カウンセリングを経て、予定通りNIPTを受けました。

私の年齢が最大のリスクであることは認識していました笑い泣き

その為、出産してから色々判明するのが怖かったので、確定している事実を知るために受けました。

 

採血だけなので検査はあっという間に終わりました。

 

数週間後病院を夫婦で訪問、医師から手渡された結果は陰性でした。

 

 

★NIPT検査の費用

・1回目 カウンセリング 18,360円

・2回目 カウンセリング&検査費 233,280円

・3回目 カウンセリング 2,160円

 

合計:253,800円

 

検査が終わりホッとしましたが、一方お金がどんどんヒラヒラ飛んでいきますガーン

諭吉25-26人分ですガーンガーン

このお金で海外旅行が出来た、ローンの繰り上げ返済が出来た等と考えたら辛くなるので、タラレバは封印します。

 

 

 

ホームページの情報を頼りにNIPTを実施している病院に電話をかけ、詳細を確認しました。

 

誰にでも門戸を開いている検査ではなく、

 

・高齢妊婦 35歳以上(病院次第でもっと高齢で設定しているかもしれません)

・胎児のきょうだいが染色体疾患

・超音波検査で疑う所見

 

が主な対象となります。

 

病院のホームページには表面的な情報が載せてあるだけなので、個別に確認するしかありません。

私の場合は、高齢妊婦ということで予約が出来ました。

 

NIPTを受ける前に、夫婦そろって医師によるカウンセリングを数回受けました。

医師1名、スタッフ1名(医師かもしれません)、夫婦2名の合計4名でのカウンセリングでした。

 

 

★主なカウンセリング内容

①NIPTとは何か

②NIPTを受ける前の心構え 

③この検査が臨床研究に使われるという告知(一応自由参加とはなっていますが、参加前提)

④費用

 

 

「結果が陽性だった時はどのようにしますか?」

と質問を受け、夫婦各々回答しました。

 

カウンセリングでは、

「検査前に、結果が出た後どのように対応するか夫婦でよく話し合ってください」

と言われました。

模範回答に誘導されることもなく、説得されるわけでもなく、私たち夫婦がどうするのか、どう選択するのかを一番尊重するスタンスでした。

 

 

<続きます>

 

 

台湾のコウノトリ病院で卵子提供を受け、バックアップ病院も妊娠2か月目を迎えて無事卒業しました。

産科に転院まもなくして「出生前診断」を受けることにしました。

卵子は20代でも、母体は40代です。

ハイリスク妊婦故、どのような妊娠なのか早いうちに正確に把握しておきたいと思いました。

 

 

★通院履歴

①妊娠前:台湾のコウノトリ病院

②妊娠直後:日本のバックアップ病院

③妊娠2か月目以降(出産した病院):日本の総合病院産婦人科

④出生前診断:日本の大学病院附属遺伝子医療センター

 

妊娠前には、不妊治療の病院に色々通いました。

振り返ると、我ながら高齢出産治療フルコースだったと思います滝汗

 

 

出生前診断は、羊水検査、絨毛採取など色々種類があります。

私たち夫婦は新型出生前診断(病院でいただいた書類には「無侵襲的出生前遺伝的検査」とありました)NIPTの検査を受けました。

 

NIPTの検査を選んだ理由は、下記の通りです。

 

・疾患を発見する精度がとても高い(疾患を持たない胎児が、疾患を持たないと正しく判定される精度が99%)

・検査方法が血液検査なので、羊水検査のように子宮に針を刺さないため負担が軽い(300人に1人の流産リスク)

 

検査方法は、妊婦の血液(母体血)を採血し、母体血に浮かんでいる子宮内の赤ちゃんのDNAの断片で診断します。

母体血にあるDNAの断片は、10-15%は赤ちゃんのもの、残り85-90%が母親本人のものになります。

妊娠中は母子2人分のDNAの断片が母親の血にプカプカ浮かんでいるのかと思うと、赤ちゃんの胎盤も大変だと思いますが、それをろ過する母親の肝臓や腎臓など臓器も大変です。

 

NIPTを実施する病院は、それほど多くありません。

私が出産した病院は大きな病院でしたが、出生前診断は全て不実施・紹介も無しというものでした。

検査を希望する場合は、自分で探して他で検査しなさい、というスタンスでした笑い泣き

 

ドラマ「コウノドリ」でもありましたが、命の選別につながりかねない検査なので自己責任が問われる検査となります。

医師も助産師も看護師も誰も「検査したほうが良い」とは決して言いません。

我が家の選択を否定も肯定もせず、遠くから見守っていました。

大病院なのだから、紹介状くらいだしてくれても良いのに…と心の中で勝手ながら愚痴りました。

検診の際、医師に「検査結果が出たら報告書を提出してください」と言われただけでした。

 

ここにきて、また病院を自力で探す事になりました。

検査を受けられる時期は限定され、妊娠10-15週目くらい迄となります。

インターネットで見込み先を探し、電話をして確認する病院探しの日々が再開しました。

悪阻で寝ている場合ではありませんでした。

 

 

<続きます>

 

 

高齢出産になった理由は人それぞれだと思います。

自分自身の場合は、下記のような理由が該当すると思います。

 

・社会で認められる人材、一人前になることを目指し、仕事に打ち込む期間を設けたい

・好きな人と巡り合うまでは妥協せず、適齢期を気にせずに結婚したい

・親となる事で、享受していた自由及び夢を失うことへの恐怖

 

親になることは、会社のように

「もうウンザリしたので、1か月後に退職してサヨナラしますゲロー

と辞められません。

こどもの人生を少なくても成人するまで預かる責任があります。1か月後に後任に引き継ぎできません。

 

まだ何も成していなくてジタバタしているのに、親としての責任も同時に果たすことが出来るのか。

 

「ママは本当には○○したかったんだけれど、◎◎ちゃんのために諦めたのよ~えー

と恩着せがましいことを、将来子供に言うのではないか。

言いそうな自分がいる。

こどもには何の落ち度もないのに、迷惑行為に他ならない。

 

出産はもう少しもう少し。。。と後回しにして、結果不妊治療に至りました。

 

何かを達成するには、夢を実現させるには、本当に大きな努力と能力が必要です。

怠け者の上大した能力もなく、更には年々若さを失っている事実も受け入れていませんでした。

自分を客観視することも大切だったと思います。
 

こじらせてしまった点を、定期的に修正できれば良かったと思います。

そうは言っても、もし他人(親戚や上司)が老婆心で指摘したら、「セクハラ!ムキー 」と喚きそうな自分が想像できます。。。

 

「卵子提供」というと、アメリカで卵子提供を受け出産した野田聖子議員の印象が強いと思います。

誕生時にお子さんが複数の病気を抱えていたため、誕生から数年入院生活していました。

https://www.oricon.co.jp/news/2005532/full/

 

現在元気に学校に通っているお子さんの姿が、野田聖子議員のブログにアップされています音譜


野田議員は大変なご苦労をされていますが、卵子提供を受けた赤ちゃんは全て病気・障がいがあるわけではありません。

他人の卵子を移植したから、拒絶反応で母子共々病気になるわけではありません。

幸運ではありますが、私たち母子は現在までともに健康です。

台湾で60代で妊娠出産したという病院広告があるので、医師の指示通りに妊娠時期を安定して過ごすことが出来れば、60代の子宮でも出産に耐えられるということだと思います。

 

早期流産は卵の生命力次第だから諦めるしかない、と医師は言います。

 

それ以降の流産は、母の胎内の環境を整えて防ぐしかないと思います。

40歳で出産したビビアン・スーさんは、143日間寝たきりで妊娠生活を送りました。

お風呂にも入れず約5か月病院で過ごしたのは大変だったと思いますショボーン

 

また若い卵子がより妊娠に適しているのは事実です。

40代の自己卵では1回も出産は出来なかったのに、20代の卵子を移植したところ妊娠出産した自分の経験を振り返ってもそう思います。

今のところ、40代の卵子を20代に若返させる技術はありません。

 

私は40代の自己卵による不妊治療の失敗が続いたので、卵子提供という違う方法を選択しました。

次回こそ!という希望を断ち切るのは結構大変でした。

 

もしかしたら受験に似ているような気もします。

第1志望に受かるまで浪人を続けるか、1-2浪以降は第2志望に進むか。

第2志望の学校でも、新しいキャンパスライフが待っています。

 

自分の血が入っている子供は理想だけれど、努力をしても希望がほぼ叶わない時、どういう選択をするかは人それぞれです。

 

 

卵子提供者の丈夫な卵子のお陰で、妊娠中も問題なく過ごせました。

むしろ予定日を過ぎても産気づかずに心配しました。

 

医師からは「赤ちゃんの頭が骨盤にきちんと入っているので、今のところ大丈夫」と説明を受けました。

その際レントゲンで撮影し、赤ちゃんの頭が下向けで頭が骨盤にはまっている写真を見せてもらいました。

妊娠中は逆立ち状態であることは知っていましたが、こうしてレントゲン写真を見て

 

頭が骨盤に食い込んでいるヘッドロック状況で羊水にぷかぷか浮かんでいて不快ではないのかガーン

逆立ちで指とかしゃぶっている場合ではないだろう

頭を骨盤に入れていることで、固定されていて気持ちがいいのかもしれないガーン

 

などと思いました。

 

予定日よりも長く子宮に居座ったためか、四捨五入すると4000グラムの大きい赤ちゃんが誕生しましたニコニコ

コウノトリ病院での子宮への移植時には目に見えない胚盤胞だったのに、10か月後日本で4キロの人間になって子宮からでてきました。

骨盤に長らくはまっていた頭は、頭囲が約36センチでした。

 

誕生後の経過も順調で、新生児時期には1日平均40グラム体重が増加していました。

身長も体重も大きめで、乳児身体発育曲線を超えるくらいの成長を見せています音譜音譜

 

成長の源である食欲(ミルク欲)は旺盛です。

助産師さんからは

粉ミルクは消化しにくいので3時間くらい感覚を開けたほうが良い

とアドバイスをいただいてましたが、3時間持たず騒ぎ出し、ミルクをもらうまでギャン泣きする次第です。

こんな小さい体で、どうしてこんな大きな声が出るのか不思議なくらいハッキリぎゃんぎゃん泣いて要求してきます。

 

定期検診でミルクの量を医師に相談したところ

 

「母乳だったら欲しいだけあげればいいし、粉ミルクも3時間きっかり空けなくても大丈夫。おなか一杯だったら赤ちゃんは吐くから真顔

 

と言われました。

こちらで神経質にならなくても、赤ちゃんは吐いてコントロールする、という大胆なアドバイスにちょっと笑ってしまいました。

スーパーモデルでもあるまいし、吐いてコントロールするとは。

 

今のところ赤ちゃんは、健康体で病気もせず食欲全開です。

自己卵では妊娠出来なかった私に、元気な卵を提供してくれた20代ドナーさんに感謝です。

出産後、コウノトリ病院には無事誕生した御礼、こどもの名前などを報告しました。

 

◎台湾の卵子提供に関する管理力の高さ

 

 

→前ブログで書いたとおり、卵子提供者と卵子受諾者の両者はお互いを知りません。

 

この両者を把握しているのは下記2つのみです。

 

1)マッチングをしたコウノトリ病院

2)台湾国営の管理局

→この管理局はビルの1室に入っており、コウノトリ病院の通訳さん同伴で提供前に一度夫婦で伺いました。日本から持参した書類、本人確認、必要金額の支払いをしました。

全部中国語なので分からず(漢字から察する雰囲気のみ)

この事務所が一体何省、何庁、何部署管轄なのかも分からず、とりあえず指示通りに動きました汗汗

 

 

コウノトリ病院と担当局によって、卵子提供者と夫が血縁関係にないことを確認出来たということです。

信用できる病院と、国営(詳細は良く分からないのですが)の担当局が、卵子提供の現状を管理しているのは心強いです。

 

卵子提供の国別情報は、セントマザー産婦人科医院のホームページで見ることができます。

https://www.stmother.com/treatment/treatment11/

 

 

 

もしこの子が将来

「台湾人と結婚したい!ラブ

と言った場合は、相手が血縁関係にないかコウノトリ病院や担当局に確認する必要があるのだと思います。

あと20年後が30年後が分かりませんが…。

台湾は出自を知る権利を認めていないので、血縁関係にあるか否かのみ通知するものと思われます。

 

そのリスクはありますが、本人への告知については非常に躊躇っています。

おそらく我が家では積極的な告知はしません。

 

何かしらの切っ掛けで本人が知る事になった場合、または台湾人との結婚を希望する事があれば事実を伝えますが、

 

・台湾と日本のハーフであること

・遺伝子上の母については分からないこと

 

という事実は想定外だと思うので、知った時の衝撃は大きいかと思います。

今の段階では、いつどのように伝えるのか、或いは伝えないのかは決めかねています。

 

卵子提供で得られた親子関係なので複雑になりますが、私たち夫婦はこの子を授かり育てることが出来て、こうした機会を台湾が外国人である日本人にも許可していることに非常に感謝しています。

 

 

◎ドナーのこと

 

→私の血・DNAは、出産した子には勿論一滴も入っていません。

夫と、一度も会ったことのない台湾の女性が遺伝子上の両親です。

実際に産んでみると、そうした事実は全く気にならないほど愛情が日に日に高まっています。

夫よりも私に似ていると言われることが多く、少し複雑な気分ですが有り難くもあります照れ

 

これからも、そして今後も会わないだろう台湾のドナーさんは、私に似ているようです。

全てコウノトリ病院の采配ですが、良いマッチングをしてくださったと思います。

 

 

コウノトリ病院には、ドナーさんに対して多くの注文を出しませんでした。

容姿(自分に似ている、全然似ていなくても美人が良い汗汗)は全く注文せず、むしろ学歴職歴を重視しました。

 

どんな人がドナーになるのかは正直気になります。

献血のように時間があるからと気軽に出来るものではないので、それなりの覚悟があって卵子提供したと思います。

ドナーさんがどんな事情を抱えていたかは知る由もないのですが、患者としては感謝しかありませんお願い

 

ちなみに私たち夫婦に告知された情報は、年齢、身長体重、大学の学部くらいです。

名前も、大学名も、家族構成も、容姿もわかりません。

私たちがドナーさんを突き止めるだけの十分な情報はなく、

またドナーさんも私たちを知ることはありません。

 

それでも、ドナーさんは自分の卵子の行方を心配しているのではないかと思います。

着床したのか、卵のまま流産したのか、妊娠が継続し人間となって生まれたのか、日本のどこで育つのか。

コウノトリ病院を経由し、この子は必ず大切に育てます、と伝えたいくらいです。

 

遺伝子上は半分不明、どこのどなたか分からないのですが、やはり10ヶ月身籠って痛い思いをして出産した子は「我が子」ですニコニコ

 

<続きます>


 

本当に久しぶりのブログ更新です。

 

コウノトリ病院のお陰で、1回目の卵子提供治療で妊娠し無事出産しました。

日本での自己卵による不妊治療では妊娠が成功することがなかったので、何回か卵子提供をしなければならないのだろうと覚悟していたのですが、幸いにも1回目で出産に至りました。

コウノトリ病院の方向に(南でしょうか)、足を向けて眠れないくらいの感謝ですニコニコ

 

妊娠中は順調で、管理入院をすることもなく、臨月まで日常生活を送ることができました。

自己卵では繫留流産がつづき所謂マタニティライフなど経験したことがなかったのに、今回の安定力。

若い卵子の生命力を感じた妊娠生活でした。


コウノトリ病院に感謝していることは多々あります。

 

 

◎受精卵を子宮に戻すタイミングを慎重に決めてくれたこと

 

→着床の窓という言葉がありますが、折角グレードの高い卵を子宮に戻してもタイミングが合わなければそのまま流れてしまいますえーん

訪台直前までバックアップ病院にて内膜の厚さを測り、値が悪ければまた翌月にしましょう、と指示されました。

 

患者側としては

 

・延期しただけまた年を取る焦り

・直前で航空券キャンセルしたら全然お金が戻ってこない

・仕事などの調整

 

があるので、正直こちらの都合も汲んでもらいたかったのですが、データに基づいた判断でやって頂いたことが良い結果となったのだと思います。

それはKLC通院時での否が応でも決まる採卵日で学んだことでした。

ピンポイントの日に採卵できなければそれでお終い、はい今月分は排卵済です、というお達しですショボーン

 

採卵と受精卵を子宮に戻すのは違う過程ですが、患者の都合・病院の都合で日時を決めていたら、多分着床しなかったと思います。

内膜の厚さは日本のバックアップ病院で何度も測り、ようやくGOサインが出ました。

充分な厚さにならない場合は、直前でも中止すると事前指示がありました。

自分の体ですが子宮の状況をコントロールすることは勿論出来ず、医療の力を借りて着床する確率を上げていくことしかできません。

着床しても、継続して妊娠するか否かは分かりません。

 

不妊治療で会社を辞めなければならない人が多いのは、身をもって理解できます汗汗

 

 

<続きます>

コウノトリ病院の指示通り、妊娠8周目の検査のためにバックアップ病院来訪。

 

ここまでの2ヶ月、1日4回の薬の服用と1日おきの注射を行っていた。

注射には、正直うんざりしていた。

筋肉注射なのでそれほど難しくないのだが、薬が広がり青痣みたいになったり、部分的に硬くなっていたり、痛みを感じるようになっていた。

お風呂に浸かることも禁止されていたので、ずっとシャワーの日々だった笑い泣き

 

ご飯も食べられず食欲もなく、痛い注射を続けていると、段々ネガティブになるゲロー

今まで当然のように享受していた楽しみ・自由が奪われていた。

わずかながらだが、病気の方は本当に辛いことを体験する機会にもなった。

また世の中の妊婦さんが、悪阻でも頑張って定時に出勤するため通勤電車に乗って通勤している大変さも実感した。

いきなり吐きたくなっても、逃げ場のない満員電車に乗っている恐怖は計り知れない。

女性専用車両でも、早朝吐かれたら周りは引くだろう(私は見たことがない)。

 

バックアップ病院で心拍検査を受け、有り難いことに無事成長していることを確認した。

頭と体に分かれ、少しずつ形が出来上がっていた。

 

翌週、出産する病院の紹介状をいただいてバックアップ病院を卒業することが決まった。

病院は自分で探し、交渉し、予約をするように言われた。

特にお薦めする病院はありません、とのことだった。

高齢出産のハイリスク妊婦なので大きな病院でないと難しいことは予想できたし、また断られる可能性も非常に高いことも予想できた。

病院候補を片手か両手くらいピックアップしないといけない。

 

この不妊治療では、行動力や交渉力が求められることが多かった。

それは一重に自分が「卵子提供」「高齢出産」を希望するハイリスク患者であるからで、通常の妊娠をした若い人はその限りではない。

自分のようなケースは例外であり、エージェントや代理も立ててないので当たり前なのだ。

そのため台湾の不妊治療病院、バックアップ病院、出産病院を決める際に、自分でリサーチして、訪問して、内容確認して、契約した。

就職活動や社会人としての経験活動が活かされたように思う。

長年社会で働いていた経験が役だったのは良かったが、卵子が若いうちに妊活に取り組めばこうした苦労はしないで済んだと思う。

しかし時間は取り戻せないので、40代の今できるベストを尽くすだけだ。