染めと織の万葉慕情74
紐の片方ぞ床に落ちにける
1983/09/09 吉田たすく
下紐の歌のつづきです。
夫婦が互に結び合いって別かれ、また会う夕に互に解き合う腰膚にじかに結ぶ紐であれば、人目にはふれない内証の紐であるので、どのような布で作られていたのか知りたいところです。
この数ある紐の歌の中に、「高麗錦」という文字が紐の上についている歌が数首あるのです。 先週ものせましたが
高麗錦
紐解き交はし
天人の
妻問ふ夕ぞ
我も偲ばむ
のように「こまにしき、ひもときかわし」というのです。
では高麗錦とはどんな裂なのでしょうか。 高麗は朝鮮半島の国で奈良時代の前に大陸文化をもたらした国の名前です。 つまり舶来の奉麗で優美な錦の裂の事を高麗錦と言っています。これに対し日本古来の織物の事は倭文(しづ) と言っています。
倭文紐という言い方の歌は一首もありませんが、倭文の粗末な紐で結び合ったまずしい夫婦もあったと思います。
人目にふれない夫婦だけの契りのしるしなのに、舶来の高級織物の裂で紐を作って使っているのもある、ということは、現代の婦人が人目に見えない下着のファッションに、 大変手のこんだ刺繍やレースが使われるのと同じおもいがあったのでしょう。
そんなに高級な組を使っていても人生はままならない事があるのです。
高麗錦
紐の結びも
解き放 (さ)けず
斎(いわ)ひて待てど
験(しるし)なきかも
心こめて結び合った高麗錦の紐も一度も解き放たないで、潔斎をして清よく待ってるけれども主のおいでのしるしがない事です。
もっともっと思いをこめて詠った歌もあります。
高麗錦
紐解き開けて
夕だに
知らざる命
恋ひつつかあらむ
こまにしきの下紐を解きあけてあなたのおいでをお待ちしているの。 夕まで知れない命で恋いこがれている私なのに。
またこんな歌もあります。
紐解きあって“共寝した”と人々のうわさばかりうるさくて、実は何事もないのに
垣ほなす
人は言へども
高麗錦
紐解き開けし
君ならなくに
こんな話が出るならばいっそ紐を解けばよかったのになあ。
またこんな楽しいほのぼのとした歌もあります。
高麗錦
紐の片方ぞ
床に落ちにける
明日の夜し
来なむと言はば
取り置きて待たむ
「こまにしきのあなたの紐が片方 床の上に落ちてましたよ。おわすれてすよ。 明日の晩来るとおっしゃれば、取って置いてあげるわよ。 わすれないでおいでになってね」
この歌は万葉時代に電話があっての会話のようで愉快な歌です。 当時夫婦は別々の家に生活して居て夜だけ、女の家に通って行ったのです。
(新匠工芸会会員、織物作家)
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『染と織の万葉慕情』は、私の父で、手織手染めの染織家、吉田たすくが60歳の1982年(昭和57年)4月16日から 1984年(昭和59年)3月30日まで毎週金曜日に100話にわたって地方新聞に連載したものです。
これは新聞の切り抜きしか残されていず、古いもので読みづらい部分もあり、一部解説や余話を交えながら私が読み解いていきます。
尚このシリーズのバックナンバーはアメーバの私のブログ 「food 風土」の中の、テーマ『染と織の万葉慕情』にまとめていきますので、ご興味のある方はそちらをご覧ください。
https://ameblo.jp/foo-do/theme-10117071584.html
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吉田 たすく(大正11年(1922年)4月9日 - 昭和62年(1987年)7月3日)は日本の染織家・絣紬研究家。廃れていた「組織織(そしきおり)」「風通織(ふうつうおり)」を研究・試織を繰り返し復元した。
風通織に新しい工夫を取り入れ「たすく織 綾綴織(あやつづれおり)を考案。難しい織りを初心者でも分かりやすい入門書として『紬と絣の技法入門』を刊行する。
東京 西武百貨店、銀座の画廊、大阪阪急百貨店などで30数回にわたって個展を開く。
代表的作品は倉吉博物館に展示されているタピストゥリー「春夏秋冬」で、新匠工芸会展受賞作品。昭和32年(1957年)・第37回新匠工芸会展で着物「水面秋色」を発表し稲垣賞を受賞。新匠工芸会会員。鳥取県伝統工芸士
尚 吉田たすく手織工房は三男で鳥取県染織無形文化財・鳥取県伝統工芸士の吉田公之介が後を継いでいます。
吉田たすくの詳細や代表作品は下記ウイキペディアへどうぞ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/吉田たすく

