放課後に公園に行くと、同じ園の児童と時々会う。

制服から私服に着替えているのだが、「CD」と大きく書かれたセーターを着て遊んでいるのが目を引く。

CD、クリスチャン・ディオールだ。

ラルフローレンの馬のように、胸からお腹にかけて大きな字でCDと書かれているセーター。

夏は同じようなデザインのCDシャツを着ていた。

港区民でもないのに、CD。

今時、CD。

しかも、そのCDセーターで思い切り走り、躊躇わずに砂場でも遊んでいる。

本物の金持ちか、天然か、どちらかと観察してしまう。

 

そのお母さんによると、義実家が孫にどんどんCD服を送ってくるのだという。

バブルを経験した義母は、CD好きらしい。

 

「早く着ないとサイズアウトしてしまうので、なるべく着ているんです」

 

サイズアウトしても、メルカリには出さないんだろうな。

全身西松屋キッズのお友達と戯れるCDぼっちゃまを温かく見つめる、お母さんがいた。

年中になってから、友達との関係に一喜一憂するようになった。

 

「誰も遊んでくれない、つまらない」

「○○が、△△と言って楽しかった」

「☆☆に爪で引っかかれて、痛かった」

 

ぼんやり過ごしてきた年少時代を経て、クラスメイトとの関係に一気に関心を寄せるようになったのだ。

誰と一緒に遊びたい!

何の遊びを一緒にしたい!

と主張し始めた。

 

「一人はつまらないよ、嫌だ」

という子供の孤独を恐れる発言。

つい最近まで一人で悠然と砂場で遊んでいたのに、一体どうしたのだ。

年中で、早くもひとりぼっちを恐れるのか。これはもう、人間のサガなのだろう。

 

 

「ワンピースのウタ、知ってる?」

 

全く家で見せていないワンピースのアニメの話までするようになった。

友達を通して、親が知らない世界にも関心を寄せ始め、子供は友達からウタについて教えてもらった。

ウタとかアドとか全般知らない40代親で、ごめんね。

幼稚園で始めて耳にした言葉、「親が悪い」。

「親の責任」ではなく、「親が悪い」。

園長先生の発言だったが、これは結構な衝撃だった。

 

子供はまだ物事を判断出来ない無垢な存在なので、子供に何かあれば「親が悪い」ということらしい。

 

例えば

「子供が遅刻するのは、時間管理ができない親が悪い」

「子供は嫌がっているのに、できないことを押し付けている親が悪い」

 

もちろん子供の病気や特性などもあるので、そうした例は除いての発言だろう。

子供は常に正しく、か弱い子供をしっかり導けない親が悪い、ということらしい。

 

聞いたときは言葉の強さに驚いたが、実際に聞いたとき「確かに」「正しい」と腑に落ちた。

上から目線の「親が悪い」は敵意と嫌悪感を感じる言葉だが、デヴィ夫人の毒舌を聞くのと近いマインドなのか。

破壊力満載、キラーワード。私は使わないが(使えない)

 

 

 

中年となり、自分自身の記憶力が駄々洩れしている。

不妊治療中にあれほど一喜一憂していた分裂のラスボス、「胚盤胞」という言葉を思い出せなかった。

3分くらい考え、きれいな楕円のイメージは浮かぶものの、結局名前は思い出せずグーグル検索してしまった。

もちろん、その前の桑実胚も全く覚えていなかった。

 

数年前、一番心を占めていたものは分裂と胚盤胞だったのに。

それを目標に、見えない細胞分裂にいくらお金を突っ込んだことか。

ぼんやりと専門用語や治療内容を思い出しても、全ては忘却の彼方だ。

 

 

今は、こどもの絵本を読む日々だ。

こどもの寝かしつけのために、絵本を毎日数冊読んでいる。

東大の佐藤ママは子供4人が幼いころ、毎日15冊読んでいたそうだ。彼女の喉は大丈夫なのだろうか。

ぐうたらな私はもちろん15冊など読まない。

 

「はじめての世界名作絵本 ポプラ社」を読んで、気がつくことがある。

子供がいないことを悩む冒頭シーン(おじいさんとおばあさん率高し)が多いのだ。

 

ももたろう「おじいさんとおばあさんには こどもがなかったので こどもがほしいと いつもねがっていました。」

 

いっすんぼうし「ふたりには こどもがなかったので、かみさまに おねがいしました。」

 

ラプンツェル「けれども、ふたりには こどもが いませんでした。」

 

おやゆびひめ「女の人は かわいいあかちゃんがほしいと ねがっていました。」

 

不妊治療は、古今東西問わず多い。

せっかく授かった子供が遠くに旅に出てしまい、残された老夫婦の心境を察する。

そして昔話のおじいさんおばあさんは、きっと40代だろうな・・・とも察するのだ。

 

 

早いもので2月中旬、あと1か月で幼稚園の終業式だ。

4月には年長組となる。

 

この1年、こどもは心身ともに劇的に成長した。

着替えを一人でできるようになり、お箸も使えるようになった。

運動会では必死に走り、お遊戯会では歌い、仲のいい友達とグループを作るようになった。

少し前までただ寝ていた赤ん坊が、今では鉛筆を持って文字を書き始めている。

 

中年の親は、昨日食べたものも思い出せない体たらくだから、余計その成長に驚愕する。

脳細胞が劇的に活性化している幼児と、脳細胞が日々大量に死んでいる中年親との比較が大きすぎる。

まるで、ネアンデルタール人から現代人まで進化する絵の逆バージョンを見ているようだ。

 

しかし上には上がいて、幼稚園にはお受験を控えるスーパーキッズがごろごろいる。

うちの子供は、至って標準だった。

 

標準などと書いたが、卵子提供してくれたドナーさんのお陰で過不足ない標準の元気な子供を授かったのだ。

私を母親、お母さんにしてくれた卵子提供には感謝しかない。

自分の卵子では分裂もせず胚盤胞にもならなかった私に、チャンスをくれたドナーさんとその病院の恩を忘れないように、自戒を込めて。

子供が幼稚園に入園して今年で2年目、年中になった。

 

ママ友との関係は良い時は素晴らしいが、悪くなったときは惨劇だと聞いていたので、緊張感をもって過ごしていた😓

 

我が幼稚園のイベントに参加する保護者は、圧倒的に母親だ。

保護者=ママ友になり、女子校のようなノリがある。

グループを作り、そこにはスクールカーストのようなものがあり、空気を読みあう場だ。

幼稚園が終わった後に、グループで公園に遊びに行く。

呼ばれる人もいるし、声がかからない人がいる。

「一緒に公園で遊びたい!」

と誘われていない子供が、グループの親子を指をさして大声で言う。

ぎこちない笑顔でグループのママ友が、

「よかったら、ご一緒にどうぞ〜✨」

と、仕方なく呼ばれていない保護者親子を誘う。

金魚のフンようなお誘いであるが、誘われていないというプライドを捨てて、子供のために一緒に公園に行く親子😞

アウェイのグループにはいり、我慢する数時間😱😱

 

こどもを迎えに行くバスや幼稚園で、目があっても挨拶しないママがいた時の寂しさ。

気がつかないだけなのか、避けているのか。

こんなことを考えるのは中高生時代だけで十分、どうでも良いことだ。

 

女子校では、本人の容姿、性格、学力、家庭などによってそれぞれグループを作っていく。

幼稚園ママ友グループは、ママと子供の2つの要素で決まっていく。

ママ友グループは、共有できるものがあり、メリットがある人とお互い認識したときに作られていく。

 

また子供が楽しく過ごせる環境を作るために、まだ人間関係を作れない子供のために、母親たちは二人羽織をしてこどもを助けていく。

LINEの素早い返信、スタンプに力を注ぎ、感じのいい人を演じ続ける消耗戦。

全方位に笑顔対策が一番いいのだろうが、心が削れていく😥

 

自分自身を考えた時、高齢出産母なので20代ママさん達とは大きな年齢差があり、自分は20代ママが一緒に笑ったり愚痴を言ったりして過ごしたいと思えるステキな友達には見てもらえないだろう。

ひがんでいるように聞こえるかもしれないが、自分自身が異端であることを認識している。

異端が、目立つグループの幼稚園ママ友とキラキラしているのは想定に無理がある。

なによりもこちらが疲れる。

 

グループには入らない(入れない)その他大勢のママさん達もいる。

我が幼稚園は多岐にわたる生徒さんが在籍しているので、それぞれ異なる生活を送っている。

小学校受験塾に行くため全身紺を着て迎えに来る保護者、療育を頑張っている子供、習い事のバスに乗せられて移動する子供🏃🏃

それぞれの目標、苦労、悩みがあり、私が分かち合える事もあれば、分かち合えない事もある。

 

奇妙な好奇心を寄せられるのもうんざりするし、皆に迎合する笑顔もいらない。

高齢ママ故浮いているならば、クラスの輪を乱さず、気配を消して、少しずつ馴染んでいけばいいと思う。

頑張りすぎていると痛々しくみえて、周りも引いてしまう。

私は幼稚園では空気となり、細心の注意を払って行動し、バスや幼稚園での送り迎えも1-2分で終わらせてサーっと風のように去るのが目標だ。

いつか1人でも2人でも色々話せる人が出来たら、それで良いのではないかと思う。

自分には十分友人知人がいるし、何よりもこどもが毎日を楽しく過ごせるように自分は幼稚園で黒子となる。

 

 

人生は、トランプゲームにも似ている。

良いカードがたくさん手元にあるうちは勝負にバンバン打って出られるが、中盤・終盤になりスカスカのカードしか残っていない場合、逆転勝利は無理、負けが込む。

どのタイミングまで頑張るか、ゲームを降りるかがポイントとなる。

将棋の藤井棋聖のように何十何百手先まで延々と読める人が良いが、こちらは将棋のルールも複雑すぎて分からないようなゲーム素人である。

素人であっても、私のゲームだ。

私の人生の主役は私だ。

誰かに言われた通りに全部動いた場合、納得のいかない不満感が残る。

自分で考え、絶望し、納得するしかない。

万能ではない自分を認めて、妥協する。

 

40代までこどもがいなかったので、その時間を自分の為に使うことが出来た。

その代償として、自分の卵子は劣化し、自分の遺伝子を持つ子供は産めなかった。

遺伝子にそれほどこだわりはないが、「遺伝子違うんだよね」という感覚は今もある。

不妊治療を諦めた事もあるが、その結果この子供に出会えたことに感謝している。

かけがえのない存在になった。

 

自分が10代の時に思い描いていた40代とは相当違うが、10代の私に

「40代、不妊治療して、帝王切開して、今幼稚園保育園やっているみたいだけど、今さら子育て楽しい?」

と聞かれたら

「40代の子育てもなかなか楽しいよ」

と返事をしたい。

 

 

コロナ自粛続きの毎日だが、こどもは元気そのものだ。

喜怒哀楽も激しくなり、時にはかんしゃくを起こし大騒ぎをする。

それでもママ、ママと後追いをする姿を見ると、そこまで必要としてくれる姿にぐっとくる。

母親冥利に尽きる。

 

こんなに誰かに必要とされたのはいつ以来だろう。

「君でなくてはならないんだ」と泣いて叫ばれたことは全くない。

寂しい人生だ。

そんなことをするのは101回目のプロポーズの武田鉄矢くらいだろう。

あの役は自分の思いをバンバン押し付けて、トラックの前に飛び出るわ、何度も告白するわで最早迷惑行為だらけだった。

こどもは地団駄を踏んだり、公共の場でギャーギャー泣いたりするが、小さいこどもなので大目に見てもらえる。

しかし同じことを武田鉄矢がしたら、私は交番に行って訴えるだろう。

 

夫も家族も大切な存在だが、もはや空気だ。

ほっておいても大丈夫だし、むしろバラバラに行動したほうがお互い充実した素晴らしい時間を過ごせる。

 

友人との交友、恋愛が楽しかった20代30代が終わり、40代は育児が中心になった。

ハラハラドキドキすることもないが、小さな手を毎日つなげる幸せもあることを知った。

とてつもなく遅すぎた春だ。

こどもが生まれてから、私の生活パターンは劇的に変わった。

テレビといえばEテレ中心となり、出かける先は公園、ファミレス、動物園等となった。

元気な環境ばかりで、簡単に言えば常にテンション高く騒々しい場所が中心となった。

いつも明るいのだ。

ゆっくりとコーヒー飲みながら一息入れる喫茶店に行ったのは、数えるほどしかない。

こどもが寝てから本を読もうネットしよう、など考えていても、こどもと添い寝をしながら寝落ちして、翌朝を迎えている。

 

こどもの番組は繰り返しが多く、水戸黄門のようなワンパターンな展開が中心だ。

半沢直樹のような裏切り嫉妬が渦巻き、ハラハラする展開は皆無だ。

全部知っている、安定感だ。

 

またこどもが公園で遊んでいる間に、どうぜならダイエットのために縄跳びや筋トレなどやりたいが、こどもの横でそんなことをしている保護者はいない。

蚊が多くなってきた公園で、こどもが転ばないか他のお子さんを押したりしないか、後ろをついて回る。

 

友人と洒落たレストランに行ったり、ジムに行ったり24時間を自分の為に使えていた時代は終わり、24時間ほぼこどもに使う時代になった。

こどものパワーと常に元気な環境にヨロヨロよろめきながら、それでもこどもが楽しそうにブランコに乗っていたり、新しい経験をして喜んでいる姿を見ることで親の私も嬉しくなる。

そして明日もマスクをしながら、違和感を感じつつ子供と一緒に出掛ける。

 

 

 

コロナ禍の為不要不急の行動が制限され、電車にもバスにも極力乗らない日々が続く。

予期せぬ地元密着生活だ。

 

2年前は

「この日に台湾に来なさい」

と病院から言われれば、フットワーク軽く飛行機に乗り台北に飛んだ。

日本でもあちらの病院で検査、こちらの病院で経過観察、電車を乗り継ぎサクサク動いた。

我ながら、よく一人で国内・国外ぐるぐる動いていたと思う。

 

何か大きな決断をするとき(例えば転職など)、夢とか希望というポジティブな動機よりも、焦燥だったり恐怖というネガティブな動機の方が、より実行力を伴うように思う。

 

この環境は嫌だ、あの上司は耐えられない、一刻も早く違うところに移りたい、もうここには留まりたくない

などの負の理由は、一刻の猶予もない危機を感じるのであっという間に行動へ移す。

 

将来の夢だったら、チャンスも来ていないのにあわてて会社を辞める必要もない。

 

私の不妊治療の場合は、胚移植にすらたどり着けない自己卵子の老いに直面したことが動機となった。

これを今後繰り返し、何十万という高い費用を毎回払っても成功率は数パーセント、勝ち目ほぼ無しゲームオーバーという現実をパーンと見せつけられたことだ。

この焦燥と絶望により、次の方法に移るしかないと背中を押された。

そして、残された時間が無い無い!と絶望しながら、国内国外と動き回り出産に至った。

 

これは射幸心を煽られた結果なのだろうか。

あと少しでリーチがかかる、と思ってやめられないパチンコやギャンブルと同様の心理なのだろうか。

自己卵での治療は散々な結果で、リーチからは程遠い結果だった。

一方、ここまで頑張ったのに治療を止めたくない、という思いもあったのは確かだ。

 

焦燥から解放された今、まさかこんなに地元にじっとしているとは想像外だった。