえ、そこで強力なスプリンターを振り切ることが難しく、ゴール勝負に持ち込まれると、さすがのポガチャルも苦戦必至だからです。

 

 

 

昨年はチーム戦略によりゴール前の30km付近にあるチプレッサの丘から攻撃をしかけ集団崩壊には成功するも、最後のポッジオの丘でライバルを振りきるのに脚を使わされて疲弊し、結局振り切れず追い風を活かした独走に持ち込めないまま3位での入線。

 

ここまでして勝てないとなると、高次元のオールラウンダーたるポガチャルをもってしてもミラノ・サンレモを征する日は来ないかもしれないと思えたのです。

 

 

逆境からの勝利

結果はどうだったのかと言えば、ポガチャル6度目の挑戦にして初の栄冠となりました。

 

素人考えかもしれませんが、レース前もレース中も今年は昨年に比べてポガチャルの勝てる可能性は低いとみていました。同じチーム戦略で攻めるにしてもポガチャルの脚を温存させるためにいて欲しい強力なアシスト役のジョナタン・ナルバエスが今年は出られないからです。

 

また、ゴールまで追い風の昨年と異なり弱いながらも向かい風の当日ときている。そしてレース途中、落車によりアシストを一名欠いてしまう事態が発生。さらには、レース終盤の勝負どころであるチプレッサの丘手前数キロの時点でポガチャルにとってこのレースを勝つには絶望的な状況になってしまうのです。

 

 

・ポガチャルを起点に落車発生。擦過傷と流血(心身へのダメージ)

・勝負どころを前に高速化した集団を追う負荷が発生(予定外の疲弊)

・集団がチプレッサの丘へ入る前半に合流成功(アシストの高負荷)

 

 

 

・アシストの鬼引きにより集団の先頭へ到達(予定外の疲弊)

・ポガチャル自らアタックをしかける(アシストの早期離脱,疲弊累積)

・ポッジオの丘上りでポガチャル自らアタック(疲弊累積)

 

ポッジオの丘頂上に到るまでに、最大のライバルと言える昨年優勝のマチュー・ファンデルプールを振り切ることに成功したが、直前のミラノ・トリノの優勝から引き続き絶好調そうなトム・ピドコックが残る。しかも彼には目立った不利がなく下りのスペシャリストでもある。

 

しかし、下りも攻めるポガチャルに対抗しないまま、あえて先頭に出ない時間が長いように見える。ゴールまで続く平坦路に入っても先頭を引く時間はポガチャルが目に見えて長く、脚の残り具合から順調にレースを進めるピドコックが有利に思えた。

 

 

 

ラスト1kmからはポガチャルを前にスプリントのタイミングを計る駆け引きが続く。やがて集団から飛び出したワウト・ファン・アールトが二人に迫るが間に合わないのは確実となった。

 

そして...ゴールは半輪差でポガチャルが制することに。

 

 

 

TV解説の栗村修さんによれば、コース取りの妙によりピドコックに余計な距離を走らせてつつ、スプリンタースイッチなる電動シフトシステムを活かした絶妙なタイミングでのシフトチェンジが光った勝利とのこと。

 

解説陣と同じく、信じられないものを見せられているような怒濤のレース終盤でありました。

 

 

落車したポガチャルの煽りを受けて、バイク交換を要するため遅れたワウトや同じタイミングで左手を負傷したマチューに大きな不利があったのが、ポガチャルの勝利に関して大いに味方した可能性はあるとしても、ポガチャルが背負った余剰な負荷や怪我の様子から観て、肉体的にも精神的にもあり得ないと思える優勝でありました。

 

解説陣からは「怪我した擦過傷にもうかさぶた出来てますよ!」と冗談とも本気ともつかない苦笑いが起こるほど、某かのマジックを見せられた気持ちでした。

 

 

 

モデルチェンジなのか?

タデイ・ポガチャルにとってツール・ド・フランスよりミラノ・サンレモの方が勝ちたいレースであろうことは、彼の一回り大きくなった逞しい大腿部から窺えるようでした。勝利への執念なのか、この数年は滅多になかった振り子のように上半身を使う上りのアタックを見せていたのも印象深かったのです。

 

仮にマチュー・ファンデルプールや他のスプリンターとの勝負になったとしても勝てるような肉体へのモデルチェンジは、過酷な山岳コースのあるツール・ド・フランスなどのステージレースには不利に思えるので、もしやワンデーレーサー、特にクラシックレースハンターへ転身?とさえ思えるほどです。

 

パリ・ルーベ制覇を最高の栄誉と讃え、「ツール・ド・フランスより勝ちたい。」と公言して憚らない選手もいるくらいなので、これも未勝利であるポガチャルは本気で狙っている公算大なのであります。

 

 

さて、次はポガチャルにとって既に優勝2回の激坂&石畳が待ち受けるフランドルのレースですが、仮にまた制したとしても「嘘だろ、まさか勝ってしまうとは!」と驚いた初優勝時とは別の感情で観てしまいそうです。

 

ツール・ド・フランス優勝最多タイ5回目に対するこだわりよりも、勝っていない大会の方により関心がありそうなポガチャル。果たしてパリ・ルーベでは無人の荒野をひた走るのでありましょうか。

 

 

 

驚愕の事実として加えるならば、ミラノ・サンレモでポガチャルのバイクには落車時の衝撃でフレームにひびが入っていたらしいとの情報もあることです。ダウンヒルで致命的な破損でもあったならと想像するだけで恐ろしいです。

 

何にせよ、競技の性格上、高速域での落車に遭うとただでは済まないので、出場する選手たちに大きな事故がなく進んで欲しいと願うばかりであります。