秋風に
海の憂鬱
まといきて
三すじ衣に
託す不二山
染めと織の万葉慕情75
紐解かず
1983/09/16 吉田たすく
下紐の歌のつづきです。
共寝の朝、互に結びあって別れて行きつぎの夕、解きあう紐です。 翌日なり、数日後までの結びならばよいのですが、長い旅出の時など二人で結びあう気持ちはどんなだったでしょう。 その草枕の旅の夜長、妹は郷でまっている。 一人わびしく丸寝をして、妹を偲ぶ歌があります。
うつせみの 世の人なれば 大君の 御命畏み 磯城島(しきしま)の 倭(やまと)の国の 石上(いそのかみ) 布留の里に紐解かず 丸寝をすれば わが着たる 衣はなれぬ 見るごとに 恋はまされど 色に出れば 人知りぬべみ 冬の夜の あかしも得ぬを 寝(い)も寝(ね) ずに われはそ恋ふる 妹が直香(ただか) に
「うつせみの世の人なれば 大君のみことかしこみ」の歌い出しは、笠朝臣金村(かさのあそんかなむら)の幾度も使う銘句です。
この世の人ですから(平凡な私ですから)、大君の仰せをかしこみ承って、大和の国の石上の布留の里(今の天理市)に赴任して、妻も居ないから一人寝で、紐も解かず丸寝をしていると、衣はよれよれになってしまって、それを見るごとに妻を恋ふ心はまさるけれども。その思いを顔に出せば、人に知れるだろうから。明しがたい冬の夜を、ちっとも眠らないで私は妹(妻)を、その人自身を恋いこがれているのです。
奈良の都からそんなに遠くでもない所であるのに、こんなに恋いしく思うのですという反歌が次につづきます。
布留山ゆ
直に見渡す
京(みやこ)にぞ
寝(い)も寝(ね)ず恋ふる
遠からなくに
もとの歌に
「(い)も寝(ね)ずに われは恋ふる」と
反歌に
「寝(い)も寝(ね)ず恋ふる」と同意、同音の詞がつづき、恋ふる、恋ふる、と妹を思う気持ちが切々と詠われています。
もひとつ反歌
吾妹子(わがもこ)が
結びてし紐
解かめやも
絶えば絶ゆとも
直(ただ)に逢ふまでに
わが妻が旅立の朝わが腰に結んでくれた下紐、私は解こうか、いや(あそびめなどのために) 決して解きはしない。もし紐がよれよれになって切れるならば、切れることがあろうとも京へ帰って妹に逢うまでは。 純情そのものの妻恋歌です。
その表現の媒体として、紐を使っているところに直接的で、まよいもなくそのものズバリの詠い方。 気持ちが滑らかに読者に伝わって来るのです。 現代の恋歌にはまねの出来ない歌です。
万葉の若者は皆このように純情であったのでしょうか。私にはわかりませんが、とにかく紐を詠った歌がたくさんあるのです。
(新匠工芸会会員、織物作家)
染めと織の万葉慕情74
紐の片方ぞ床に落ちにける
1983/09/09 吉田たすく
下紐の歌のつづきです。
夫婦が互に結び合いって別かれ、また会う夕に互に解き合う腰膚にじかに結ぶ紐であれば、人目にはふれない内証の紐であるので、どのような布で作られていたのか知りたいところです。
この数ある紐の歌の中に、「高麗錦」という文字が紐の上についている歌が数首あるのです。 先週ものせましたが
高麗錦
紐解き交はし
天人の
妻問ふ夕ぞ
我も偲ばむ
のように「こまにしき、ひもときかわし」というのです。
では高麗錦とはどんな裂なのでしょうか。 高麗は朝鮮半島の国で奈良時代の前に大陸文化をもたらした国の名前です。 つまり舶来の奉麗で優美な錦の裂の事を高麗錦と言っています。これに対し日本古来の織物の事は倭文(しづ) と言っています。
倭文紐という言い方の歌は一首もありませんが、倭文の粗末な紐で結び合ったまずしい夫婦もあったと思います。
人目にふれない夫婦だけの契りのしるしなのに、舶来の高級織物の裂で紐を作って使っているのもある、ということは、現代の婦人が人目に見えない下着のファッションに、 大変手のこんだ刺繍やレースが使われるのと同じおもいがあったのでしょう。
そんなに高級な組を使っていても人生はままならない事があるのです。
高麗錦
紐の結びも
解き放 (さ)けず
斎(いわ)ひて待てど
験(しるし)なきかも
心こめて結び合った高麗錦の紐も一度も解き放たないで、潔斎をして清よく待ってるけれども主のおいでのしるしがない事です。
もっともっと思いをこめて詠った歌もあります。
高麗錦
紐解き開けて
夕だに
知らざる命
恋ひつつかあらむ
こまにしきの下紐を解きあけてあなたのおいでをお待ちしているの。 夕まで知れない命で恋いこがれている私なのに。
またこんな歌もあります。
紐解きあって“共寝した”と人々のうわさばかりうるさくて、実は何事もないのに
垣ほなす
人は言へども
高麗錦
紐解き開けし
君ならなくに
こんな話が出るならばいっそ紐を解けばよかったのになあ。
またこんな楽しいほのぼのとした歌もあります。
高麗錦
紐の片方ぞ
床に落ちにける
明日の夜し
来なむと言はば
取り置きて待たむ
「こまにしきのあなたの紐が片方 床の上に落ちてましたよ。おわすれてすよ。 明日の晩来るとおっしゃれば、取って置いてあげるわよ。 わすれないでおいでになってね」
この歌は万葉時代に電話があっての会話のようで愉快な歌です。 当時夫婦は別々の家に生活して居て夜だけ、女の家に通って行ったのです。
(新匠工芸会会員、織物作家)
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『染と織の万葉慕情』は、私の父で、手織手染めの染織家、吉田たすくが60歳の1982年(昭和57年)4月16日から 1984年(昭和59年)3月30日まで毎週金曜日に100話にわたって地方新聞に連載したものです。
これは新聞の切り抜きしか残されていず、古いもので読みづらい部分もあり、一部解説や余話を交えながら私が読み解いていきます。
尚このシリーズのバックナンバーはアメーバの私のブログ 「food 風土」の中の、テーマ『染と織の万葉慕情』にまとめていきますので、ご興味のある方はそちらをご覧ください。
https://ameblo.jp/foo-do/theme-10117071584.html
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吉田 たすく(大正11年(1922年)4月9日 - 昭和62年(1987年)7月3日)は日本の染織家・絣紬研究家。廃れていた「組織織(そしきおり)」「風通織(ふうつうおり)」を研究・試織を繰り返し復元した。
風通織に新しい工夫を取り入れ「たすく織 綾綴織(あやつづれおり)を考案。難しい織りを初心者でも分かりやすい入門書として『紬と絣の技法入門』を刊行する。
東京 西武百貨店、銀座の画廊、大阪阪急百貨店などで30数回にわたって個展を開く。
代表的作品は倉吉博物館に展示されているタピストゥリー「春夏秋冬」で、新匠工芸会展受賞作品。昭和32年(1957年)・第37回新匠工芸会展で着物「水面秋色」を発表し稲垣賞を受賞。新匠工芸会会員。鳥取県伝統工芸士
尚 吉田たすく手織工房は三男で鳥取県染織無形文化財・鳥取県伝統工芸士の吉田公之介が後を継いでいます。
吉田たすくの詳細や代表作品は下記ウイキペディアへどうぞ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/吉田たすく
昔 名古屋駅前の中央郵便局の前のビルで働いていた頃、昼食によく通った懐かしい界隈のビルのB1。
店内はカウンター8席、テーブル2席、個室2室の落ち着いた空間。
先回今年の1月に訪問して、今回と同じ様にカウンターでたべたが、正面に飾ってあった包丁の中に立派な鱧の骨切り包丁を見つけた。
関西ならともかく、名古屋で鱧の骨切り包丁を持っている日本料理屋は無いかとても少なと思うので、これは、名古屋でも鱧が食べられそうだとおもい、季節の夏に来ようと決めていた再訪です。
もう何十年も昔、名古屋に住む様になり、鱧の旬の梅雨から夏にかけて、何ヶ所か名古屋の日本料理店に行きましたが、ホロホロと口の中でとろけるようなきちんと骨切りのできたまともな鱧の湯引きや葛打ちが食べられないのです(元々名古屋には鱧の文化がなくて鱧切り包丁を持っている料理屋もないのでしかたないのですが。)
ですから、毎年この時期になると京都へ行く仕事の後に川床や料理屋さんで食べていました。
鱧は小骨が多く、骨切りをしないと小骨が口に当たって食感が悪くなってしまうので、皮1枚を残し細かく切れ目を入れるという繊細な包丁技術が求められます。このときに使うのがこの太くて大きな骨切り包丁。
庖丁は皮を切り離さない様にしながら皮までしっかり達するようにしつつ、一寸(3.03㎝)の幅に24本(1.26mm)以上の切り目を「ジャリジャリ」と入れていきますが、プロでも難しい技術で、「一寸につき26本(1.16mm)」入れて初めて一人前と認められるようです。しかし、それでは私は嫌で、もっと細かく30本は包丁を入れて欲しいのです。
今回は美味しい鱧が食べられそうだと期待して訪問しました。
お品書き
飲み物
まず 生ビール
旨いビールだ
次は日本酒 高千代 辛口純米 +19
すっきりとキリっとした中に米の旨みも少しあり中々良い酒だ
●渡り蟹 オクラ 酢橘
ワタリガニの脱皮直後のまだ柔らかい殻が敷き皿になっている
茄子が入り全体の味をまとめて なかなかいい味。
椀物
●鳢 玉葱 実山椒
大きく太い鱧 プリプリで美味しい 実山椒を噛むと
大きいと思ったら重さ1kgの鱧だといわれた
●鱧 鱸(スズキ) 胡瓜
鱧の湯引き
粗塩を少し付けて
ホロホロと崩れながら皮の近くの身に腰がありいい味だ。
写真で箸で持っているのは、
鱧を包丁を入れないで毛抜きですべての骨を取った刺身
入店以来 大将が魚の骨抜きを懸命にされていたが、これだった。
鱧の骨はとても多くあり小骨で曲がっているからこの骨を一本づつ取るなんて大変な仕事なのに、見事に骨が全て抜いてある。 凄い!素晴らしい。
湯引きのホロホロではなく、しっかり腰のある少し甘みのある味。
鱸は鱸だね いいね!
今まで、名古屋や中部地方の何十軒という日本料理屋で出された鱧を食べてきたが、この地方の鱧は骨切りもまともじゃ無いものばかりで諦めていた。
しかし、はじめて美味しいと言える鱧に遭遇した。
皿の縁が金継ぎ これは金箔張りの金継ぎ
●鰻 フォアグラ マンゴー 手巻き海苔巻き
海苔の手巻きで食べる
肉汁が垂れてくるのを注意しながら 食べる。 美味しい。
だが、鰻の美味しさ+フォアグラの美味しさ=2になってほしいが1.5位
鰻だけ フォアグラだけでそれぞれ海苔巻きで食べたら1+1=2となってもっと美味しいだろいなっと思う。
次の酒
而今 純米吟醸 朝日
酒度等非公開 何故非公開にするかわからない。良い酒で美味しいけど、何が何でも真似をしたいと真似をしたいと思うレベルでもない同じ米おなじ酵母でどんなに似せようと思っても蔵が違えば水も桶も全て違うので味は異なってしまう。
●玉蜀黍の冷やし茶碗蒸し
雲丹 玉蜀黍 海苔 紫蘇の花散らし
●揚物
穴子 新銀杏 山椒
薄い衣を付けてあげてある
この為揚油と衣で穴子の旨みが少し消える
●箸休め
蝦蛄 イクラ 水茄子
🍺蝦蛄の氷
シャーベット状で面白い食感
次は牛肉だったので赤ワインを注文
●牛肉 万願寺唐辛子 白髪葱の素揚げ
ランプ肉に万願寺唐辛子の餡 白髪葱の素揚げ
牛の下腰部からとれる部位「ランプ」。赤身でありながらも旨味が強く、肉質がやわらかい。それでいてサーロインやヒレ肉よりも安いため、注目が集まっています。
ややあっさり系の味で赤ワインより日本酒の方が良く合った😅
カウンターの中で亭主が懸命に長時間鍋を捏ねておられる、
何ですか?と尋ねたら
ワラビ粉100%のわらび餅を作っているとのこと 何十回も練って更に練って 100回などでは無いもっともっと練っていく 写真でも手元の動きが早くてブレている。とても大変な作業だ。
●蛸飯
蛸 枝豆 生姜
美味しい 蛸が沢山入っていてちょっとご飯の邪魔 蛸の出汁だけとって 蛸は半分位でいいかな(贅沢な事)
美味しいね
●かき氷
スイカ パッションフルーツ マスカルポーネ レモン
●わらび餅
ちょっと前に亭主が懸命に100回以上捏ねていた
贅沢に本わらび粉だけで練りに練って作り上げたわらび餅
さすがあれだけ熱心に粘りが出るよう何度も捏ねられたもの、
トロトロですご〜く美味しい。 こんな美味しいわらび餅ははじめてだ。
これだけでも食べにきたいと思う、
この二つのわらび餅だけで1500円くらいはお支払いせねばと思うくらい おいしい。
●やぶきた茶の烏龍茶
色は緑茶と烏龍茶を足した感じの淡い色で、
これはとても美味しい。
わらび餅のお皿
金箔の満月に秋色の大地にススキ
なかなかいい皿だね
十五夜に
尾花そよぎて
秋待ちの月
ごちそうさま おいしかった
いいお店です。
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創作和食 眞
名古屋市中村区名駅3丁目25-9
堀内ビルディング地下1階
ユニモール直結(U6
染めと織の万葉慕情73
この紐解けと言うは誰がこと
1983/09/02 吉田たすく
万葉の巻第四は、全巻相聞歌でまとめられています。 恋の気もちを贈る歌と、贈られた人がこれに答える歌で構成されているのです。
先週の歌はこの中の一首ですが
又一首、紐の歌をひろってみました。
獨り宿(ね)て
絶えにし紐を
ゆゆしみと
せむすべ知らに
音のみしそ泣く
これは、中臣朝臣東人(なかとみのあそみあづまびと)の歌で兵部や刑部卿になった人です。 この人が阿倍女郎(あべのいらつめ) に贈った歌です。
かの女と互に結びあった紐を、二人して解きあう事もなく別々の地での生活も長く、獨り寝に結んだ紐もよれよれになって絶えて切れてしまった。不吉に感じられてどうする事も分らずにただ泣けるばかりであります、と会いたい心を歌で贈ります。
これに答えて
わが持てる
三相(みつあい)に
よれる糸もちて
付けてましもの
今そ悔しき
そんな事ならば、私の持っている三本より合わせた丈夫な糸で縫ってあげるのだったのに。 今になって後悔されます事。
互に結んだ紐が長い別れの間に絶え切れても心の紐は切れないようにむすばれているのです。
三相の糸でとありますが、当時の糸には木綿糸は有りませんでした。麻糸か、葛藤の糸です。
又高級なものには絹糸もありました。 この歌は貴人の歌ですから絹糸であったかもしれません。 糸をあつかう私はこんな歌が目につくのです。
糸を作る場合二本コにすることはよくありますが、三相という三本コの糸はめづらしい糸と思われます。 こんな歌の中に糸の作りを知る事が出来るのです。
この歌の次に(紐に関係はないが) おもしろい歌がありますので読んでみます。
神樹(さかき)にも
手は触るとふを
うつたへに
人妻と言えば
触れぬものかも
神木にさえ手を触れるといふのに、人妻というと決して手も触れてはならないものなのかなあ? そんな事、いわないでね、とちょっとふざけた歌です。
人妻の歌が出ましたので今一首
人妻に
言ふは誰がこと
さ衣の
この紐解けと
言ふは誰がこと
人妻である私にあれこれ(やさしい言葉を言うのはどなたのお言葉?この紐(主と互に結びあっている下紐)を解け(主にないしょで)と言うのは、どなたのお言葉? 万葉の紐の歌にはゆかしい色がありますが、こんなに艶っぽい歌もみられるのです。 現代の私達でも、人妻に「さ衣のこの紐解けと」言ってみたいものです。
(新匠工芸会会員、織物作家)
染めと織の万葉慕情72
紐解き離けず
1983/08/26 吉田たすく
紐の歌のつづきです。
柿本の人の旅の歌の中の一首
淡路の
野島が崎の
浜風に
妹が結びし
紐吹きかへす
舟旅の途中、淡路島の野島崎にさしかかったとき、妻が結んでくれた紐を疾風が吹きかえしている。この紐が浜風に吹かれるとなると下紐ではなく襟の紐であろうという説もあるが、妻が結んだという言葉に目を向ければ、 旅の出発前に結ぶのは下の事であろうと思います。 旅から帰るまでの長い日々を一人身で結んだまま旅をつづけなければならない紐。
妻の居る家をはなれて淡路島のあたりまでやって来て浜風が家の方に吹いてゆく。私の心も家の方へなびいている。 下紐も妻のもとへとなびくのです。
同じように淡路島をすぎて西の方へ船旅をつづけて行き、筑紫の国へおもむく旅の人、丹比真人笠麿の作った歌一首
臣女(たわやめ)の 匣(くしげ)に乗れる 鏡なす 御津の浜辺に さにつらふ 紐解き離けず 吾妹子に 恋ひつつ居れば・・・(略)・・・白雲かくる 天さかる夷(ひな) の国辺に 直向ふ 淡路を過ぎ・・・(略) 荒磯のうへに 打ちなびき 繁(しじ)に生ひたる なのり藻(そ)が などかも妹に告(の)らず 来にけむ
歌の最初の文字は”姫”という文字を二つ割にして“臣女"と書いてあるのです。おひめさまの意らしく、たわやめと読ませています。匣櫛など入れる化粧箱。
たわやめのもっている化粧箱の上に置かれた鏡のように美しくすんだ御津の浜辺という詠い出しです。
静かな海と美しい浜辺の表現になんとも艶っぽい言葉でしょう。 その美しい浜辺で愛しい妻を恋い思うのです。
さにつらうは、妹、モミジ、紐などにかかる枕詞ですが、“ニ”は丹、ツラ”は頬の事で、ピンク色をした乙女の頬のように美しいという意味で、そのように麗わしい紐の事です。
旅立つ前に二人で結び合った紐、そのように美しい色の紐であったのかも知れないが、それよりも妻の結んでくれた愛情のこもった紐という意と思います。
旅の身であるから、紐を解いて妻との共寝も出来ず、家にのこした妻を恋しく思うのです。
白雲にかくれる、 田舎の国辺に真向いになる談路を過ぎて…..。 荒磯に生えるナノリン(海草のミルの事)の言葉のようにナノラないで、私はどうして妻にゆっくり別れの言葉も言わないで出かけて来てしまったのだろう。今となってはくやまれてならない。という長歌ですが、
この歌の重要な句は
さにつらふ 紐解きさけず 吾妹子に 恋ひつつ居れば
という所でしょう。 恋いしさのあまり二人の愛のしぐさである「紐解」くと言ふ言葉で詠まれているのです。
(新匠工芸会会員、織物作家)
染めと織の万葉慕情71
夫婦の心を結ぶ紐
1983/08/019 吉田たすく
七夕も盆もすぎ残暑のころになりました。
ここでまた、七夕の歌を持ち出すのはちょっと季節おくれとは思いますが、七夕の歌の中に紐(ひも)を詠った歌がありますので読んでみましょ
う。
先週は
高麗錦(こまにしき)
紐解き交はし
天人の
妻問夕ぞ
我も偲ばむ
という歌でした。二人が互いに結んだ腰紐を解き交わす歌です。
今日は牛(けんぎゅう)と職女がおのおのが別々に紐を詠った歌を一首ずつ取りあげてみます。
ま日長く
恋ふる心ゆ
秋風に
妹が音聞こゆ
紐解き行かな
昨年の秋より一年間、長い長い日数を妹を恋いして来たから、秋風のなかに妹のふるまう気配(私を恋うようす) が聞こえて来る。 いよいよ会うタがやって来た。下紐を解いてすぐにも妹をだけるようにして出発しよう。
このようにわかりやすく書いてしまうと、万葉歌はなんとも下品なあからさまな様子を詠ってるもんだなあと思われますが、歌というものは思議なもので、 “紐解く"という言葉でゆかしい気持ちに読ませてくれるのです。
また、その歌に織女が答えることく
天の川
川門に立ちて
我が恋ひし
君来ますなり
紐解き待たむ
天の川の渡り場に立って私がお慕いしていた君のおいでになる舟の(ろ)の音が聞こえて来る。紐を解いておまちしましょう、と。織女も下紐を解いて共の用意をしてむかえるのです。
これはたのしい二人の恋の歌ですが、これとは反対にかなしい歌をひとつ紹介しましょう。朝廷にお仕えして遠い国へ単身赴任していたが、任をおえての帰路、病で死んでいった男をかなしむ歌、挽歌(ばんか)を一首。
小垣内(をかきつ)の
麻を引き干し
妹なねが
作り着せけむ
白栲(しろたへ)の
紐をも解かず
一重結ふ(ひとへいふ)
帯を三重結(みえゆ)ひ
苦しきに
仕へ奉りて
今だにも
国にまかりて
父母も妻をも見むと・・・
和膚(にぎはだ)の
衣寒(ころもさむ)らに
ぬばたまの
髪は亂れて…
大夫(ますらを) の
行のまにまに
此所に臥(こや)せる
垣のうち庭で麻を作り、その麻糸で織って彼氏のために作って、別れぎわに腰に結んだ紐(また会う日まで互いに解かないと約束しあって結んだ紐)。その紐も一度も解かないでとは、単身赴任での任地で他の女との遊びもしないで一生懸命に仕えてという意味の紐。 つまり下紐の事です。
帯は衣の上にしめる飾り帯(ベルトとかバンドの事)、役所仕事に疲れ彼の体は痩せ衰えて細くなり、任地に行く前は一重に結んでいた帯を(少々誇張だが)三重にも結ぶようになってしまった。任務とかれたのでしょう、郷に帰って父母にも会い、妻とも会おうと思っての帰りの途中、やわらかな膚に着た衣も寒そうに美しい黒髪も乱れて、ますらをは遠い旅路でここに伏せている、というかなしい歌です。
この歌に紐と帯が詠われていて、紐は衣をとめる帯ではなく、衣服とは関係のない紐で、別れて暮らす夫婦の間の心を結ぶ紐なのです。
(新匠工芸会会員、織物作家)
染めと織の万葉慕情70
下紐の歌
1983/08/12 吉田たすく
袖と手本(たもと)の歌がずい分続きましたが、今日から当分の間“紐"(ひも)の歌をのせたいと思います。 染織品の歌を万葉からひろってみますと、衣の歌のほか袖、手本、裳(も)、裾、服、帯、衾(ふすま)、領巾(ひれ)などあらゆる服装の部分が恋歌に詠われています。衣や袖は今まで取りあげたように沢山ありましたが、これからとりあげる紐の歌の沢山あるのには驚きます。なんと万葉集の中に百首近くの紐の歌がのせられています。
同じ言葉を扱った歌の中でこんなに沢山あるのは珍しい事です。 どうしてこんなに沢山の紐の歌がのせられているのか、その理由はこれから歌を詠みながらわかっていただけると思います。
紐という衣服の一部が当時の生活に、愛人どうし、特に夫婦間では重要な意味を持っていたように思われるのです。
今の生活での紐というと、物をくくる紐、荷造りに使うビニール紐くらいにしか思われませんが。
万葉ではそのような紐の歌はひとつもありません。紐といえば必ず腰に結ぶ紐の事です。 そうすると衣の上を、又は裳(今のスカート)の上をとめるベルトかバンドのようなものとも取れますが、このように衣服の上にとめるものは帯なのです。帯の歌は別にあります。
当時は玉や金を使った美しい彫刻したバックルのついた帯です。 帯の歌は又別にあります。 そうすると紐とは何かということになります。 紐の上には“下”という字のついている歌がかなりあるのです。“紐”(したひも)と読みます。 下紐というと衣服の内側に結ぶ紐という事になります。そうすれば、パンツかステテコの紐かと想像されます。
ところが男性の歌にも女性の歌にも紐の歌がありますが、どうも男性のパンツもステテコも、女性のブルマもパンティーの紐でもなかったようです。それらの歌は一首も見当たりません。 それなのに紐の歌が、下紐の歌が百首近くもあるのです。なんとも興味をそそる紐なのです。男も女もパンツもパンティーに関係なく紐を結んでいたようです。 又、その紐を互いに解きあってもいたのです。
先にも言いましたように特に夫婦である御両人には紐は特別な意味を持っていたもののようです。 衣服の内の素膚の腰に紐を結んでいたのです。 結んでいたというよりも互いに結び合いをしていたのです。
思わせぶりを言っていないで紐の歌を詠んでみましょう。
高麗錦(こまにしき)
紐解き交はし
天人の
妻問夕ぞ
我も偲ばむ
この歌は七夕の歌の中の一首です。 天人(牽牛(けんぎゅう)、織女)が高麗錦(大陸で織られた高級織物)で作った紐を互いに解き交わしとは、今まで相手の腰に紐を結びあっていた紐を互いに解きあって、いっしょに寝るのは今夜ですぞ、私たちも紐を解いてあやかろうと何ともほほえましい歌ですね。
ところで牽牛と織女が互いに解きあった紐に意味があるのです。 一年前のこの夕も紐を解きあって二人でうま寝をしたのでしょう。その翌朝、別れるきわに互いに新しい紐で相手の腰を結んで牽牛は天の川を渡って別れて行ったのです。その紐を今日の夕、互いに解きあうのです。 紐とは何を意味していたのでしょうか。
(新匠工芸会会員、織物作家)
染めと織の万葉慕情余話 5
結ぶということについて 2023年8月24日
父の書き進んでいる「染めと織の万葉慕情」は100稿のうち次回70稿から18回にわたって「紐」に関する歌が掲載されます。
「紐」とは主に結んで使うものであり、重要な要素ですので「結ぶ」という言葉を調べてみました。
「結ぶ、結び」は、人の日常生活に密接な言葉であり繋ぐという意味も含んでいて、日本の神事にもかかわる重要な言葉であり、日本人は古代から「結ぶ」という言葉に特別な思いを抱いているようです。
紐を結ぶ、印を結ぶ、縁結び、夫婦の契りを結ぶ、願いを込めておみくじを「結ぶ」、神社のしめ縄で幾重にも結ばれた縄で結界を張ったりと、数え上げればきりがありません。
「結び」という言葉のルーツは、日本神話に出てくる「産霊」(ムスヒ・ムスビ)といわれています。
それは生命の誕生にかかわる言葉で
「ムス(産)」には「生(ム)す」、「産(ム)す」で生まれる、発生するという意味で、草や苔が茂って繁殖する意味でもあります。
「ヒ(霊)」には“神霊の神秘的な働き”という意味があり、ムスヒ(産霊)とは、「結びつくことによって神霊の力が生み出される」ことだと解釈されています。
従って男と女が結ばれて生まれた男の子はその「産(ム)す」に男性を表す「子」がついて「産(ム)す子」になり、女性は「産す女」になりました。
更に産れた子は生きている。生きているものは息をするから息子ですね。
(参考 中西進「日本語のふしぎ」その他様々な資料より)
天地創造について
『古事記』は712年、『日本書紀』は720年に完成した歴史書ですが、
日本最古の歴史書である『古事記』の冒頭には
「天地(アメツチ)初めて發(ヒラ)けし時
高天原に成りし神の名は
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
高御産巣日神(たかみムスヒのかみ)
神産巣日神(かむムスヒのかみ)
この三柱の神は
みな獨神と成りまして
身を隱したまひき」
と記されています。
天地(アメツチ)初めて發(ヒラ)けし時とは
ビッグバンが起き宇宙が出来てまだ間もない天も地もなく混ざり合っていた空間が、天と地に初めて分かれた時。
高天原に成りし神の名はとは
森羅万象、大自然の中から神が成り(生まれ)ます。
科学の進歩で、現代の我々はビッグバンから天地が生まれ、やがて海底の地殻の割れ目からマグマが噴出するとミネラルを多分に含んだ高温の水が出来、46億年昔に生命(バクテリア)が出現し、バクテリアが進化し動物や人間が生まれたということがわかりますが、2千年前古墳時代の口承神話を元に書かれた古事記の時代にどうしてこの事実がわかったのでしょうね。
「成りし神」大自然の中から神が成る(生まれる)のです。 自然の一部として生まれる三柱の神。そして自然の中から八百万の神が生まれ、大地も人も動物も何かしら自然の力で生まれます。だからこそ目に見えないものの働きを大切にして敬ってきました。日本で最長の12000年も続いた縄文時代も自然を敬い、生まれ、生き、死んでいく摂理を大切にしていたのでしょう。争いがなく、武器すら存在しませんでした。これが日本です。
他方キリスト教やイスラム教、ユダヤ教の基である旧約聖書の創世記には次の様に記されています。
はじめに神は天と地とを創造された(つまり、宇宙と地球を最初に創造した)。からはじまり、空、大地、海を作り、地に植物を、4日目に太陽と月と星を作り、魚と鳥を作り、6日目に獣と家畜、そして神に似たアダムとイヴという人間を作ります。
神が万物の創造主であり唯一絶対無二の存在ですから、日本の様に自然から神が生まれた自然の中に神が宿るという考えは欧米人には理解できないようです。神よりも自然を大事にしてはいけません。聖書の解釈の違いで古代から争いが絶えず、肉食人種ですから殺し合いになります。神の名の下に権力が集中します。教会やそれを取り巻く権力の言いなりにならなくてはいけません、神(権力)に少しでも逆らうものは罰せられ、痛めつけられたり追放された歴史。
ですから、現代に至るまで争いや戦争が無くなりません。
神は絶対神ではなく、自然第一で、縄文時代から戦争を知らず和をもって尊しとする倭の国日本ですが、古代から海外との交流が増えていくに従い、更に欧米との交流が密になるに従い、大きな争いをする国になってきて、更に現代は、建国以来戦争を誘発させ続けて儲けてきた最大国の子分に成り果て、戦支度を始める国になっています。
もうそろそろ 国同士のエゴによる結びつきではなく、大自然と深く結び合う日本民族の原点に戻る時期だと思います。
ちょっと横道へ逸れてしまいましたね。
さて、本題に戻って。
天之御中主神は、「宇宙の中心(ミナカ)で宇宙を一様に統一している目に見えない本質」
高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)と神産巣日神(カミムスヒノカミ)の違いは陰と陽の違いで、「タ」がある方が高くあらわれ多く広がるということから陽の働き、ない方が陰の働きです。
この2柱の神名にも「ムスヒ」が見えることなどからも、「天地万物を生成する霊妙な力をもつ神霊」とも定義されています。
いかに「産霊」ムスヒ・ムスビが大事にされてきた観念であることがうかがえます。
万葉集では草の根や松の枝を結ぶという用例もありますが「紐を結ぶ」という表現が特に多くみられます。
古代、男女が旅などで別れ別れになる時、下紐をお互いに結び合わせ、再会した時に解き交わすという習俗がありました。
お互いの魂を紐に結びこめて不変の愛情を誓い、一人で勝手に解くのは他の相手と関係することを意味していたのです。
ふたりして
結びし紐を
ひとりして
我(あ)れは解きみじ
直(ただ)に逢ふまでは
巻12-2919 作者未詳
「解きみじ」の「みじ」は「見じ」で「かりそめにも解いてみたりはしない」の意です。
現代語訳
あの子と二人で結び合った着物の紐。再会するまでは決して一人で解いたりはすまいぞ。その紐を。
あなたと二人で互いに結んだ下紐をあなたに逢うまでは、けっして解くまいと思います。
筑紫なる
にほふ子ゆゑに
陸奥(みちのく)の
かとり娘子(をとめ)の
結(ゆ)ひし紐解く
巻14-3427 作者未詳
筑紫の美しい女のお蔭で故郷かとりに住む恋人が結んでくれた紐をとうとうおれは解いてしまったよ
防人に派遣された陸奥男の歌。
当時防人の任期は3年。故郷から遠く離れている男は寂しさを紛らわすためついつい魅力ある筑紫女に心を奪われ禁を破ってしまったのでしょう。男の偽りのない心情を吐露した一首です。
これらの歌の紐とは、多くの学者や研究者が、肌着の下紐や着物の紐の如く解釈していますが、様々読んで見ますと、約束の期日や再会するまでは解かない約束の紐ですから、着物や肌着を脱ぐときに解かないで済むものでなければなりません。
ですから、下着の紐でも着物の紐でもなく肌に直接結んだ紐だと思います。(これについては和歌が残っているだけで実際の紐も資料も見つかっていなくてまだ解明されていません。今後の歴史的発見を待ちましょう)
結び方も前結びの紐、リボン状のもの、腰紐のようなものなど諸説ありますが、約束の結びの紐ですから簡単に溶けてしまっては困るので、特殊な縛り方や、止め方をしていたとおもいますが、これも今後の歴史的発見を待つしかありません。
歴史とは過去を巡りながら未来を想わせる素晴らしいものですね。