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foo-d 風土

自然や芸術 食など美を 遊び心で真剣に

すじ雲の

 刷毛で追われし

     夏の雲

 

 

すじ雲は秋に現れる刷毛で軽く掃いたような雲です

歳時記の今

 処暑とは暑さが止むと言う意味ですが、残暑はまだまだ。

一雨ごとに涼しくですね。

夏雲の

  風の誘いに

    秋あかね

    〈周之介〉

 

箱根ガラスの森美術館2023.6.19

  備忘録として

 

箱根ガラスの森美術館は、緑豊かな箱根仙石原にある日本初のヴェネチアン・グラス専門の美術館です。

庭園は生きている花たちとガラスの花を組み合わせたものや、ガラスのオブジェなどを多用したヴェネチアン風の庭園でした。

 

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箱根ガラスの森美術館より、ヴェネチアン・グラスとは

紺碧のアドリア海に面した北イタリアの水の都ヴェネチア。ヴェネチアン・グラスは、古代ローマ時代のローマン・グラスにその起源を発するともいわれ、当時すでにイタリア半島全域には多くのガラス工房が作られていました。ガラス生産の中心地は、1291年の「ガラス製造業者および工人・助手、家族等のすべてをムラーノ島に移住させ、島外に脱出する者には死罪を課す」というヴェネチア共和国の強力な保護政策により、ヴェネチアの本土であるリアルト島から隣のムラーノ島へと移ります。そして今日に至るまで、ムラーノ島はヴェネチアン・グラスの中心地であり、ムラーノ島の人々は、ヴェネチアン・グラスと運命を共にしてきました。

 箱根のポーラ美術館で開催中の「部屋のみる夢ボナールからティルマンス、現代の作家まで」展

パンデミック下で誰もが見つめ直した“部屋”という空間をテーマにキュレーションされた展覧会で、19世紀から現代に至るまでの様々なアーティストが切り取った作品が集結しています。

その中に、現代の写真家で一番注目されているヴォルフガング・ティルマンスの作品も10点陳列されていました。

 

 (ヴォルフガング・ティルマンスは1968年、西ドイツ、レムシャイト生まれ。現在、ベルリンとロンドンを拠点に活動する写真家です。

2000年にはイギリスの現代美術でもっとも重要な賞の一つとされる、ターナー賞を受賞しています。

 今年の6月11日までフォンダシオン ルイ・ヴィトン(パリにあるルイ・ヴィトン財団の美術館)が主催した「Hors-les-mur(壁を越えて)」プログラムの一環として、東京のエスパス ルイ・ヴィトンでもドイツ人アーティストのヴォルフガング・ティルマンスによる個展「Moments of life」が行われていました。)

 

 

 

 

 

 

 

himmelblau(スカイブルー)

 

以下のものはこの展覧会にはなかったのですが、ネット投稿されていたティルマンスの作品から3点。

 

 

 一般的に写真というものは二次元的で平面的なイメージになり易いのですが、ヴォルフガング・ティルマンスの写真は三次元に近いというか立体的な奥行きがありますね。

 

 

特にこの「himmelblau(スカイブルー)」という作品、

ちょっと変わった場所ですが、モノトーンとブルー

 カラーバランスといいすべてを計算し尽くした様な構図。 イイですね。

 

 このスカイブルーのドアを開けると

    どんな世界が開けるのでしょう

 

 

 帰りに、ミュージアムショップに寄ってみました。普通のところのミュージアムショップはどこに行っても似たり寄ったりのものが多いのですが、ここは流石ポーラ美術館、センスの良いものがあります。

 

なんと、あの気に入ったティルマンスの作品himmelblau(スカイブルー)がプリントされたTシャツがありました。

白と黒の半袖があり、首の後ろに同じスカイブルーでティルマンスの名前と作品名が大きすぎず小さすぎない大きさでさりげなく入れてある。

 ロゴもなかなか上手な入れ方ですね。

丁度ターコイズかスカイブルーのTシャツを探していたので、秋などにもインナーとして私のワードローブとコーディネートし易いと思い黒いTシャツをゲットしました。

 

家に帰って

 

 

同じカラーフレームのメガネを合わせ

 

早速試着。

 

このスカイブルーのドアを開けると

   どんな世界が開けるのでしょう

 

このドアを開けてあたらしい世界に入った次は

 

 

そして、

 ちょっとイタズラ。

 

ドアの向こうに

 新しいドアを描き入れました

 

また別の世界へ続くドア

 このドアの向こうは

  何があるのでしょう

 

  6月16日から3日間にかけての小田原と箱根の美術館巡りは、交通渋滞もあり小田原の江の浦測候所へ5時間もかかって しまい初日はここだけになってしまい→小田原泊まり

翌日小田原城→芦ノ湖→岡田美術館→オーベルジュオーミラドーでディナー

19日ロープウェイで大涌谷→竹やぶ箱根店で蕎麦→ポーラ美術館→箱根ガラスの森美術館

 

食事は毎回美味しそうなところを探して予約を入れて行くのですが、小田原で夜行った店はお造りは良かったですが、他は可もなく不可もなくと残念。

次の夜は、日本最初のオーベルジュで、フランスのシャトーの様なオーベルジュオーミラドーにいき、シャトー見学と超有名シェフ勝又登氏のフレンチをいただきました。また、次の昼は蕎麦の超有名店、阿部孝雄氏の柏の竹やぶの箱根店にお邪魔しました。ここは柏本店よりさらに阿部孝雄ワールドが爆発した様な面白い館でした。

 

それぞれの美術館が大きくお庭なども広いので数は少ないですが、充実した学びの3日間でした。

 

江の浦測候所、小田原城、オーベルジュオーミラドーについては別途投稿していますから、そちらをご覧ください。

竹やぶの箱根店については後日投稿予定です。

 

 

それでは、ポーラ美術館

 

 

 

 

 


 

 

 

 

箱根、仙石原に2002年開館。印象派など西洋絵画を中心に約1万点を収蔵

 

ポーラ化粧品の鈴木常司が1950年代後半から40数年かけて集めたコレクション。

西洋絵画、日本の洋画、日本画版画、彫刻、東洋陶磁、日本の近現代陶芸、ガラス工芸、化粧道具などを含む。収集品の中核を成すのは19世紀以降の西洋絵画および近代日本絵画で、5つある展示室のうち3室がこれらの絵画にあてられている。残り2つの展示室のうち2室は東洋陶磁、ガラス工芸、化粧道具の展示にあてられている。

主な収蔵作品

 

開催中の「部屋のみる夢 ― ボナールからティルマンス、現代の作家まで」展。パンデミック下で誰もが見つめ直した“部屋”という空間をテーマにキュレーションされた展覧会です。19世紀から現代に至るまでの様々なアーティストが切り取った作品が集結して、作家それぞれの部屋を訪れるような感覚で、9組のアーティストの作品

ベルト・モリゾ(1841-1895)

ヴィルヘルム・ハマスホイ(1864-1916

ピエール・ボナール(1867-1947)

エドゥアール・ヴュイヤール(1868-1940

アンリ・マティス(1869-1954

草間彌生(1929-

ヴォルフガング・ティルマンス(1968-

アンリ・マティス(1869-1954

髙田安規子・政子(1978-

佐藤翠(1984- + 守山友一朗(1984-

 

アンリ・マティス(1869-1954

1905年に大胆な色使いと筆致により「フォーヴ」(野獣)と称されたマティスは、1921年以降、明るい日差しに惹かれ南仏ニースを拠点として活動し、晩年には病や戦争によるさまざまな制限を乗り越えながら制作を続けました。ときに窓を通して差し込む地中海の光や眺めを取り入れつつ、壁掛けや調度、モデルの衣装にまでこだわって演出した室内空間を描いています。マティスにとって部屋とは、モデルと相対する親密な場であり、またあらゆる要素を自由に操作し、絵画における色彩や空間の表現を探究することのできる制作の現場でした。

 

 

 

 

ベルト・モリゾ(1841-1895)

モリゾは、近代生活の情景を素早い筆致で描き出して、高い評価を得た印象派の女性画家です。娘のジュリーをはじめとする近しい人物たちの登場する室内の場面とともに、彼女が好んで取り上げたのが、ベランダやバルコニーといった空間でした。室内と屋外のあいだにあるこれらの場所では、家族や友人たちの織りなす親しみに溢れた情景を、外光の降り注ぐなかで描くことができたためです。社会に参加する機会の限られていた時代に、大半の女性は室内、すなわち家庭で長い時間を過ごしていました。そうした当時の状況が映し出された、室内と屋外の境界を捉えたモリゾの作品は、現代の家庭や暮らしのあり方を見つめ直すうえで、示唆に富んだものと言えるでしょう。

 

 

ピエール・ボナールの部屋

ピエール・ボナール(1867-1947

世紀末のパリでナビ派の一員として活躍したボナールは、生涯にわたって、恋人や家族、友人などの身近な人々や、自宅の室内や食卓といった身の回りの対象をモティーフとし、その情景の記憶を描きとめました。伴侶であったマルトは一日に何度も入浴する習慣があり、画家は浴槽や化粧室で身づくろいをする彼女の姿をさまざまな構図や光のもとで描いています。そこには、閉じられた空間のなかで、きわめて近しい人物同士が過ごす親密な時間が流れています。ボナールはモデルがポーズをとることを好まず、マルトをはじめとする身近な人々が過ごす日常そのものを見つめました。

 

ピエール・ボナール

 

 

佐藤翠+守山友一朗の部屋

佐藤翠は、色とりどりの洋服や靴が並ぶクローゼットや花々を、あざやかな色彩によって描いてきました。コロナ禍で佐藤にとっていっそう重要な存在となった、部屋から最も近い屋外としての庭は、クローゼットという部屋の内奥とつながり、自然の植物とドレス、室内と屋外、日常と想像が混じりあい、新たな展開を見せています。長年にわたってパリを拠点とした守山友一朗は、自らの心が惹かれた日常の場面や旅先の風景を観察して、その奥に潜むもうひとつの世界を描き出します。透明感のある薄い油彩の連なりによる眩いばかりの煌めきのなかに、愛着のあるモティーフや自然の織りなす思いがけない瞬間を描き留めています。2021年に初めて二人展を開催した作家たちが、本展において共作を含んだ新作の数々によってひとつの空間を構成します。

 

 

 

佐藤翠+守山友一朗

 

 

 

 

 

 

高田安規子 • 政子の部屋

髙田安規子・政子は一卵性双生児のアーティストユニットで、身近な物や日常風景のスケールを操作し、モノの大きさの尺度や時間感覚における人々の認識を問い直す作品を制作してきました。本展では、部屋を構成する普遍的な要素である窓や扉をモティーフとして、展示室の特徴を活かした新作のインスタレーションを展示します。ところどころ開かれた無数の窓、鍵を挿したままの扉は、閉鎖から開放へと段階的に向かっている現状を示唆し、その奥につながる世界について想像を掻き立てます。また室内と屋外をつなぐ窓や扉を取り上げ、ステイホーム以降変容してきたパブリックとプライベートの境界のあり方を問いかけます。

 

すべて形の違うドアノブ達

 

 それぞれの

  ドアノブの

    向こうには

   どんな世界が

    待っているのでしょうか

  

 

 

 

 

 

それぞれの窓

 窓を開けると

  それぞれの世界が

   始まり

 それぞれの世界が開いている

 

 

 

ヴォルフガング・ティルマンスの部屋

 

 

 

このドイツ出身のヴォルフガング・ティルマンス(1968-)の絵の様な写真、すっきりとして構図もよく、けっこう気に入りました。 これがなんと、

ミュージアムショップでTシャツを販売していたので、購入してしまいました。

 

 

 

 

草間彌生の部屋

幼少期から幻視や幻聴を体験し、網目模様や水玉が増殖する絵画を制作し始めた草間は、平面のみならずソフト・スカルプチュアと呼ばれる立体やインスタレーション、ハプニングなどジャンルを横断する展開を見せ、前衛芸術家として精力的に活動を続けています。ベッドをモティーフとした作品はこれまでに2点制作されており、《ベッド、水玉強迫》はそのうちの1点にあたります。白地に赤色の斑点がプリントされた布地で覆われたベッドの内側には、同じ模様の布製の突起物が増殖し、穏やかに心身を休めるはずの空間は、異様さを湛えた対極の存在へと変容しています。

 

 

 

 

 

 

 

次からは常設展です。

 

 

セザンヌ プロヴァンスの風景

 

ジョルジュ・スーラ グランカンの干潮1885

緻密な点描 これもあまりにも有名な絵ですね

 

 

 

イヴォンヌ・ド・ブレモン・ダルスの肖像 1927年

 

ベッドの上の裸婦と犬 1921年

 

 

ゲルハルト・リヒター

ゲルハルト・リヒター

 

 

 

今回は載せませんでしたが、とても大きな美術館で、日本画、洋画、彫刻、更に東洋陶磁コレクションもあり、その他、ガラス工芸、化粧道具など 

ゆっくり見ていると1日かかります。

 

ミッション インポッシブル

 ハラハラ ドキドキ

     やっぱ 面白い

 1996年第1作からもう30年近くなるが、先週、シリーズの第7弾デッドレコニングが公開され、早速観てきました。

 

 内容は、スパイ組織IMF(Impossible Mission Force)所属の腕利きエージェントであるイーサン・ハントに課せられた究極のミッションは『全人類を脅かす新兵器が悪の手に渡る前に見つけ出すこと』

 しかし、IMF所属前のイーサンの“逃れられない過去”を知る“ある男”が迫るなかで、世界各地でイーサンたちは命を懸けた攻防を繰り広げる。

映画を観る方がおられるでしょうから、これ以上は書かない方が良いですね。

 

 「悪役に取り囲まれて殺される直前の人物のところへ、偶然にもトム・クルーズが突っ込んできて、勢いで悪役を吹き飛ばして何とかなってしまう」なんて無茶苦茶なストーリーでも、「でも、トム・クルーズだからなぁ」と思ってしまう面白さで頭を空にして見ることができます。

 

 ところで、ミッション インポシブルのテーマ曲はとても印象に残る 5拍子ですが、この曲の元になったのが日本でも放映されて大流行したアメリカのテレビドラマスパイ大作戦のテーマです。マッチをすって火がスーッと横に流れて行く中で始まる有名なリズム。

そしてこのスパイ大作戦のテーマ曲の元となったのがジャズの名曲テイク・ファイブです。

 

  テイク・ファイブはジャズサックス奏者のポール・デスモンドが作曲し、デイヴ・ブルーベック・カルテットの1959年のアルバムに収録されたジャズ曲ですが、私が初めて聞いたのは中学2年生の時。

 「これ何拍子かわかるか?」といわれて、 リズムをとってみると なんか変

 三拍子や四拍子の曲はわかるのですが、  わからなかった。


でも、リズムにすごく乗るんですね。

 そして5拍子とわかった。

 

 高校生になり、普段はテナーサックスでしたが、テイクファイブはアルトサックスで最初に吹きたかったのが「テイク・ファイブ」

でもまだ未熟でこの早いテンポに指が動かないんです。

指使いがちょっとややこしく

何度も何度も100回以上練習しても指がついてこない、そしてそしてノレないんです。

ようやく高校3年生の頃 通してなんとか吹くことができる様になった 大好きな5拍子。

でも下手だった。

本当に苦労したが。

 もう大昔のことで、今はサックスの指使いも忘れていますが、5拍子の曲は内面からノッてしまいます。

だから映画ミッション インポッシブルのテーマもノッてしまうんですね。

そして、映画を見て、終わり方が気になり、今回のミッションの続きがいつ作られるか、とても待ち遠しくなります。

 

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これはデイヴ・ブルーベック・カルテットの名曲テイク・ファイブの演奏です。

https://www.youtube.com/watch?v=KbcIBcuubpI

おへそば 再々訪

 自販機で食券を買い自分で蕎麦をテーブルに持って行くセルフの店だが、地元の阿木産の安岐そばを十割蕎麦で食べられる。

阿木川ダムの近くの製麺所で製粉した50メッシュの十割そば粉をこねて、 手打ちではなくノズル式機械で抽出したそばで、蕎麦の麺線のエッジは微かに丸みを帯びている。
(以前手打ち蕎麦家で蕎麦のエッジが甘いのでこれは機械抽出ですかと聞いたら、手切りだと嫌な顔をされたことがある😆)
この様にノズル織でも手打ち蕎麦屋の手入れをしていない包丁と同じレベルにはできるという凄い機械の進歩です。

きちんと手打ちをする蕎麦屋とは味わいは比べられないですが、結構レベルの高い機械で、下手な手打ち蕎麦屋よりも随分と美味しい。
手打ち蕎麦ならもっと香りと味が乗り、もっと美味しくなるが、職人なしの経営なので、これもありですね。

蕎麦屋の味の決め手はそば粉だが、この店は中津川市阿木地区の安岐そばを使用。この安岐そばは結構旨みがあり良いれべるなので、これで助けられている。
 (随分前に調べたところ、先祖は信州の信濃2号でした。信濃2号は長野県中心に広く使われていますが、なかなかレベルの高いそばです。)
 最近、十割の方が美味しく思えるのか、十割蕎麦を売りにしている店が増えていますが、きちんとしたそばの実ならともかく、どうでも良い十割よりもきちんとした二八蕎麦の方が圧倒的に美味しいです。 その点、安岐そばは実自体がけっこう美味いので大丈夫です。

 私は基本的に手打ちの蕎麦しか食べないのですが、ここは味が良い阿木産のそば粉であり、機械打ちでも許せる味に仕上がっていますし、自宅から3.6km 7分の近場なので普段使いに時々訪問しています。

 昨年12月に行った時はまあまあ美味しかった。
 1月に行った時は蕎麦の味が少し落ちていた。
 3月に行った時は更に落ちていて4月も5月も低め安定。

それ以来 蕎麦粉が変わるまでちょっと間をおこうと行かなかったのですが、
 試しに8月1日に行ってみました。
注文したのはかき揚げおろしそば1100円

 


残念ながら辛味大根ではなく普通の大根おろしでしたが、大根おろしも蕎麦つゆも別に出していただけるのは、好みでそのままでもミックスでもできますから嬉しいですね。

まず、何もかかっていないところの蕎麦だけを味わってみましたが、いいレベルの味がして安心しました。機械ですから、手打ちよりは弱いですが、蕎麦の旨みも甘みもありマズマスの味。
待った甲斐がありました。

同じ機械で、同じ製麺所の同じ粉ですから、同じ味でも良さそうなのですが、どんな地方の製麺所でも、自家畑のものでも味は変わります。

たくさんの畑から収穫された蕎麦の実が集まってきますから、南向きの畑なのか北向き、土壌の違いなどで、同じ蕎麦の種類でも、味がおおきく異なります。 特に蕎麦は蕎麦粉と水だけなので素材の味が素直に出ます。
 
今回はその辺にある並の手打ち蕎麦屋さんよりいい味がしていました。

 何十キロかの単位で蕎麦粉を仕入れられると思いますが、次回はどう変わるかわかりませんが、今の粉はいい線を行っていますから、あるうちに食べてみられたらいかがでしょう。

おへそば
岐阜県恵那市東野171-5
090-8237-0888
営業11時~14時 水曜定休

染めと織の万葉慕情69

 妹が手本を離るるこのごろ

   1983/08/05 吉田たすく

 

 毎朝三十分から一時間自転車で郊外を走る事にしている。

 今朝は道ばたで”へくそかづら” を見つけ持ちかえり、鉈(なた) さやのつり花入れにさしたらしてたのしんでいます。

 この “へくそかづら"は山野の草木にからんでのびるつる草で勢力の強い草です。 夏にさくのです。 小指の頭くらいの小さな朝顔形の白い花でその奥にほんのりピンクの紅をそめた優しさは、たくましいつるに似ず可憐そのものです。 そのつるをちぎると青くさいので»へくそかづら"といういやらしい名がついたのでしょう。

 万葉にこの草の歌が一首あります。

 さうけふに

  はひおほとれる

    くそかづら

  絶ること無く

   宮仕へせむ

 " さふきふ" という灌木にはっておおっているくそかづらのように、絶える事なく長く長く宮仕をする事である。

 横道にそれましたが"手本”「たもと」の歌にかえります。 妹の手本を巻いてとは、二人寝の事をいうのですが、万葉歌ではそのような事があったとか、今は夢に見るだけといった歌い方で恋情をあらわしています。

 かくばかり

  恋ひむものぞと

    思はねば

  妹が手本(たもと)を

    巻かぬ夜もありき

 こんなにも恋い苦しむものとは思わなかったので、妹のたもとをまいて枕にして寝ない夜もあった。

 二上(ふたがみ)に

  隠らふ月の

   惜しけれど

  妹が手本を

   離(か)るるこのごろ

 二上山に月が隠れるようにあなたも行ってしまい惜しい事だ。共寝をした妹の手本も離れてしまったこのごろのわびしさよ。 またこの歌のスタイルとよく似た歌があります。

 世のなかに

  恋繁けむと

   思はねば

  君が手本を

  まかぬ夜もありき

 恋心がこんなにも、はげしいものとは思わなかったので、あなたのたもとをまいて寝る事のない一人寝の夜もあった。

 このように大変よく似た歌が万葉にはよくあります。今でいう”変え歌"のたぐいかもしれません。

 次の歌もそのような歌の二首です。

 現(うつつ)にも

  今も見てしか

   夢のみに

  手本まき寝と

   見れば苦しも

 現にと

  思ひてしかも

   夢のみに

  手本まき寝と

   見るはすべ無し

 現実に今、妹に逢いたい。 妹とたもとを巻いて寝る夢だけ見るのは苦しいの。もうひとつは、現実にと思いたい、夢にばかり妹ともとを巻いて寝る夢だけ見るのは何ともたえがたいものよ。

 どちらの歌が初めにあってそれをまねた歌がどれなのかはわかりません。

 袖を巻く歌につづいて、手本を巻く歌をたくさんならべましたが、袖も手本も、共寝の表現に詠われた歌ばかりでした。

 私がこのような歌だけをさがしたわけではありません。あしからず。 これで袖と手本の歌を終わります。

       (新匠工芸会会員、織物作家)

 

 

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 屁屎葛(ヘクソカズラ)

オオイヌノフグリに負けず劣らず可哀想なな名前ですね。

古名はクソカズラ(糞葛・屎葛)で、平安時代にはもうつけられていた名でした。しかし、つけた人はこの花の可憐さが理解できないあまりにも下品で、可哀想な人ですね。

別名、ヤイトバナ(灸花)、サオトメバナ(早乙女花)サオトメカズラ。こちらは美しい名前でほっとしますが、こちらを正式名称にすべきだったと思います。

中国植物名では鶏屎藤(けいしとう)。中国でもひどい。

英語でも、Skunkvine(スカンクのつる草)

臭いの原因は、ヘクソカズラに含まれているメルカプタンという揮発性物質にあります。メルカプトンはガス漏れ検知のために、ガスの臭い付けにも使われています。 これは植物の食害防御策。

ほんの少し臭い感じはありますが屁糞って言われるほどではないと思います。

染めと織の万葉慕情68

  巻きて寝し 妹が手本を

   1983/07/29 吉田たすく

 

 

 今日は“妹が手本(たもと)に”詠われている歌を取りあげてみます。

 死にし妻を悲しび傷む歌一首

「作主詳(さくしゅつまびらか)ならず」と前おきしてはじまります。

 天地の

  神は無かれや

   愛 (うつく)しき

 わが妻離(さか)る

  光る神

   鳴波多少女(なるはたをとめ)

    たづさへて

  共にあらむと

   思ひしに

 情違(こころたが)ひぬ

  言はむすべ

   せぶすべ知らに

 木綿襷(ゆうだすき)

  肩に取り掛け

   倭文幣(しづぬさ)を

 手に取り持ちて

  なさけそと

   われは祈れど

 巻きて寝し

  妹が“手本”は

   雲にたなびく

 天地に神様は無いはずはないのに可愛いいわが妻は遠く死の国へ行ってしまった。 「光る神」は枕詞で鳴波多にかかり、波多少女の“はた"は地名であろうとも言う本もあり、ある本では解釈に疑問があるともいわれている。そこで私は“はた織りの乙女"と思っています。(まちがいかもしれま

せんが)

 そのはた乙女(妻)と手に手をとって共に暮らそうと思っていたのに、予期に全く反してしまった。何とも、言うすべもするすべも分らず。 木綿襷(ゆうだすき)。

 木綿と書いてありますが、万葉時代には今でいう木綿(コットン)は日

本に有りませんでした。麻とか楮(こうぞ)の事で、これらの繊維でつくった“たすき"を肩に掛けて、倭文幣(しづぬさ)

 倭文は(大陸から織物技術が移入する以前の日本古来の織物の事で) 古来織の神前にまつる“ぬさ”を手に持って、妻を離さないでと祈るのだけれど。

 巻いて共寝をした妻の"手本”の布は雲にたなびいてしまってもう帰っては来ない。

 この歌に反歌一首がついています。

 現(うつつ)にと

  思ひてしかも

   夢のみに

 ”手本”巻き寝と

  みるはすべ無し

 現実に妻と寝たいが今はなく、夢にだけ妻の手本を巻いて寝るのを見るのは、全く何ともたえがたい事ですね。

妻とのうま寝を思い出し夢にみる妻の手本に泣くのです。

「右の歌の二首。伝誦するは遊行女婦蒲生(あそびめかまふ)これなり」とあります。 はじめに書いたように作者は不明ですが、この歌二首を口伝えしていたのは、“あそびめ”の蒲生(かまふ)という女であったと書かれています。

 なき妻を思ふ歌をどうして、あそびめが伝えていたのでしょうか。 そのゆかりはわかりませんが当時のあそびめの情と教養がしのばれます。

         (新匠工芸会会員、職物作家)

 

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 倭文(しおり、しとり、しず)

「倭」名が使われている様に、天孫降臨以前からあった日本最古、日本人が造った最古の織物です。倭文織(しとり、しずおり)

 まだ、絹や綿、麻などのもたらされない時代で、コウゾやカジノキ、シナ、藤など野山の植物で織られた幻の布です。

古くから神様の服(神御衣)として『延喜式祝詞』に記載された祭りの中で登場しています。

 その布を織る専門の織工集団は大和朝廷の重臣要職八色姓の第三位で『倭文部(しとりべ』と呼ばれ、首長は宿弥(すくね)の位でした。

 その氏族の祭る神社を『倭文神社(しとりじんじゃ)』と言い日本各地にありますが、その中で一番社格が高いのが伯耆国一ノ宮(鳥取県湯梨浜町の 東郷湖沿い)の倭文神社であり、倭文部として最大のものであったと考えられます。

 また、伯耆一宮の倭文部=織物集団は、古代入江であった東郷池の浅津(あそず)(「津」とは港のこと)から西の出雲へ船で農産物を出荷していたとみられ、大和王朝系ではなく、元々は出雲王朝系と思われます。

 静御前が源頼朝の前で義経を偲んで「しずやしず しずのおだまき」と今様で歌った「しず」は、この倭文織から来ており、この今様の本歌の平安時代、在原業平の伊勢物語を最後に倭文織の文献は出てきていませんから、倭文織は平安時代末期には消えていった幻の布となります。

 どこかに痕跡や資料が残っていないか探していますし、最近研究者も少し出てきていますが、現存するものが無く、幻だと言われていたのですが、1996年3月、天理市下池山古墳(古墳時代初期)から、大形の和製鏡に付着した珍しい縞織物の小さな切れ端が発見され、これがもしかしたら倭文織ではないかと言われています。

染めと織の万葉慕情67

  たもと巻き変へ

   1983/07/22 吉田たすく

 

 

 袖の歌のつづきになりますが、手本(たもと)の歌をひろいました。衣生活の移り変わりによって現代では、「たもと」という言葉はほとんど耳にしなくなりました。 戦前派の私達は男子でも着物を着用していましたので、たもとから手を出してとか、たもとに物を入れて、などはごく普通の会話に使ったものですが、今の洋服生活では物を入れる 「たもと」などありませんので、「たもと」は死言になってしまったのです。

 袖のすそが袋状にたれ物を入れる事も出来るような形になったのは、室町時代の小袖があらわれて、和服のスタイルが出来あがった後の事で、着物の袖の事です。 室町時代よりもずっと昔の万葉時代の袖は、大陸の服のスタイルですから筒袖で、今の洋服より少し広い袖でしたから、物を入れたりする事は出来ませんでした。

 万葉には袖の歌と同じような「たもと」の歌がかなりたくさんあるのです。

「手の本」と書いて「たもと」とよび、袖のビジのあたりをさしているようです。 山上憶良の歌に若い頃をしのび、今はもう年をとりみにくくなった老人の悲哀の歌の中に次のように詠っています

 

乙女らが

 乙女さびすみ

 唐玉(からたま)を

  手本にまかし

   同盟児(よちこ)らと

  手たづさわりて

   遊びけむ...

 

 舶来の玉(いまでいうブレスレット)を”たもと”にまいて友人と遊んだというのです。

 

 続いて男子の様子も詠われているので読んでみましょう。

 

 大夫(ますらを) の

  男さびすと

   剣太刀(つるぎたち)

  腰に取り佩(は)き

   猟弓(さつゆみ)を

  手握り持ちて

   赤駒に

  倭文鞍(しづくら) うち置き

   はい乗りて

    遊びあるきし...

 乙女らが

  さ寝す板戸を

 押し開き

  いたどりよりて

 真玉手の

  玉手さし交(か)へ

   さ寝し夜の・・・

 

 男子は男子らしく太刀をはき、弓を持って赤色の馬に倭文鞍(しづくら)を置いてそれに乗り(しづくらとは、大陸から織の技術の入って来る以前の日本古来の伝統的織物の布で作った鞍のこと)遊びあるき、乙女の寝ている家の板戸を押し開いて、床にたどりつき、玉のような美しい手と手を交わして寝た夜もあったというのです。

 

 先週までの袖の歌では「真袖さし交え」というところでしょうが、「手を巻く」と「袖を巻く」とは同じ意味で、「たもと巻くとも同じ事なのです。

 万葉には袖を巻く、たもとを巻くと詠っても、二人のうま寝の様子を詠った歌はなくて、さきの歌のように若いときはああであったとか、今は想うだけで出来ないが、彼女(彼氏)と袖やたもとを巻きたいものだとか、夢に見たいものだとか、願望や悲哀の歌が多いのです。

 

 現(うつつ)には

  またも得(え)言はじ

    夢にだに

   妹がたもと

    まき寝とし見ば

 

 現実ならばさらに何もいう事はないのだが、せめて夢にだけでも妹のたもとを巻いて寝ているところを見たならば仕合せだのになあー。

袖もたもとも二人のうま寝を現わす言葉に使われていました。

       (新匠工芸会会員、織物作家)