コウノトリ病院の指示通り、妊娠8周目の検査のためにバックアップ病院来訪。

 

ここまでの2ヶ月、1日4回の薬の服用と1日おきの注射を行っていた。

注射には、正直うんざりしていた。

筋肉注射なのでそれほど難しくないのだが、薬が広がり青痣みたいになったり、部分的に硬くなっていたり、痛みを感じるようになっていた。

お風呂に浸かることも禁止されていたので、ずっとシャワーの日々だった笑い泣き

 

ご飯も食べられず食欲もなく、痛い注射を続けていると、段々ネガティブになるゲロー

今まで当然のように享受していた楽しみ・自由が奪われていた。

わずかながらだが、病気の方は本当に辛いことを体験する機会にもなった。

また世の中の妊婦さんが、悪阻でも頑張って定時に出勤するため通勤電車に乗って通勤している大変さも実感した。

いきなり吐きたくなっても、逃げ場のない満員電車に乗っている恐怖は計り知れない。

女性専用車両でも、早朝吐かれたら周りは引くだろう(私は見たことがない)。

 

バックアップ病院で心拍検査を受け、有り難いことに無事成長していることを確認した。

頭と体に分かれ、少しずつ形が出来上がっていた。

 

翌週、出産する病院の紹介状をいただいてバックアップ病院を卒業することが決まった。

病院は自分で探し、交渉し、予約をするように言われた。

特にお薦めする病院はありません、とのことだった。

高齢出産のハイリスク妊婦なので大きな病院でないと難しいことは予想できたし、また断られる可能性も非常に高いことも予想できた。

病院候補を片手か両手くらいピックアップしないといけない。

 

この不妊治療では、行動力や交渉力が求められることが多かった。

それは一重に自分が「卵子提供」「高齢出産」を希望するハイリスク患者であるからで、通常の妊娠をした若い人はその限りではない。

自分のようなケースは例外であり、エージェントや代理も立ててないので当たり前なのだ。

そのため台湾の不妊治療病院、バックアップ病院、出産病院を決める際に、自分でリサーチして、訪問して、内容確認して、契約した。

就職活動や社会人としての経験活動が活かされたように思う。

長年社会で働いていた経験が役だったのは良かったが、卵子が若いうちに妊活に取り組めばこうした苦労はしないで済んだと思う。

しかし時間は取り戻せないので、40代の今できるベストを尽くすだけだ。