染めと織の万葉慕情70
下紐の歌
1983/08/12 吉田たすく
袖と手本(たもと)の歌がずい分続きましたが、今日から当分の間“紐"(ひも)の歌をのせたいと思います。 染織品の歌を万葉からひろってみますと、衣の歌のほか袖、手本、裳(も)、裾、服、帯、衾(ふすま)、領巾(ひれ)などあらゆる服装の部分が恋歌に詠われています。衣や袖は今まで取りあげたように沢山ありましたが、これからとりあげる紐の歌の沢山あるのには驚きます。なんと万葉集の中に百首近くの紐の歌がのせられています。
同じ言葉を扱った歌の中でこんなに沢山あるのは珍しい事です。 どうしてこんなに沢山の紐の歌がのせられているのか、その理由はこれから歌を詠みながらわかっていただけると思います。
紐という衣服の一部が当時の生活に、愛人どうし、特に夫婦間では重要な意味を持っていたように思われるのです。
今の生活での紐というと、物をくくる紐、荷造りに使うビニール紐くらいにしか思われませんが。
万葉ではそのような紐の歌はひとつもありません。紐といえば必ず腰に結ぶ紐の事です。 そうすると衣の上を、又は裳(今のスカート)の上をとめるベルトかバンドのようなものとも取れますが、このように衣服の上にとめるものは帯なのです。帯の歌は別にあります。
当時は玉や金を使った美しい彫刻したバックルのついた帯です。 帯の歌は又別にあります。 そうすると紐とは何かということになります。 紐の上には“下”という字のついている歌がかなりあるのです。“紐”(したひも)と読みます。 下紐というと衣服の内側に結ぶ紐という事になります。そうすれば、パンツかステテコの紐かと想像されます。
ところが男性の歌にも女性の歌にも紐の歌がありますが、どうも男性のパンツもステテコも、女性のブルマもパンティーの紐でもなかったようです。それらの歌は一首も見当たりません。 それなのに紐の歌が、下紐の歌が百首近くもあるのです。なんとも興味をそそる紐なのです。男も女もパンツもパンティーに関係なく紐を結んでいたようです。 又、その紐を互いに解きあってもいたのです。
先にも言いましたように特に夫婦である御両人には紐は特別な意味を持っていたもののようです。 衣服の内の素膚の腰に紐を結んでいたのです。 結んでいたというよりも互いに結び合いをしていたのです。
思わせぶりを言っていないで紐の歌を詠んでみましょう。
高麗錦(こまにしき)
紐解き交はし
天人の
妻問夕ぞ
我も偲ばむ
この歌は七夕の歌の中の一首です。 天人(牽牛(けんぎゅう)、織女)が高麗錦(大陸で織られた高級織物)で作った紐を互いに解き交わしとは、今まで相手の腰に紐を結びあっていた紐を互いに解きあって、いっしょに寝るのは今夜ですぞ、私たちも紐を解いてあやかろうと何ともほほえましい歌ですね。
ところで牽牛と織女が互いに解きあった紐に意味があるのです。 一年前のこの夕も紐を解きあって二人でうま寝をしたのでしょう。その翌朝、別れるきわに互いに新しい紐で相手の腰を結んで牽牛は天の川を渡って別れて行ったのです。その紐を今日の夕、互いに解きあうのです。 紐とは何を意味していたのでしょうか。
(新匠工芸会会員、織物作家)

