染めと織の万葉慕情余話 5
結ぶということについて 2023年8月24日
父の書き進んでいる「染めと織の万葉慕情」は100稿のうち次回70稿から18回にわたって「紐」に関する歌が掲載されます。
「紐」とは主に結んで使うものであり、重要な要素ですので「結ぶ」という言葉を調べてみました。
「結ぶ、結び」は、人の日常生活に密接な言葉であり繋ぐという意味も含んでいて、日本の神事にもかかわる重要な言葉であり、日本人は古代から「結ぶ」という言葉に特別な思いを抱いているようです。
紐を結ぶ、印を結ぶ、縁結び、夫婦の契りを結ぶ、願いを込めておみくじを「結ぶ」、神社のしめ縄で幾重にも結ばれた縄で結界を張ったりと、数え上げればきりがありません。
「結び」という言葉のルーツは、日本神話に出てくる「産霊」(ムスヒ・ムスビ)といわれています。
それは生命の誕生にかかわる言葉で
「ムス(産)」には「生(ム)す」、「産(ム)す」で生まれる、発生するという意味で、草や苔が茂って繁殖する意味でもあります。
「ヒ(霊)」には“神霊の神秘的な働き”という意味があり、ムスヒ(産霊)とは、「結びつくことによって神霊の力が生み出される」ことだと解釈されています。
従って男と女が結ばれて生まれた男の子はその「産(ム)す」に男性を表す「子」がついて「産(ム)す子」になり、女性は「産す女」になりました。
更に産れた子は生きている。生きているものは息をするから息子ですね。
(参考 中西進「日本語のふしぎ」その他様々な資料より)
天地創造について
『古事記』は712年、『日本書紀』は720年に完成した歴史書ですが、
日本最古の歴史書である『古事記』の冒頭には
「天地(アメツチ)初めて發(ヒラ)けし時
高天原に成りし神の名は
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
高御産巣日神(たかみムスヒのかみ)
神産巣日神(かむムスヒのかみ)
この三柱の神は
みな獨神と成りまして
身を隱したまひき」
と記されています。
天地(アメツチ)初めて發(ヒラ)けし時とは
ビッグバンが起き宇宙が出来てまだ間もない天も地もなく混ざり合っていた空間が、天と地に初めて分かれた時。
高天原に成りし神の名はとは
森羅万象、大自然の中から神が成り(生まれ)ます。
科学の進歩で、現代の我々はビッグバンから天地が生まれ、やがて海底の地殻の割れ目からマグマが噴出するとミネラルを多分に含んだ高温の水が出来、46億年昔に生命(バクテリア)が出現し、バクテリアが進化し動物や人間が生まれたということがわかりますが、2千年前古墳時代の口承神話を元に書かれた古事記の時代にどうしてこの事実がわかったのでしょうね。
「成りし神」大自然の中から神が成る(生まれる)のです。 自然の一部として生まれる三柱の神。そして自然の中から八百万の神が生まれ、大地も人も動物も何かしら自然の力で生まれます。だからこそ目に見えないものの働きを大切にして敬ってきました。日本で最長の12000年も続いた縄文時代も自然を敬い、生まれ、生き、死んでいく摂理を大切にしていたのでしょう。争いがなく、武器すら存在しませんでした。これが日本です。
他方キリスト教やイスラム教、ユダヤ教の基である旧約聖書の創世記には次の様に記されています。
はじめに神は天と地とを創造された(つまり、宇宙と地球を最初に創造した)。からはじまり、空、大地、海を作り、地に植物を、4日目に太陽と月と星を作り、魚と鳥を作り、6日目に獣と家畜、そして神に似たアダムとイヴという人間を作ります。
神が万物の創造主であり唯一絶対無二の存在ですから、日本の様に自然から神が生まれた自然の中に神が宿るという考えは欧米人には理解できないようです。神よりも自然を大事にしてはいけません。聖書の解釈の違いで古代から争いが絶えず、肉食人種ですから殺し合いになります。神の名の下に権力が集中します。教会やそれを取り巻く権力の言いなりにならなくてはいけません、神(権力)に少しでも逆らうものは罰せられ、痛めつけられたり追放された歴史。
ですから、現代に至るまで争いや戦争が無くなりません。
神は絶対神ではなく、自然第一で、縄文時代から戦争を知らず和をもって尊しとする倭の国日本ですが、古代から海外との交流が増えていくに従い、更に欧米との交流が密になるに従い、大きな争いをする国になってきて、更に現代は、建国以来戦争を誘発させ続けて儲けてきた最大国の子分に成り果て、戦支度を始める国になっています。
もうそろそろ 国同士のエゴによる結びつきではなく、大自然と深く結び合う日本民族の原点に戻る時期だと思います。
ちょっと横道へ逸れてしまいましたね。
さて、本題に戻って。
天之御中主神は、「宇宙の中心(ミナカ)で宇宙を一様に統一している目に見えない本質」
高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)と神産巣日神(カミムスヒノカミ)の違いは陰と陽の違いで、「タ」がある方が高くあらわれ多く広がるということから陽の働き、ない方が陰の働きです。
この2柱の神名にも「ムスヒ」が見えることなどからも、「天地万物を生成する霊妙な力をもつ神霊」とも定義されています。
いかに「産霊」ムスヒ・ムスビが大事にされてきた観念であることがうかがえます。
万葉集では草の根や松の枝を結ぶという用例もありますが「紐を結ぶ」という表現が特に多くみられます。
古代、男女が旅などで別れ別れになる時、下紐をお互いに結び合わせ、再会した時に解き交わすという習俗がありました。
お互いの魂を紐に結びこめて不変の愛情を誓い、一人で勝手に解くのは他の相手と関係することを意味していたのです。
ふたりして
結びし紐を
ひとりして
我(あ)れは解きみじ
直(ただ)に逢ふまでは
巻12-2919 作者未詳
「解きみじ」の「みじ」は「見じ」で「かりそめにも解いてみたりはしない」の意です。
現代語訳
あの子と二人で結び合った着物の紐。再会するまでは決して一人で解いたりはすまいぞ。その紐を。
あなたと二人で互いに結んだ下紐をあなたに逢うまでは、けっして解くまいと思います。
筑紫なる
にほふ子ゆゑに
陸奥(みちのく)の
かとり娘子(をとめ)の
結(ゆ)ひし紐解く
巻14-3427 作者未詳
筑紫の美しい女のお蔭で故郷かとりに住む恋人が結んでくれた紐をとうとうおれは解いてしまったよ
防人に派遣された陸奥男の歌。
当時防人の任期は3年。故郷から遠く離れている男は寂しさを紛らわすためついつい魅力ある筑紫女に心を奪われ禁を破ってしまったのでしょう。男の偽りのない心情を吐露した一首です。
これらの歌の紐とは、多くの学者や研究者が、肌着の下紐や着物の紐の如く解釈していますが、様々読んで見ますと、約束の期日や再会するまでは解かない約束の紐ですから、着物や肌着を脱ぐときに解かないで済むものでなければなりません。
ですから、下着の紐でも着物の紐でもなく肌に直接結んだ紐だと思います。(これについては和歌が残っているだけで実際の紐も資料も見つかっていなくてまだ解明されていません。今後の歴史的発見を待ちましょう)
結び方も前結びの紐、リボン状のもの、腰紐のようなものなど諸説ありますが、約束の結びの紐ですから簡単に溶けてしまっては困るので、特殊な縛り方や、止め方をしていたとおもいますが、これも今後の歴史的発見を待つしかありません。
歴史とは過去を巡りながら未来を想わせる素晴らしいものですね。