foo-d 風土 -38ページ目

foo-d 風土

自然や芸術 食など美を 遊び心で真剣に

 その変わった建物は遠くからでもなんじゃッと思わせる変わったもので先回はその建物を載せましたが、今回はギャラリーです。

 

 エントランスから建物へ、どこからみても阿部孝雄ワールド。大きなキノコや動物、色とりどりのオブジェやモザイク画、割れた皿やビー玉を埋め込んだアプローチなどあの柏本店を更に派手にした感じで、とても変わっていますが、ギャラリーはその集大成。

 

食事をした後、奥様とへ「柏の竹やぶへ初めてお邪魔したのは、今から34年前で、さまざまなオブジェにびっくりしたことや、恵比寿や六本木のお店にも数回お邪魔していることなど」をお話しし、昔の話やこの箱根のお店についてお話を伺いましたが、阿部孝雄氏は、今は講演などもあり店には出ないが、とても元気で、こちらに時々来て何やらいつも作っている。以前よりは作風が変わってきているが。とおっしゃられました。

その後、普段は灯りを落として閉められているギャラリーを見られますかとおたずねになり、ぜひお願いしますと、拝見させていただきました。

 

 

どうだ この面白さは

 

 

 

 

 

 

いかがですか 面白い世界ですね。
なによりも作っている本人が一番楽しいでしょうね
 阿部孝雄氏現在79歳 その世界はどんどん広がっています。
  数年後、旨い蕎麦と共に、あたらしいどんな作品ができているか楽しみに伺おうと思います。
 

 

竹やぶ箱根店の旨い蕎麦については次回書きますね。

 

…………………………………………

阿部孝雄氏

昭和19(1944)年、新潟県生まれ、十八歳の時、集団就職で上京。二年後、「池の端藪蕎麦」に入店。一年十ヵ月の修業の後、昭和41年、千葉県柏駅前に「竹やぶ」を開業。五年後、道路拡張のため移転を余儀なくされ、一年間休業。この間に手打ちを学ぶ。翌年柏駅前のビルのワンフロアで営業を再開。昭和57年、自然に囲まれた環境を求め、手賀沼を見下ろす丘へと店を移す。駅前時代から始めていた石臼による製粉をさらに深化させ、玄そばからの自家製粉に着手。その後も手挽きの田舎そばなど新たなそばの世界を打ち出してニューウェーブの旗手と評判を得る。平成5年に「恵比寿竹やぶ」を開店(平成15年3月閉店)、平成14年は三店目となる「箱根竹やぶ」をオープン。平成15年4月、六本木ヒルズに「六本木竹やぶ」を開店(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

今の世は
 採る人もなき
    山栗も

  いにしえよりの
    たいせつな幸
  

 栗は生でも食べられ、長期保存も出来る素晴らしい食糧。

 縄文時代は 1万2000年という有史以来最長の時代ですが、縄文時代の食物調査で花粉量検査をすると、驚いたことに縄文初期から日本各地で栗花粉がどんどん増えていって一番多いそうです。
縄文人は栗の特性をつかみ、保存できる食糧確保の為に栗の木を増やしていったのです。
 そう日本最古の栽培植物でした。
栽培というと米を思う方が多いと思いますが、米が日本に来る何千年も前に栗栽培は始まっていたのです。

物語のある料理
 「野の花料理・恵那の野山の 蕎麦懐石」は3週間以上前に予約を頂いていますが、
三週間もお時間をいただくのは、今の季節の恵那を感じ食べていただきたいから。

予約をいただくと恵那の野山へ旬の幸や飾る花を探しに行き、来られる日に合わせたお品書きなどを考え、料理を用意していきますが、
 自然相手ですからもう枯れていたり早すぎたり、昨年あった場所にはもうなくて、目を付けていた山の幸も猪や山鳥などに先に取られてしまい、お品書きを変更ということばかり。

 今回もまた予約を頂き、早速車で郊外の山の方へ出かけました。
コスモスの群生や曼珠沙華等が咲いている横を車で更に奥に。
 山柿を見つけましたが、まだまだ青く小さな実で使えません。

  代わりに山栗がありました。
栽培品と違い取れる時期も短く 今だけ

栗のイガは針よりも鋭利でちょっと触るだけでとても痛い。すぐにチクッと刺され
 採っている最中に 後ろからは藪蚊が寄ってきて大変です。

今年は暑さが厳しく活動できなかったのかこの時期になって急に藪蚊が多くなっているようです。
数カ所刺されて 痒い痒い。

前門の虎 後門の狼ではなく
 前門のイガ後門の藪蚊ですね

山栗は小さく剥くのが大変なので現代人は誰も採りません。

 写真の大きな栗はスーパーなどで販売している栗の中でもやや小型のものですが、私が山で採ってきた山栗はその六分の一から十分の一しかありません。

栽培して剥くのも楽な大きな大味の栗を食べて 自然の栗の美味しさを忘れています。

 採ってきたばかりの山栗は、もう20年ほど前からやっている方法ですが、冷蔵庫で2〜3週間程、氷温で寝かせて栗に冬を感じさせ、春の発芽の為の甘みをじっくりと出させてから使います。
山栗はそのままでも栽培された栗より甘みも旨味も濃いのですが、これで更においしくなります。
(0℃でたった2日間置くだけでも糖度は2倍、20日以上置くと糖度は3、4倍になります)

じっくりと寝かせて甘味の充分出た山栗の殻を剥きますが、
小指や人差し指の先位の 小ささで剥くのは本当に大変。

 剥いた栗は、数日間 半乾燥させて更に味を少し凝縮させてから蒸します。(蒸すのは、湯掻くと大切な旨味も出てしまう為)
蒸した後しばらく乾燥させ、低温のオーブンで1時間以上焼いて完成です。

恵那の秋が凝縮した濃厚旨味の山栗は、その他の野山の自然な幸や、手挽きの日本一超粗挽き十割蕎麦と共に

 「野の花料理・恵那の野山の 蕎麦懐石」で味わっていただきます。

今年の6月18日に訪問して また再訪 箱根の昼食はここに限る。

 

 その変わった建物は遠くからでもなんじゃッと思わせる

入り口が上と下の2つあり、どちらから入るかで印象が大きく異なります。

「竹やぶ」阿部孝雄さんの世界観を感じられるのは、「下」の入り口であり、初訪問の場合は絶対に「下」から訪問する方が楽しい。

 

 外観はどこからみても阿部孝雄ワールド。近くへ行くと大きなキノコや動物、色とりどりのオブジェやモザイク画、割れた皿やビー玉を埋め込んだアプローチなどあの柏本店を更に派手にした感じで、とても変わっている。店内もやはりここも阿部孝雄ワールド全開でした。

 

 

 

 

今度は上の入り口から

 

 

 

 

店内へ

 

 

食事をした後、奥様とへ「柏の竹やぶへ初めてお邪魔したのは、今から34年前で、さまざまなオブジェにびっくりしたことや、恵比寿や六本木のお店にも数回お邪魔していることなど」をお話しし、昔の話やこの箱根のお店についてお話を伺いましたが、阿部孝雄氏は、今は講演などもあり店には出ないが、とても元気で、こちらに時々来て何やらいつも作っている。以前よりは作風が変わってきているが。とおっしゃられました。

そのご、普段は閉められているのですがギャラリー見られますかとおたずねになり、拝見させていただきました。

 

 

今回はあまりにも変わった阿部孝雄ワールドを建物のアプローチから店内までさまざまな写真を載せましたが、ギャラリーと肝心の蕎麦は次回書きますね。

先日 当代きっての蕎麦名人の一人、阿部孝雄氏の箱根の竹やぶへいきました。

 

竹やぶ箱根店にいくのなら、まず、阿部孝雄氏と柏本店について少し触れたいと思います。

 

 蕎麦好きならば知らない人はいない、当代きっての名人の一人、阿部孝雄氏。「手挽き、手打ち、石臼挽き自家製粉」を世に定着させた方で、亀有「吟八亭 やざ和」、明治神宮「玉笑 」、東長崎「手打蕎麦 じゆうさん」など数多くのお弟子さんを輩出され、まぎれもない現代蕎麦の功労者です。

 

 20歳の時に池之端藪蕎麦で修行し、なんと22歳で柏駅前に「竹やぶ」を開店、当時、皆無に等しかった手打ちそばの打ち方を学び、また、柚子切り、芥子切り、蓬そばをはじめ五百種類以上の変わりそばを創作し、ただひたすらにそば職人としての道を猛進。

一時期、店を閉めた機会を利用して日本各地の旨いそばを訪ね歩いたそうですがそれがかなり勉強になったとか。

 

 

 私が竹やぶを知ったのは、今から34年前。東京に住んで新規アパレルを立ち上げた年です。千葉県柏市に「竹やぶ」という凄い蕎麦屋があるというので、蕎麦好きとしては“行かなければ”と、時間を見つけて電車とタクシーを使って出かけました。

 「竹やぶ」は、手賀沼を一望する小高い丘の上にあり、竹林に抱かれた大きな日本家屋。近くへ行くと大きなキノコや動物、色とりどりの置物やモザイク画が並び、見ているだけで面白く、お店に入る前から店主のおもてなしがはじまっている感じで、阿部孝雄氏の手作りの和と不思議な摩訶不思議なパラレルワールドです。

 

 

 フランスのオートリーブという村にあるシェバルの城をモチーフにしたという古瓦を葺き、割れた皿やビー玉を埋め込んだアプローチや店の内装にいたるまで意匠のおもしろさに驚きました。

(シェバルの城はフランス リヨン。そこから、車で約1時間30分ほど南に下った場所に、「シュバルの理想宮(Palais ideal du facteur Cheval)」と呼ばれるたった一人の郵便局員が33年という長い年月をかけて作った「理想宮」という素晴らしい建造物があります。

 そこは、先日私が訪れた三重県の山奥の広大な陶芸彫刻空間 「虹の泉」にも似た不思議な場所にも似ています。)

 

 竹やぶの特別変わった建物や店内ですが、食べる蕎麦はとても美味しい。

しかし建築やオブジェの主張が強すぎて何を食べたかは斬円ながら記憶の中には残っていません。

 

 美味い蕎麦で蕎麦通もよく通った「竹やぶ」と店主の阿部孝雄氏は、当時メディアでもよく取り上げられていました。

 

 

 

 そして1993年 恵比寿店オープン(2003年に閉店)。蕎麦屋らしからぬ素っ気ないコンクリート外觀と、外からの光をシャットアウトした店内、前衞的なオブジヱの飾られた店内はとても変わった空間でしたが、恵比寿というロケーシヨンに合つているのか雜誌等のメデイアでよく取り上げられていました。

 

 2003年六本木ヒルズオープンでは「竹やぶ」は破格の賃料で誘致されとても話題になりました(2011年に閉店)。

柏本店、恵比寿店、六本木ヒルズ店についてはそれぞれ数回行っていますが、2002年にオープンした阿部孝雄氏の手作り建築の箱根だけはまだ未到でした。

箱根店は広い敷地に店主「阿部孝雄」ワールドが広がっており、柏店同様に先代の店主「阿部孝雄」が割れた皿やビー玉を埋め込んだアプローチや店の内装にいたるまで意匠のおもしろさが感じられます。そして現在もまだ増殖中です。

 

次回 箱根竹やぶについて書きます。

…………………………………………

 

阿部孝雄氏

昭和19(1944)年、新潟県生まれ、十八歳の時、集団就職で上京。二年後、「池の端藪蕎麦」に入店。一年十ヵ月の修業の後、昭和41年、千葉県柏駅前に「竹やぶ」を開業。五年後、道路拡張のため移転を余儀なくされ、一年間休業。この間に手打ちを学ぶ。翌年柏駅前のビルのワンフロアで営業を再開。昭和57年、自然に囲まれた環境を求め、手賀沼を見下ろす丘へと店を移す。駅前時代から始めていた石臼による製粉をさらに深化させ、玄そばからの自家製粉に着手。その後も手挽きの田舎そばなど新たなそばの世界を打ち出してニューウェーブの旗手と評判を得る。平成5年に「恵比寿竹やぶ」を開店(平成15年3月閉店)、平成14年は三店目となる「箱根竹やぶ」をオープン。平成15年4月、六本木ヒルズに「六本木竹やぶ」を開店(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 

 

 

…………………………………………

蕎麦屋の歴史

蕎麦屋の発祥は豊臣秀吉の大阪城築城の時にさかのぼるといわれています。
江戸時代から現代まで続く老舗蕎麦屋の系列は、江戸そばの、「のれん御三家」と呼ばれる「藪」「砂場」「更科(さらしな)」があり、もうひとつ「長寿庵」の四系統あります。

 その後、昭和になり蕎麦の世界を大きく開いて行った片倉康雄の足利・一茶庵、阿部孝雄氏の竹やぶ、高橋邦弘氏の翁グループ、服部隆氏の名古屋・沙羅饗などが時代の寵児となって蕎麦界をひろめました。

これらについては私のブログで「蕎麦の種類(2) 蕎麦屋の系列による分類」というタイトルで2016年7月10日に書いていますので、ご興味を持たれましたらご覧ください。

 

http://foo-d.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-829b.html

 岐阜県山県市にある知る人ぞ知るジビエの名店  摘草料理「かたつむり」情熱大陸で紹介された予約困難なお店で、8月にもう年内は予約が取れないという。

今回は7名で行きました。

到着すると、ごく普通の一軒家。

中に入ると民家を改造したダイニングにテーブルと椅子、

横の棚には獲った動物の頭蓋骨が並んでいる

クマの手

 

 

飲み物

ニューイングランドIPSのクラフトビール 

IPAとはIndia Pale Ale(インディア・ペールエール)

フルーティーでジューシーな香りと風味、苦みを抑えた柔らかな飲み心地が特徴です。

 

つきだし

 うなぎの骨唐揚げ

 里芋

 宿儺カボチャ

 枝豆湯掻いてバーナー

 海老

 

 

郡上鮎

 いい味 頭からいただく

 

猪柄肉煮物

  オクラ セロリ

 

 

 

イノシシハム サラダ

 

オリーブオイルの粒

キャビアオイル

 

稚鮎と猪の竜田揚げ ししとう 茗荷 トウモロコシ

 

天然鰻

 何種類かあって大きめの560g すごく太くて大きい。

 

身が厚く 養殖物の様な雑味がなく綺麗な味で脂も乗りいい味でした

とてもうまい

 

 

ここで 冷蔵庫の日本酒を拝見

 結構良いものがありそう。

 

だけど次の鹿のことを思い 赤ワインを

2種類出されたが、ビオワインを選ぶ。

 

アン 2017 ナタリーノ・デル・プレーテ

ネグロアマーロ 100%(樹齢80年超の古樹が植わる区画のブドウ)

無農薬無肥料の自然栽培 無濾過

 

 

サラダ

 

鹿ロースの刺身 漬け

ねっとり サラッと美味しい 旨い!

 

 

あかやまどりだけ

炙り握り

赤山鳥茸の炙り握り

 どう見ても肉の様ですが、とろと刺身こんにゃくを合わせた様な柔らかいとても変わった食感でしたが、美味しかったですね

初体験 ポルチーニの様な香り

軟らかくトロに近いけどトロより軟らかく刺身こんにゃくに近く少し弾力があり微かに繊維感があり独特な柔らかさ

後で分かったことですが、ポルチーニの仲間だそうです。

 

ここで

マムシは美味しいがと 生きたものを見せられた

今回は女性も一緒なので、一応お断りしたが、

美味しいと言われたが、食べた方が良かったかな。

 

 

真鴨の鉄板焼き

真鴨は近くの沼で獲ったものをご自分で羽をむしり処理したもので、

くどくなく素直な鴨

いい味だ

 

熊も

下手なところで食べると結構臭いのですが、ある程度のレベル以上のお店は美味しいのに、こちらは今まで食べた中で一番綺麗な味で上品な良い味でした。

 

 

 

鍋の後は おじや

 

 

デザート

 

ばんとう

森の香りの水ジェリー

 

どれもとても美味しい料理でした。
 

…………………………………………

摘草料理 かたつむり

岐阜県山県市長滝502

 

 …………………………

 魚に限らず、生きものの体の中に残った血は腐敗や臭みの元になり、美味しく食べるにはしっかりとした血抜きが必要で、活き締めや神経締めなど、魚の心臓がまだ動いているうちに、太い血管を切って海水に入れたりしておいしさ、鮮度を長持ちさせようとする動きが増えています。

しかし、血を抜くということはその体を巡っていた強烈な個性も奪うことであり、美味しくなってもただ美味しいだけで、旨みやアクがなく、個性が無くなって、その魚の本来の旨さを消してしまっていることが多い。なんか水っぽくなってしまったものが多いです。ビジネス上、長持ちさせる為、一般の人を喜ばせるには良いかもしれませんが、味のわかる漁師はそんなものは食べないと思いますし、本当の魚のおいしさを消すことであり、余分なことをせず、その魚の個体の中から美味そうなものを選ぶ眼力で、一番あった調理法で本来の味を大事に食べたいと思います。

  ジビエも最近の流行とともに食べられる店も随分増えていますが、血抜きをしすぎていたり、獣の年齢がいきすぎていたり、まだまだ選ぶ眼力のできていない店が多い中で、このお店は、熊にしろ鴨にしろ、ここまで美味しく出せるその個体を選ぶ眼力の鋭さ、さらに肉を見ての処理・熟成の能力たるや、他では真似できないとても素晴らしいものでした。


結構高価な料理でしたが、これはその眼力代金ですね。

 どれもとても美味しくいただきました。

 

今年は岐阜ジビエの予約の取れない三大有名店、山形市の「かたつむり」、10月には瑞浪市の「柳家」、11月に恵那市の「いろりの郷奈かお」と、うまく予約が取れたので、3軒食べ比べができるので、とても楽しみです。

染めと織の万葉慕情78

  人の見ぬ下紐あけて

   1983/10/07 吉田たすく

 

 

 紐の歌のつづきです。

沢山の紐の歌がある巻十二の中に「物に寄せて思を陳(の)ぶ」という一群の歌の最初にこんな歌がのっていました。

 人に見ゆる

  表は結びて

    人の見ぬ

   下紐あけて

    恋ふる日ぞ多き

 人に見える表面は何事も無いようによそおっていますが、 実を言いますと人の見えない下紐はすぐにでもあなたをだけるように、解きあけてまってるんですよ。 と

 大変にエッチな思をずばり詠った歌です。 その歌につづいて「衣」又「紐」の歌とならんでいます。

 人言の

  繁かる時は

    吾妹子(わがもこし)

   衣にありせば

    下に着ましを

 真珠(またま) つく

  遠(をち)をしかねて

    思へこそ

   一重衣(ひとへころも)を

    一人着て寝れ

 恋をする者は人の噂にのぼるのをおそれるものですが、万葉時代も今も変っていないところがおもしろいところです。 噂のうるさい時は、もしも彼女が衣であったなら下衣に着てしまいたいものを下衣のように人見につかない所で膚と膚をふれあいたいものだと詠うのです。

 だけれども、そんな事を思ってはいけません。次の歌はもっとよく考えてと歌っているのです。

 「真珠(またま) つく 遠(をち)をしかねて 思へこそ」とは、あらかじめ将来の事をよく考えてるからこそ、そんな事思わないで今は辛抱して、一重の衣を(さむいけれど) 私が一人着て寝ているのに、それにして思われてなりません。

 白栲(しらたえ)の

  わが紐の緒の

    絶えぬまに

   恋結びせむ

    逢はむ日までに

 白栲のわが下紐が切れてしまわない間に。(彼女への恋い心の絶えないうちに)。下紐を結びなおして恋の永続を祈ってまちましょう。 彼女と逢う日までは。

 恋の噂を気にしながら、恋慕と理性の葛藤になやまされながらも「恋結びせむ逢はむ日までに」と永い恋いを願うのです。現代ではもうこんな恋心はなくなってしまったかもしれません。

 又これにつづいて下紐の歌一首

 紫の

  我が下紐の

    色に出でず

   恋ひかもやせむ

    逢ふよしをなみ

「紫の我が下紐の」は 色にかかる序文ですが、紫色の下紐を結んでいた人だったのでしょうか。

紫は高貴な人にしか使えない色でありましたから紫色高麗銘の華麗な下紐を使って居た人の歌かもしれません。思いを顔色にも見せず、違う手段もなくて恋に悩んでやせてしまう事であろう。 と、

又の歌一首

 何故(なにゆえ)か

  思はずあらむ

    紐の諸の

  心に入りて

   恋しきものを

 紐を結ぶには一方を輪にして片方をそれに入れて結ぶので「入る」 にかかる序です。どうしてあなたの事を思わずにいられましょうか、紐の緒のように心にしみて恋しいものを。こんなセンチメンタルな歌もありました。

   (新匠工芸会会員、織物作家)

 

 …………………………

『染と織の万葉慕情』は、私の父で、手織手染めの染織家、吉田たすくが60歳の1982年(昭和57年)4月16日から 1984年(昭和59年)3月30日まで毎週金曜日に100話にわたって地方新聞に連載したものです。

 これは新聞の切り抜きしか残されていず、古いもので読みづらい部分もあり、一部解説や余話を交えながら私が読み解いていきます。

 尚このシリーズのバックナンバーはアメーバの私のブログ 「food 風土」の中の、テーマ『染と織の万葉慕情』にまとめていきますので、ご興味のある方はそちらをご覧ください。

 https://ameblo.jp/foo-do/theme-10117071584.html

 …………………………

吉田 たすく(大正11年(1922年)4月9日 - 昭和62年(1987年)7月3日)は日本の染織家・絣紬研究家。廃れていた「組織織(そしきおり)」「風通織(ふうつうおり)」を研究・試織を繰り返し復元した。

風通織に新しい工夫を取り入れ「たすく織 綾綴織(あやつづれおり)を考案。難しい織りを初心者でも分かりやすい入門書として『紬と絣の技法入門』を刊行する。

東京 西武百貨店、銀座の画廊、大阪阪急百貨店などで30数回にわたって個展を開く。

代表的作品は倉吉博物館に展示されているタペストリー「春夏秋冬」で、新匠工芸会展受賞作品。昭和32年(1957年)・第37回新匠工芸会展で着物「水面秋色」を発表し稲垣賞を受賞。新匠工芸会会員。鳥取県伝統工芸士

 尚 吉田たすく手織工房は三男で鳥取県染織無形文化財・鳥取県伝統工芸士の吉田公之介が後を継いでいます。

吉田たすくの詳細や代表作品は下記ウイキペディアへどうぞ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/吉田たすく

   彫刻の森美術館は野外で彫刻を陳列する野外美術館が広まり始めていた1969年8月に、富士箱根伊豆国立公園の箱根の壮大な自然を生かして開館しました。

 広大な敷地には丘や小川、池があり、両側の山を借景とし、地平線の彼方に海が遠望できる景観を備えています。

 私が初めて彫刻の森美術館へ行ったのも、開館したこの年。

 

 1969年は高度経済成長のど真ん中。それでも日本の空港からアメリカが直接ベトナム人の大量殺戮へと爆撃に行っていたベトナム戦争の時代。そして大学紛争の時代。

 

 故郷の鳥取県で高校時代は受験勉強など一切せずサックスを吹きつづけ遊び呆けていたのに、運良く大学に受かり上京。

私の入った日大も紛争真っ最中で入学式も遅れ、校舎はロックアウト。 このため授業も新宿から京王線で府中市の郊外、人家もまばらな武蔵野台という無人駅から10分以上歩く畑のど真ん中に急遽畑を潰して「日大アウシュビッツ」と呼ばれる簡易バラック校舎が数棟作られ、バリケードで囲い、周りは機動隊が守っている中で授業は行われていた。

 元が畑なので雨の日はとてもぬかるんでどうしようもない。トタン屋根で雨が煩く、 でも、晴れた日は授業中に鳥の声、カエルの歌、虫の声も聞かれた長閑なところだった。

 

 貧乏学生で、授業の後や休日はいつもバイトをして生活費を稼ぎながら、 授業の無い暇な時は新宿の紀伊國屋書店、時々神田の古書店巡りか銀座で画廊回り(銀座は画廊が数百ありどこも無料で見られた) 時々、銀パリに行ってシャンソンを聞いていた。

 

「日大アウシュビッツ」での授業の帰り、毎週土曜日夕方にはベトナム戦争反対のフォークゲリラが新宿西口公園(JR新宿西口改札のすぐ側で、現在は西口通路と名を変えて座れなくされているが)に来て、帰宅途中の会社員、学生など5000人以上がいつも集まり平和を求め、ベトナム戦争反対の反戦歌を私も群衆の中で歌っていた。

 

 そんな1969年の秋のある休日、

 彼女と新宿で待ち合わせ、小田急ロマンスカーで箱根へ 山と湖と美術館。新宿から2時間で着くとても近い別天地だ。

 

 初めての箱根 登山電車、2人で乗るロープウェイ 芦ノ湖

オープンしたばかりの彫刻の森美術館 美術館といえば建物の中で見るものだったが、1969年オープニング当時はピカソ舘もなく、アップダウンのある広大な庭園に作品も今ほど多くはなく、ゆっくりと回りながら山々を借景としながら様々な彫刻を見て回る。

本当に素晴らしかった。

 

 でも この同じ青空の向こうでは大量殺戮が行われていると心の片隅にモヤモヤがあった。

 

 

 彫刻の森美術館はその後作品が行く度に増えて行きましたが、ここへは何度来ただろうか

  5回位かな

大学時代2回くらい 就職してからも何度か その後長い間来なかったが 久しぶりに訪問。

 とても懐かしくゆったりと そして新鮮な気持ちで 彫刻の森。

 

 

さて今回。

 

エスカレーターを降り

 

トンネルを通り

 

本館前入り口側には豊満な後ろ手に縛られ身をよじったポーズの、マイヨールの作品にしては珍しくダイナミックな動き「とらわれのアクション」1906年

 

 

 極端に存在感のある本館ギャラリー横のロダンの巨大なバルザック像。

そしてロダンを敬愛し15年間もの間ロダンの助手を務めロダンを超えるとも言われる大彫刻家ブールデルの

弓を引くヘラクレス  これはいつ見ても格好良いですね

クロード・ラランヌ 「嘆きの天使」1986年

 

 

4体のブロンズ像。

「自由」「勝利」「カ」「雄弁」この寓意的な4体の像は、アルゼンチン建国の父、アルヴェアル将軍

騎馬像の高い台座の四隅を飾っているものである。ブールデルは、同国政府の委嘱により第一次世界大戦中にこの壮大な記念像を制作した。

 

 

 

 

 ヘンリー・ムーアは彫刻を野外に展示することを好みました。
「彫刻の置かれる背景として空以上にふさわしいものはない」と語っています。独特の丸く優しいフォルムのムーア作品は遠くからでもよくわかる。 開館当初から沢山あり、今では10体もあり、これだけムーア作品を揃えるのは世界でも珍しいそうです。

 

 

 

 

 

 

ジュリアーノ・ヴァンジ  (イタリア  1931-)

 私の好きな現代イタリアを代表する具象彫刻の巨匠で、「追憶」「偉大なる物語2004年」の2体もあった。こんな所で見られるとは、嬉しいな。

ジュリアーノ・ヴァンジは石を使う現代の彫刻家で、「ヴァンジ彫刻庭園美術館」が静岡県長泉町東野クレマチスの丘にある。素晴らしい大作ばかりがあり永遠に残って欲しい美術館だが、コロナ等の影響もあり今月で閉園となっている。とても残念だ。ヴァンジは100年もしないうちに評価が格段に上がり、ヴァンジ美術館の窮状に手を差し伸べなかった静岡県は馬鹿だなっと言われる様になるだろう。この偉大な作品群は、間違いなくどこか違う場所等できちんと展示される様になるだろう。


 

 ヴァンジの彫刻の森美術館にある「偉大なる物語2004年」という作品。

白大理石(カラーラ産) 250×420×330 cm

総重量25トンを超える大理石に掘られた群像、人間の存在とその意味、人生の物語が時の流れと共に刻まれている。洞産で膝を抱えてかがむ古代の男。背後には記憶の中の女性が顔を見せ、その脇ではオリープの若木が薬を茂らせている。その横に人生の入口が開いているが、先が良くなり、人生の苦労を麦わしている。反対側には、樫の古木の葉が愛し合うカップルの顔を優しくなで、人と自然が共に生きることの大切さを表わす。その先に顔を上げる男の姿があり、苦難にあっても現代の男は希望を持って前進する。

 

追憶」

 

 

 アントニー・ゴームリー 「密着 Ⅲ」1993年


鉄 27×201×174 cm

名古屋市美術館でいつも死体の様に腹ばいになっている自身の体をモデルにしたアントニー・ゴームリーの作品。秋の日は、枯葉などが脇に溜まり、まるで放置され忘れられた死体の様にいつも感じていた作品だが、ここにもあった。

 ここでは赤い裸で芝生に大の字になっていた。芝生だからまだ柔らかく見えて良いかっと思うがやっぱり死体だね。

 

 流政之(ながれまさゆき) 「風の刻印」1979年
白花崗岩 393×310×137 cm

ニューヨークのワールドトレードセンターのシンボルとして約250トンの巨大彫刻『雲の砦』を作ったり欧米の美術館所蔵など、どちらかというと日本より欧米で有名な作家です。

 かつて流(ながれ)の出身地、四国の高松で一緒に酒を飲んだが、古武士のように豪放磊落な中に繊細さを秘めた面白い方で私の好きな作家です。

 「この作品は流(ながれ)に似ているけど、なんか違う。

流れの代表作品でよく使われる「割肌」に近いけど、流の「割肌」はもっと繊細なはず、流の方がもっと上手だな」っと話しながら近くに来たら作者は流だった😆

 

その他、

 ちょっとおとなしい岡本太郎作品 「樹人」1971年

 

 バリー・フラナガンの「ボクシングをする二匹のうさぎ」1985年

 

 ニキ・ド・サン・ファール 「ミス・ブラック・パワー」1968年

 

この美術館にはちょっとクラシックな高村光太郎の「みちのく」1953年


等々

 

 

中にはちょっと悲しい作品も。

井上武吉作「my sky hole79(天を除く穴79)」

 

鉄の箱から階段で地下にもぐり、真っ暗な中を天井に開いた10cmほどの穴を見てガラスの箱から再び出るという鑑賞者の体験そのものを作品としているのだが、穴の部分の地上の草が伸びてしまっていてよく見えないのと水滴が沢山付いて完全にぼやけて全くものにならない。

 作品という以上 意図がわかる様、鑑賞に耐えうる様、常時手を入れておくべきだ。

 

 

 

 屋内展示では

1984年会館のピカソ舘 319点のピカソコレクション

 

別の室内展示では

 ウンベルト・ボッチオーニ「空間の中の一つの連続する形」1913年

 

 ジャコメッティ「腕のない細い女」1958年


 

 フリオ・ゴンサレス「腰かける女 No.3」1935-36年頃年

 

 

 

 モディリアニのブロンズ作品 「頭部」1911-12年頃年

 

 荻原守衛の有名な「坑夫」1907年

  等々

 

じっくり見ていると時間を忘れますね。

3時間で回ろうとしましたが、私は気に入ったものは数回見るのでどうしても時間が足りなくなってしまいます。

 

染めと織の万葉慕情77

  下紐の解くる日

   1983/09/30 吉田たすく

 

 紐の歌のつづきです。

紐の歌が万葉集に沢山のせられていますが、 第十二巻には二十数首もありました。 その巻に「旅にして思ひを(おこ)す」と、旅さきで妻を思う又は旅さきの夫を思ふ歌が集められています。

 その中で紐を歌材にしている歌をひろってみました。

 草枕

  旅の衣の

    紐解けて

   思ほゆるかも

    この年ころは

 草枕、長旅の間に衣の紐が解けてしまったが、家で妹子(妻)といっしょに紐解いた頃が思い出されることだよ、この最近は。

 草枕

  旅の紐解く

    家の妹(いも)し

   我を待ちかねて

    嘆かすらしも

 妹と結びあった紐も長い旅路に自然に解けてしまった。これは、私の帰りを待ちかねてなげいているらしい。 そのしるしなんだなあ。

 吾妹子(わぎもこ)し

  我を偲 (しの) ふらし

     草枕

   旅の丸寝に

    下紐解けぬ

 私のあの子が私の事をしのんでいるらしい。 旅さきでの私は一人で丸寝をしているのに、あの子の結んでくれた下紐が自然に解けてしまうのは、わびしい一人寝の床で下紐を手にあの子を思うのです。

 旅さきで妹をしのぶ歌には、雲、山路、舟、海などや草花を媒体に詠った歌も沢山ありますが衣、袖、裳(も)などの染織品を使った歌の方が、はだにふれる実感として読む人に伝わりその中でも紐の歌になるとなおさらの思いが感じられるのです。

 それにしても「紐の解ける」と詠われると、妹の甘はだから遠のいているせつない気持ちがいっそうつたわってまいります。

でもこれらの歌は郷に吾が妹子が吾をしのんでまっている歌なのですが、旅も遠く長くなってくると、紐を解く又は解ける日がいつくるのであろうかと、あきらめもわいて来るのでしょう。

 ま玉つく

  をちこちかねて

    結びつる

   我が下紐の

    解くる日あらめや

 下紐ゆえになやみはいっそう身にしみてまいりました。又郷で夫をまつ妻の身になっても同じ思いです。

 結える紐

  解かむ日遠み

    しきたへの

  我が木枕(まくら) は

   苔生(こけむ)しにけり

 夫は遠いひな地に行って帰って来ません。互に結んだ紐を解く日は遠く、私の木枕は苔生してしまった。二人してたのしく袖巻く夜はいつの事なのか、となげくのです。

細い下紐一本にかける思いのふかさを詠います。

 今の旅とちがって当時の旅は明日の命もわからないきびしいものであっただけに妹への思い背の君への思いの深さがしのばれて来ます。

         (新匠工芸会会員、織物作家)

 

 

誰一人いない全ての美を独り占め

静寂の中

苔の美しさ

 日本人ならではの喜び

この あたたかな やわらかな 緑の段通

とてもうれしくなる

こんなにも美しいのに

紅葉の頃はさぞや更に美しいだろう

しかし その時は  人  人の山だろう

 人のいない

心に爽やかな空気を感じ

この美しい緑を愛でながら

紅葉を想う美しさこそ

  なお 美しいであろう

 …………………………

箱根美術館・神仙郷

 箱根で最も古い美術館であり、MOA美術館を建てる前の原点の美術館

衣・食・住・生きとし行けるものすべてに対する美意識の美術館

館内は鎌倉・室町時代に製作された力強く重厚な六古窯の壺や甕などを中心に、「日本のやきもの」が陳列されている。

陳列品は全体的に地味だが、しっとりとしてどっしりとして大地から作られた いいものがある。

 そして、この美術館の最高の作品は敷地面積約3万坪にひろがるという庭「神仙郷」である。

箱根の山々を借景としながら約130種類の苔と200本のモミジの「苔庭」や、「萩の道」、「竹庭」など変化したお庭が広がっている。

先回は館内の作品を載せましたが、今回は真骨頂「神仙郷」です。

 

 …………………………

 

 ちょっと一服

 

 

お抹茶 葛羊羹

 

 

 

目の前の緑の涼しさの様に

綺麗なさらっとした柔らかな葛のお菓子

お抹茶もいい味

ここも熱海のMOA美術館も創始者岡田茂吉の美学に則っとり上品で美味しい

とても美味しい

 

 

 

 

 

さすが岡田茂吉の美術館

衣・食・住・生きとし行けるものすべてに対する

美意識の素晴らしさが現されている

 箱根で最も古い美術館であり、MOA美術館を建てる前の原点の美術館であり、館内は鎌倉・室町時代に製作された力強く重厚な六古窯の壺や甕などを中心に、「日本のやきもの」が陳列されている。

陳列品は全体的に地味だが、しっとりとしてどっしりとして大地から作られた いいものがある。

 今回はこの「日本のやきもの」をのせましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして次回は、この美術館の最高の作品である、敷地面積約3万坪にひろがるという庭「神仙郷」を。

箱根の山々を借景としながら約130種類の苔と200本のモミジの「苔庭」や、「萩の道」、「竹庭」など変化したお庭が広がっています。

…………………………………………

箱根美術館

神奈川県足柄下郡箱根町強羅1300

昭和27年(1952)神仙郷内に箱根美術館を建設して、日本の伝統文化の継承と発展、日本東洋美術品の収集と公開に力を注ぎました。

箱根美術館の開館時に次のような挨拶をしています。

「元来美術品なるものは、できるだけ大衆に見せ、楽しませて、知らず識らずのうちに人間の心性を高めることこそ、その存在理由といえましょう。日本本来の美の国、世界のパラダイスとしての実現を念願する以外、他意はないのであります」

「日本全土を打って世界の公園たらしめ、美術に対する弛まぬ努力によって最高標準にまで発達せしめるべきである。観光事業と美術工芸の二大国策を樹立し、それに向って邁進することである。この結果として人類に対し思想の向上に資する。一言にしていえば高度の文化的芸術国家たらしめることである」

「優れた美術品には、人々の魂を浄化し、心に安らぎを与え、幸福に誘(いざな)う力がある」と考え[1]、「美術品は決して独占すべきものではなく、一人でも多くの人に見せ、娯しませ、人間の品性を向上させる事こそ、文化の発展に大いに寄与」するとの信念のもと、戦後は東洋美術の優品の蒐集に努めて海外流出の防止を目指した。昭和27年6月に箱根町強羅に箱根美術館を開館しする。

昭和57年、姉妹館であるMOA美術館の開館以降は、鎌倉・室町時代に製作された力強く重厚な六古窯の壺や甕などを中心に、縄文時代の土器から江戸時代の作品まで、「日本のやきもの」を常設展示している。

建築物(鉄筋コンクリート3階建て)、内装、展示ケースはすべて創立者 岡田茂吉の設計。箱根強羅の箱根美術館のある一帯は、「神仙郷」(敷地面積約3万坪)として整備されている[3]。神仙郷には、約130種類の苔と200本のモミジの「苔庭」や、「萩の道」、「竹庭」などがあり、四季折々に美しい姿をみせる。特に11月は、庭園内のモミジが一斉に色づき、紅葉の名所として名高い。土日祝日と11月には通常公開されている庭園に加え、巨岩の石組みを中心とした庭園「石楽園」も、特別公開をしている。これら一帯は平成25年8月1日に国の登録記念物に登録され[4]、令和3年3月26日には国の名勝に指定されている[5]。

苔庭に面した茶室「真和亭」では、無農薬で栽培された抹茶と季節ごとに変わる和菓子が楽しめる。